第8回──熱、牛……ミルク─
少女は再びあの奇妙な森に足を踏み入れた。周囲には相変わらず、あの背の高い深い青色の木々がそびえ立ち、木の皮には灰色の縞模様が浮かび、幹は高々と伸びて、そよ風に揺れながら、まるで古の秘密を語りかけているかのようだった。
今回、彼女はあの聞き慣れたすすり泣きの声を耳にしなかった。森はそのまま静まり返っていた。彼女は森の中をさまよい、以前、茂みの中でうずくまっていたあの少女を探していた。
しかし、いくら森の奥深くへと足を踏み入れても、周囲はそのまま静かだった。彼女は呼びかけたが、誰も応じることはなかった。
困惑しているとき、突然、少年の声が四方八方から響き渡り、急いでいてはっきりとした声だった。
「レリス──!」
その声は何度も彼女を呼び続け、森の暗闇を突き抜けて彼女の心の奥底まで届こうとしているかのようだった。少女の心臓は速く脈打ち、その名に強く引き寄せられているかのようだった。少女は足を止め、その声の出所を探ろうとしたが、はっきりとした方向を見つけることはできなかった。
その時、少女は突然目を覚まし、ベッドの上で息を荒くしていた。周囲は明るい陽光に包まれており、見慣れた部屋の光景が彼女を一瞬で現実に引き戻した。彼女は目をこすり、時計がちょうど12時を指しているのに気づいた。
窓から差し込む日差しが部屋を満たし、穏やかな光が机の上の数冊の本に映し出され、静かな雰囲気が漂っていた。少女はかすかに温かく、濃厚な香りを嗅ぎ取り、まるで新鮮なホットミルクの甘い香りのようで、それが鼻先に漂い、彼女の心に喜びと安らぎを与えた。
少女はゆっくりとベッドから起き上がり、香りがますます濃くなっていくのを感じ、まるでその香りに引き寄せられるように感じた。彼女が部屋を出て、ダイニングテーブルの前に来ると、そこには湯気の立つミルクが置かれていた。ミルクの表面には、かすかなミルクの霧が漂い、空気の中で優雅に流れていた。
ミルクの穏やかな香りに加え、空気には何か異国風の芳香が漂っていた。その香りは甘美でありながら、清々しさも感じさせ、まるで少女が一度も見たことのない果実が鼻先でそっと咲き誇るようだった。彼女はその香りに引き寄せられ、香りを辿って台所へと向かった。
そこにはおじいさんが立っており、手際よくさまざまな料理を準備しているのが見えた。テーブルには豪華な料理が並べられており、その中にあった一皿のピンク色のゼリー状の料理が、先ほど感じた甘い香りの元だった。
「これ、食べてもいいですか?」少女は好奇心いっぱいに尋ねた。
おじいさんは何も言わず、微笑んで軽く頷いた。
少女はそのピンク色のゼリーをじっと見つめ、そっと一口すくい上げ、口に運んだ。ゼリーは舌に触れるとすぐに溶けて、甘美な味がまるで柔らかな風のように彼女の心を撫で、穏やかな喜びが広がった。思わず笑顔がこぼれ、心からの驚きが彼女の中に湧き上がった。
「すごく美味しい!ありがとう、おじいさん!」少女は驚きと感謝の気持ちを込めて言った。
おじいさんは優しく微笑んだまま、少女を見守っていた。彼の目には、まるで彼の表情には、すべての細やかな感情が映し出されているかのようだった。
少女はもう一口ゼリーを口に運びながら、ふと疑問が浮かんだ。「おじいさん、このゼリーは何で作られているの?今までこんなに特別なものを食べたことがないわ。」
おじいさんは静かに答えた。「これは夜の国でしか採れない『夢影の実』という果実で作ったんだ。この果実は特定の夜にしか実らない珍しいもので、実の中にはほんの少しの幻が宿っているんだよ。これを食べると、夢や記憶の断片を感じることができるんだ。」
少女はその言葉を聞いて一瞬戸惑い、少し不安な表情を浮かべた。「夢や記憶……?」と彼女は小声でつぶやいた。まるでその言葉が彼女の心のどこかを刺激するようだった。
