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リーナと呼ばれるのは受け入れた。けれどこうなっては仕方のないことだが、もし城で短期間の侍女として働くことが出来たとしても、リーナという娘が城で侍女として働いていたという実績になってしまい、他家で侍女として働く紹介状を貰ったとしても、それはリーナという娘に対してであり、モリーナは城で働いていなかったことになってしまう。
それではもともとの目的としての仕事の斡旋は望めないだろう。
モリーナは内心肩を落としながらも、気を引き締めて胸を張る。
「リーナと申します。よろしくお願いいたします。」
アドルフの後に続いて早歩きをしたことで乱れた髪を手ぐしで直し、衣服のシワを整えた後、シャンと背筋を伸ばし、身体の前で手を重ねてマリアベルに深く礼をした。
なるべくきちんと見えるように指の先までピンと伸ばし、軽く笑みを浮かべる。
聖女時代に塔を訪ねてきた貴族を迎える時にと、教えられた礼だ。
礼をしたモリーナが顔をあげると、目の前でこちらに笑顔を向けていたマリアベルの片眉がピクリと動くのが見えた。そのままモリーナの顔を凝視するマリアベル。
マリアベルの反応がないので声をかけることもできず、モリーナはただただ笑顔で同じ姿勢をとり続けるしかなかった。
これは面接の一貫で、理不尽な対応をされても笑顔で耐える試験なのかもしれない。
流石に上げ続ける口角が辛くなり、表情筋が悲鳴をあげ始めた頃、部屋の外で大きな野太い談笑声が聞こえた。そこではっとしたようにマリアベルが目を見開くと、慌てた様子で自分のデスクの上から数枚の書類を取り上げ、モリーナの方へと歩み寄ってきた。
「えーっと……何歳かしら?」
「13歳です。もうすぐ14歳になります。」
「まぁ……13歳なの……。」
マリアベルがモリーナの年齢に驚きの表情を見せる。
身体はある程度大きくなったと思ったけれど、もっと幼く見えているのだろうか。若すぎるから働けないと断られるだろうか。少し不安にかられながらも今だ表情を崩さず、同じ体勢のまま立ち尽くしていると、
「ごめんなさいね。楽にしていいわ。」
そう言われてやっと落ち着くことができ、身体の前で手を重ねたまま肩の力を抜く。
そんなモリーナの方に、マリアベルは手にしていた紙を差し出す。
「合格よ。城のパーティーまでの間、よろしくね。」
「え、合格…ですか?」
面接という割には、挨拶と年齢を伝えただけで、面接らしいことはほとんど何もしていない。
驚いてキョトンとし、思わず聞き返すと、マリアベルの顔に柔らかな笑い皺ができる。
「貴方を紹介したコルト侯爵は外交官をなされていていて、人を見る目も高く信頼されている方なの。そんな方の紹介だから、最初から合格は決まっていたの。面接というのは形だけ。」
つまり、コルト侯爵のコネというやつである。
合格と知って改めて宿の女将さんとおじさんのことが頭に浮かぶ。
お世話になったのに、結局、食堂が手伝えなくなってしまった。
でもーーーーー。
モリーナは陛下のことを思った。
城のパーティーならあの陛下が参加しない筈がない。それなら奪われた手紙がなくとも、逢うチャンスなのではないかと。陛下と逢えなくても、せめて村に来ていた使者に逢えれば……。
希望を胸にマリアベルから差し出された書類を受けとると、それらは仕事の契約書1枚、賃金の説明1枚、仕事の詳細な内容と礼儀作法の研修の内容が1枚の計3枚だった。
渡された紙を覗き込むモリーナに、マリアベルが言葉を付け加える。
「城の侍女になれるのは貴族令嬢ばかりで、平民がなることはほとんどないの。だからコルト侯爵のお達しで貴方が困らないように、侍女として働く間はコルト侯爵の遠縁の娘という扱いになるから、そのつもりでね。」
