【コミカライズ進行中】「君を愛することはない」と言ったあなたに愛されて死ねて本望でした
私に縁談が舞い込んできた。
お相手は美貌の公爵様。
彼からの手紙には白のアネモネの押し花が同封されていた。花束は手紙に入れられないからと押し花にして送ってくれたのだ。
壊れてしまいそうなほど薄く繊細なアネモネの花びら。
私はそうっと大事に手に取った。これに合いそうなガラスのフレームはあったかと探し、形を崩さないよう気を付けて入れた。
白いアネモネを見ると、希望を込めて育てていた花壇の花を思い出す。
白いアネモネの花言葉の通り私の願いは叶う。
あなたは「君を愛することはない」と言ったけど、私を愛してくれた。
だから私は死んだの────
◇◆◇
私たちの結婚は王命だった。
若き公爵である彼はいつまで経っても妻を娶ろうとしなかったので、国王陛下が痺れを切らし、我が家に娘を公爵家に嫁がせろと命じたのだ。
彼は国王陛下に私とは結婚しないと言ったが、聞き入れてもらえなかった。
「君を愛することはない」
結婚式の厳かな雰囲気の中、彼がそんなことを言うものだから、牧師様の顔は引き攣っていた。こんな新郎相手に挙式など進行しづらいだろうと私は苦笑してしまう。
彼は案の定その日の夜、私へもう一度「君を愛することはない」と言った。
だから私は彼に言う。
「愛される努力をいたします」
彼は「くっ」と悔しそうに眉を寄せて私を部屋に置いて出て行った。
私が旦那様に愛されないからといって、公爵家の使用人たちは私を無下にすることはない。私のために雇ってくれた女性の使用人は皆年嵩で妙齢の者はいなかった。皆、若い私にとても優しく接してくれた。
それは旦那様が皆によく言い含めており、皆事情を理解していたからだと思う。
執事が扉をノックし入室の許可を取る。そして執事を部屋の外に置いて私が入室した。
「旦那様」
「私は君に入室の許可を与えた覚えはない」
険しい顔をする彼の目の下には隈がある。食事もあまり摂れていないようで本来の美しい顔は頬がこけてしまっていた。
「朝食のお誘いに」
「侍従にここに運ぶように言ってくれればいい」
「一緒に食べてくれないのですか?」
「そのつもりはない」
旦那様は表情を崩さず、私のことを冷たくあしらう。
「あんまり頑なですと泣きますよ」
私が涙を溜めてキッと睨むと旦那様は物凄い速さで視線をうろうろさせた。
「わ、わかったから……泣くのはやめてくれ……!」
私はスンと表情を戻す。
「泣き脅しは有効……と」
ぽそりと呟くと旦那様に聞こえていたようで「嘘泣きか……!」と悔しそうな顔をされた。
やはり旦那様は涙に弱いようで瞳を潤ませ泣いているような顔を作るとなんでも言うことを聞いてくれた。チョロすぎないかと心配になるほど。
お陰で旦那様との距離は少しずつ近づく。
「そろそろ私のことを愛したくなりましたか?」
「君を愛することはない」
初夜と同じ仏頂面で言われた。
「でも、私はそんな旦那様のことが好きです」
「くっ……」
私はにっこり笑って言った。相変わらず眉根を寄せて悔しそうな顔をしていたけど、部屋から出て行く様子をよく見ると、形の良い耳がほんのり赤く色づいている。
「こういうのも有効なのかしら……?」
私は首を傾げた。
それから旦那様には花壇の使用許可をいただいて、花を育てることにした。
「そんなの庭師に頼めばいいのに」
旦那様は言ったけど、花を育てるのには目的がある。
「願掛けです」
「願掛け?」
「はい。旦那様に愛されるように願掛けしようと思いまして」
私が旦那様に言うと旦那様は「ふん」と鼻を鳴らした。
「何をしても私が君を愛することはない。せいぜい綺麗な花を咲かすんだな」
「はい。頑張りますわ」
私はその花壇で白いアネモネを育てることにした。花言葉は『希望』『期待』『真実』だ。
庭師から、アネモネの育て方の注意点をよく聞き、土づくりから綺麗な花が育つようにと願いを込めた。そして私は希望を託した種をまく。
