13
「教皇様にお聞かせするような話では……。」
「今はプライベートでステンドグラスを見ているただの爺さんですよ。」
引き下がろうとする私に、教皇は悪戯っぽい笑顔を向ける。
言葉と共に、目尻に深い笑い皺ができる。
彼の顔に刻み込まれたシワは、長い年月を経て得た年輪だ。
長いこと会っていなかった彼からは、威厳と共に人を優しく包み込む大きな器が見える。
自分の祖父は物心がつく前、8歳で両親が亡くなるよりも前に亡くなっている。
自分に祖父がいたら、こんな感じだろうか。
今は前世と違って、教皇より私の方が年下になってしまった。
目の前にいる教皇の、まるで孫を見ているような優しい笑顔に、つい心が動いた。
「知人に……久しぶりに会うことになって、仕事も紹介して貰えることになっていたんです。でも、ダメになってしまって。」
「ダメになった……?」
「はい……紹介状を貰ったんですけど、その紹介状を出したら……私のような娘が貰えるような紹介状ではないと、追い返されてしまって。偽物だと思われたみたいです。はは……は……。」
床に視線を落としてポツリポツリと語った後、から笑いをすると、不意に両肩をガシリと掴まれた。
視線をあげると、彼は眉間に深いシワを寄せてモリーナの顔を覗き込んでいた。まるで自分のことのように怒っているようだった。
「言われてすごすごと帰ってきたのかい?」
教皇の雰囲気に気圧され、たじたじになる。まるで自分が怒られているようだった。いや、多分、私を追い返した相手だけではなく、自分に対しても少し怒っているような気がした。
聖女時代は彼のこんな表情や態度を見たことがなかったので、驚いてしまった。
「え……ええ、違うと言っても無駄みたいな気が……したので……。」
何故、私はこんなに怒られているんだろうか。
頭の中に疑問符が縦横無尽に動き回る中、モリーナが教皇の迫力にしどろもどろに答えると、教皇は先ほどモリーナがしたように深いため息をついてモリーナの肩から手を離すと、自分の額に手を当ててと天井を仰ぎ見た後、モリーナの方に向き直った。
その表情はもう怒ってはおらず、むしろ少し呆れているように感じた。
「その紹介状は、偽物なんかじゃなかったんだろう?ならば君は釈明すべきだった。」
「そうですね。その通りです……。」
教皇の言葉にぐうの音もでない。まったくもってその通りだ。けれど、いくらあの門番に手紙を本物だと頑張ったところで、なぜそんな貴重なものを田舎の村娘が持っているのかと問われれば、言葉に詰まってしまうだろう。
私は聖女モリーナの生まれ変わりで、それに気づいた陛下が私に会いたいと贈ってくれたものだなんて、誰が信じるだろうか。
夢でも見たんだろうと、一笑に付されて終わりだ。
考えてみたら、本当に夢物語みたいな話だと思う。
教皇は再びモリーナの肩にそっと手を置くと、優しく言い聞かせるように告げた。
「田舎の娘だとか、見た目だけで判断して人を侮る相手の意見を受け入れてはいけない。真偽を調べもせずに、見た目だけで相手を判断するなんて間違っている。その人物の怠慢だ。」
教皇のその言葉がきっかけで、赤髪の門番が教えてくれたことを思い出した。門番にだって、理由はあるのだと。
「で、でも……私の前に偽物を持ってきた人がいて騒ぎになったみたいで。」
モリーナが付け加えた言葉に、教皇は更に畳み掛けた。
「ならば尚更、きちんと調べる必要がある筈だろう。偽物を持ってきた人の風体がいくら怪しかろうと、それは君にはまったく関係のない話だ。」
またもやぐうの音もでない。
私はもっと、門番に反論すべきだった。
「おっしゃる通りです。」
モリーナが項垂れると、教皇は私の肩から手を降ろして、明らかに気落ちしたモリーナを見て頭をかいた。
「すまない。少し私情が入って、きつい言い方をしてしまったかもしれない。」
「私情……?」
モリーナが面食らうと、教皇は苦笑し、何かを思い返すように天を仰いだ。
「友人でね、人のことには一生懸命なんだが、自分のことになるとすぐ諦める癖のある人がいたんだ。ある役職についてからは、更にそれが顕著になった。その人に君の雰囲気が似ていたから、つい熱くなってしまったよ。」
そう告げる教皇の顔は、少し悲しそうだった。だからすぐに気づいた。既に亡くなっている人のことなのだと。
「友人に直接アドバイスとして言ってあげたかったけれど、立場が立場なだけになかなか言えなくてね。だから代わりに君に言わせて貰うよ。何でもすぐに諦めようとしてはダメだよ。」
「はい。気を付けます。」
教皇は目の前の田舎からきた娘に言っているつもりなのだろうけれど、何故か、聖女時代のモリーナ自身に言われたような、そんな気がした。
「明日にでも、もう1度紹介先に行って、頑張ってみます。」
「もしそれでも難しそうならば、またここに来て、私を尋ねなさい。一筆書いてあげよう。」
「ありがとうございます。」
流石に教皇の名を借りてしまっては、かなりの大事になりかねない。そこまでしていただく道理はない。今は教皇と、田舎から出てきた村娘という関係でしかないのだから。
モリーナが何度も頭を下げて礼を言ってその場を去ろうとすると、少し離れたところから教皇が大きな声でモリーナを呼んだ。
「聞くのを忘れていた。君の名前は何かな?」
名を聞かれて、思わず口ごもる。
聖女にあやかって名前をつけられた人なんて山ほどいる。住んでいた村にも先輩聖女と同じ名前の女性が何人もいて、不思議な感覚に囚われたものだ。
自分が聖女モリーナの生まれ変わりでも何でもない、ただ聖女にあやかって名前をつけられただけの村娘ならば、何の躊躇いもなく名を告げられただろう。
言葉を発そうとしないモリーナの方を、教皇が不思議そうに見ている。
その表情を見て、モリーナは頭が冷えた。
聖女が生まれ変わって新しい生を得ているなんて誰が信じるだろうか。
夢物語みたいな話だと、自分でも思ったじゃない。
モリーナは、ただの村娘には分不相応ともいえる聖女の名を口にした。
「モリーナです。」
その声は偶然にも、同じタイミングで大聖堂の内に鳴り響いた大きな鐘の音で、かき消された。
きっと、教皇にその声は届かなかっただろう。
それならばらそれでいいと、モリーナは改めて教皇に向かって頭を下げると、その場を辞した。




