41 【萩姫と芒の君】
欲望は良くも悪くも人を動かす。
今より千余年前のこと。萩姫と呼ばれたその妖は、古代日本で猛威を振るった。
時の権力者芒の君の蔵人頭、現在でいう秘書官の役職に就いていた萩姫は美男子を侍らせながらのわがまま三昧、気に入らない者たちへのきつめの陰口、毎晩の夜遊び、過度の飲酒や博打、等々。その地位を悪用して好き放題していた。しまいには国庫にまで手をつけて、京を堕落させていく始末であった。
このとんでもない悪女をのさばらせたのは、他でもない貴族たちだった。悲しいことに、この狐、顔と体だけは素晴らしい人間の女に化けていた。古代日本における貴族の男たちの性欲と出世欲はすさまじく、皆、芒の君の穴兄弟を目指すのが当たり前とされていた。
しかし、そうは言っても限界があった。国を傾かせた萩姫を問題視したのは、彼女を寵愛していた芒の君本人であった。
「天下一の術師を呼べ。この天神を誑かした、あの女。きっと妖魔に違いない」
鶴の一声で国を挙げての術師探しが始まった。連れてこられた術師は、京よりはるか東方にある国出身の男。
「顔を上げよ。貴様が天下一の術師と申すか?」
「天神様に誓って。この宝珠、期待に応えてみせましょう」
気持ち良くなっていたのは、芒の君。だってまだこの時点で、萩姫が本当に妖だとは思っていなかったから。欲しかったのは大義名分。首尾よくいけば神敵を討ちとったという実績、その上で優れた術師までが側に置けるという、これ以上にないナイスアイディアを出した自分自身に賛辞を送り、心の中で奮い立っていたというのはここだけのお話。
さて、お立ち会い。夜分遅く、芒の君と宝珠は萩姫の寝室へ。寝込みを襲うのもアレかな。そう思った宝珠は部屋のふすまをコンコンコン。
「コンコンコン……」
中から聞こえてきたのは狐の鳴き声だった。
「え!? ほら!! え!? 狐!? ほれ、見たことか!! 妖狐じゃん、コレ!!」
「天神様!! お静かに!!」
田舎者だからなのか、深夜でテンションが上がったからなのか。宝珠の声もまた大きく、萩姫はこれに気が付き、大きな白い狐の姿となると風の速さで逃げ出した。
「……萩」
まさか本当に妖だったとは。いかに肝の座った芒の君といえど、すぐに追うことは出来ず、その場で立ち尽くしながら、彼女とのまぐはひを振り返るばかり。
狐が化けていたとは知らず、ずいぶんと高度なプレイをしていたものだ。彼女をハードに抱きたいが為に、嫌いな筋トレまでして……というか、向こうは相手が人間で嫌じゃなかったのか。
「追いかけましょう!!」
「お、おう!!」
そこから帝と術師の旅が始まった。逃げた萩姫を追いかけ、出会ったところで戦闘。追い詰められた萩姫は逃亡。その繰り返しで、いつしか旅路は百里を超えていた。
「どうにも俺たちだけじゃあ、決め手に欠けるね。天ちゃん」
「その口の利き方といい、呼び方といい、帰ったらお前、許さんからな。ジュジュ」
二人の仲は、それはもう、互いのふんどしで首を締め合うほどの良きものに。着の身着のまま京を飛び出した二人は釣った魚を生で食べてみたり、川の水をそのまま飲んでお腹を下したり、そういうこともあれど、妖狐の討伐は目処が立たなかった。
「確かに貴様の言う通り、協力者が欲しいな。なにか心当たりは?」
「東国よりもさらに以北、葦の国と呼ばれているその場所には、強力な武者がいるという話を聞いたことがあります。その者の協力を仰ぎましょう」
「武者か……」
深山幽谷にまで萩姫を追いつめていた二人であったが、討伐を確実なものとするため、ぐるりと回り道。二人は葦の国を目指した。そこからさらに百里の旅を経て、二人に合流したるは大太刀を振り回す無頼漢であった。
「葦の国の武者よ、名を何と申す?」
「俺は世の礎。ゆえに名などはございません」
「じゃあ、あっちゃんで」
天ちゃん、ジュジュ、あっちゃん。集結した三人の男たちの過酷な旅が始まった。
「な、な、なんで生で食べてるの? 火使いなさいよ、アンタ。術師なんだから」
「おお!! それもそうだな」
見かけによらず、このあっちゃんという男は賢く
「あらら、また賊に間違えられちゃって。横着しないで、ちゃんとヒゲ剃りなさいよ。天神様なんでしょう?」
「ご、ごめんなさい」