◇
「今日、君の家族が来たよ」
「え?」
私はずっと屋敷にいた。呼んでもらえなかったということは、両親らが私に知らせないようにと言ったのだろう。私は彼らの意見を聞かないから。
「泣いて頭を下げてきた」
「そう、ですか……」
「離縁してくれ、と……家は取り潰しで構わないから、と……」
私は没落寸前の貴族の娘だった。我が家の領地は度重なる干ばつで、運営が立ち行かなくなっていた。
陛下はそんな我が家を救う代わりに私に公爵家へ嫁ぐように命じた。
「あと……君の弟からは……人殺し、と……」
「っ……!」
あまりのひどい言葉に私は青ざめ「申し訳ございません!」と頭を下げる。
「君の実家は公爵家の金で何とかするし、陛下には私から話をするから、君は実家に帰るといい……。君の妹もずっと声を殺して泣いてたよ。君は家族から愛されている。それでいいじゃないか」
彼は私から目を逸らした。
「実家には……帰れません……」
私はギュッと拳を握って頑なな態度を示す。
「この結婚は王命です。旦那様が生きているうちは、旦那様の庇護の元、私の実家は守られるでしょうが、旦那様が亡くなってからもそれが守られる保証はありません」
王命を反故にした責任を取らされ爵位をはく奪される可能性もある。旦那様も同じことを思ったのか、私の言うことに反論はしなかった。
「私の家族が申し訳ございませんでした。次に来たときは私が追い返しますからお呼びください」
「まあ、いいよ。私が君を愛さなければいいだけなのだから」
いつも「君を愛さない」と言われれば「私はこんなに好きなのに」と答えていたが、このときばかりは何も言えなかった。
◇
「あれ? お出かけですか?」
旦那様は滅多に出かけないのに今日はなんだかいつもと装いが違う。
「ああ。陛下から呼ばれて」
「そうですか。お気をつけていってらっしゃいませ」
私が頭を下げると旦那様は「いってきます」と玄関を出た。
それから一時間も経たないうちに「来客です」と執事に呼ばれる。
この公爵家に来客は滅多にない。何かあっても旦那様が基本的に人を遣わせて解決するからだ。
「私に? ですか?」
もしかしてまた私の家族が来たのかなと、どう言い訳をしようか考えながら応接室に入ると部屋の中には旦那様を呼び出した陛下がいた。
私はすぐに淑女の礼をする。
「突然来てすまないね」
「それは構いません……。夫でしたら、今王宮へ行っているはずですが……」
私が戸惑いがちにそう言うと、陛下は「知っている」と答えた。
ということは旦那様には聞かれたくない話ということだろう。
「どうだ? 最近は体調もかなりよくなってきたみたいだが、あいつはそなたのことを愛してくれそうか?」
私と結婚生活を送るようになってから隈がひどく頬がこけていた旦那様は元の美貌を取り戻しつつあった。一緒に食事をするとちゃんと食べているし、夜もぐっすりと寝れているようだ。
「愛することはないの一点張りです」
「そうか。口で言うのと気持ちが一緒とは限らないからな」
「そうだと良いのですが……」
私が家を救ってもらう代わりにした条件は公爵家に嫁ぐこと以外にもう一つある。
それは旦那様に愛される妻になることだ。旦那様は口にも態度にも出してくれないので、愛されているかどうかはわからない。
「それで、要件なんだが……あいつにも言ったが聞き入れてもらえなくてな……」
「はい」
私は陛下からの頼みごとに頭を抱えた。
◇
「せっかく王宮まで行ったのに、屋敷でも済ませられるような内容だった……」
旦那様はとんだ無駄足だったとぶつくさぼやく。
「旦那様」
「どうした?」
「今夜、お部屋に伺っても良いですか?」
「はっ……?」
旦那様は目を見開いて固まった。そして数秒そうしてから我に返ったようにハッとする。
「ダメに決まっているだろう!」
「ですよね……!」
