スマート繊維の緊張値
私は自他共に認める親バカである。
はっきり言って、娘が可愛くて仕方がない。会社に通っている所為で娘と一緒にいられない時間ができるのを呪い、我が社に在宅勤務制度が始まるのと同時に真っ先に手を挙げたのに、娘が学校に行く所為でやっぱり一緒にいられないと分かった時には、学校に抗議の電話をかけようかと思った程だ。
妻が延髄蹴りで妨害して来たのでやむを得ず諦めたが。
そんな娘想いの私だから、当然ながら、スマート繊維が売りに出されると迷わず買い求めた。
スマート繊維と言うのは、心拍数、血圧、体温等の身体の状態を表すパラメータを計測する事ができる繊維のことで、計測した身体や気温の状態によって保温効果を調節するといった機能の他にも、それらデータの蓄積を健康管理に活かせるという優れものだ。
私がスマート繊維をプレゼントすると、娘は大いに喜んだ。
因みに、娘には内緒だが、スマート繊維から得られた娘の身体情報をネットにアクセスする事で私にも観られるようにしてある。
娘の健康を管理するのは父親としての当然の義務であるから、これは極めて自然な行為だ。
「別に止めないけど、バレたらあの子、激怒するわよ?」
妻からはそのように言われたが気にしない。それが分かっているから内緒なのである。
そうして私は娘の体調を毎日確認するようになったのだが、それで娘が極端に緊張する瞬間が度々ある事に気が付いた。
主に学校でそれは起こっているようで、時間帯から推察するに、休み時間が特に多いようだった。
心配だ。
もしや、学校で何者かに嫌がらせやいじめを受けているのではあるまいか?
が、家で娘にそれとなく自然に訊いてみても、「別になんにもないわよ」とあっけらかんとした顔で答えるのだ(因みに、妻に言わせるとまったく自然ではなかったそうだ)。
だが、なんにもなかったなら、数値があのような異常な値を示すはずがないのだ。
私は益々心配になった。
娘は優しい子だ。私に余計な気をかけさせまいと、無理して気丈に振舞っているのかもしれない。
――そんなある日だった。
在宅勤務が早くに終わり、折角だからと外を散歩していると商店街を歩く娘を見つけた。私は声をかけようかと思ったのだが、その時にスマートフォンが警告音を発したのだ。見てみると、娘の緊張を示す折れ線グラフが急激に上がっているではないか。
娘は明らかに極度に緊張をしている。
“何があった?”
私が目を向けると、娘の目の前には凶悪そうな顔をした娘と同じ高校の生徒だろう男がいた。
あーいーつーかー!
娘が休み時間に緊張をしていたのは、恐らくはあの男の所為だろう。娘は何かしら脅されていたに違いない!
「貴様ぁ 娘に何をしている!」
私は怒鳴りながら駆けて行った。
そんな私に娘とその男子生徒は驚いた表情を向けた。
「お父さん?! どうしたの?」と、娘が言う。
「お前を守りに来たんだ」と私は返す。
「守るって何から?」
「そこにいる男からに決まっているだろうが!」
それを聞くと、男子生徒は「いや、偶然そこで会ったから話しかけただけで、別に何もしていませんよ?」などと誤魔化して来る。
「なんだと? そんな話が信じられるか?!」と、それに私。
何もしていなかったなら、娘があれ程までに緊張をするはずがない。
「ちょっと、お父さん。止めてよ! 火田君に!」
「お前は黙っていなさい」
「黙ってろって何よ? わたしのことでしょう?」
「脅されて、正直に話せないのは分かっているんだ」
「脅す? 脅すって何よ?」
私はそう言われて我慢ができなくなった。
「脅されていなかったら、こんなに緊張しているはずがないだろうが!」
そう言って私はスマートフォンの娘の緊張状態を示すグラフを見せた。それで娘は全てを察したようだった。
真っ赤な顔で、
「脅されたから、緊張していたわけじゃないわよー!」
そう叫んで、私の顎にえぐり込むようなアッパーを放つ。私はそのアッパーを受けて後ろに倒れながら、娘の表情にはっきりと恋する乙女の気配を認めていた。
そんな…… まさか、こんな凶悪そうな男に…?
私が倒れると、娘は「お父さんのばかー!」と言って駆けて行ってしまった。倒れた私に火田という男が「あの…… 大丈夫ですかね?」などと声をかけて来る。
私はショックでそれに反応ができなかった。
「……とんでもない勘違いをしてしまった」
娘は家に帰ってから、私と口をきいてくれていない。事情が事情だけに、機嫌を直してくれるまでにはかなり時間がかかりそうだ。
「スマート繊維の機能が不充分なんだ。どんな理由で緊張しているかが分かればこんな事にはならなかった」
私はスマート繊維の製造元に意見を言ってやろうかと少し考えた。
「そお? あなた、もしあの子がその火田って男の子に恋しているって分かっていても、似たような事をしていそうだけど……」
私の独り言を聞くと、妻がそう言った。
まぁ、それは、そうなのかもしれないのだが。