おじいさんは軽く頷き、遠い目をしながら言葉を続けた。「誰にでも、忘れてしまった夢や過去がある。そして、時にはその夢が、私たちに何かを思い出させようとしてくれるんだ。」
少女は唇をかみしめ、心の中に何とも言えない圧迫感が広がった。彼女は冷静を保とうとしたが、どうしても聞きたいことがあった。
「おじいさん……私、私……どうしてここにいるの?覚えてる?」少女は躊躇いながら尋ねた。
おじいさんはその言葉を聞いても、表情はそのまま落ち着いており、少し頭を下げ、何かを考えているようだった。そしてゆっくりと頭を上げて、穏やかに言った。
「自分で覚えていないのかい?」
少女は眉をひそめ、必死に思い出そうとしたが、どうしても頭の中は真っ白だった。彼女の両手は無意識にテーブルの縁を掴み、その心の中の混乱と不安はますます強くなっていった。
「私……本当に覚えてない。」彼女の声は震え始めた。「何か、とても大事なことを忘れてしまった気がするの。」
おじいさんは静かに彼女を見つめ、その眼差しには深い思索と哀れみが込められていた。彼の声は低く、そして穏やかだった。
「時には、忘れることにも理由があるんだよ。君の心の中には、解決されていない疑問がたくさんあるだろう。おそらく、無意識のうちに向き合いたくない何かがあるんじゃないかな?」
少女はその言葉に胸がざわつき、心の中に押し寄せる疑問の波が彼女を混乱させ始めた。考えれば考えるほど、霧がかかったように真実が見えなくなり、ますます困惑していった。
「どうして……どうして私は忘れてしまったの?」少女は自問しながら、手が震え始めた。「本当に大事な何かを忘れているような気がする……でも、何も思い出せないの。」
おじいさんは静かに彼女を見つめ、続けて言った。
「君はずっと何かを探しているんだろう?」
ちょうどその時、部屋の空気が突然重くなり、四方の光が次第に薄暗くなっていった。少女の頭の中に、あの急迫した呼び声が響き渡った。
「レリス──!」
彼女は慌てて顔を上げ、周囲を見渡したが、おじいさんの姿がぼやけ始め、部屋の壁や家具が一瞬にして歪んでいくのを目の当たりにした。まるで幻が徐々に崩れていくように、現実が目の前で解け始めたのだ。
少女はスプーンを握ったまま、頭の中で再び響いた「レリス!」という叫び声が彼女の心を揺さぶった。彼女は驚いて顔を上げたが、周囲の空気がまるで静止したかのように重たく感じられ、部屋全体が微かに震えていた。まるですべてが不思議な力によって変わり始めたかのようだった。
彼女はうつむいて、テーブルの上のピンク色のゼリーを見つめた。さっきまで透き通っていたそのゼリーが、ゆっくりと溶け始め、輪郭がぼやけていく。まるで何か見えない力がその形を歪めているかのようだった。
少女は驚いて目を見開き、目の前の繊細な料理はもう香りを漂わせることなく、色が薄れていき、灰色の影のような混沌としたものに変わっていった。まるで、それらは最初からこの現実に存在していなかったかのように。
その時、窓の外から鳥の鳴き声が聞こえてきた。「パチ、パチ」と断続的に響くその声は、以前の澄んだ音とは異なり、今では遠くぼやけた音となっていた。まるで厚い霧に包まれたかのように。耳元では微かな波の音が聞こえ、その波音もかつての規則的で心地よい響きとは違い、不気味なほどに鈍く、遠くで轟くように聞こえた。
少女は慌てて四方を見回し、視線は壁にかかっている時計に移った。彼女は、時計の針が再び回り始めたのを見たが、今回は果てしないループに陥ったかのようだった。針が一回転するたびに、時間の概念がさらに曖昧になっていく。
