6 戻った日常
「そうだ! レオ、あれを見てくれ! すごいだろう? 私たちが作ったんだぞ? さあ、食え!」
キラがこちらに向かって指を差した。対面式キッチンのテーブルの上には私たちの合作である『はじまりの木』を模した巨大な練り切りがあった。大食いでもある大賢者がこのタイミングで戻ってきてくれたのは、実にありがいことだった。お菓子作りも見事な腕前を持つアシハラが、あまりにも鮮やかな手さばきで秋の花を次々と作り出すものだから、創作意欲を刺激された私たちはついつい熱中しすぎて、とんでもないサイズのものを作り出してしまっていたからだ。
「いらん」
大賢者はキラを冷たくあしらうと、こちらへやってきて私の隣にどっかりと座り込んだ。大賢者が食べ物の誘いを断るという異例の事態をうまく飲み込めなかった私は、彼が本当に本物の大賢者なのか、訝しみながらその横顔を眺めた。
「なんだよぉ。せっかくレオの為に作ったのにさ」
嘘を百パーセント練り込んだ不満の声を挙げると、キラはサラマンダー君を抱き込んでソファに寝転び、壁一面に流れていた卑猥な映像をアニメ専門チャンネルへと変えた。
「嘘つけ。どうせアレだろ? アシハラの作ってる姿を見て、自分たちでもやりたくなって、やってるうちにテンション上がって、こうなったんだろ?」
キラの腕をするりと抜けてやってきたサラマンダー君の頭を撫でながら、大賢者は私たちの魂の合作の出来を鼻で笑い、指先ひとつで黄金色の葉のクオリティを上げた。
「まったく、お前らときたら技術を盗むのが下手くそだな。完成に時間をかけすぎなんだよ。こういう食材はすぐに溶けちまうからな。アシハラ、お前も指導が甘いぞ? 食いもんの扱いに関してはもっと厳しくいけ」
「面目ありません」
思い切りとばっちりをくらったアシハラだったが、彼はその見た目と反して物腰柔らかく大賢者に頭を下げた。心優しいアシハラは私たちの誰に対しても声を荒げることはない。冷静になって考えてみると、私たちの練り切り作りに関して、きっと彼なりに言いたいこともあっただろうなと、出来の悪い粘土細工のような見た目に仕上がってしまった巨木を見ながら私は深く反省をした。それと同時に機嫌が悪い時の小言の多いこの感じは、私の隣にいる人物が間違いなく本物の大賢者であることを証明していることにも気が付いた。
「とにかく、しばらく甘いもんはいらん。今は見ただけで胸やけがする」
「あぁ……おじいちゃんのところ、行ってたのね?」
何かを察した様子のソフィーさんの言葉に、大賢者は唸り声のようなものをあげて肯定した。
「おじいちゃん?」
大賢者の祖父はすでに故人のはず。私は記憶を辿り、それらしい人物に考えを巡らせながら質問をした。
「ストラデウスのことだよ」
言われてから納得した。もう一人の大賢者であるストラデウスは度を越えた甘党で知られていて、よくスイーツ関連のことでメディアにその姿を露出させていたり、名義貸しされた菓子店が各地に出店されたりしている。最近で言うと『パリのパリパリクレープ専門店』や『バリのバリバリココナッツミルクスティック屋さん』なんかが、それに当てはまる。各店舗名はおじいちゃん、いわゆるストラデウスという人物の人柄がよく表れているんじゃないかと、本人に会ったことのない私は推理している。きっと雲のように掴みどころがない人なんだと思う。
「あ、そうだ。土産があるんだった」
大賢者はお得意の空間魔法で、何もない所からケチャップのような赤いソースが入ったボトルを何本か取り出して机の上に並べた。これにいの一番に反応したのは、ソフィーさんだった。
「なにこれ?」
「タイランドの辛いソース。ニンニク……ニンニク、チリソース、みたいな名前の。お前、こういうの好きだろ?」
「ふーん……」