陛下からの要件は子を成すようにとのことだった。
愛がなくともできるから、と。
三年の結婚生活で私は毎日旦那様に「好きです」「愛しています」と伝えた。
初めは愛されようと必死だったけど、口にしているうちに私は旦那様を本気で愛してしまっていた。
だから私は旦那様に泣いて乞う。
「愛してもらえないのなら、せめてあなたの子どもが欲しいです」
今度は嘘泣きなんかではなかった。
旦那様はくしゃりと顔を歪ませて「ダメだ」と言う。
彼は私にこの結婚は白い結婚であるべきだと。白い結婚は検査をすれば証明できる。
のちに他の男性と再婚する際は白い結婚である方が、望まれやすいからと。
「あなたを愛してしまった以上、だれかと再婚することはありえません!」
私が涙ながら必死に訴えると彼は傷ついたような顔した。
「私は君を愛さないから、君も私を愛さなくていい」
彼は私と目を合わさずにそう言った。
彼に拒絶された辛い出来事だった。
私は毎晩彼の部屋へ訪れ泣いた。「好きなんです」「愛してしまったの」と泣いた。
毎日そんなことをされて煩わしかっただろうと思うのだが、彼は私のことを抱きしめた。
「君が泣く姿は見たくない」
彼の腕の中はとても温かかった。
結局、三年間の結婚生活の中で私は二人の子供を産むことができた。
旦那様は子を片親にしてしまう引け目があっても私の想いを汲んでくれたのだ。
それでも旦那様は一度も私に「愛している」とは言わなかった。「好き」という言葉もない。
だけど、私は幸せだった。
冷たいように見える旦那様の言動はいつも私を想ってくれてのこと。
それがわかっているから旦那様のことを好きになってしまったのだ。
彼が私をどう思っているかはあと数か月後にわかる。
それから私は少しずつ食事が摂れなくなってくる。食べようとしても吐いてしまう。
夜もなんだか眠れない。
食べられず、眠れない生活はストレスがたまる。だけど私は出来るだけ自分を抑えて穏やかな生活を送るように心掛けた。二人の子との残り少ない時間を大事にした。
日に日に弱っていく私の身体とは反対に、庭に咲く白いアネモネは生き生きしていた。
ふわりと舞う春風とともに咲き乱れる。白いアネモネの間から流れてくる風は爽やかで、ほんの少しの切なくもあった。
細長い茎が風に揺られ、繊細な花びらがほろりと零れてしまうのではと心配になる。
蜜を求めて蝶が舞う。あちらこちらの花に止まる様子は楽しげで、朝露に濡れるアネモネは陽の光を浴びて生き生きとする。
「ままぁ?」
「お花よ。綺麗ね」
「おあな?」
先に生まれたのは女の子。朝露のようなキラキラした目でアネモネの花を見つめている。
そうこうしていると蝶の動きを目で追っていた腕の中にいる生後八か月になる下の男の子が「あーうー」と暴れ出す。
「飽きてきたかしら? そろそろ戻りましょうか」
「あい」
子に恵まれたのは幸いだった。我が子は本当に可愛らしい。
この生活もあとわずか。私の胸は切なく締め付けられた。
そして、旦那様は時間ができる度に私の部屋へ足を運んでくれる。
わざわざ毎日「君のことなんて愛していない」と言いに。
「あなたが私を愛してくれていたかはあとひと月もすればで分かることです」
一か月後は旦那様の二十五歳の誕生日。
屋敷の使用人の誰もお祝いの準備を始めない。
以前からたびたびあったが、旦那様は屋敷に帰らない日々が増えてきた。
女性の家に入りびたりになっているという心配はしていない。
屋敷にいるときは必ず私の部屋へ訪れる。そして私を見て辛そうに顔を歪めるのだ。
旦那様の誕生日まであと一週間。
旦那様はとうとう死ぬと言い出した。
駄々っ子のように「君が死ぬなら私が先に死ぬ。誰も私を止めてくれるな」と叫んだのだ。
今は公爵である旦那様は元王太子殿下。
とある令嬢に強引に迫られ拒絶したところを逆恨みされ、悪しき呪いを掛けられた。
