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部屋のドアが不意にノックされ、モリーナはついドアのほうに視線をやる。ドアの向こうからかかる声。
「すみません、侍女頭様。少しよろしいでしょうか?」
「ごめんなさい、リーナ、少し待ってね。どうぞ、お入りなさい。」
マリアベルはモリーナに断りをいれると、ドアの向こうに声をかける。
それを聞いて現れたのは、マリアベルと同じお仕着せを身につけた年若い侍女だった。年齢は、モリーナより2つか3つ上に見える。モリーナがマリアベルと居たのに気づくと、年若い侍女は慌ててマリアベルに頭を下げた。
「来客中のところ申し訳ございません。」
「いいわ。話は廊下で聞きます。リーナ、そこのソファーに座って少し待っていてね。」
城の内秘があるので、聞かれたくない話もあるだろう。モリーナのように短期間しか働かない相手なら尚更、知られたくない話も多い筈だ。
「わかりました。」
そう返事をして、マリアベルが侍女と連れ立って廊下に出ていったのを見送る。
そこでようやくフゥと息をつくことができた……が、モリーナが言われた通り室内のソファーセットに腰を下ろそうかと歩み始めた途端、マリアベルが再び中にに入ってきた。部屋を訪ねてきた侍女も一緒だった。
あまりに戻ってくるのが早いので呆気にとられていると、若い侍女がモリーナに向かって口を開いた。
「コルト侯爵が、お待ちです。」
思わず、え?と声が漏れそうになるのを必死に抑えたが、急な話に驚くなと言うのが無理な話だと思う。
城には来客用の応接室が幾つかあるようで、モリーナはマリアベルと連れだってそのうちの1つの応接室を訪ねた。
「失礼いたします。」
マリアベルが部屋に入るのに続いて、モリーナも室内に入る。
応接室の中の向い合わせのソファーセットの片方に、年嵩の男性が座っていた。恰幅の良いその男性は煌びやかに金糸で刺繍がされた燕尾服を身に纏っている。明らかに貴族とわかる風体だ。恐らく、彼がコルト侯爵だろうと思った。
ただ何故か、その男性の顔に既視感があった。
宿で接客していた時はまったく気づかなかったが、その顔になんとなく見覚えがあった。
聖女時代に、身分も名前も伏せ、祈りの塔を何度も訪ねて来ていた男性だ。
愚痴を言える人もいないのでただ黙って話を聞いてほしいと、奥さんのこと、息子さんのことなど、いろんなことを独り言のように話して帰っていった。
平民の服装をしていたがその所作は洗練されていて粗野なところがなく、恐らく貴族だろう察しがつき強く印象に残っていたが、まさかその人がコルト侯爵だとは思いもしなかった。
聖女時代のことなので彼も当初はもっと若かった筈だが、コルト侯爵も髪も白髪交じりで年を召しておりモリーナの中のコルト侯爵の印象と違っていたので、宿屋で気づかなかったのも無理もないと思った。時が流れるのは早いものだとつい感慨に耽ってしまった。
「リーナをお連れしました。」
マリアベルが頭を下げるのに続いて、モリーナも丁寧に礼をする。コルト侯爵はモリーナを検分するように上から下まで眺めて目を細めた後、マリアベルに尋ねた。
「彼女への仕事の説明は?」
「説明が終わって、契約書にサインをしたところです。」
モリーナがサインした契約書を携えていたマリアベルが、コルト侯爵に見せるように差し出す。コルト侯爵は受け取ったそれを見て片眉をあげ、顎に手を添えて何やら考える様子を見せた後、その紙を持ったままマリアベルに尋ねた。
「なら、少し彼女と話すことがあるが良いだろうか?帰りはこちらで対応する。あと茶は不要だ。そこまで長々と話すつもりはない。この契約書も後で管理部に私が持っていくから安心しなさい。」
「……承知しました。彼女のことをよろしくお願いいたします。」
マリアベルが出ていくのを見送ると、コルト侯爵は早速、モリーナに自分の向かいのソファーに座るよう勧めた。
流石に聖女時代とは違い、今は貴族と平民。立場が違いすぎるので、モリーナは素直に座っても良いか迷った。モリーナが戸惑っていると、コルト侯爵が、先ほどマリアベルから受け取った契約書をこちらに見せながら、モリーナが、サインした部分を指差した。
「君は宿ではモリーナと呼ばれていた気がするが、サインはリーナとなっているのは何故だろうか。城の来訪者記録も、リーナという平民が私の紹介で訪れたことになっていた。」
コルト侯爵は笑みを浮かべていたが、その視線はこちらを訝しむものだった。
痛いところを突かれた。来訪者記録に書かれてしまったし、今さら訂正はできないだろうとそのままにしてしまったが、コルト侯爵はモリーナを紹介する立場なので、宿屋の女将さんからモリーナのことを詳しく聞いていたのだろう。
コルト侯爵の言葉は、自分が紹介した以上、信用できない人物を働かせることは出来ないのだと言っているように聞こえた。
「座りなさい。」
手を差し出してソファーに座るよう促され、流石にそのまま立っていることもできずモリーナは言われるまま向かいのソファーに座るしかなかった。
※ ※ ※ ※ ※
「なるほど、そそっかしいところがあるアドルフらしい話だ。その言葉をそのままマリアベルが信用して、記録してしまったと。」
自分の名前がモリーナではなくリーナとされてしまった経緯を説明すると、コルト侯爵は深くため息をついた。そしてまたもや契約書を見ながら何やら思案する様子を見せると、その視線をモリーナの方に向けた。
「仕方ない。もともと私の遠戚だと嘘をついているのだ。城ではリーナ・コルトで通すことにしよう。マリアベルには私から、本当のことを伝えておく。」
来訪者記録に自分の紹介者として見知らぬ名前があれば、紹介者は後ろ楯として身分を証明する立場でもあるので、流石に気になりもするだろう。
コルト侯爵がモリーナの説明に納得したのか、先ほどまでの剣呑な雰囲気が消え、穏やかな空気感がその場にあるのを感じた。




