53 献杯
「……破天魔が呼ばないわけだ」
アシハラがぼそりと呟いた。
偽ゲンヨウが、おおよそ三十年にもわたって狙い続けた無銘破天魔。実際の姿を一度として拝ませることなく、その計画を終わらせたのは皮肉が効いていると言えるのだろうか。
「意識のないうちに、首でも刎ねとくか?」
自らが気絶させた偽ゲンヨウに、大賢者は冷え切った眼差しを送った。最終決定を迫られたアシハラは、軽く首を横に振った。
「斬りません、こんなものは。代わりに、生き埋めとかにしてやりましょうか? 向こうにいた、浮かばれない昆虫とかと一緒に」
「そんなことするぐらいなら、ひと思いに斬った方がいいのでは!?」
身勝手な考えというのはわかっているが、心のどこかで復讐に反対していた私が思わずツッコミを入れるほど、アシハラは普段通りのアシハラに戻っていた。
「お待ちください!!」
その男は遠いところから時間をかけ、一歩一歩前に進んできた。全身の筋肉痛に苦しむヒコイチが、ようやくのことでここまで追いついてきた。
「この男は国賊。ゆえに身柄は俺が預かります」
「……まさか、お前」
何かに気付いたアシハラにジェスチャーか何かをしようとしたヒコイチだったが、腕すら上がらない状態に仕上がっていた為に、上げかけた手をまた降ろすという、よくわからない動作をとった。
「その状態で、どうやって運ぶって言うんだ?」
ヒコイチのその状態を作り出した張本人が鼻で笑いながら問い詰めた。
「えっと……」
刹那、月から何本もの黄金の矢が降り注いできた。偽ゲンヨウを包囲するように撃ち込まれた矢の数々は、輝きを放ちながら編み込まれていった。出来上がったのは鳥かごのような檻。偽ゲンヨウはその檻ごと夜空へと飛び立っていった。
「ちっとも姿を見せやしねぇと思ってたら……ひょっとして、お前のご主人様って恥ずかしがり屋さん?」
大賢者が見ていたのは、この竹林に来てから最初に見ていた明後日の方向の空だった。
「東宮侍従だったのか。どおりで」
なにやら納得した様子でヒコイチに刀を返したアシハラ。状況が理解できない私だけが置いてけぼりをくらった。
「……お騒がせして、申し訳ございませんでした。イシュタル殿については、その、俺がもう少し強くなってから、また挑戦させてください。あの、好きです。皆さんのことが」
誰の返事も待たず、ヒコイチは転移魔法を使って逃げるように姿を消した。
場所を戻し、再び庭先に集まっての喫煙タイムが始まった。
タバコを吸わない私のために、アシハラがわざわざ火を起こして、甘酒を作って振舞ってくれた。熱々の甘酒を胃袋に流し込んだ後に吐き出す息は白く、夜は暗く。
バカ話と真面目な話を交互に織り成す二人の男たちに挟まれた私は、心に残っていた一番のわだかまりを吐き出した。
「後悔してないんですか?」
それがもっとも気になっていたことだった。アシハラは父親の仇を取らない選択をした。不殺を貫いてくれたことは嬉しいことではあるが、それは私の個人的な願望。アシハラの立場で物事を考えてみれば、不自然とも受け取れるほどあっさりとそれを決めた。単純に、その心を知りたかった。
「うん……正直言えば、もう一発ぐらい殴っておけばよかったかな、という後悔はあるよ」
予想通り、しらばっくれてきたオジサン。甘酒をぶっかけてやろうかとも思ったが、もったいないのでそれはやめておいた。代用として、何も言わずにじっと見つめることでアシハラを追い詰めた。
「ごめんなさい。真面目に答えます。思う所は色々とありますよ、それは。時代が時代だったら、俺の意思なんていうのは関係なく叩き斬っていたことでしょう。ただねぇ……」
手に持っていたタバコの火を消すと、アシハラは椅子を軋ませながら深く腰掛け直した。
「結局ね、俺はみんなが一番好きなわけで。なぜならば四十四年間生きてきて、こんなに良くしてくれた人たちなんて、いなかったから。贅沢なことだけど、今の生活を長く続けたい。出来れば、一生続けばいいとまで思っている。今の満たされた暮らしの中でアイツを斬ったとしたら、いつかそのことがシミになってしまう。そう考えたの」
騒々しくも平和的な日常。今、当たり前のように過ごせている日々にアシハラもまた価値を見出していた。私とは違った視点ではあるが、考え方の根本はまったく同じ。まぎれもない同志である。
「それに、あの程度の相手だったら、言ってしまえば、いつでも殺せるしね。もし今の俺が迷いなく復讐をするとしたら、この一家の中で誰かが加害を受けた時なんだな、とも思った。でもそれは、今の暮らしが継続困難な状況になるということでもあって、また別の話になってくるんだけども……」
「要するに過去よりも、今を選んでくれた。そういうことですね?」
口下手なオジサンの言いたいことを、私はひと言でまとめた。アシハラは不器用に笑いながら頷いて、凛とした表情へと変えた。
「今までの人生を振り返ってみても、俺は決して褒められたことはしてきていません。皆さんにはご迷惑をおかけしないとは言い切れない。今さらの話になりますが、それでも俺はここにいてもよろしいんでしょうか?」
「そんなのはお前、お互い様だろ」
褒められない人生を歩んできた人類筆頭の大賢者が言うと説得力が違った。今度は私が笑って、そういうことだと伝えるため、アシハラに頷いた。
「なんにせよ、巡り巡って今があるわけだ。細かいことは気にするな。さて、もう眠れなくなったことだろう? 酒でも開けて、乾杯といこうや。それとも、アシハラのオヤジへの献杯にしておくか?」
「献杯に一票」
真夜中の静かな宴は、喧しい日常の始まりを告げる朝が来るまで続いた。年末年始の買い出しは、ボロボロの状態になった肝臓を少し休めたあとの午後に行われることになった。




