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 これから、どうしよう……。



 モリーナは宿に戻る気分にもなれず、ただ力なく通りを歩いた。

 陛下と会うという目的への道を断たれてなす術もなく、何の宛もなく。

 歩いた道筋を逆に進めば、先ほど通りすぎた市場が目に入った。市場は変わらず活気に満ち溢れていて、昼も近くなってきたので食事の屋台に並ぶ人の列が長くなっている。

 辺りに漂う肉を焼く匂いに、自然とお腹がなりそうになる。あまりに美味しそうな匂いに嗅覚が刺激される。ソースを塗った肉を焼くなんともいえない匂い。

 前世の聖女候補時代、同じ聖女候補だった友人と、屋台で肉串を買ったことを思い出した。



『市場にある赤い屋根が目印の肉串が美味しいのよ。店長さんが、 いい男なの。奥さんいるみたいだけどね。』



 そう残念そうに言う友人と屋台に並んで、出来立ての肉串を頬張ってその美味しさに目を丸くして。

 束の間の自由時間に友人と宿舎から出て市場に出かけるのは、楽しみの1つだった。

 過去を思い出しながらつい市場に足が向かい、人混みを掻き分けてたどり着いたのは、1つの屋台の前。赤い屋根の、肉串のお店。



「いらっしゃい!いらっしゃい!」



 威勢のよい掛け声の若い店主。店主が注文を受けて、その妻なのだろうお腹の大きい女性が、時折愛おしげにそのお腹に触れつつ袋に肉串を詰めて、慣れた手付きでお金を受け取って袋を客に渡す。

 屋台の奥で、歳嵩としかさの男性が肉を火にかけている。その男性の顔に、見覚えがあった。

 紛れもなく、友人とよく買いにいった当時の屋台の店主。

 普通の、ごくごく普通の幸せな家族の姿がそこにあった。周囲を見回せば、子どもを連れて市場を歩く家族が目に入る。夫婦、友人同士、仲よく笑いながら歩く人の営み。

 前世の自分が、得られなかったもの。

 かつて王子に問われて願った、当たり前の幸せ。

 ああ、塔の外では、当たり前のように時間が過ぎている。それをいやというほど実感させられた。


 聖女は、輝石の力で身体の老化すら止まる。聖女だけが、止まった時の中に取り残される。

 さながら祈りの塔の中は、聖女にとって針の止まった時計。

 祈りの塔は、止まった『時』の象徴。

 聖女だけが、普通の営みから隔絶された場所にいる。

 モリーナは今はもう普通の営みのうちにいるのに、そんなことばかり考えてしまう自分が嫌だった。それほど、前世に失ったものが大きいように思えた。失ったものばかりではないけれど……。

 遥か遠くに視界をやれば、その祈りの塔が目に入り、拳を握りしめた。



 この場にいると暗い考えしか浮かびそうになくて、人の隙間を縫って闇雲に走った。時々、人にぶつかって謝って、それでも走って。ついにある場所にたどり着いた時、闇雲に走ったと思ったのに、無意識に知った道を走っていたのだと気づいた。

 聖女候補時代に宿舎が隣接していた、荘厳な大聖堂。当時と変わらぬその姿に懐かしさを覚え、モリーナは礼拝に向かう人の流れに身を任せて、中に足を踏み入れた。



 大聖堂の天井には幾何学模様のステンドグラスがびっしりと埋め込まれ、差し込む光が白地のモルタル壁にカラフルな色彩の影を作る。太陽の動きに合わせてその光景も様変わりするので、大聖堂は多くの観光客が訪れる観光地の1つになっていた。


 聖女に選ばれるまでは毎日のように通い詰めた大聖堂。そのステンドグラスの美しさに魅せられて、当時は友人に声をかけられなければ何時間もステンドグラスを見上げていた。


 ステンドグラスの光を辿って視線をおろすと、神官が神事の時に立って話をする祭壇がある。その祭壇の向こうに神を模した白い像が配置され、その白い像は人の頭ほどの大きな輝石を抱き抱えるような姿をしている。