時にお母さんみたいな小言も飛び出した。また、戦力においては無双の者であり、力を蓄えた萩姫によって妖怪魔境に変えられていた深山幽谷でも
「……鵺に雷獣に大天狗の群れ。おまけに山を護るは大百足ときたか。面白い、まとめて成敗してくれる!!」
「あっちゃん、カッコいい!!」
疾風怒濤の大活躍。これを見た天ちゃん、もとい芒の君は考えた。
歌なんか詠んで教養アピってる場合じゃねぇ。これからはそういった時間を、武力を磨くことにあてた者どもによる時代がやって来る。否、その両方を兼ね備えた者こそが、支配者としての理想像か。
「どうしたの、天ちゃん?」
「……なんでもない。行くぞ」
葦の国の武者が積み上げた妖どもの屍の山を見て、宮中を思い出した芒の君は、弛みきっていた表情を引き締めなおして最終決戦の地へと進んだ。
深い幽谷を越え、三人が辿り着いたは岩野原。萩姫が立つその地は、見るも無残な地獄絵図が広がっていた。宝珠はおろか、偉丈夫な葦の国の武者ですら、その光景を前に絶句した。その場で動いたのは、天神皇芒の君の気位だけであった。
「……萩。これは、お前の仕業なのか?」
旅を続けている間、数多の討伐兵がこの地へと送られていた。地面には人間だったと思われる肉の塊やしゃれこうべが、岩石には飛び散った髪の毛や臓物や鮮血が、これでもかというほどにへばりついていた。もっとおそろしいのは、悍ましい光景の中で、血に染められた萩姫の顔が、なおのこと美しく感じられたことか。
「だから、こうなりました」
「お前を……愛していた。誰よりも」
「また虚構ですか」
「何故、そのようなことを申す?」
萩姫は宝珠を鼻先で指した。芒の君は大きくひと呼吸。鼻をついたのは血と脂、そして死の匂いだった。
「萩、お前はやりすぎた」
私情を捨てた芒の君、弓を手に取り引き絞る。
弦をはなれた切っ先の、そこには妖獣九つ尾。
人智を越えた妖術か。
矢じりが突きしは芒の君、眼を失い倒れ込む。
賢しい武者は大太刀で、二本の尾っぽを斬り落とす。
大きく嘶き妖は、負けじと腕に喰らいつく。
獣に食われし武者の腕、飛び出したるは白い骨。
立ち上がりしは芒の君、万度に天を撃つ。
鬼神の如き形相で、禁忌を犯すは魔の術師。
しゃれこうべをかき集め、人の骸を毒へと変える。
骨が見え、喉を潰され、葦の武者。
猛りし力は、悪鬼の如く。
自らの飛び出す骨すら武器に変え、残りし尾っぽはあと二つ。
毒を吸い、動き鈍った妖の、天から注ぐは光る糸雨。
黄金の糸が紡ぎし終焉の地上に立つは男三人。
妖の選んだ最期のその姿。
儚き散りゆく、人のものなり。
「……天神様?」
「何だ?」
「……お見事でございました」
「ああ。次はもっと、うまくやってみせる」
「……天神様?」
「どうした、萩?」
「……私たちは、また、愛しあえるでしょうか?」
「当然だ。この天神、今よりさらに磨かれよう。お前は……そのままでよい」
力を持った妖は自らの魂を、驚くほど美しい石の結晶へと換えることで不死を保つ。輪廻転生の愛を約束した芒の君であったが、萩姫がその姿を変えたのは美しい魂石とは程遠い、大きな岩石の塊だった。
そんなことがあったとは露知らず、六人と一匹が日本へと足を踏み入れることになったのは偶然か、はたまた必然か。
「おっと……大丈夫ですか?」
「あっ、ごめんなさい」
芒の君一行が萩姫を討伐した地は、今では有名な観光地となっていた。この日、一人で行動していたイシュタルは、人がごった返すその場所で、見知らぬ日本人の男性と不意にぶつかってしまった。
「観光ですか?」
尋ねられたイシュタルはたじろいだ。その男が息を呑むほどに美しい青年であったこともそうだが、男の顔のまわりを白く輝いた可愛らしい狐の霊獣がふわふわと漂っていて、そちらにも目を取られたからであった。
「あ……いや、その……観光も兼ねて、といった感じでして」
「へぇ~。なにやら複雑な事情がありそうですね。何はともあれ、楽しんでいってください。それと、猿には気をつけて。見かけによらず、凶暴なやつもいますから」
「ありがとうございます」
主に似ているようで、その実まったく異なるような、不思議な魔力を感じさせられたイシュタルは、柄にもなく心を奪われたように、その男が去っていく姿を眺め続けた。




