32 ままならないが、見通しだけはいい
慣れないペンダントなんかをぶら下げて、私は夜のバナート・サフロンへと降り立った。町は、日中の喧騒を星空に移したかのように静まり返っていた。といっても、完全なる静寂というわけでもなく、どこからか人々の話す声が漏れ聞こえ、タバコやお香の匂いも漂っていた。ともあれ、今度は大賢者を引き連れて、三度ヤスヒロたちが滞在するホテルの前にたどり着く事となった。
「んで? 病に苦しむお姫様の部屋はどちら?」
しまった。アシハラの忠告を受けて、ヤスヒロは部屋を変えているはずだ。私は大賢者に問われてから、自分のしくじりに気付いた。
「ちょっと……わからない、かもですね」
「フハハハハ!! お前もそういうミスをするんだな。構わん」
笑いながら大賢者は体全体から微弱な風を巻き起こして、バナート・サフロンの町全体を包み込んだ。
「なるほど。一階の隅の部屋っぽいな」
初歩的なミスを犯した私がいうのも何だが、防犯面においてもっとも脆弱な階層の部屋を選んだあたり、どうやらヤスヒロも残念な人だったようだ。
「異国情緒漂うスパイシーな女が一人、クローゼットの中で泣いている。これは……もうすでに、やられちゃってるってことだな?」
「えぇ!?」
不安が的中してしまった私は居ても立っても居られず、大賢者が特定した部屋へと急いだ。
一階の隅の部屋のクローゼットの中。大賢者が指摘した通りの場所にラミアはひとり隠れて泣いていた。彼女は私の顔を見るなり、抱きついてきた。
「イシュタルさん! 来てくれたのね。でも……ヤスが」
遅れて部屋に入ってきた大賢者は、大好物のはずの麗しの美女をスルーして、室内の物色を始めた。
「ほーう! 造血ポーション用の豚の血を飲ませてたのか。冷蔵庫にもぎっしりと! このパッケージのやつは品質が高い分、値段もするんだよなぁ。これを半年間与え続けるのは、なかなか……ずいぶんと愛されているみたいじゃないか」
「……あのお方は?」
「あの人は……」
解呪師とでも説明すればよかったのかもしれないが、状況が状況なだけに悩んでしまった。しかしそこはさすがの大賢者。わざわざ私が仲介せずとも、自ら応対した。
「お初にお目にかかります、王女殿下。私はレオナルド・セプティム・アレキサンダー。何でも屋みたいなものです。差し当たって、まずはさらわれた勇者殿を救い出してみせましょう」
挨拶こそ行儀の良いものだったが、大賢者はラミアの顔を見ようともせず、行儀悪く物色を続けた。
「それでは、あなたがイシュタルさんの……聡明な御方とお見受けしました」
御挨拶か、それとも王族の血筋が何かを感じさせたのか。ラミアは大賢者の動きと横顔を見ただけで、少し落ち着きを取り戻したようだった。それによって、何があったかを喋らせて、感情を鎮めさせるという行程が必要なくなった。
「いや、なに。はるか北方にある辺境出身の田舎者です。大したことはありませんよ……」
謙遜しつつ、大賢者は窓を開けて闇に包まれた砂の大海を見つめた。
「……探知を恐れて、転移魔法を使っていない。拉致専門の集団、多くて五人てところか。実行犯だけがこの窓から外に出て、サンドモービルに乗り込んだ。モービルは全部で三台、残りの二台に乗り込んだ連中は、わざわざ窓を閉めてから部屋を出ている。犯行は十分から十五分前。楽勝だな。それじゃあ、追うとするか。タル?」
「はい」
私はペンダントに手をかけ、双三角錐の装飾部分の下側を右に一回転させた。すると白色だった石が赤に変わった。
「しょうがないなぁ、タルちゃんは」
何もない空間からペンダントを取り出すと、大賢者は首にかけてみろと私に仕草で伝えてきた。私は渡されたペンダントを手に持っただけで、まだその指示には従わなかった。
「これは……どう扱うものなんですか?」
「つけると、きっと可愛いぞっていう」
「ふざけてるんだったら、捨てますけど?」
「ぶざけてないから、捨てないで欲しいんですけど?」
カチンときた私は、空とデッキを仕切る手すりの向こう側にペンダントを放り投げようと振りかぶった。
「ままままま!! お前、マジかよ!? 落ち着け。聞けって」
物凄い力で私の手首を握った大賢者は、慌ててペンダントの説明を始めた。
「まず、そのペンダントの装飾の部分を捻ると色が変わる。で、これ。こっちにその変わった色がすぐさま伝わってくるってわけだ」
大賢者が今度は水晶のような素材で出来たピラミッド型の置物を取り出して、ガーデンテーブルの上に置いた。彼は私にやってみろと顔で伝えてきたので、その通りにしてみることにした。
「おぉ……」
「な?」
時間差ゼロ。ペンダントの装飾部分と置物は同じ透き通った赤色に変化した。
「で、これがどうして連絡手段になるんですか?」
「だからこれをリビングというか、まぁキッチンとかに置いておくだろ?」
大賢者はピラミッド型の置物をトントンと手で軽く叩いてから、説明を続けた。
「そうすると誰かしらが、まあ主にアシハラになると思うけど、緊急の信号に気付いて、お前の元へとやってくるってわけ」
求めているのはお前への緊急連絡手段であって、そういう事じゃないんだよなぁ。どこかズレた魔道具を取り出された私の感情はこんがらがって、言葉を失った。
「というわけで、アシハラにはスタンバイをさせて、俺たちは現場へ急ごう!」
玄関へと進む大賢者を、それ以上止めることは出来なかった。細かいことは後で調節させればいい。目的とは少し違うけれど、こういう魔道具を出してくれただけでも、前進といえるのだから。
窓の外にパッと湧いて出たのは巨大な四輪車両だった。タイヤを砂漠仕様のものに履き替えて、地上では久々の登場となる、その名も『マペット』。タンザニアで入手したその車両の運転席の窓から、アシハラが顔を覗かせた。
「あの~……色々あって、結局全員来ちゃいました。ちょっと狭いかもしれませんけど、どうぞ」
全部が全部、思った通りにはいかない。それは私みたいな矮小な人間じゃなくても、同じみたいだった。車のヘッドライトは、地平線の彼方まで続く砂漠をやたらと明るく照らしていた。




