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大賢者の秘書官イシュタル  作者: ふるみ あまた
3章 あやかし大国の章

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60 想定訓練:芋泥棒の場合

 

 テーブルに並べられていた食事は、一時間もしないうちにレオナルドファミリーの血肉となった。用意された食事の量が多ければ多いほど、食後の風景を見て清々しい気持ちになれるのは、この家の食事を用意する者の特権なのかもしれない。


 一家の食卓を支配するアシハラは、食器を重ねて後片付けを始めていた。


「手伝いましょうか?」

「あ~っと……うん、お願いします」


 出会ってから約三か月。ようやく私の内面の面倒くささを理解してくれたのか、アシハラは少し考えてから妥協して、こちらの要望を受け入れてくれた。


「ピィ!!」


 両手にコップを持って、ピィちゃんも一緒になって運び出しを手伝ってくれた。


「私もやるぞ!!」

「今度はひっくり返さないでね」

「まかせろ!!」


 キラも加わり、いつもに比べればほんの少しだけのカオスにとどまったクリスマスパーティー昼の部は、ひとまずの終了となった。





 ファミリーの平和は長く続かない。だからこそ、尊いものである。キッチンから庭へと戻ってくると、カオスは再来していた。


「食ったら運動だ。よし、たぬ吉。今から俺がお前を追いかけるから逃げろ。全力だぞ? 捕まったら、タヌキ汁だと思え」

「へぇぇぇ? こんなに食べたあとに、すぐ走るんですか? それがクリスマスなんですか? わたくしの名前はポコ蔵です」


 よほど気に入ったのか、大賢者は来客であるポコ蔵をとことん追いつめていた。


「いや、この場合は日常だ」

「えぇぇぇ?」

「想定訓練と言ってな。お前、畑の野菜で何が好きだ?」

「お野菜ですか? わたくしはカボチャとか、サツマイモとか、甘いお野菜が好きです」

「そうか。目の前に荒れ果てた田畑があるな? ちょっと目を閉じて、想像してみろ」

「はい」


 妖怪の癖にどこまでも純真で従順なポコ蔵は、大賢者に言われるがままに目を閉じた。大賢者はしゃがみ込み、ポコ蔵の耳元で囁きはじめた。


「空にはまん丸お月様、地上ではススキが風で揺れ動く。秋も真っ盛りの夜中だ。目の前の畑には、お前の大好物であるサツマイモのツルが一面にモジャモジャと『さあ好きなだけ盗み食え』と言わんばかりに生えている」

「おぉ……」


 大賢者による貴重な洗脳シーンである。普段と違って吐息多めの、落ち着いた大人の声色を使っているあたりが、ポコ蔵の想像力を刺激したのだろう。瞼の裏に映ったサツマイモのツルを掴もうと、ポコ蔵は小さな手指を動かしながら歓喜の吐息をついていた。


「ツルを引っ張れば、ふかふかの土の中から顔を出したのは、秋の実りの大連結」


 大賢者は自らの手をポコ蔵の鼻に近づけ、無駄にクオリティの高い嗅覚刺激の魔法を使って土とサツマイモの匂いを嗅がせた。


「おぉ!」

「お前はそれを、もしゃもしゃと貪り食らう。さあ、どんな味がする?」

「とっても……美味しゅうございます!」

「幸せだな?」

「はい!」

「ところが、その幸せは長く続かなかった」

「えぇ!?」


『ゴラァ!! 畑のイモさ食ってるの、誰だ!?』


「ひぇぇ!!」

「さあ、大変だ! お前が盗み食った芋があったのは、お山一番の荒くれ者、レオナルどんの畑だった! 捕まれば頭をかち割られ、皮を剥がれ、鉄鍋で味噌と一緒にぐつぐつと煮込まれてしまう!」