 どこの教会にも配置されているその像の腕の内にある輝石は、窃盗を避けるためにガラスで作られた模造品だと、聖女候補時代に神官に教えられた。模造品だとわかっていても、そのガラス製の輝石は本物に驚くほどそっくりで、本物を知っている人も間違えそうなほどだった。

 模造品は全体が薄い紫色だけれど、本物は中心にいくほど赤みがかった紫色が濃くなっている。ただ聖女候補か聖女本人、聖女の側仕え、輝石の管理に関わる神官や護衛の兵士、もしくは鉱山で輝石を発掘する職員でもなければでも本物は見たことがないはず。だから一般の観光客は、目の前にある模造品を本物だと思っているだろう。



 昼が近いので食事を摂る為か、次第に聖堂内にいる人の数もまばらになってきた。

 モリーナはガラス製の輝石から視線を下ろすと、祭壇に向かって何列も並ぶ長椅子の1つに、見覚えのある人が座っている気がして二度見した。



「教皇……様………?」



 モリーナを王の導き手に選んだ人。

 自分が聖女候補に選ばれた時、10代だというのに異例の早さで出世して司祭になっていた人。

 本人なら、80をとうに過ぎている年齢。

 まさか教皇ともあろう大物が聖堂の長椅子に座っているなんて思えず、人違いだろうとは思いながらもつい口にだしてしまったところ、モリーナの声に反応したように男性がモリーナの方に振り向いた。

 最後に会ったのは亡くなる1年程前だった。

 その頃も髪は白髪交じりだったが、更に髪は白髪が増え、少し地肌が見えかけている。

 祭服を着ておらず、観光客と変わらぬ旅装に近い服装をしていていたので分かりづらかったが、教皇で間違いなかった。


 教皇はモリーナに気づくと、いたずらがバレた子どものように笑い、長椅子から立ち上がった。



「バレてしまいましたか。あまり気づく人はいないんですが、月1で神事をしますから、たまに分かる人もいるんです。」



 教皇は穏やかそうな笑みを口元にたたえ、モリーナの近寄ってくる。聖女時代は似たような背丈だったが、今は教皇の背の方が高くて見上げる形になる。

 モリーナは前世の癖でつい跪きそうになり、腰を屈めかけたところで気付き、慌てて頭を下げる様に体勢を変えた。

 向こうは自分がモリーナの生まれ変わりなんて知らないし、普通の娘が貴人に対して跪くなんて行動をするはずがないのだから。

 つい陛下にしてしまった時のことを思い出して、頭を下げながら口元を緩めた。



「頭をお上げなさい。今はプライベートなので、ただの爺さんだと思ってください。」



 そう言う教皇に肩を優しく叩かれ、顔を上げると教皇は続けた。



「神事の時はゆっくり見上げる暇もないので、たまに観光客に紛れてステンドグラスを見に来るんですよ。」



 そう言ってステンドグラスを見上げる教皇につられるように、モリーナも再びステンドグラスを見上げた。天から差すステンドグラスの色彩が、なんとも美しい。見ている間だけは、憂いを忘れたい。宛にしていた仕事のこととか、これからどう王都でどう過ごすべきか……とか、どうやって陛下と会うべきなのか……とか。

 考えないようにしようとすると、その事ばかり頭に浮かんできてしまうものだ。

 モリーナがついため息をつくと、教皇に肩を叩かれた。



「何か悩み事でも?」


「え……あの………。」


「随分と憂いた顔をしているようだったので。」



 教会は神事を行うだけではなく、司祭に心の内を告げる悩みの相談所という一面もある。家の悩みだろうが罪の懺悔だろうが、教会の司祭は否定せず受け入れて聞いてくれる。

 話すだけで楽になると、モリーナが住む村にもある教会に話をしにいく村人はわりといた。

 でもまさか教皇という偉い立場の人間に聞いて貰うようなことではないので、モリーナは流石にためらった。

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