第2話 初めての無双は最後の無双
良い転生ライフを……と言う言葉を最後に耳にしてから気を失った俺が目を覚ましたのは、何をどう説明したら良いのかよく分からない場所だった。
第一印象は廃墟である。
壁や天井があちこち崩れており、床には瓦礫や何かの破片が散乱している。
気配を探ってみても、生物の居そうな気配は無い。いきなり何かに襲われるような心配は無いのでひとまず安堵する。
ズルリと妙に重い体を引きずりながら、僅かに流れる空気を追うようにして外を目指す。
ズル、ズル、ズルリ……動かすたびにポヨヨンと跳ね返るような弾力を全身に感じるが今は無視。
きっと転生直後は皆がこんな気持ちになるに違いない。
幾つか気になることはあるが、きっと時間が経って新しい体に精神が馴染めば違和感など無くなるだろう。
とにかく黙ってズルリズルリと廊下を進み外を目指す。かなりの期間、人が訪れていない様子のこの施設では、運良くやって来た誰かとのコンタクトなど期待も出来そうに無い。
頭がフラフフ、いや、クラクラすると言うべきか。
途中で何度か休憩を挟みながらやっとの思いでこの施設を出てみれば、外はなんと月明かりの照らす夜空ではないか。
どうやら今世の俺の夜間視力はかなり良いらしい。
特に視線を上げることはしていないが、それでも満点の星空を直上含め視界いっぱいに収めてしばし雄大な夜景を満喫……流れ星がはっきり見えるのは、空気が綺麗で周りの灯りが無い影響だな。
さてと……
何か言葉を発しようとしたが、上手く言葉に出来ないのは恐らくクチとか喉とかの発声器官が無いせいだ。
さあ、これはこれで面白いかも知れないが、厄介なことに変わりはない。
転生条件を選ぶ時間が足りなかったせいか?
いや、だからと言って要望していないのに、コレって酷くない?
全身を使って溜め息をつくような仕草をしてみるが、果たして上手く出来たかどうか。
狼か何かの遠吠えが聞こえるってことは、この場所には俺にとって危険な敵が多いってことになりそうだ。
それとも意外に俺って強いのか?
色は分からないが、まん丸のボディと体内に浮かぶ半透明な宝石のような物。
やたらツヤツヤしていて弾力があって、触ると気持ちが良さそうなボディを持つ俺の姿は間違いない、時々見掛けるあの魔物に転生しちゃったパターンであると断言しよう。
そう、最弱の魔物の呼び声高いスライムであると。
実はそう見えるだけでそうと決まった訳でなく……とは言えないのだが、意外な程に落ち着いている自分に驚く。
◇
一晩を先ほどの施設の中で過ごし、夜が明けると早速外を探検してみようとズルリ、ポヨン、ズルリ、ポヨンと跳ねては少し進むを繰り返す。
そうしているとこのスライムの体にも慣れてきたようで、いつの間にかズルリ成分がなくなりスムーズにポヨンポヨンとジャンプ移動が出来るようになった。
ただね、全方位に向いている視界から入る情報量が半端なく、スライム脳での処理が追い付かないのが困りものである。
なので試しに視界を制限するために一部分だけの視界を残し、他の部分は体内のスライム液を変質させてカーテンでも掛けるように覆うイメージをしてみる。カーテンの色は明るい緑色、ライムグリーンだ。
するとどうだ、落ちゲーのキャラかと思えるような姿にあっという間に早変り……したと思う。
鏡が無いので自分の姿が確認出来ないことを失念してた。
それにしても、第二の人生がまさかスライムとは何と言うか……うん、最高じゃないか!
今はめっちゃ弱い魔物だけど、これから鍛えて鍛えて強くなるって楽しみ方があるに違いない。
それに人間に転生してたらさ、絶対に俺何かやっちゃいました?展開が待っていただろう。
ウンウン、あの駄女神も意外とグッジョブなことをやってくれたじゃん。
ほんの少しだけ感謝してやろうじゃないか!
さてと、じゃあ早速最初の獲物を探しに行きますかっ!
