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大賢者の秘書官イシュタル  作者: ふるみ あまた
3章 あやかし大国の章

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51 月下の竹林

 

 椅子と灰皿までが一緒に転移していた。三者三様に立ち上がって、周囲の確認作業に入る。私の場合は一番近くにあった建造物に目が行った。


 白い壁と朱色に染められた梁が歴史を感じさせる小規模なお屋敷。外に並んでいるというよりは、雑に地面へと置かれた壺の数々。その周辺には百足や蛙、蜘蛛や蛇といった毒を持った様々な生物の死骸が散らばっていた。


 風景は邪悪そのもの。おまけに焦げた薬品のような悪臭が鼻をついた。私は思わず袖口で鼻を覆った。この場にふさわしくない、あることに気が付いてしまったのはその時だった。


「大丈夫だ。ニオイは酷いもんだが、害はない。不快なら、鼻と喉に保護魔法でもかけておけ」


 なぜか明後日の方向の空ばかりを見ていた大賢者が、私を心配する声をかけた。私はひとつ咳払いをしてから、彼に向かって口を開いた。


「心遣いはありがたいんですけど、そういうことじゃなくて……私たちのこの格好、何とかなりませんか?」


 私が気付いたこの場にふさわしくないこと、それは自分たちの格好だった。大賢者は季節外れの甚平、アシハラは作務衣、私がパジャマ代わりのスウェットといった、これから戦闘を行うかもしれない魔法族とは到底思えないような、あまりにもラフすぎる格好をしていた。しかも全員がちゃんとした靴ではなくサンダル履きで、アシハラに至っては刀すら持っていないという有様だった。


「まったく、発想が魔女だなぁ……アシハラは?」

「無用にございます」


 二人はそのままの格好でいることを選び、私にだけローブが支給された。残念なことに、サンダルだけはどうしようもなかった。


 私が本当に気になったのは、突如として父親の仇の存在を知らされたアシハラの様子だった。大賢者に渡されたローブに袖を通しながら、さりげなくその様子をうかがったが、特段変わったところは見られなかった。


「……それで、ここはどこなんですか?」

「わからん」


 勝手に連れてきておいて、この言い草。またかと思いため息をつくと、アシハラが答えを教えてくれた。


「ゲンヨウの家です。どうやらアイツも俺と同じで、ここには何年も帰ってきていないらしい」


 よく見ると屋敷の壁はところどころが剥がれ落ち、地面から生える竹が床を突き破っている部分があった。住環境として機能しなくなった抜け殻のような家と禍々しい壺。本来ここに住んでいるはずの人物の身の安全が気にかかった。


「本物のゲンヨウさんは、どこにいるんでしょうか?」

「インドですよ」


 遠い所から聞こえてきたのはヒコイチの声だった。自らの身を守るためか、彼はガサゴソと大きく音を立てながら竹林が生み出す暗闇の中から姿をあらわした。それでも私たちとはまだ距離が離れていた彼は、昼間に会った時のしなやかさを微塵も感じさせない、固くぎこちない足取りで必要以上に時間をかけた末にようやくこちらまでやってきた。


「お、お待たせしました。昼間の稽古が響いてしまって、身体が……」


 ヒコイチは全身の筋肉痛に苦悶する表情を浮かべていた。思わぬ人物の登場にもかかわらず、大賢者は眉一つ動かしていなかった。


「よう、小僧。張り込み、ご苦労さん」


 大賢者の口からふと出たその言葉で、ようやく私は理解することができた。ヒコイチの正体は日本の警備局員、もしくは国家公安系の組織に所属する人間だ。偽者のゲンヨウを捕まえるために尾行した先がアシハラの生家であり、そこでまんまと取り逃すことになってしまい、今は張り込みを行っていたのだ。


「えっと、その、あの、えーっと、その、あのですね……」


 ついに言い訳が尽きたというか、そういう職業なのに何も用意してなさすぎる。情けなくもどこか可愛らしい年下の男。それを見ただけで、とっくに失ったものだと思っていたあの頃の何かが、少しだけ戻ってきたような気がした。


「と、とにかく、本物のゲンヨウ殿は、長らく日本には帰っていません」

「で、お前はここで何をしてたんだっけ?」

「竹……竹取りを。ちょうど今、かぐや姫が足りていなくて、こんなところに迷い、迷われ、そんな感じで。本当に、奇遇ですね」


 大賢者におちょくられたヒコイチがしどろもどろになりながらも言い終えた、その瞬間だった。


 濃い暗闇がまだらに広がる竹林に、汚れきった泥沼の中から叫んだような男の声が響いた。


 全員が一斉に声がした方向へと顔を向けた。屋敷がある方向とは反対方向。そこには竹林と竹林を縫い合わせたような、曲がりくねった道が月下に照らされていた。走り出したのは大賢者、私もそれに続いた。


「借りるぞ」

「あ、ちょ……」


 あっという間に私を追い越していったアシハラの手には、ヒコイチに譲った木刀ではなく真剣が握られていた。

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