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モリーナは思わず、その手紙を抱き締めるように胸に押し当てた。
村長に手紙を託していただろう使者も、無理にモリーナに会って陛下に会いに来るように説得しようとはしなかった。それは陛下自身が、モリーナがその気になるまで待つように言付けてあったからだろう。
その心遣いが嬉しくて、胸が熱くなる。
行く宛のなかった手紙は、長い時間を経て少し黄ばんでいた。
「明日、聖女候補をお連れする為に王都へと馬車が向かいます。その馬車に同乗は…………。」
使者は途中まで言ったところで、言葉を言い淀んだ。
聖女に選ばれることは国の名誉。その候補となれば、村をあげての見送りになる。聖女と同乗するなんて、後で何を言われるかわからない。
モリーナは自分の立場を十分わかっていた。
たとえかつて聖女であったとしても、国民はそんなこと知らないし、信じるわけもない。
使者は聖女の馬車に同乗する以外に王都に行く方法を考えている様子だったが、いまや平民である自分の身勝手で迷惑をかけるわけにはいかない。
モリーナは使者が言葉を続ける前に告げた。
「乗り合い馬車が、5日後に来ます。いろんな村落を回るので直通の馬車より時間はかかるでしょうが、そちらで向かいます。」
何度も使者がこの村に来るようになった為、王都への道が整備された。その為、今までは買い物するのに山を越えた先にある町まで行かなくてはならなかったが、ここ数年は行商の馬車も村に訪れ、流通の流れができあがっていた。その結果、需要があるとみなされたのか乗り合い馬車も頻繁に村へと来るようになっていた。
「わかりました。私は聖女候補と共に先に王都に向かいますが、王宮でお会いできることを楽しみにしています。」
使者はモリーナが王都まで行く方法が決まったのでほっとして表情を緩めると、傍らに携えていた鞄から革ひもで縛られた皮袋を取り出して、モリーナの目の前に置いた。
乗せた瞬間、金属が触れあう重い音がする。
「こちらを路銀に。ただでさえ無理にモリーナ様を呼ぶことになるからと、陛下が用意されたものです。」
袋の中には、銀貨が5枚と銅貨が20枚ほど入っていた。平民が静かに暮らせば2年は楽に暮らせるほどの額に震えた。
流石にそこまでしてもらうことはできず、袋を使者の方に押しやると逆に押し返された。
「これら詫び賃も含まれています。貴女を王宮に呼ぶことは陛下の希望ですし……そのせいで、そろそろ村で生きづらくなってきているだろうと…。」
そこまでわかっているのなら、なぜ静かに村で暮らさせてくれなかったのか。
モリーナは陛下に少し恨み言をいいたくもなったが、今となってはどうしようもないことだった。それに、モリーナの生まれ変わりだと認めたのは何を隠そう自分自身で、後々のことを考えたら認めるべきではないし、嫌なら手紙も受け取り拒否すればよかったのだ。
それをしなかったのは、自分の中のどこかに、王都での生活を僅かでも懐かしむ思いがあったのではないかと思った。
聖女としては二度と生きたくないと思ったし、村での生活に満足していたはずなのに、矛盾した気持ちに笑うしかない。
袋を手に取ると、使者に頭を下げた。
「ありがたく、お借りします。」
陛下が用意したということは、袋の中身は国の税金だ。何年かかってもいいから、返すつもりだった。
翌日モリーナは、聖女候補シャーロットが使者と共に盛大に見送られるのを、村民の輪に混じって見ていた。
『行ってはダメ。』『決まったら二度と帰れない。』そんなことを口走りそうになるのを抑え、手をグッと握りしめる。
大喜びで見送る村民とモリーナの間には、明確な温度差があった。
馬車が行ってしまった後、握りすぎて傷ついた掌同士を擦り合わせ、胸元を押さえた。
服の内ポケットに隠した手紙が、カサリと乾いた音を立てた。
「行ってきます。仕事と住む場所が決まったら、手紙を送るね。村長さんに読んでもらって。」
5日後、モリーナは肩掛け鞄を肩にかけ、祖母にそう言うと家を出た。
少し肌寒く、上掛けをかき寄せると乗り合い馬車の着く場所に急いだ。
遠くの丘陵はほのかに赤く色づき、秋が来たことを告げている。冬が来たらこの村はかなり雪深くなる為、王都に行くことを早くに決断できてよかったと思った。
祖母を置いていくのは心苦しいので、王都で落ち着く場所ができたら祖母にも来てもらおう。
モリーナはそう心に決めると、乗り合い馬車の停留場に立った。
「おや、モリーナ。何処かに行くのかい?」
2軒隣の家に住むおじさんが手をあげて声をかけてくる。モリーナは王都に行くとは言いづらいので、何か聞かれた時の為に何て言えばいいかは考えてあった。
「山を越えた町に。」
町で乗り合い馬車を別の馬車に乗り換えるので、嘘は言っていない。
この時期、行商の馬車は来るものの冬になる前に町に越冬の為の炭や洋服を買いに行く村人は少なくなく、おじさんはモリーナの答えに納得したようだった。