次の瞬間、12時を指していた針が突然狂ったように猛回転し、秒針は加速しながら低く「ブーン」という音を発し始めた。文字盤の数字は徐々にぼやけて溶け出し、流れ出すように歪んでいった。まるで、この瞬間に時間そのものが意味を失ったかのようだった。
「これは……どういうこと?」彼女は混乱しながら呟いた。
少女は震えながら、驚いて小さく呟いた。手を伸ばしてテーブルに触れようとしたが、指先に触れたのは、柔らかな霧のような感触だった。本来は堅かったはずの木のテーブルは、もはや実体を持たず、徐々に消え去ろうとしていた。
海の音はさらに不規則になり、時には急に押し寄せ、また突然静まり返ることが繰り返された。まるで海そのものが遠ざかっていくかのように。鳥の鳴き声も鋭く、そして不協和音のように歪んでいった。それはまるで、別の世界からこちらに浸透してきたかのように響き、現実とはまったくの異質な音だった。それらの不協和な音が交じり合い、少女の不安はますます強まり、恐怖が心の奥底からじわじわと湧き上がってきた。
おじいさんの姿も、次第にぼやけ始めた。輪郭がゆっくりと崩れ、まるで霧に吹き飛ばされてしまったかのようだった。微笑みは変わらず優しいものの、彼の姿全体はまるで消えかけの絵のように、色褪せ、線がぼやけていった。少女の目の前のおじいさんは、もはや現実に存在するものではなく、風に散っていく幻影のように感じられた。
彼女は何かを言おうとしたが、喉が渇いて声が出なかった。息も荒くなり、部屋の四壁は歪み、窓やドアの枠も見えない力に引き裂かれそうになっていた。壁はまるで溶けた蝋のようにゆっくりと溶け始め、屋根の梁も曲がり、まるで火の中で燃え崩れる絵のように少しずつ瓦解していった。
鳥の鳴き声の速度はますます速くなり、不規則さが増していった。それはまるで彼女に何かを警告しているかのようだった。そして遠くから聞こえていた海の音は完全に止んでしまった。その突然の静寂が、部屋全体をさらに不気味なものに変えた。周囲のすべてが徐々に崩れ、溶け去り、彼女が知っていた世界は一瞬ずつ消滅していく。
最後には、足元の床板さえも流れる水のように溶け、暗闇の中に消えていった。彼女は自分の体が虚空に漂い、もはや何一つ現実の存在を感じられない状態にいた。
———
彼女は消えかけたテーブルに手を伸ばそうとしたが、指先に触れたのは柔らかな霧のような感触だった。本来は堅固だったはずの木のテーブルは、もはや実体を持たず、少しずつ消えていった。
周囲のすべてが激しく変化し、彼女の目の前に広がる光景は、もはや現実の空間ではなく、夢のように歪んだ異世界へと変わっていった。彼女は、床に敷かれていたカーペットから無音で液体が染み出し、それがまるで水のように広がり、すべてがぼんやりとしたものに変わっていくのを目撃した。
そして彼女自身も、その混乱の中でめまいを感じ、四肢の感覚が失われたかのようだった。彼女は必死に目を見開いて何か現実のものを掴もうとしたが、すべては砂時計の砂のように、彼女の指の間から滑り落ちていった。
「おじいさん──!」
少女はついに叫び声を上げたが、おじいさんの姿はすでに空気の中に消え去り、彼はもう何も言わなかった。顔にはそのまま優しい微笑みを浮かべていたが、その姿はもはや幻のように、消えてしまった。まるで最初から存在していなかったかのように。
その瞬間、耳元で再びあの急切な呼び声が響いた。
『レリス──目を覚まして!』
その声は彼女の耳にこだまし、まるで雷が世界を引き裂くかのように衝撃を与えた。彼女は体が震えるのを感じ、目の前の光景が急速に消えていくのを見た。まるで突然終わった夢のように、部屋にあったすべてのものが潮が引くように消え去り、周囲は暗闇に包まれた。
──彼女自身の存在さえも、もはや感じることができなかった。