この国や近隣諸国は輪廻転生を信じている。命が尽きればまた新しい生命として生まれ変わる。ただし、自死だけは罪深いものとされ、自死した魂は地獄へ堕ち転生できない。
今世がどんなに苦しいものでも輪廻転生を信じるこの国の民が自死を選ぶことはない。
地獄へ堕ちるのは恐ろしいことで、新しい生への希望がないから。
悪しき呪いは自死の血を使ってしか掛けられない。
王太子殿下に呪いを掛けた令嬢は、プライドの高い令嬢で性格に難があり、なかなか結婚が決まらずにいた。両親も娘に問題があって結婚が決まらないことをはっきり言わなかったため彼女は、まだ若い年下の見目麗しい王太子殿下と結婚するために、自分は未だに結婚せずにいるのだと思い込み始めたようだ。
王太子殿下とその令嬢はほぼ接点がなかったらしいが、思い込みの激しい彼女は絶対に王太子妃になるんだと強い想いで王太子殿下に迫った。
襲われるような形で強引に迫られ、王太子殿下は強く拒絶した。それに憤った令嬢は悪しき呪いに手を出した。
『王子が誰かを愛せば、愛された者は死ぬ。誰も愛さなければ王子が死ぬ。二十五歳の誕生日、王子は絶望を味わうだろう』
呪いなど失敗する確率が高く、たとえ失敗をしても自死をしたことで地獄へ堕ちて新しい生を授けられることはない。そんな恐ろしいことに手を染める者はいない。
二十五歳の令嬢は、自分と同じ年になったら王太子殿下に絶望してもらおうと自死の血でその呪いを掛けた。
王太子殿下に呪いを掛けた令嬢の両親は処刑され家は取り潰しになった。
最悪なことに失敗率の高い呪いは成功してしまい、王太子殿下の身体を蝕んだ。
王家はたくさんの解呪師を呼んだが、王太子殿下の呪いを解くことはできなかった。
呪いを掛けられた王太子殿下は王位継承権を弟へ譲り、臣下に下る。そして一代限りの公爵様となったのだ。
それから旦那様は与えられた屋敷に引きこもった。誰かを愛することがないよう屋敷の使用人は男性だけにし、極力外出を控え、屋敷内で出来る執務をして国を支えた。現地で確認すべきことは人を遣わせ解決する。
そんな生活を続ける息子に陛下は痺れを切らす。
三年前。私はというと、死ぬつもりでとあるショー会場を訪ねた。
そのショー会場では誰もが顔を仮面で隠している。皆仕立ての良い服を着ているので、金持ちの集まりであることはすぐにわかる。
そこでは悪趣味なショーが行われている。
それは奴隷オークション。
私は奴隷になるつもりでそこへ来たわけではない。没落貴族の娘が身売りするなど、ままあることで、たとえ高値が付いたとしても没落寸前の領地が救えるほどのお金になるとは思えなかった。
母は病気で我が家は薬を買う余裕もなくなってしまった。飢えに苦しむ領民がいる。三歳下の弟は貴族学園に通っていたが学費を捻出できないので退学を余儀なくされた。
さらに、妹は家族を助けるためならと、娼婦になろうとしていた。妹はそのときまだ未成年で、そんな彼女を娼婦にするわけにはいかない。しかも娼婦の給料程度では全員を助けることはできない。
すぐに大金を手に入れるにはこの方法しかなかった。
「ひひっ、お嬢様のように自死の罪深さや恐ろしさを認識したうえで、行われる余興は最高に盛り上がるんですよ。あなたの自死に最高の値を付けさせていただきましょう」
奴隷オークションでは罪深い自死をエンターテインメントとする悪趣味な余興がある。
そこで私は自分の命を差し出すことにした。
神に逆らい自死を選ぶ。そうすることで皆が助かるなら、と。
表向きは事故死と処理をしてくれるらしい。
自死は怖い。自死の後に待っているのは新しい生ではない。永遠に続く地獄が待っているのだ。
そして自分の命を差し出すのに、報酬をどう受け取るのか、という問題がある。ここで騙されるような阿呆な真似はしてはいけないと、気を引き締めて奴隷商と契約の確認をしているときだった。
どたどたと外が騒がしくなり、何事かと奴隷商が扉を開けるとあっという間に騎士たちが部屋に押し寄せ、奴隷商は捕まった。罪状は違法な奴隷売買と自死の斡旋。