◇
「部チョーっ! アンタなんてことしてくれてんですかーーーっ!」
間違えて殺してしまった人間を転生させようとしてたら、後ろから思いっきり蹴られてとんでもない操作ミスをしてしまったのよ。
所謂人外転生、もうこれ最悪よ。下手したらクビだもの。
私達転生神は、本来死ぬ筈ではなかったのに予想不可能な事故で死んでしまった生物を救済するため、別の世界で生かすナビゲート役をしているの。
その際、転生先に悪影響を及ばさないように、また、すぐに死んでしまわないように能力や性格を調整する権限を与えられているの。
今回は運良くヤクザーノ部長が居ないタイミングで誤ったヘリ落下事故を起こしたから、部長が帰って来る前に穏便に済ませようと思っていたの。
だけど、あの対象者がつまらない質問を繰り返してくるのに答えていたら、部長が予定変更で早く戻って来るって連絡が入ってさ。
三十秒で転生処理を終わらせようとしていたら、予想より早い二十秒で帰ってきて後ろからゲシッと蹴られた訳だわ。
「なんてことしてくれてんですか、は俺のセリフじゃいっ!
お前が間違えてさっきの人間をやっちまったせいでな、俺は責任取らされて二階級降格だぞ!
お前はおやじが庇ってくれたお陰で百年間の執行猶予で済んだじゃねえか」
「持つべきものは権力者の父親ですよ!」
「身も蓋もないこと言う前に、ちゃんと反省文を仕上げとけっ!」
そう言うとヒュンッと効果音を立てて消えていくヤクザーノ部長。
私の机には百枚の白紙の原稿用紙。これ全部に鉛筆で反省文を書くのが今回の後始末な訳よ、最悪でしょ?
なんでワープロじゃなくて手書きなの?
えっ? 問題はそこじゃないって?
確かにシャーペンを使わせてくれない意地悪なんて酷いわ……あたっ、冗談だから石は投げないで!
ごめんなさい、ごめんなさい、次からは対象者を間違えませんから赦して下さいと何度も何度も書いて疲れた手をブラブラさせて回復し、さっきの対象者の様子を見る為にモニターをオンにしてみる。
「はぁ? 何故にスライムであんなに喜んでるの? 頭がおかしいってレベルにも程があるでしょ。
アンタが人間になりたいって思った時点で、キャラクリエイト画面に変移するようにトリガーを仕込んでるのにどうしてよ?
さっさと人間になりなさいって! 有効期間は転生してから正味三日しかないんだから。
スライムのくせしてゴブリン相手に無双してる暇なんて無いはずだからっ!」
解せぬわ……どうしてこうなった?
私が死ぬ思いで反省文を書いてる間に一体何が起きたのよ?
◇
やはり最初の敵を倒すには少々手間取った。
何せスライムに倒せる敵なんて早々見付けられるもんじゃない。
なので最初に俺が取った行動はスライム探して襲うこと。
スライムが倒せるのはスライムだけだと思ったからだ。
強い敵に見つからないよう慎重に移動を続けていると、強烈な何かをこのスライムボディが嗅ぎ付けた。
そしてこれは良い糧になると直感が囁き、その何かに急いで向かった。
森の中で見付けたのは、虫の息といった感じの銀色の毛皮の動物だった。背中から脇腹に掛けて三本の大きな引っ掻き傷があり、ドクドクと血が溢れ出ているのが俺を呼び寄せた何かの正体だろう。
もし俺が人間であれば躊躇したのだろうが、今の俺は完全なるスライムである。全身が血にまみれようがお構い無ッシング!
