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 何とか荷物を抱えると、モリーナは女将のいる1階に向かった。すると女将は、カウンターで何らかの業務をこなしていた。



「おや、どうかしたのかい?」



 さっき上にいったばかりのモリーナが荷物を置かずに戻って来たのに気付き、女将は思わず声をかけた。



「すみません……部屋を変えてもらうことは……できませんか。」



 部屋は南向きで景色もよくて、本来なら申し分のないとても良い部屋だった。けれど毎日あの部屋で過ごすのは、どうしても耐えられそうになかった。

 モリーナが申し訳なさそうに俯きがちに女将に伝えると、女将は何事かと首を傾げた。

 けれどモリーナがあまりに言いにくそうに小さくなって伝えてきた姿に、何故かその理由を聞くのは咎められた。



「ならその向かいの部屋と交換するかい?」


「……っ……ありがとうございます!お願いします!」



 部屋が空いていないなら諦めてカーテンを閉めて過ごすしかないと思っていただけに、女将の言葉は僥倖ぎょうこうだった。

 モリーナがあまりに嬉しそうに跳ねるような笑顔を浮かべたので、女将もついつられて笑った。

 女将が差し出した新しい鍵を前の部屋の鍵と交換すると、深く頭を下げてモリーナは階段を上がっていった。

 その姿を女将は、不思議そうに階下から見上げた。



「あんなに喜ぶなんてねぇ……。」





 新しい部屋は内装は前の部屋と同じで、窓の外は民家の屋根や王都の石造りの塀垣ばかりが見え、決して景色が良いとは言い難い部屋だった。

 窓を開け放てば心地よい風が流れ込み、頬を撫でる。


 モリーナは安心して過ごすことができると、抱えていた鞄を小脇に置いてベッドに寝転んだ。

 洗い立てのシーツのいい匂い。

 ようやく人心地つくことができて、モリーナは深く息を吸い込んだ。


 長い旅だった。

 前世は王都の近くの村に住んでいたので、長いこと馬車に揺られて旅するのは初めてだった。それに道は王都ほど舗装されていないので幌馬車が激しく振動してろくに寝ることも出来ず、陛下から預かった大金を盗まれないように必死で気を落ち着けることもできなかった。


 落ち着いた途端に眠気が襲ってくる。

 少し寝よう。部屋の内鍵はかけた。洗濯もお風呂も後でいい。城を訪ねるのも明日でいい。

 ともかく……疲れた……。



 モリーナは疲れから重いまぶたに耐えられず、少しだけ……と思いながらも、気づけば深い眠りについていた。

 どれほど時間が経っただろうか。

 ほんの少しの肌寒さに身震いして目を開ければ、既に窓の外は夜の帳がおり、部屋の中も真っ暗になっていた。

 入口ドアの下の隙間から、廊下の灯りが漏れている。廊下が明るいところをみると、まだ宿の消灯時間ではないようだった。



「もう夜!」



 モリーナは慌てて飛び起きると、部屋にあった木机の上にランプがあったことを思い出し、壁伝いに木机のところまで向かった。

 木机の木の表面をなぞり、宙を探れば手にランプが触れる。

 このランプは王都でよく使われている灯りで、どのような構造なのかは知らないけれど、ランプに内に油があればツマミを捻るだけで灯りがつく仕掛けになっていた。

 前世住んでいた村も王都に近いためかそのランプが普及していたけれど、今世生まれた村はまだ釜戸の火種の火を小さな枝に移した後に、ランプまでその火を持っていってランプの灯りをつけていた。

 この便利さがなんだか懐かしかった。



 カチッ。



 ツマミを捻ると小さな金属音と共にほんのりと橙色の明かりが灯り、モリーナはランプを片手に涼しい風の入ってくる窓を閉めた。

 なんだかそのランプを見ているとまだ自分が祈りの塔にいるような気がしてしまい、その考えを振り払うようにブンブンと顔を左右に振った。

 ランプの炎が揺らぎ、まるで自身の心の揺らぎのように思えた。



 お風呂に入って落ち着こうと、鞄から必要のないものを取り出すと、着替えとタオルと石鹸を準備をして鞄に詰め、ついでに洗濯をするために汚れている衣類も鞄に詰めると、浴室のある1階に向かった。

 浴室は1階のどのあたりかと階段を降りてキョロキョロしていると、あの女将と出くわした。



「おや、今から風呂かい?」


「はい。あの、どこにお風呂がありますか?あと洗濯場の場所も知りたいです。」


「それならこっちだよ。ここに案内図があるから、迷ったらここを見に来るといい。」



 女将が指差す先に、案内の地図みたいなものが壁に張り付けてあった。少しよれよれになったその紙は長いこと貼られているのか、年月を感じさせた。

 その案内図にはお風呂の絵、洗濯場を意味するタオルと石鹸の絵、食堂を意味するフォークとナイフの絵等が書いてあり、字が読めない人に対する配慮を感じさせた。



「ありがとうございます!」



 浴室は食堂の横の廊下を奥に少し歩いた先にあった。もちろん、男性用と女性用で分かれていて、中には誰もいないのか物音がしない。

 女将が浴室まで案内してくれたので頭を下げて感謝を述べると、女将はいいよいいよと手を左右に振った。



「これも仕事だからね。ゆっくり浸かって身体を癒しておくれ。」


「はい。」


「洗濯場はこの浴室の隣。洗濯用の石鹸も置いてあるから自由に使っておくれ。」



 女将が指差した先には洗濯室と表示された部屋があった。

 至れり尽くせりの配慮のあるサービスに、この宿を選んでよかったとモリーナは思った。


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