第4話 二人の変化
ミッシルが俺を研究素材に決めてから数ヶ月。彼女にちょっとした変化が訪れていた。
「ねぇ、最近貴女の肌が妙に綺麗に見えるんだけど?」
今は特務機関の昼休憩中で、女性達が集まり弁当やら惣菜パンやら食べながらお喋りに花を咲かせていたのだが。
一番のサイズを持つ先輩とやらが俺のミッシルさんを見てそう言うのだ。
「そんなことないですよ!
それより先輩、また少し育っていません?」
慌てて否定するミッシルだが、他の女性達も先輩とやらに同調して首を縦に振る。
「あら、ばれちゃった?
どうも栄養がこっちにばかり集まって困るのよ。お陰でサプリのお世話になってるんだから」
「大きくて肩凝りに悩む先輩には私の開発したこの貼るタイプの医療器具がお勧めです!」
「あら? 前のは確か皮膚に炎症が出るから発売まで漕ぎ着けなかったわよね?
その問題は克服出来たのかしら」
「当然ですよ! こちとら伊達に年中カブレと戦ってる訳じゃないんです!」
そんな感じで彼女達の進捗を日常的に報告する場でもあるのだが、今日の餌食は俺のミッシルさんとなったわけで。
「良い子だから少し脱いでみようかしら」
「大丈夫大丈夫! 少し触診させて貰うだけだからすぐに終わるわ」
先輩がミッシルさんの後ろからパイロックを極めがっちりと頭をホールドし……少し羨ましいとか思ってないから!……もう一人の職員が肩をはだけさせる。
ブラの紐が見えるが今の俺はその程度では動じない。何故なら毎日……おっと、これ以上は言えないぜ。
ランチの間、ミッシルさんの膝の上でのんびり寛いでいたのだが女性研究員達の何とも騒がしいこと。
仕方なく部屋の隅に置かれた俺専用の藤籠にジャンプして退避する。
最近はこの特務機関の中では俺が一人で歩いていても誰も気にしないし、たまにおやつをくれることもある。
おやつを与えている、と言うより便利なごみ処理装置と思われている節もあるが、基本的になんでも消化出来るスライムストマックは腹を壊すことも無いし、味蕾の無いクチなので味を感じることが無く、栄養価さえある物ならば俺は満足なのだ。
俺が人畜無害と知れると、たまに休憩時間に俺を抱きに来る職員も現れだした。
抱くと言ってもエッチな方ではなく、言葉通り両腕でぎゅっとね。そうすると脳にリラックス効果のある物質が溢れてくるらしい。
それはさておき、ここに来てから色々試した結果、俺の通常状態でのサイズは直径約三十センチのニンニク形が一番落ち着くことが分かった。
玉ねぎ形でも大差は無いが、らっきょう形は少し安定が悪い。サイズは最大で今の二倍の大きさになることが出来るが、密度が下がるせいか動きにくくなるのであまりやらない。
そんな俺の話はどうでも良くて、今の問題は服を脱がされたミッシルさんだが、危害を加えられてる訳でも無いのでスルーである。
元々若い彼女の肌は大して荒れている訳でもなかったのだか、俺と一緒に風呂に入るようになってから全身の肌が以前に増して綺麗になったのだ。
何故かって?
勿論俺が彼女の肌の老廃物を除去しているからに決まってんだろ。
以前は泡を立てたボディソープをヘチマか何かに付けて体を洗っていた彼女だが、ある日試しにとばかりに俺をヘチマの代わりに使ったんだよ。
その時の俺?
俺は出来るスライムだから、ずっと目を閉じてたさ。
幾ら研究パートナーだからと言って、乙女の素肌をジロジロ見るのはアウトだろ。それに感触だけで妄想するのも悪くないってもんだ。
老廃物云々は意図してやったことではなく、偶然にも人の肌と俺のスライムスキンとの相性が良かったってだけなんだけどね。
彼女がそれに気が付いたのは、初めて会った日に俺から切り取ったサンプルを手の甲に乗せたままにして居眠りした後か。
ペリッと剥がしたあとにそこだけスベスベになってたことを不思議に思ったみたいで、それからスキンシップが激しくなったんだよね。
ミッシルさんはめちゃくちゃ美少女ってわけじゃないけど、元々男性だった俺は勿論ウェルカムさ。
全身を女性研究員達に撫でられ、息も荒くなったミッシルさんが俺と風呂に入っていることを吐いたのは仕方がない。
きっと彼女が言うまで撫で続けられる地獄が続いただろう。うん、女性達の美に対する執着を甘く見てはいけないと心に刻んでおこう。
なお、この日を境に俺の入浴時間が何倍にもなったことは言うまでも無いだろう。
◇
ミッシルさんの研究室には様々な動物が飼育されていて、毎日の清掃に結構な時間を割いていた彼女なのだが、最近では俺が掃除担当となっている。
彼女と違って雑巾がけは出来ないけど、飼育槽に入って排せつ物や床材などをせっせと消化し、仕上げに体を使って拭き取れば新品同様ピッカピカ。
「ラグム、いつも綺麗にしてくれてありがとうね!
