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「簡単に宿の中を説明するよ。1階に宿泊客以外も利用できる食堂と共用の洗濯場…あとお風呂があるよ。」


「お風呂!」



 モリーナは久しぶりに聞いた言葉に目が輝き声が跳ねた。

 村は水は豊富でも湯を沸かすのに薪代がかかるので、身体の汚れを落とす時は川の傍に衝立を立てた場所があり、女性はそこで行水していた。冬場はさすがに外で水浴びが難しいので、水で濡らした布で軽く拭く程度。

 王都まで来る途中の宿は風呂があるところは値段が高く、なるべくお金を使わないように切り詰めていたからそんなところ泊まれなかった。

 王都は地下から湯がわき出やすい場所らしくて、祈りの塔にも当然のごとく風呂があった。

 記憶が戻るまではお風呂がない生活なんて当たり前だったのに、記憶が戻ってはじめてお風呂がないことの辛さを思い知った。



「あーそうか、地方には風呂なんて無いらしいね。私は産まれも育ちも王都だから、風呂無し生活なんて考えられないよ。」



 モリーナのような反応はよくあるようで、女将は憐れみと自慢ともとれる発言をすると、腰に手を当ててわははと笑う。

 あまりに田舎まるだしの反応をしてしまった自分が恥ずかしくなって、モリーナは鞄の持ち手をぎゅっと握った。

 聖女候補時代の記憶になるが、王都には確か公共の浴場があって誰しもが格安で利用できた。ちなみに聖女候補は無料で入れたけれど、候補が泊まる宿泊場にもお風呂はあったので、あまり行った記憶がない。



「タオルのレンタルはいるかい?ホントは銭貨30枚かかるけど、甥の紹介だから無料にしとくよ。」


「ありがとうございます!」



 後で聞いた話だが、タオル代が少し高いのは窃盗防止策だそうだ。昔はもっと安く貸し出していたけれど、たまに持って帰る人がいたので、タオル代を高くするようになったんだとか。

 しかもタオルは洗って返せば全額返ってくるらしい。



「洗濯場のすぐ側に洗濯物の干場があるけど、女性用の干場は宿泊階の3階にあるからそこに干すようにね。」



 今までの宿は洗濯場や干場はあっても共用だったので、下着類は干しづらくて部屋でなんとか干していた。気にせず干す人もいたが年頃のモリーナにはかなり堪えた。女将が女性だけあって、女性への配慮があるようでありがたい。



「わかりました。」


「えーと、じゃあ宿帳に名前を書いてくれるかい?あ……でも、文字が……代筆するかい?」


「大丈夫です。書けます。」



 女将はインクとつけペンと共に宿帳を差し出したが、はっとモリーナの顔を見てすまなそうにした後、一瞬、宿帳を引っ込めようとした。

 それを制してモリーナはつけペンを持ち、宿帳に名前を書いていく。

 この国には大きな町なら子どもを通わせて文字の読み書きと簡単な計算を習わせる学問所があるけれど、地方の村にはそんなものは無い。

 学問をするより食べ物を育てる方に力を注ぐので、そんなことをしている暇がないのもある。

 モリーナが文字を書けるのは、前世の遺産にほかならない。

 王都に来るまでの宿でも幾度と無く繰り返された女将のような台詞には、正直飽き飽きしていた。

 住んでいた故郷の名前を言えば、学問所などない村なのはわかりきるような辺鄙な場所なので、そんな反応があるのは無理もないのだが。

 よほど田舎の人間だと思われていたようで、モリーナが文字を書く姿を感心したように女将は見ていた。



「えーと、モリーナさんだね。302号室だよ。ちなみに3階は女性客専用だから、安心して使ってちょうだい。はい、これ。お風呂のタオル。」


「はい。ありがとうございます。」



 そこまで女性用のサービスがあるということは、それだけ女性客が多いのだろう。

 ちなみに2階は男性客用と家族連れ用となっているらしい。

 肩に食い込む鞄の肩ヒモを一同外して肩にかけ直すと、タオルを抱えて鍵を受け取り、よたよたしながら教えられた階段を登っていった。

 その危なっかしい姿を女将が心配そうに階下から見上げているのにも気づかずに。



 3階につくと部屋は3つだけあり、モリーナの部屋は南向きだった。鍵を開けて中に入ると、部屋は少し手狭で、入ってすぐ右手にの服を入れられる小さなクローゼットが1つ。右手奥の壁側にベッド。左手に木机が1つ。正面に小さな窓があった。

 カーテンを開け放ってある窓からは暖かな日差しが差し込んでいる。

 3階なので王都が遠くまで見通せる。

 窓から少し先にある祈りの塔が目に入り、モリー

 ナの心臓がドクンと跳ねた。



 似ている……。



 後ろ手にドアを閉め、鞄とタオルをベッドの上に置き、窓に近づいて開け放つ。入り込んだ風でバタバタとカーテンがはためく。

 窓から臨む景色と、窓から見える祈りの塔の位置。

 強い既視感にモリーナは窓の縁に手を掛けたまま、その場に座り込んで俯いた。

 遠くから見た時は平気だと思っていた。

 けれど自分がいた祈りの塔に似た景色が目に入ると、駄目だった。

 胸の奥に圧迫感があり、唾すらうまく飲み込めなくて、胃液が這い上がってくるのを感じる。

 このままではダメだと、モリーナはなんとか立ち上がって俯いたまま手探りで窓を閉めると、カーテンをひいて窓に背を向けた。



 ベッドと木机とクローゼット。

 祈りの塔の中とはかけ離れた粗末な内装を視界に入れ、何度と無く息を吸って吐くのを繰り返して自分を落ち着かせると、モリーナはその場に座り込んだ。

 ここは祈りの塔じゃない。私は自由なのだと、何度となく自分に言い聞かせて。

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