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大賢者の秘書官イシュタル  作者: ふるみ あまた
1章 エルフの章
9/19

9 愛のノックダウン

 

 私の使い魔イブは、はじまりの木の女神エリシェバに乗っ取られ、さらには能力を拡張されることによって、臨場感あふれるライブ映像を届けるものへと変化していた。


「怖いな。なんか……」


 キラが口ごもると、アシハラはテレビから視線を逸らさずにうーんと唸り声をあげてから口を開いた。


「こんな無茶な戦い方、絶対に真似しちゃダメだよ?」

「できっこないって、こんな……怖すぎる」


 キラはぶるっと身を震わせると、肩からブランケットを被り、アシハラの丸太のような腕にすがるようにしがみついた。


 テレビ画面に映し出された戦いに、キラが恐怖を感じるのも無理はない。大賢者レオナルド・セプティム・アレキサンダーの充実した魔力が乗せられた手足は、普通の人間であれば、触れただけで生命が刈り取られる、いわば一撃必殺の代物である。数多の凶悪犯や敵性人物、そういったものを実際に見て、対峙してきた私ですら、空振りを見ただけで身の毛がよだつのだ。支配者デミナス・ケブラも大賢者と同等の技術を持ち合わせており、お互いに得意な距離こそ違うものの、繰り返される激しくも繊細な体術の応酬は、至近距離か超至近距離で展開されていた。あくまで理想論であり、人間が実行し成功させるには命がいくつあっても足りない。それが魔体術という、大賢者がもっとも好む戦術に対する、私たち一般的な魔法族の見方である。


 力と力がぶつかり合うたびに爆風と地響きが生じる。すでに両者ともに血みどろ。ケブラは攻撃を受けやすい胸や腹が赤黒く変色し、大賢者に至っては顔が腫れ上がってしまっていて、美しき母によって分け与えられたビジュアルが台無しになっている。戦略的なものなのか、ここで突如として互いに距離を取っての睨み合いの時間に入った。


「力では互角。それをやれてる時点で十分おかしくて、人間やめてるって感じなんだけど……どうしても体力では劣っている、というか、相手はほぼ無限だね。女神様の寵愛ってやつなのかな? だから、持久力の面では絶対に勝てない。レオナルド殿の有利な部分である回復魔法は……」

「使ってはいるけど、追いついてないみたいですね」


 思わず解説員アシハラに噛みつくように言葉を被せてしまった。大賢者は回復魔法も得意である。特に自己回復については一級品を越えた、それこそ神の域に匹敵する技術を会得している。あの人の顔が腫れ上がるなんていう場面を見たことがない私はとても穏やかではいられなかった。


「というより、いつもとは優先順位を変えて戦っているように見えるね。魔力を回復に回して戦闘の落としどころを探すっていうやり方じゃなくて、相手により大きなダメージを与えることを重視しているというか……」

「それって……」


 大賢者が何の為にそうしているのか。答えはひとつだけだった。隣にいたソフィーさんの顔を覗き込むと、可愛らしくすっとぼけた表情を返された。間違いない。何がきっかけかはわからないが、あの男の気まぐれが発動している。私が感じていた不安は、一気に期待へと変わっていった。


「倒すつもりって、ことですね?」

「そういうこと」

「おお!! 行けぇ!! レオ!!」


 さっきまで怯えていたはずのキラも元気を取り戻した。そう、正直言えば誰も彼の敗北なんて見たくないのである。世界は広い。人間は神に勝てない。だけど、我が君にだけはそういった普遍的な価値観を壊してもらって、いつでも偉そうにしてもらわなきゃ困る。


 なおも両者の睨み合いは続いていたが、ちょっとした変化が起こった。それまで大賢者の手足にだけ纏わりついていた黄金色の光が、ゆっくりと形を変えて全身を包み込むものになった。これに困惑の声を挙げたのはアシハラだった。