もちろん私も捕まり、牢屋へ入れられた。妹を娼婦にしたくなくて必死だった。実家が大変な時に足を引っ張るような浅はかな真似をしたことを悔やんだ。
「ごめんなさい。お父様……お母様……」
そんなとき、豪奢な装いの壮年の男性が牢屋の前に現れた。
「そなた。自死を売り物にするつもりだったと」
「はい……」
「ではその命、私の息子のために使ってはくれぬか」
「え……?」
私は陛下と契約をした。
私は旦那様に愛されて死ぬ。旦那様は私を愛して生き延びる。
これで我が家は助かるのだ。
ただ、愛され妻になれるのか心配で「私で良いのでしょうか」と陛下に確認した。
「選んだ手段は悪かったが、家族や領民を大切にする想いは好ましい。見目も可愛らしく息子はきっとそなたを気に入るだろう」
陛下にそう言ってもらえて少し自信がついた。
「お褒め下さりありがとうございます」
「まあ、私の提案した手段は決して良いものではないが……子のため、国のために私は悪魔になろう」
陛下は心を決めたように拳を強く握っていた。
「必ずやお役目全うしてみせます」
こうして私は旦那様と結婚した。
この国では男系長子継承制をとっており、長子の血が優先される。
だから陛下は私に子を成すように言ったのだ。
いずれ我が子たちは王女と王子として王宮に引き上げられるのだろう。きっと旦那様も王太子に戻ることができる。それでいい。それが本来の姿だから。
私の身体に不調が出始めた頃、旦那様は私の家族を晩餐に招待した。旦那様は食事の前に家族と私だけの時間をくれる。
「可愛いわね。あなたにもこれくらいの時期があったのに……あっという間だわ……」
私の娘を膝の上に乗せて、お菓子を与える母は病気だったが、治療によって完治したらしい。
家族には陛下と旦那様から何度も謝罪と説明があったようだ。
私は現状に後悔がないことを伝える。とても幸せで旦那様を愛していると。
「公爵様が手配してくれた医師のお陰で病気が治ったのよ」
「公爵様が手を貸してくれた干ばつ対策のダムはもう間もなく完成しそうだよ。領民たちも国からの支援で助けられてしまったし……」
私の息子を抱いている弟は貴族学園に復学でき、もう間もなく卒業で、私を見てずっと目に涙を溜めている妹は昨年社交界デビューを果たした。
「本来であれば姉上は牢獄生活で、我が家は没落。領地は干上がり領民は飢え、町はスラム化していたかもしれない。母上だって生きてはいられなかったかも。それなのに、ここまでされてしまったら……。納得なんてできないけど」
自死を売り物にしようと奴隷商と接点を持った私は陛下の提案によって、罪に問われずにいる。
皆、諦めたような苦笑を浮かべていた。私のせいでこんな顔をさせてしまったことを申し訳なく思う。
「それに、公爵様は姉上を愛することはないから大丈夫って言うんだ……」
息子は弟に高い高いをしてもらってキャッキャする。
「あんな顔で愛してない、なんて言われても説得力はないけどね……」
弟は息子を下ろしてポツリと呟いたのだった。
「お姉様……っ……ううっ……」
妹はついに我慢の限界に達したようで私にしがみついてぽろぽろと涙を流した。
私か旦那様かどちらかが死ぬ。誰もそのことには触れない。家族との晩餐の時間はとても和やかなものだった。
「君のことなんて好きじゃない。愛していないから死ぬな」
少し前まで帰らない日がほとんどだった旦那様だが、今は毎日私の部屋へ訪れる。
どうやら呪いを解く方法を探していたようだ。しかし、今私の手を握りながら険しい顔をする様子を見る限り解呪の方法はなかったとみえる。
私はというと三年前から死ぬ覚悟はできている。
愛してしまった以上、旦那様には死んでほしくない。だから彼に愛されたかった。
私の身体は衰え、もう寝台から出られそうにないことを考えると一週間後にどんな結末を迎えるのか想像に容易い。
