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大賢者の秘書官イシュタル  作者: ふるみ あまた
3章 あやかし大国の章

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46 変態ストーカー野郎の涙

 

「痛むだろう。治してやるから、じっとしてろ」

「あとで結構。それより、次の挑戦者が待っているのでは?」


 その場での治療を拒否したゲンヨウは、私たちのいる縁側とは正反対の庭の隅へと速やかに移動した。


「それもそうだな。次ィ!! そこのストーカー君!!」

「ストーカーじゃないですぅ!! 棄権しますぅ!!」


 戸袋の前でアシハラと並んで見物していたヒコイチは、意外と賢明な判断を下した。しかしうちの大賢者は、そういったノリを絶対に許さない。


「これ終わったら、昼メシ食うけど、そん時にタルが使った箸は!?」

「めちゃくちゃ欲しいですぅ!!」

「フハハハハ!! そんなもんで良ければ、いくらでもくれてやる!! ただし、ゼノに勝ったらの話だ!! さっさとこっちに来い、ストーカー野郎!!」


 さすがの私も少しだけ気持ち悪いと感じたやり取りを終えると、ヒコイチはなにやら葛藤する様を見せながら、絶対王者の待つ庭の中心へと歩み出た。


 ピィちゃんと対峙するや、ヒコイチはぺこりと頭を下げ、両足を大きく開き、鞘から抜いた刀を下段でもない、刀身を自分の体の後ろの方に持っていくような形で構えた。


神武(じんむ)無刀流(むとうりゅう)だ。今の状態のピィちゃん殿だと、一発くらいはもらっちゃうかも」


 まだ構えを見ただけなのに、アシハラはヒコイチの技術だけでなく戦局まで予測した。


「まずいですかね?」


 焦った私はピィちゃんにもう少し力を出してもらった方がいいか、その判断をアシハラに委ねた。


「大丈夫。少し動けば、何も捌けなくなるだろうから。だけど……ちょっと待ったぁ!!」


 今にも試合が始まりそうだった場面を一時中断させると、アシハラは縁側から家の中に入っていった。ほどなくして木刀を持って戻ってきたアシハラは、続けざまにヒコイチを手招きして呼び戻した。


「すまん。変わった鍔だったから、全然気付かなかった。無闇な争いごとで刀を使うのは、お師匠様に禁じられているだろう? これをあげるから、良かったら使いな」

「は、は……はりがとうございまぁす!!」


 過呼吸気味になったかと思えば、ヒコイチは涙目になって感激しながら差し出された木刀を両手で丁寧に受け取った。


「差し支えなければ、そちらは預っていようか?」

「は、はいっ!!」


 今度はアシハラが、鞘に収められた真剣をこれまた丁寧に受け取った。瞬間、アシハラの顔つきが誰の目から見てもわかるほどに明るくなった。


「おぉ……まあ、これも修業だと思って。頑張ってこい」

「はぁい!!」


 円熟した侍はすべてを語らず、励ますのみであった。その言葉を受け取った、まだ青みの残った侍が背水の陣へと赴く後ろ姿のなんと(たくま)しいことか。


 私の実際の目にはそれだけしか映らなかったが、心の目では二人の男たちの間にあった何かを捉えることが出来た気がした。


 先ほど出会ったばかりなのに、言葉以外で意思疎通を交わせる。魔法を越える不思議な力を持った侍という人種が、私には羨ましくも神々しく見えた。


「神武無刀流っていうのは、どんな流派なんですか?」

「見ていればわか……らないかも。えっと、身体の動かし方に重きを置いていて、極めれば最強の一角とされている流派だね。でも、極めれば強いなんていうのは、何であってもそうなんだけどね」


 なるほど、さっぱりわからない。なんとなくわかったのは、アシハラが言語化を苦手とする理由だけだった。





 広々とした庭の中心で再び相見まえる両者。間合いは剣術有利の二メートルほど。余裕のピィちゃんは構えなし。挑戦者であるヒコイチの方はといえば、変わったのは手に持った剣の刀身が木になっただけ。ガニ股のようにも見える大きな足の開き具合と、左の肩を真っすぐにピィちゃんへと向ける変わった姿勢の取り方が、私という無責任な魔女の期待感を高めてくれた。