「え? まさか……」


 その言葉を合図に場面が動いた。目にも止まらぬ速さで大賢者はケブラの懐に飛び込むと、左肘を相手のボディめがけて突き出した。予期していたのか、ケブラは出された肘を悠々と掴んだ。奇襲を止められてしまった大賢者だったがまったく意に介さず、そのまま肘を中心としてくるりと一回転、ケブラのこめかみに強烈な蹴りを入れた。ケブラはたまらず体勢を崩しながらあとずさりした。華麗に着地を決めた大賢者はその様子を見るや、悪戯を成功させた子供のように満足そうに笑っていた。


「な、なにが起きたんですか?」


 唐突なパワーアップを果たした大賢者は、動きの速度も段違いに上がっていた。それまでに見せられていたものが限界だと思っていた私は大混乱。思わず解説員アシハラの深い専門知識を求めた。


「えーっとね、あのー、わかんない。とにかく、この人、悪い人。すっごいペテン師」

「知ってるぞ! これ、アレだ! カイオウケ」

「はい、ダメー!! 吉良殿、それ以上は言っちゃダメー!!」


 戸惑うこちらをよそに、現場は動き続けていた。すでに大賢者の体はケブラの懐に潜り込んでいた。蹴り出された床には大きな亀裂が入り、骨盤は回転し、右肩の位置は前に、反対側の肩は大きく後ろに引かれ、戦いを終わらせる一打の発射体勢を整えていたところだった。当たりさえすればどこでもいい。あとは右腕さえ伸び切れば、屈強なケブラの体は倒れること間違いなし。そのはずだった。


「危ない!!」

「レオ!!」


 大賢者の身を案じて叫ぶ声が二つ。アシハラとソフィーさんのものだった。追い詰められてなお、ケブラは沈着冷静にカウンターを狙っていた。超常の存在からの渾身の一撃が大賢者の右頬に迫った。


「……なんで、そんなことができるんだ」


 アシハラの言う通りだった。この未来が見えていたかのように、あまりにも自然な形で、大賢者は右肩を使って渾身の一撃を受け流した。大賢者は伸びきった左腕を掴むと、ケブラを力任せに床に叩きつけた。全員からわっと歓声が上がった瞬間、勝負は決まっていた。転移魔法で地上から姿を消した大賢者は上空から勢いをつけて落下。よろよろと立ちあがったケブラの屈強な顎に、会心の右ストレートを突き刺した。意識を失ったデミナス・ケブラは、重量感のある音を響かせながらボロボロになった床に大の字になった。


 愛のノックダウンを決めた大賢者はあたりをキョロキョロと見まわすと、周囲に浮かんでいるシャボン玉のすべてが中継カメラだと気付いたのか、諦めたようにため息をつくと、その場で腕を伸ばしてサムズアップをした。ソフィーさんはそれに小さく拳を握って答えると、その場からぱっと姿を消した。テレビ画面には、その場に倒れ込みそうになった大賢者を強く抱きしめて支える彼女の姿が映っていた。


「お前のオヤジな」

「うん……」

「……まぁ、いいや。それより、どうだった?」

「……最高」

「そうか。回復、頼む。なんか、疲れちった」

「うん……」


 大賢者とソフィーさんの貴重なロマンスシーンだった。私は瞳を潤ませながら、はやる気持ちを抑えられずにいるキラの行動を制止していた。


「もう行ってもいいか!?」


 愛用の杖を握りしめながら大賢者たちとの合流を望むキラのことを放流したのは、私が目と心の保養を十分に済ませてからだった。


「よっしゃ!! 私たちも行くぞ、ムガ!!」

「いやぁ、でも……」


 礼儀を重んじる侍は参加を渋った。それはちょっと違うと思った私は、アシハラを後押しした。


「いいじゃないですか、細かいことは」

「まあ……イシュタル殿が、そう言うのなら」


 二人は仲良く手を繋いで現場へと転移、ピィちゃんとサラマンダー君を連れて、私もそれに続いた。

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