声だけを聞くと興味がなさそうに聞こえるが、ソフィーさんの表情は正反対のものだった。彼女は自分にとっては当たりであるそのお土産を手に取ると、興味深そうにラベルに書かれた文字を目で追った。
「タイまで行ってたんですか?」
私にはあまりなじみのないアジア圏の国だった。なんでまた、そんなところに魔法界の二大人物が集まったのか、強い興味を覚えずにはいられなかった。
「うん。なんか、年取ると身体が楽なんだって。あったかい所にいた方が」
実に生々しい事情がそこにはあった。大賢者になれるような人というのは変人であり、普通の人間でもある。そんなことはこの数か月の共同生活でわかりきっていたのに、ストラデウスという偶像に救いを求めてしまった自分が情けなかった。
「あ、そうだアシハラ。悪いんだけど何か作ってくれるか? 出来れば味が濃くて、すぐ食える、ざるそばがいい。食わしてくれ」
魚嫌いのくせに、大賢者はかつお出汁が効いたうどんやそばのスープが大好きである。彼のこういった小さな矛盾点は最初の方こそ私をイライラさせたが、今となってはいちいち突っ込むのも馬鹿らしいと思えるようになった。
「ええ、喜んで」
「サンキュー! ほんと、もう……お前の飯が早く食いたくてしょうがなかったんだよ」
おそらくだが、大賢者の言葉には特別な魔力が宿っている。こればかりは実際に直接本人と対話をしないと実感できないことなのだが、彼の口から出るダメ出しも誉め言葉も異様に効く。なんというか、彼の発する言葉は聞いているこちら側の感情を強制的に揺さぶってくるのだ。この辺りに彼がかつて女たらしとして名を馳せた秘密があるのだと私は分析している。
「ありがとうございます」
大賢者の言葉の魔力に包まれた中年男性は控えめに笑うと、時計の方をちらりと見てから再び口を開いた。
「夕食のご希望は、何かございますか?」
「言っていいのか? タイランドに着いて、その日の夜からずーーっと食いたいと思ってたものがある。お前の作った豚の角煮だ。これも濃い目で頼む。あと固めに炊いた麦飯。いつもより多めに炊いてくれ。たぶん今日、いっぱい食っちゃうから」
「仰せの通りに」
おやつもまだ食べていないのに、もう夕食が楽しみになった。それは間違いないのだが、別件の話として完全にキラのことを侮っていた。肉料理とモリモリのご飯。意味がわからないと思っていた彼女の励ましの言葉は、大賢者の心理のど真ん中を射抜いていたのだ。
「何か作るのか?」
気付けばキラが音もなく近づいてきていて、その体をアシハラに密着させていた。
「おそば茹でるけど、食べる?」
「うーん……」
キラは少し考える素振りを見せ、テーブルの上に乗った巨大練り切りへと視線を走らせた。
「いや、いい。おやつ食べるから」
「それでは、あちらへどうぞ」
アシハラはキラの手を取り、空いているカウンター席の方へと彼女の体を誘導しようとした。ところがキラは手を振り払って、この誘いを強めに拒んだ。
「作るの見たい」
「えぇ……」
アシハラが難色を示すのも無理はなかった。主にお尻であることが多いのだが、キラは感情が昂るとアシハラの体を叩くという悪癖があった。それはたとえ調理中であったとしても、変わらないことだった。
「本当にねぇ、危ないから、今日はあんまり叩かないでね?」
「うん、我慢する」
こんなやり取りを毎日している。もちろんその約束は毎回反故にされているのは言うまでもない。
ほどなくしてリビングは強い和の雰囲気に支配された。出来上がったざるそばを粋にすする大賢者を横目に、他のメンバーは練り切りと抹茶ラテを楽しんだ。この雰囲気が出来上がる途中に、全員強制参加の土産品の試食会という狂乱もあったが、それがあったからこその今、この詫び寂びの空間が成り立っている……のだろうか。
