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次にオリバーは貴族名鑑をモリーナに差し出す。貴族名鑑には栞が挟まれており、そのページを開くとコルト侯爵家のことが書かれていていた。ただしその最新版の貴族名鑑に、リリアーナ・コルトの名前はない。
「リリアーナ様は13年前に、家族と隣国への旅行中に馬車の事故に遭い亡くなられました。」
心痛な面持ちで語るオリバーを目にして、モリーナは目を閉じ、胸に手を当てて祈り感謝した。
リリアーナ様、ありがとうございます。貴方の子どもという立場で働かせていただきます。貴方のご冥福をお祈りします。来世、再来世と恒久の貴方の幸せを願います……と。
そのタイミングで書斎のドアがノックされる。それにオリバーが応えると侍女がカートを押して入ってきた。カートに乗せられていたのは芳醇な香りのする紅茶と、モリーナが持ってきた例のアップルパイ。
目の前に給仕された、1ピースのアップルパイ。
モリーナの脳裏に『毒味』という言葉がよぎった。
そんな意図があるかないかはわからないが、いくら侯爵がお忍びで食べに来ていた店の物とはいえ、赤の他人 (しかも平民)が持ってきた物は信用できないのは無理もない。
その上、本当にその店から持ってきたという証拠もない。
モリーナはオリバーの視線を意識しながらも、店の女将さんとおじさんのため、給仕されたアップルパイを美味しくいただいて見せた。
これには毒なんて入ってませんと、笑みを浮かべながら。
侍女もでていって2人きり。
その間オリバーは、黙ってコルト侯爵家の歴史の家系図を眺めていた。
モリーナは、もくもくとアップルパイを食べた。
しっかりと焼き色がつき、表はパリパリ、中はしっとりのパイ生地の下から、甘く煮詰められた林檎とカスタードクリームが顔をだす。
匂い立つシナモン。じゅわりと染みだす林檎の果汁。
すごく美味しい。とてもとても………美味しいのに胃が痛くなりそうな無言。
なんとも居心地の悪い時間。
そんな時間が早く終わって欲しいと思い、少し急ぎぎみでアップルパイを食べ終えると、それを待っていたオリバーがようやく口を開いた。
先程まではこの屋敷の主人であるコルト侯爵の意向に沿ってモリーナを受け入れてくれていたようだが、本音は違う気持ちなのか、笑顔なのにこちらを胡乱げに見ている雰囲気が滲み出ていた。
「モリーナ様……忠告があります。」
名を呼ばれ、気持ちの上でも痛くなるほどグンと背筋を伸ばす。視線は真っ直ぐオリバーに向けて。
「今回の城での仕事が終わりましたら、コルト侯爵家の名を使うのはお止めください。」
こちらを探るような刺す視線に、動揺が僅かに表に出て、目をしばたたかせる。
やはりか……という思いにモリーナはかられた。
彼は遠回しな言い方だけど、城での仕事が終わったら貴族と関わる仕事につくのはやめて欲しいと言っているのだ。
城で侍女として働くことが出来れば、他の貴族の家で侍女や下女として働くことに有利にはなる。
けれどモリーナは、コルト侯爵家の後援でリリアーナ・コルトの娘として働くことになった。それはつまり、他の貴族の家で働くとなると、ずっとコルト侯爵家の名がモリーナの背中にのし掛かることになり、コルト侯爵の名を利用することになる。
オリバーはコルト侯爵の意向に沿ってモリーナを受け入れてはいるけれど、気持ちの上では受け入れてはいないのだ。
それはそうだと思う。
いくらコルト侯爵が『恩人とする聖女モリーナへの恩を返すため』としたとはいえ、今世のモリーナと聖女モリーナが同一人物なんて知らないし、本来ならまったく関係がないのだ。
端からみれば、聖女モリーナを利用した赤の他人の平民の娘。
信用できないのも無理はない。
聖女モリーナはあくまでも前世。これまで聖女モリーナだったことで、助かったことは山ほどあった。でも、いつまでもそれを利用するわけはいかないし、切り離して新たなモリーナとして自立しないといけない。
「ご忠告痛み入ります。」
そのままオリバーに深々と頭を下げる。頭を下げたまま続ける。
「城で働く後見をしていただくコルト侯爵様には感謝しておりますし、私の存在が迷惑になることは私自身も望んでおりません。名は使いませんが、ただ王都で働くことはお許しください。」
モリーナが顔を上げ、真摯な面持ちを向けても、オリバーは未だ信用していないのか、剣呑な様子は変わらない。
「伝がありますので、王都の商家の紹介状をお書きします。それぐらいはしませんと、旦那様も納得しないでしょうから。それを使用するか否かは貴方の自由です。」
「寛大なご配慮に感謝いたします。」
改めて頭を下げると、貴族録と歴史書をオリバーが差し出した。
「お貸しします。明朝、貴方がこちらに来られた際に返却いただければ結構です。紅茶を飲みましたら、お帰りください。」
聖女時代にも今世でも受けたことのない温もりのない笑みに、胸の奥に重石をつけられた気がした。
最後に飲んだ紅茶は、緊張のあまり味がしなかった。
本二冊を抱えなんとか山鳥亭に帰ってくると、ようやく深く息がつけた気がした。
モリーナの顔色があまりよくなかったのか、女将さんもおじさんも
「無理に手伝わなくても良い。」
と言っていたけれど、手伝えるのが最後なのでやらせれくれと言って、夕食の仕事をさせてもらった。忙しく働いている方が、余計なことを考える余地がないのでむしろよかったのだ。
一人でいたら悶々と考えてしまうのだ。
何で自分は、前世の記憶を持ったまま、生まれ変わってしまったのだろうと。
今回、短めですみません。