「いやだ。死ぬな! 死ぬな! 君のことなんて愛してない」
旦那様は必死に叫ぶ。
「君が死ぬなら私が死ぬ! 誰も私を止めてくれるな!」
そう言い放ったとき、私は絞り出すように「だめ」と声を発した。
「輪廻転生……いつかまたあなたと巡り合いたい……アネモネの花を」
アネモネの花に希望を込めた。死んでもまた旦那様と巡り合えますように、と。
「っ……!」
旦那様はショックを受けた顔で身体を震わせた。そして諦めたように両膝を突いて、だらりと両手を下げる。
「君のことなんて……愛してない……」
そう呟く彼の両目からは涙が零れ落ちていた。
旦那様の二十五歳の誕生日。私は死んだ。
彼に愛されて死んで。本望だった。
◇◆◇
生まれ変わった世界も輪廻転生が謳われる世界だ。魂は洗われて前世の記憶はなくなるとされている。
だが、私は前世の記憶を持っている。神様は魂を洗い忘れてしまったのだろうか。
前世で深く愛した人がいた私は、今世での結婚に積極的になれずにいた。
転生した今世も私は貴族令嬢で、伯爵令嬢として生まれ変わった私は父の言いつけで、結婚相手を探すため毎週末は夜会へ繰り出す。
しかし、すぐに会場を抜け出し庭で白いアネモネを探しては前世の思い出に浸る。
子どもたちはどのように成長したのか。実家の家族は旦那様を恨んではいないか。旦那様はちゃんと天寿を全うしてくれただろうか。
感傷に浸ると自然と視界が滲みだす。
そんな私を遠くから眺める人物がいることには気づかない。
父に怒られる前に会場へ戻らなければと、私はため息を一つ吐くのだった。
「チェルシーっ、縁談だ! しかもお相手はルミエール公爵様だ!」
舞い込んできた縁談に父は歓喜する。
なんとお相手は美貌の公爵様。
二十二歳の若き公爵である彼は、今までどんな縁談も引き受けてこなかったのに、なぜ今になって縁もゆかりもない我が家に縁談を申し込んだのだろうか。
縁談が来ると父は必ず私に意向を確認してくれる。
今まで格下からの縁談だから聞いてくれたのだろう。結婚に消極的な私は毎回必ず断った。
今回は公爵家からの縁談で、簡単に断れるわけもなく、父は私の意向を聞くことなく顔合わせに出るようにと言ってきた。
公爵様からの手紙には私宛の手紙も入っており、突然の縁談に対するお詫びについて丁寧に書かれていた。
そして同封された白いアネモネの押し花を手に取ると、ドクリと熱いものが駆け巡る。
私は封筒に書かれた彼の名前を確認した。
彼に会わなければ……!
そんな衝動に駆られた。
ガラスケースに入れたアネモネの押し花を眺めてその日を待つ。
対面した公爵様を見て私は目を見開いた。生まれ変わったはずなのに、旦那様と同じ顔をしている。
彼は私を認めて目を細めた。
「チェルシー嬢。庭園をご案内します。うちの庭はこの時期、白いアネモネが満開なんです」
「あ…………あ……はい……」
みっともなく情けない返事しかできなかった。
綺麗に咲き誇る白いアネモネの花壇の前で彼が問う。
「君は……私が君を愛することはない、と言ったらどうするだろうか……」
春風に乗ってアネモネの花がそよぐ。
私の心臓がドクドクと脈打った。答えを急かすように蝶が舞う。
「愛される……努力をいたします」
真っ直ぐと彼を見つめ真剣な顔で答えた。
彼はパアアと破顔する。そんな顔は初めて見た。
グッと腕を引かれて抱き込まれた。
「好きだ、チェルシー……! 愛してる。ずっとずっと昔から。君のことを愛してた!」
私はそっと自分の腕を彼の背中に回しクスリと笑う。
「はい。ずっとずっと昔から、愛されているって知っていましたよ。エーヴェル様……」
どうやら神様は私たち二人の魂を思いっきり洗い忘れたようで、二人ともが前世と同じ名前だった。
白いアネモネに込めた願いは叶えられた。
拙い文章でしたがお読みいただきありがとうございました。
評価、感想いただけると嬉しいです。