そう言って、マリアベルが契約書へのサイン用にペンを差し出す。
「そんな!そこまでしていただくなんて……私……恐れ多いです。」
ただ宿の食堂で接客をしただけで、コルト侯爵の顔すらわからないのに、そんな優遇をされる理由はない。
モリーナが尻込みして渡された書類を返そうとすると、マリアベルが首を振り書類をモリーナの方に押し戻す。
「それだけリーナのことを気に入ったのよ。私も最初は、身元のはっきりしない平民を城に入れるのはどうかと思っていた。でも貴方が礼をする姿を見て、コルト侯爵の目は間違いないと確信したわ。とうてい平民には見えない立ち振舞いだった。」
モリーナがしたのはあくまで聖女候補時代に教えられたことをしたまでで、特段変わったことをしたつもりはない。マリアベルに言われてもいまいち納得がいかず、モリーナが首をかしげる。
そんな様子に、マリアベルはクスリと笑った。
「貴方の立ち振舞いはどこか威厳があって、高位貴族の令嬢と言われてもおかしくなかった。貴方が聖女様だと説明されても、納得できたかもしれない。貴方はその作法が身に付いていて普通のことだから、納得できないのかもしれないけど、自信をもって良いわ。あまりに風格があったから、13歳には見えなかったわ。宿の食堂で働いていたようだけれど、貴族相手の接客も多く経験したんでしょうね。」
マリアベルはどこか納得したように頷いている。
聖女という単語に、もう聖女ではなくなったと言うのに心臓がドキンと跳ねる。
どうやらコルト侯爵から、モリーナが宿の食堂で働いていたことは聞いているらしい。
マリアベルの言葉で、宿の女将さんが言っていたことをモリーナは思い出した。
自分が対応すると丁寧すぎて、まるで貴人になったような気さえすると。
マリアベルは食堂で働いた経験が活きていると思ったようだが、自分でも気づかないうちに聖女時代の長年の経験が、息をするように自分の身についているのだと思った。ただ聖女時代の経験がある分、子どもらしさがないから、年齢を聞いてマリアベルは驚いたのだろうとも。
「不安に思う必要はないわ。大丈夫。」
マリアベルに、肩に優しく手を置かれる。
そこまで認めて貰えているのならば、それだけの働きをすればいいだけだ。
モリーナは自分を奮い立たせると、返そうとしていた書類を胸元に抱え直した。
「頑張ります。よろしくお願いいたします。」
強い意思を持った瞳をマリアベルに向けると、マリアベルはうんうんと頷いてみせ、ポンポンとモリーナの肩を軽く叩いた。
モリーナが貰った書類の契約書に名前を書こうとすると、モリーナがペンを持つ手に視線をやりながら言う。
「城で働く間は、貴方の名前はリーナ・コルトよ。コルト侯爵の遠縁の娘、リーナ・コルト。契約書には名前だけでいいけどね。」
危うくモリーナと書きそうになったが、言われた通りリーナとだけ契約書に記入する。
リーナ・コルト、リーナ・コルト、リーナ・コルト。何度も脳内で繰り返すことで、自分の名前として馴染むように記憶として刻み付ける。
「コルト侯爵家はあの教皇様の生家で、現コルト侯爵は教皇様の甥なのよ。たとえ短期間とはいえ、その誇りあるコルト侯爵家の名を汚さぬよう、気を付けなさいね。」
マリアベルは人差し指を立て、モリーナにきつく厳命する。
まさかこんなところで教皇との繋がりが出来るとは思わなかった。
教会に従事することになると、世俗と袂を分かつ為、貴族であろうと生家の家名を捨て、自分の名前だけで生きることになる。
だから教皇の生家が侯爵という高位貴族ということを、モリーナは知らなかった。
つまりコルト侯爵の名を汚すということは、教皇にも迷惑がかかかるということになる。
「コルト侯爵様のその厚遇に感謝し、その名を汚さぬよう心がけます。」
モリーナは自分に言い聞かせるように告げた。