「見ろよ、ゼノなんか真っ茶っ茶になっちゃって。かわいそうに」
「びぃ……」
「もう、全然甘くなかったじゃんか。舌のビリビリが取れないよぉ」
辛い物苦手組がまだソフィーさんのことを非難していた。大賢者の言う通り、ピィちゃんは体色まで変化させてしまっていた。この悲劇の提案をしたソフィーさんは、とっても嬉しそうに笑っているだけだった。辛いものはそこまで苦手ではない私の感想としては、件のソースの味は確かに最初はスイートチリソースのような甘味のあるものだった。ただ問題はその後で、強烈な辛味と苦みが口に入れてから時間差で襲ってくる。そういう逸品だった。かくいう私もまだ、噴き出した汗が止まらずにいた。アシハラも辛いものに強いが、今彼はこの場にはいなかった。夕食の角煮を作るため、設備がきちんと整った厨房のある地下へと降りていったからだった。
「ムガのところに行ってくる」
巨大練り切りを半分以上平らげてくれたキラは、そそくさと立ち上がった。普段のキラは、ほとんどをアシハラと一緒に過ごす。仲睦まじいといえば聞こえはいいが、トイレにまでついて行こうとする始末。当然鍵をかけて用を足すアシハラ、激しくトイレの戸を叩き『おい、開けろ!』と騒ぐキラ。さながら借金の取り立てのような、そういうおかしな場面に遭遇することも少なくない。気の毒に感じるほどに、アシハラはキラに執着されているのだ。
「おう。騒いだり、迷惑かけたりすんなよ」
「わーかってるって」
もちろん、この返事も守られた試しはない。キラは騒がしく足音を立てながら階段を降りていった。
「それで? 一体、どういうお叱りを受けてきたんですか?」
こっちはこっちで気になることがあった。大賢者が誰かに叱られるなんていうのは、私にとっては何よりもハッピーなことなのだから、それも仕方がないというものだ。
「あん?」
「ストラデウスの話ですよ」
「あぁ……だから、その、この前の一件でな。一般の、真面目に働いて暮らしている人間を、危ない方向へ導いてくれるな、と。もう大賢者なんだから、と。そういう、お話だったね」
説明こそたどたどしかったが、すぐにピンときた。つい先日あった桜子たちとの間にあった騒動のことだ。ストラデウスがどうやって私たちの動向を掴んだのかはわからないが、我らが大賢者様は叱られて当然のことをしでかしている。
「だからぁ! だから! だから言ったじゃないですか!」
詫び寂びはどこへやら、あの時の怒りを思い出した私は瞬間的に腹に力が入り声を荒げた。
「あー! あぁ!! え!? はいっ、怒らない!! はいっ、それまで!! タルまで怒らないよ!! そのお叱り、今受け付けてませーん!!」
大賢者はすぐさま私の何倍も大きな声を出した。この男の常套手段だ。でかい声を出せば、相手が委縮するとでも思っているのだろうか。
「開き直ったって、ダメなものはダメです! ストラデウスのお墨付きであれば、なおのこと自分勝手な行動は許しませんからね!! これからは父親にもなるんですから、もっと自覚をもって……」
「はいっ、はいっ!! ほいっ!! あれぇ!? なんか、いつもより目がデカいなぁ!? 十日前より綺麗になったね!? このペルシャ美人!!」
「ふざけないでください! 真面目に言ってるんです、私は! 大体、出かける時にひと声かけるぐらいしたらどうなんですか!? そんなの、小学生でも出来ることだと思うんですけど!?」
「小学生に出来ることが大賢者にも出来るとは限らないと思うんですけどぉ!?」
相変わらず小憎たらしい、減らず口を叩く大賢者。キョロキョロと心配そうに私と大賢者を交互に見るピィちゃん。自らの体を張って私たちの間に入ってくるサラマンダー君。肩を震わせて笑うソフィーさん。悲しいことだが、それはいつも通りの平常運転というやつだった。