アナタが居たら、年末の大掃除も必要無さそう」
小さな亀やらトカゲやらを何匹か両手に乗せ、掃除が終わるまで待っていたミッシルさんがお礼を述べる。
彼女の実家は大きな屋敷で、メイドなんかも居るので大掃除は必要無い。
普段は独身寮に寝泊まりしていて、物も殆んど置いていないので大掃除が必要となるのはこの研究室だけだと思う。
それからは綺麗好きとは言えないミッシルの代わりに、俺が暇な時に壁や床掃除をするようにしておいた。
今日も壁の掃除をしていると、壁の一部からおかしな魔力波が出ていることに気が付いた。
正しくは壁ではなく、掛けてある風景画の額縁からである。
「ラグム、その絵がどうかしたの?
あ、綺麗だから気に入ったのかな?」
どうやら彼女はこの魔力波に気が付いていないようだ。
昨日もこの絵画は掛けてあったが、魔力波は出ていなかった筈である。
確か、この風景画をここに飾るようになったのはつい最近のことである。
まさかと思うが、良くないことがされている可能性が捨てがたいと思った俺はその風景画目掛けてジャンプする。
固定はS字フックに紐を掛けているだけだったので、下からぶつかって大きく持ち上げてやれば絵画はあっさり地面に落下した。
「ちょっとアナタ何してるのよ!」
慌てて俺のもとまで走りよったミッシルさんに、裏返しになった絵画の額縁に取り付けられた何かの装置を見せてやる。
言葉は使えないので小さく跳ねて『ここだ、ここだ』と必死にアピールしていると、彼女にも伝わったみたいである。
何かを言い掛けたが、ハッと気が付いたらしくクチを押さえた。
そんなことがあってから数日後。
二人の研究員が逮捕されることとなった。
その二人は夫婦で、職場結婚をした職員であった。
ミッシルさん達とランチに付き合うこともなく、独身寮からも出ているので彼女の美肌の秘密に到達出来なかった訳である。
そして美肌の秘密を探るべく、旦那が盗聴魔具を額縁にセットして業者に渡し、この部屋に飾らせたと言うお粗末な計画が白日のもとに晒される。
「ラグム、ありがとうね!」
俺を抱き締めたミッシルさんがついでにと頬ずりをする。
ちょうど良いサイズを堪能しつつ、彼女に何事も無くて良かったと心底ホッとしながら嗅ぎ慣れた彼女の臭いに安心を覚える。
そう、俺にもいつの間にか臭覚と言う物が生まれたのである。
臭覚も極力シャットアウトしておかないと、動物の出したアレコレの掃除をする時にどえらい目に遭う。
だが、日常生活に於いて臭覚と言うのは必要な ファクターであり、特に料理の匂いと言う物がいかに必要かと言うことを俺に思いださせたのだ。
でも、やはり味覚の無い今の体では、例えば炭火焼き鳥の匂いを嗅いで旨そうだと思っても、実際に食べてみたら旨くも何ともない。
ただ栄養のある食事にすぎないと言うのが残念な限りだ。
◇
更に月日は誰にも平等に過ぎていく。
そんなある日のことだ。
「ねえラグム。アナタって目を閉じると緑色が濃くなるんじゃない?」
なかなか鋭い観察眼だね。
事実その通りで視界をシャットアウトする時や音を遮断する時、カーテンを掛けるイメージだから普段より色が濃くなる仕様なんだよ。敢えて目立つ白目を持たないのはキャラ被りを防ぐためさ。
「ラグムが言葉を理解してるってのは何となく分かるんだけど、他のスライムは駄目なのよ。
アナタがスライムとしてかなり特殊ってのは間違いないけど、だからどうした?と言う馬鹿が居るのよね」
この特務機関は軍事民事を問わず、新たな発見を国の役に立てると言う大きな目的がある。
幾ら俺が特殊なスライムであっても、結果として国の役に立てないのならお払い箱になる。そうなれば多分俺は浄化槽送りになるのだろう。
ここに来てから早くも半年あまり。毎日一緒に風呂に入る仲のミッシルさんと別れるようなことになれば、とてもツラい……。
俺が何かの役に立てることがあればよいのだけど、正直言って毎日食っちゃ寝していただけなので何が出来るか分かっていない。
さて、一体どうしたものか。
「あっ、そうだわ、ラグムって他のスライムを操ることはできないのかな?」
他のスライム? そう言や俺が会ったことがある他のスライムって、ゴブリンを倒した後に見たやつらだけだった。
スライムって激弱な魔物だから、普段は人の前に姿を現す事がない。安心して飯が食えるって場所にしか出てこないと言われているのだ。
「浄化槽のはちょっと嫌だから、新しいスライムを何匹か捕まえに行こうかな。
ラグムも一緒に行こうね。でもそうなると護衛が必要か」
あんな恐ろしいナイフ捌きが出来るミッシルさんに護衛が必要とは?