「それでは、いざ尋常に」


 レフェリーを務める大賢者が間をたっぷりと開けて、敷地全体に張り詰めた緊張感を作り出した。


「勝負!!」


 開始と同時に響いた鋭い破裂音。ゲンヨウの時と同様、ピィちゃんによる出所のわからない速攻が仕掛けられたが、両者ともにその場から少しも動いていなかった。


「なんでゼノの攻撃は届くんだ? なんでコーモンマンは無事なんだ?」


 このタイミングでヒコイチに不名誉な通り名をつけたのはキラだった。彼女はすぐそばに立つアシハラに解説を求めた。


「ピィちゃん殿の手足は伸びるから、あれぐらいの距離だったら全然届くのよ。ヒコイチが無事なのは、伸びてきた手を打ち払ったというか、受け流したからだね」


 恐ろしきかな、神武無刀流。本当に恐ろしいのはヒコイチの反応速度か。使い魔を介した映像じゃなければ認識できないほどの動きを体現してみせたということは、少なくとも私やキラよりも早く動けるということだ。私はまた世界の広さを知った。


「なんであの棒っきれは折れないんだ?」

「折れないようにしてるから」

「わからん!! お前の話はさっぱりわからん!!」

「力で受け止めてるんじゃなくて、握らずに流してるの。だから折れないの」


 破裂音が三発聞こえた。が、やはり派手な動きは見られなかった。変わったところといえば、ヒコイチの構えだけ。中段あたりで突きを思わせるような形で固定された木刀の切っ先が、ピィちゃんの喉元に向けられているくらいで、あとは呼吸すら行っていないのではないかと思わせるような無だけがそこにはあった。


「なんかすごく……虚無というか、若さのわりにやっていることが渋すぎませんか?」

「さすがはイシュタル殿。なんとなく、わかってくれたみたいだね」


 二発分の破裂音が響くと、ピィちゃんの巨体がグラついた。私の使った箸を欲しがるような変態のくせに、ついにヒコイチが、私の最愛のピィちゃんの首元に一撃を浴びせることに成功してしまった。


「えぇ!? 強くね!?」

「うーん……でも神武無刀流って、アレがすべてなんだよね。どうにも決め手に欠けるというか、攻撃技がないの。だから」


 カウンターが決まったヒコイチはそれまでと違って、一本筋の通ったような姿勢を大きく崩し、上半身が前のめりに倒れ込んでいた。隙を見逃さないピィちゃんは、無慈悲にも下からの打撃でヒコイチの体をかち上げた。そこからはもう、目を覆うような、秩序のない力任せの連続攻撃が執行された。


「ああいう風に、相手に自分の反応速度を越えた攻撃をされたり、大勢に袋叩きにされるにみたいに四方八方から攻撃されると、何もできずに一方的にやられちゃうっていう。当たり前のことなんだけど」


 見るも無残な猛攻を捌ききれず、とうとうヒコイチの手を離れていった木刀は、深々と地面に突き刺さった。


「ね? 実はここからでもカウンター技があるっていうのが、神武無刀流の強いところなんだけど……」


 別人のように顔中が腫れ上がり、全身もボロボロになったヒコイチは、木刀を握る手の形をそのままにして一点を見つめ続けていた。どうやら立ったまま気絶しているようだった。


「俺より二回り以上も年下なのに、素晴らしい精神力だ。十分すぎるほどに、立派に戦ったよ。おかげで忘れかけていた、熱いものを思い出せた。どうもありがとう、お疲れ様!!」


 アシハラは若き侍に賛辞の拍手を送った。敬意を込めて、私もそれにならった。


「それまで!! 治療班!! はい!!」


 マッチポンプの名人、大賢者による治療は迅速に行われた。





 完璧な治療魔法が施され、綺麗さっぱり外傷を取り除かれたヒコイチだったが、意識を取り戻したのは少し経ってからだった。覚醒後の混乱もあって、事態を把握しきれていなかったヒコイチに、大賢者の口から結果が告げられた。


「負けた? そっか……そりゃあ、そうだよな」


 ガックリと肩を落とし、両手と両膝を地面につけて落ち込むヒコイチにキラが近寄った。


「ヒコイチ、泣いてるのか?」

「だって……悔しいんだもの。チクショウ!」


 ヒコイチは拳を地面に叩きつけ、全身を震わせ、男泣きを見せた。久々に純粋な、自らが積み上げた技術に対する真摯な思いを見せつけられた私は、つられて泣きそうになった。


「イシュタルさんの使ったお箸、欲しかったよぅ!」


 所詮は変態ストーカー野郎で、大賢者が勇んで呼び込むほどの変わり者であるということを忘れていた。そういう人間をちゃんと取り扱おうと、一瞬でも考えた私がバカだった。

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