ライバルをつくろう
ごきげんよう。
なろう歴がぼちぼち一年八ヶ月になります宇宙人のしいなと申します。
なんだか同じ名前のギャルゲーキャラさんがいらっしゃるそうですが、無関係です。知らなかったんです。
さて、なろうデビューしたての頃、私の作品を読んでくださる方は極少数でした。
それでも読んで感想をくださる方がたとえ3人でもいらっしゃったので、私は楽しくなって書き続けました。
最初のうちはクォリティーなんてあまり考えず、書きたいものを自由に、2000文字前後ぐらいのものをいつも20分以内で書いていました。
初めて空野奏多さま主催の個人企画に参加して、そこで相互さんが飛躍的に増えました。
自分の作品を読んでもらい、他の参加者さんのものも読み、感想を言い合って、とても楽しい企画でした。
そこで我がライバルに出会ったのです。
この人、なんだか自分と似たものがあるなと感じました。
キャラクターは全然違うけれど、なんだか目指す方向が似てると感じる。
好きなものを好きに書いて、超速書きで、超多作。似てる!
なろうデビューもほぼ同期みたいな感じ。
最初のうちは他の方と同様にニコニコして、やんわりと接していました。
そのうちその方のことをライバルとして意識するようになりました。
同じジャンルのものをよく書かれるし、ランキングの表紙に載るようになってもよく名前を並べるので。
ようし、この人にだけは負けないぞ。
この人には負けたくない!
そう意識することで、執筆に張り合いのようなものが生まれました。
やがて差をつけられるようになりました。
ポイントにおいても、作品のクォリティーにおいても。
その方は私を置き去りにして、人気作家になって行ったのです。
その方とは交流を続けていました。
その方がたまに語る創作論みたいなものを読むと、それがやたら『上から目線』に感じられてしまいました。
あ……、これ、嫉妬だ。
そう思いました。
一方的にライバル視していた人が上に行くと、その方の言動がすべて『私を下に見て、マウントを取っている』ように見えはじめてしまったのです。
私は思うようになりました。
『きいいい! 悔しい! 悔しい!』
『なんであの人のは簡単に千ptとか越えて行くのに、なぜ私の作品はなかなかそこを越えられないの!?』
『あの人の作品は表紙に残り続けるのに、なんで私の作品はすぐにズルズル落ちて行くの!?』
『この人、なんかインチキしてない?!』
その人はエッセイの中で語りました。
『タイトルは大事だ。タイトルで読み手を引きつけろ』
『共感は大事だ。読者の共感を誘えばポイントはあっという間に伸びる』
『丁寧にプロットを立てろ。設計図なしにフリーハンドで書いたものなど落書きに過ぎない』
その人が上に書いた通りのことを言ったかは正直覚えてませんが……
私の頭はそのように受け取りました。
私は思いました。
『そうなのか〜』
『それが大事なんだね』
『ようし……』
『絶対そんなことしてやるものか!』
天邪鬼というか──
対抗意識剥き出しですね。
その方はどんどんまだまだ進化しておられます。
PNが面白かったり、タイトルのつけ方が絶妙に上手かったり、何より作品のクォリティーが高かったりと、読まれる要素はしっかり持ってらっしゃいますので、今では『インチキだ』なんてことは全然思いません。
今ではその方が『さすがだなぁ』というものを書いて来るたび、私は嬉しくなるようになりました。
元より嫌な人じゃないし、それどころかとても優しくて、熱い心をもったいい人だし。
その人が『さすがだなぁ』というものを書いて発表するたび、私は思うのです。
『さすがだなぁ……。さすが、我がライバル』
『フフフ。ライバルは手強くなくては張り合いがない』
『つまらないものを書いたら容赦なく★1つけるからな!』
『面白いものを書いたら喜んで手放しで★5つけてやる!』
『いいぞ! その調子だ! そうやってこの私をやる気にさせろ! フハハハハハ!!』
ライバルをつくると、なろうでの活動に張り合いが生まれます。
もちろんあまり実力に差がありすぎる方をライバル認定するとやる気がなくなると思われますが……
「負けないぞ」と思える人をライバル認定すれば、効果てきめんです。
相手が上に行けば、そしてヒットでも飛ばせば『さすが我がライバル!』と嬉しくなり、
相手が沈めば『フフフ! 私のほうが強いぞ!』と激しい優越感に浸れる。
でもあんまり沈みすぎてたら『大丈夫?』と声をかけてあげたくなる。
そんなライバル──
あなたもつくってみませんか?