「あぁ、たいへんだ!!」

「逃げよ、たぬ吉!! 繋げよ、命!! 生死をかけた鬼ごっこ、いざスタート!!」

「うわぁぁぁぁ!! ポコ蔵ですぅ!!」


 目を開いたポコ蔵は一目散に駆け出した。二足歩行から四足歩行に切り替え、ドタドタと庭の垣根を超え、荒れ果てた田畑へ出ていった。


「逃げたぞ!? 追えぇぇ!!」


 五人と一匹。大賢者に加え、彼に指示された私たちは条件反射的に駆け出すことになった。縁側に留まっていたのはソフィーさんだけだった。





 猟犬と化したサラマンダー君は目標のポコ蔵まで一気に距離を詰めた。


「ひぇぇ!!」


 地面の凹凸を活かし、ポコ蔵はジャンプ。そのあとを追っていたサラマンダー君は土埃をあげながら跳躍、開かれた大きな口は空を切った。


「こ、ころされる!!」


 身をよじりながら致命の一撃をかわしたポコ蔵は、四つの脚を鈍くさくシャカシャカと動かしながら逃走を再開した。


「クゥーン……」

「いや、よくやったぞ、サラマンダー君。アシハラとゼノはまだ本気を出すな」

「御意」

「ピィ!!」

「さて、まずはタルとキラ。お前らで、あのまん丸に太った食糧を確保してみろ」

「空は飛んでも?」

「ダメだ。訓練にならないだろ?」


 私の提案はすぐに却下された。食べてすぐという状況と足場の悪い荒れた畑。条件は少しも私の味方をしていなかった。


「よっしゃ、私が壁を作るから、タルは追いかけて捕まえてくれ」

「……わかった」


 小さな希望はキラだけ。私は人間の速さでポコ蔵との距離を詰め始めた。


「はぁぁぁぁ!!」


 山から一斉に鳥たちが飛び立った。私の背後で変身した、エルフの圧倒的魔力がそうさせていた。


「えええぇぇぇ!?」


 正面と左右の地面から土がモリモリとせり上がり、三方向を塞がれたポコ蔵が叫んだ。勝負ありの瞬間でもあったが、私は気を緩めず目標確保の態勢を整えながら距離を詰めた。


「……すごい」


 土の魔力操作というのは人間には難しい。魔法で海を割った時の大賢者と同じくらいの、規格外の魔力を要求されるからだ。大人の姿に変身しただけで、いともたやすくその膨大なエネルギーを生み出したキラに、私は呆れながらも脱帽した。


 いよいよ、ポコ蔵との対峙の瞬間が訪れた。私の戦闘能力を考慮すると、ベストな戦法は対象と私の四方八方を土の壁で隙間なく覆ってしまうことだったが、そこはキラの実戦経験の少なさか。天井までは覆っていたものの、私の背後だけは壁は現れていなかった。


「か、かくなる上は……」


 追いつめられたポコ蔵の目は黄色く光っていた。その光は私ではなく、私の背後に果てしなく広がる自由に向けられていた。昼間の光が遮られた空間の中で、私は悪辣な罠を仕込んだ。


「大人しく捕まりなさい?」

「いやだ!! たべるんでしょう!?」

「たべません」

「うそだっ!!」

「うそじゃありません」


 忠告を無視したポコ蔵は、ここで捕まえてもよいくらいの重たい動きで私の脇をすり抜けていった。


「……確保」


 私に不可視の魔法は使えない。しかし魔力で生み出した無数の糸を限りなく薄くすることによって、逆光で霞んでいたポコ蔵の目を欺いていた。私の背後にあったのは生への光ではなく、地獄へ引きずり込む蜘蛛の巣。振り返ると自由を奪われたポコ蔵が、全身を魔力の網に囚われていた。


「あぁ~……」


 宙に浮かぶ網の中で目を閉じるポコ蔵。その姿があまりも愛おしくてたまらなくなった私は、網目になったもふもふのお腹を撫で回してやった。


「あぁ~……」


 気持ち良かったのか、撫でられたポコ蔵の口元はにやけていた。

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