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兵士と連れだってやってきた人は、真っ白なシャツの上に真っ黒でカッチリとしたジャケットを羽織り、首もとにはクロスタイ。いかにも執事という風体の、白髪交じりの黒髪の男性だった。
男性はモリーナの出で立ちを確認すると、
「紹介状を受けとりました。旦那様からお話は伺っております。モリーナ様ですね。私はこちらのお屋敷で家令をしているオリバーと申します。」
そう言って、オリバーはモリーナに恭しく頭を下げた。コルト侯爵からの紹介状を渡したとはいえ、貴族でもない平民のモリーナにも丁寧な態度に、恐縮しまう。
モリーナは、オリバーが顔を上げるタイミングを見計らって、身をただして頭を下げた。
「はい、モリーナと申します。よろしくお願いいたします。」
モリーナが頭を上げるとオリバーは笑みを浮かべ、くるりと兵士の方に視線を向けた。
「あとは私が案内するので、貴方は仕事に戻ってよろしいですよ。ありがとうございました。」
オリバーが兵士に告げると兵士はオリバーに向かって胸に拳を当てて頭を下げ、モリーナの方にも軽く頭を下げてからその場を去っていった。彼の持ち場に戻るのだろう。
「では中へとご案内します……が、そちらは?」
兵士からこちらに向き直ったオリバーは、モリーナが持っていた箱が気になるのか、手元の箱を凝視する。
「これは、私が働いていて、コルト侯爵様も食事をされた山鳥亭のアップルパイです。」
「アップルパイ……ですか。」
モリーナの説明にオリバーが微妙な顔をしているのがわかり、モリーナはいたたまれず、箱を抱えて身を縮めた。やはり止めておけばよかった。けれど山鳥亭にそのまま持ち帰ることもできない。
「山鳥亭のご主人と女将さんが、ぜひ、コルト侯爵様に食べていただきたい……と申しまして。」
頭を下げて箱を差し出すと、ふっと箱の重みが消えた。
顔を上げれば、箱がオリバーによって受け取られる。
「お預かりします。旦那様にもお伝えします。」
モリーナはどうすればよいかわからなかったので、正直、ものすごく助かった。
侯爵に本当に食べてもらえるかはわからないが、受け取ってもらえただけ御の字だ。
「よ、ろしくお願いいたします。」
こうしてアップルパイを受け取ってくれたオリバーに案内され、モリーナはコルト侯爵邸に足を踏み入れた。
※ ※ ※ ※ ※ ※
オリバーは1人の侍女にアップルパイの入った箱を渡すと彼女に何かを言付けし、モリーナに後についてくるように促した。
コルト侯爵邸はさすが貴族というべきか、屋敷の中は多くの高価そうな調度品が置かれていた。
壁に掛けられた絵画の額縁には細やかな装飾がありながら、埃一つない。他にも廊下には高名な作家の作品らしき胸像や、豪奢な花が生けられた花瓶があり、傍を通るときは少しでも触れて落としてしまわないかとヒヤヒヤした。
前世で生活していた祈りの塔も国の建物なので埃一つないほど掃除はされているのだけれど、前任の聖女の趣味であまりに高価な調度品は廃されており、塔で一番豪華な造りなのは、貴族対応をする応接室くらいだった。
モリーナも豪華な調度品だと気後れするので、自分が塔の主になった後も前任の趣味のまま生活していた。
王城では先を歩いていた警備長のアドルフの背中を追うのに必死で周囲を見る余裕なんてなかったから、内装なんてほぼ覚えていない。
だから目に飛び込んでくるあまりの煌びやかな調度品に、ついつい目がいってしまった。
モリーナが視線を周囲に巡らせると、それに気づいたオリバーが一つ一つの調度品について、説明をしてくれたので、部屋にたどり着くまでに少し時間がかかってしまった。
オリバーによって案内されたのは、客人を招く応接室というよりは、多くの本を収納した本棚が置かれた書斎だった。
本が日焼けをするのを避ける為か少し暗めのその部屋は、煌びやかな廊下の雰囲気とは違い、木目調の家具が置かれ、何だかほっと落ち着く空間だった。
日当たりのよい窓に向かう形で書机が置かれ、部屋の中央には、書机とは別に丸テーブル1脚と、向かい合わせになるように猫足の椅子が2脚置かれていた。
ただこの部屋はあまり使われていないようで、少し埃っぽい匂いがした。
オリバーも同じように思ったのか、口元に手を当てて1つ咳払いする。
「こちらは亡くなられた奥様が主に使われていた書斎です。急遽、掃除をしたのですが、換気が足りなかったようです。」
オリバーが書机の傍の窓を開く。
窓から入り込んだ風が、開け放したままだった入口のドアへと流れていく。吹き込む風が、モリーナの髪をさらりと揺らす。
「掃除はある程度していたのですが、何せほとんど使用していなかったもので。」
ある程度風が流れて埃っぽさが少し消えると、オリバーは窓を閉めた。そのまま本棚に近づき、2冊の書物を取り出して丸テーブルの端に置く。
「モリーナ様、こちらにお座りください。」
部屋の入口付近に立ったままだったが、言われるまま、示された椅子に座る。
「こちらはこの国の貴族名鑑と、コルト侯爵家の家系図と歴史が書かれた本になります。」
分厚い貴族名鑑は貴族対応の為に聖女時代に覚え込まされたので、中身はある程度覚えている。この国の名だたる貴族の家紋と名前が載っているもので、重石にでもなりそうな程に分厚いのが特徴だ。
「旦那様から話は聞いておられるかと思います。城で働くのは短期間のようですのですべて覚える必要はありませんが、ある程度知っておく方が仕事がしやすいでしょう。」
そう言って、貴族名鑑とは別のコルト侯爵家の歴史の本を開く。
その序盤のページに、侯爵家の家系図が載っていた。
オリバーの指が家系図の表面をなぞり、その指が1つの名前に行き当たった。
「この方は旦那様の従姉妹にあたる方です。モリーナ様は城で働く間、その方の娘という位置付けになることを覚えておいてください。」
そこには『リリアーナ・コルト』という名前が書いてあった。名前も似ているので覚えやすい。
「失礼ですが、モリーナ様はまだ成人ではありませんね?」
オリバーにこちらを伺うように聞かれ、頷きながら返事する。
「はい、今年で14歳になります。」
「なるほど……この貴族名鑑は、成人すると名前が載ることになります。名が載っていない理由を聞かれたら、まだ成人していないからだとお答えください。」
貴族名鑑にはその家門の貴族が成人すると名前が追加されるので、毎年更新されてどんどん分厚くなる。ただしその貴族が亡くなると、名鑑から名前が消えるので、生存している成人貴族の名前が載っている物なのだ。