いや、あれはナイフではなく医療用メスだったから別物か。
そんな訳で準備段階なんて全部すっ飛ばしてジャジャンとやって来たのは、あの森です!
実は特務機関のある町から森の縁までは馬車に乗ってのんびり旅して片道二日半程と割りと近くだった。
と言うより、森から近い場所に特務機関を置いたと言う方が正解だ。
だってこの森は素材の宝庫とも呼ばれるくらい、多種多様な植物、昆虫、野生動物、更には魔物が暮らしていると言われている。
それもその筈、何せやたらと広くて人間が足を踏み入れた範囲なんてほんの僅からしいのだ。
まぁね、だけど想像力を働かせて森の奥地にたくさんの種類の動植物やら魔物が存在してるってのはどう思う?
実際に見たと言うなら納得だけど、見てもいないのならブラフかも知れないよ。
飛行生物が森の奥に向かって飛んでいくのを見たことがあると言って、そこに生息してると断言するのも早計に過ぎるし。
でもスライムなら間違いなく居るから今回のスライム捕獲ミッションは成功間違いなしだ。
そして今回のミッシルさんの護衛がギルツ隊長率いる冒険者パーティー『天馬の翼団』だ。
くっそ恥ずかしい名前をよくまぁ名乗れるもんだと思うのだが、この世界のネーミングは基本的に何かの動植物とその部位、武具の名前、自然現象、色等の組み合わせが多く、冒険者パーティーには架空の魔物の名前が良く使われるのだとか。
なので、ドラゴンの○○とか○○のドラゴンみたいなのが被ることもあって、時にはそのせいで勘違いや争いの元になることもある。
冒険者パーティーの名前を一元的に管理できるシステムなんてないのだから、運悪く被ってしまうのは仕方がないのだとか。
そんなので良いのか冒険者ギルドよ、と文句を付ければ代わりの案を出せと言われて返答に困るから、結局誰も何も言えないのが現実であるんだけどね。
スライムの俺が冒険者のパーティーに参加することは無いので、そうな情報はどうでも良い。
天馬の……と紹介されて密かに笑ったのだが、俺が笑ったことは誰も気が付かない。こう言う時にこのスライムボディって役に立つよ。
「それでこの子がラグム。結構懐いてくれて可愛いのよ。
スライムだけど私の指示は良く守ってくれるから、ちゃんと言葉を理解してくれてるので、そのつもりで相手してくださいね」
ミッシルさんと二名の研究員、それと天馬の自己紹介が終わって最後に俺を紹介してもらう。
「へぇ、あの時のスライムに名前を付けたのか。
テイマーがスキルで支配してる間はずっと魔力を吸い取られ続けるって話だけど、ミッシルさんはテイマーなのかい?」
「違いますよ。テイムなんて稀少なスキルを持っていたら、研究員なんてしてませんって」
隊長の話に何を冗談言ってるんですかって様子でミッシルさんが否定する。
確かに動物や魔物と心を通わせることが可能なテイマーの存在は稀少であり、この世界ではその数が国力を示すと言われる程であるのだとか。
ちなみに冒険者にはギルドが信頼の証として付与する冒険者ランクがあるが、これは戦闘能力とはあまり関係が無い。
なので自らの強さを誇りたい人は傭兵ギルドに所属する。
傭兵だから戦争があれば当然戦地に派遣されるので、それはイヤだが冒険者ギルドも信用されてないって人はどこかの用心棒になるなら良い方で、最悪は盗賊、夜盗に身を落とす。
俺がギルツ隊長達と会った時に戦っていた相手がまさにそう言う連中が集まった盗賊団である。
「人の言葉を理解するスライムなんて聞いたことはないが、長年生き続けたエルダー種ならスライムでも知能を持つのかも知れんな」
前世三十年の記憶を足せば確かにエルダー種かも知れないけど、実際は生後半年だから隊長の言うこと間違ってるよ。でも常時オクチにチャック状態だから教えてあげられない。
「スライムのエルダー種かどうかは分かりませんが、かなり特殊な個体ですからね。
今回の私の目的はスライムを数匹捕獲することです。なので他の二人の依頼より早く終わると思うので、なるべく早く終わらせて彼女達の依頼に移行しましょう」
「分かりました。ですがスライムを捕獲してどうなさるので?」
「ラグムがそのスライムに指示を出せるかどうかを確認することです。もし指示が出せるなら、スライムの新たな用途が見つかるかも知れませんよ」
現在のスライムの利用は下水処理のみであり、もし他の用途があるならスライムの地位向上に役立つのだから俺も気合い入れなきゃ!
密かにそう闘志を燃やすのだが、この後に俺の闘志は別の意味で燃えることとなるのだった。