フェンリルと思われる銀色の動物の作った血溜まり目掛けてダイビング! いやね、本気でフェンリルとは思ってないよ、そんなのを倒せる魔物が居たら恐すぎるから。
濃厚な何かを腹一杯吸収したところでドクンと体が大きく震えた。
そして突然頭がグラグラ、全身に物凄い熱を帯びたような感覚に襲われる。
一瞬かも知れないし、結構な時間かも知れないが意識を失った俺が再び目を開けるとあの銀色の動物の体は何処にも残っていなかった。
ひょっとしたら、ここは死んだらキラキラと輝きながら消えていく仕様の世界なのかも。
その検証は次回にするとして。まずは俺のスライムボディのチェックが先だよ。
ポヨンと一歩踏み出してみると、予想外に大きな一歩となって危うく前の木にぶつかりそうになる。
どうやらあの血のお陰でかなり運動機能が強化されたようだ。きっと俺がすぐに死なないように、駄女神か誰かがさっきのを用意してくれたんだと思うことにしよう。ただし感謝はしないぞ。
少しズルをしたような気になるが、スライムの初期段階では一瞬の気の緩みが命取りに成りかねない。
だから早急な成長を遂げられたのは俺の命の保証とほぼ同意義だな。
それにしても、この全身から溢れる力をどうしてくれようかと思案していると、都合良く何か聞き取れないが会話をするような声が近寄ってきた。
暫くして視界に入ったのは、人にしては不恰好な体型と気味の悪い頭の作りをした魔物達であった。
片手に棍棒で武装しているが防具どころか腰ミノさえ巻いていない。
コイツらはゴブリンであろう。
何やらあの銀色の動物が倒れていた現場を指差しているので、血の匂いに誘われてここに来たと言うことだろう。
だが目的のブツはなく、そこにいるのは見慣れたただのスライム一匹なのだから混乱しているように窺える。
その五匹のゴブリン達が何やらピギャピギャと会話をしてから、おもむろに棍棒を振り上げると俺に向かってドスドスと走りよって来た。
遊んで欲しい、そんな表情には全く見えないのは元が不気味な顔をしているからだけでは無さそうだ。
エイッ!の掛け声に相当するのかグギャッ!と叫んで振り下ろされた棍棒を軽くサイドステップで回避すると、脚に力を込めるようにイメージをしてからジャンプしてみた。
向かう先は棍棒を振り下ろしたばかりのゴブリンの土手っ腹だ。
まん丸ボディの突進がどれだけのダメージを与えられるか不明だけど、今の俺に出来そうな攻撃はこれだけだ。
ハッ!と声には出せないのだが気合いを入れて体当たりしてみれば、想像以上に大きな衝撃が体全体に伝わった。
それとついでに何かの破裂するような音も耳に入る……今更俺に耳があったのか……なんて疑問を持つことはない。
そう言うスライム初心者がやるアレコレなら、いちいち言わないだけで夕べのうちに終わらせてあるからね。
俺の耳はかなり良かったみたいで、雑音を拾い過ぎて寝るに寝られなかったんだ。だから必死こいで耳栓したんだよ。
やり方は視界を塞ぐのと同じで、視界のカーテンの上に更にカーテンを重ねる感じだね。
それはさておき、俺の体当たりを受けたゴブリンはクチから見てはいけない何かを吐き出しながらあっさりポックリ、ドサリと音を立てて地面に倒れた。
それを見て俺には勝てないと判断した二匹がクルリと方向転換、残る二匹はヤル気満々で同時に棍棒を振り下ろしてきた。
一本は回避して、もう一本はわざと受けてみるが痛くも痒くない。
ただの木の棍棒程度では俺の体にダメージは与えられないのが判明したところで、二匹に連続ジャンプを食らわせノックアウト。
逃げた二匹は敢えて追わず、俺が危険なスライムだと仲間に伝えて貰おうじゃないか。
去っていくゴブリンを見送り、倒した三匹が消えてなくなるのか確認しようと暫く側で見ていたが、一向に変化が見当たらない。
待ちくたびれてウトウトしてしまう。
起きた時には影の延びかたが明らかに変わっているので、少なくとも一時間は経過したと考えよう。
結局ゴブリンが消えることはないと結論を付ける。
そしてこの場から離れようとしたところでワラワラズルリズルリと集まってくる同族とすれ違う。
お目当ては間違いなくこのゴブリン三匹だな。
リーダー格なのか少し大きめのスライムが俺に挨拶したような仕草を見せた後にゴブリンの腹にズルリと跨がる。
それに続けと他のスライム達があっという間に遺体に覆い被さり、そこからは決してテレビでは放送出来ないレベルのグロシーンがスタートする。
俺はと言うと、先に血溜まりで栄養補給をしたせいかゴブリンには食欲が沸かなかったので、この場から離れることにする。
さて何処に向かって進もうか。
一番にすべきはやはり情報収集かな。この場所に俺が絶対勝てない敵が居ないとも限らない。
と言うより、あの銀色の動物を屠った何かが居るのは分かっているのだから、悠長にしている場合ではないのかも。
ただね、色々と気になるのが俺が目覚めたあの場所なんだよ。
知らない筈の場所なのに、どう言う訳か少し懐かしいような不思議な印象があったので、どうせ暇だし確かめに行ってみようと思うんだ。