招かざるもの
彼の王が集めたと見られる木の実や葉の類いは、研究者達の興味を大いに引いた。それだけでも、暫く調べものは尽きない程だ。
隠されていた道具は、原始的な石や木で作られた物が多かった。だが知識と目的がなければ、これほど用途がはっきりした道具を作ることは出来ないだろう。
元より熱心に漁る研究者や、段々調査への気持ちが高まってきた衛兵たちが、事一層騒ぎながら“お宝探し”を始めたのは言うまでもない。
倒木の影に見つけた住居の入り口から、ウィリアムも思わず身を乗り出して見入ってしまう。途中でエリオに肩を叩かれて、往来の多い入り口から少し離れた。
「やれやれ。これじゃ略奪者と言われても仕方無いな」
エリオは見ていられないと、呆れた様子で肩を竦めた。
「でもこれは、必要行為ですよね?」
思わずウィリアムが首を傾げると、隣でティミトリィに苦笑された。
「俺らからしたらな。けど、あちらさんからしたら、これだけ色んな奴にどかどか荒らされたら、堪ったもんじゃねえだろうな」
「はあ……なるほど」
解ったような、解らないような。ウィリアムの曖昧な返事に、ティミトリィは肩を竦めた。
「例えば自分の部屋に、この人数が押し寄せたって考えてみろよ」
「こんなに沢山の人は入れません」
「いやいや、それだけか? 部屋の中、じろじろ見られたら? 何か隠してないかって捜されたらどう思う?」
「まあ……嫌ですね」
「そういうこった」
研究だなんて言っているが、やってることは一緒さ。そこまで言われて、初めてウィリアムは自分達の行ってる事を理解した気がした。途端、なんだかこの場に立っているのも、気まずく思えてならなかった。
「ウィル、逃げるな。よく見ておけ」
ウィリアムの居心地の悪さを感じたのだろう。エリオは辺りを伺っていた後に、真っ直ぐにウィリアムを見据えていた。
「これは必要行為だが、決して振りかざしていい正義ではない。ただ、私たちは騎士団に所属する者として、役割を果たさないとならない」
解るか、と問われて、ウィリアムは頷くのを躊躇った。
恥ずかしかった。自分の短慮さにすら、気が付いていなかったのだと。新人と言われても仕方がない。
口元をへの字に歪めて、困った様子で恐る恐る頷いたウィリアムの頭を、エリオはわしゃわしゃと雑に撫でた。
「解ればいいさ。お前は賢い」
力強いたった一言に、これほどまでに救われる。
「ウィル――――いや、ウィリアム。お前なら、その時何が最良か考える事が出来て、それを行動に移せるだけの騎士になれると私は信じてるよ」
「そう、でしょうか」
怖々と呟いた声は、恐れを多く滲ませていた。エリオはそれを打ち消すように鼻で笑った。
「自信がないなら、自分の目で周りをよく見ろ。周りの肩書きに従うよりも、自分の価値観で物を考えろ。そうすれば、自ずと何に気を使うべきか見えてくるから」
「…………はい」
「それまでは、習うといい。教え乞うといい。無知のままは恥だ。知る機会は今ここにある。ならば学べ。知れば恐れる事はない」
そうか、と。ウィリアムは目の前が途端に晴れた気がした。
「……はい、隊長。研鑽を積みますので、これからもご教授願います」
「ああ。お前が努力出来る奴だと知っているよ。私も協力するさ」
頷かれて、心強い。
ならば、と。
この現場を見ることが出来る一人として、当事者ではなく、第三者の目線で見られる数少ない唯一として。どんなことをしたのかと聞かれたときに答えられるように、出来る限りのものを見ておこうと、ウィリアムは顔を上げた。
清水は驚くほど澄んでいる。森の奥のずっと奥から涌き出るそれは、間違いなく森や生き物達の命の水であるだろう。
恐らくそれは、森の外の国と森とを分断しているあの川、あるいは国の水源に違いない。それだけでも、自分達は森の恵みを受けている。
辺りの倒木は、最近倒れたものなのだろうか。森の中を歩いていた時は、土よりも枝葉が積もりふかふかとした感触が多かった。
それにしても一帯の木々は大きい。どれもこれも、三人ほどが手を繋ぎ輪を作って囲えるかどうかだ。林冠が、とにかく高い。
しかし、清水の側の一帯だけは様子が違う。緩やかな傾斜の上方は、岩が多く剥き出していて、岩と岩の窪みに土が溜まっているくらいだ。踏み荒らしてしまったせいか、そのあたりは特に、泥と水でぐちゃぐちゃになってしまっている。
岩の足場から勾配の下の方を見ると、倒れた木の根が壁のようにせり上がっている。あるいは上方にて折り重なっており、見えた岩の影に、彼の王の住まいを隠していた。
体力のある衛兵たちの仕事は早くて、倒木の枝葉を切り落とし、行き来の足場をすっかり確保していた。
中はあまり広くないのか、そこから衛兵たちがせっせと物を運びだし、研究者たちは物色する形を気がつくと取っていた。
崩れた天井は、倒木の影響だろうか。何にしても、薄暗い居住の中を、随分と見えやすくしていた。
崩れた天井がつもる向こう側、彼の王の居住の奥には、空洞が広がっているのだろうか。
「あ……ねえ、隊長。今、あの奥の方で何か動きませんでした?」
「ん? どこだ?」
あそこ、と。ウィリアムが伝えるまでもなかった。丁度同じように、奥に気がついた衛兵の誰かがあっと声を上げていた。
「おい、坊主! 大丈夫か?」
その声は、一瞬で辺りに状況を理解させた。
その暗がりは、手前の王の住居区画から、隔離するように天井が落ちていた。よくもその奥までも崩れていなかったものだと、感心してしまう程だ。
崩れた天井の向こう側にも、やはり空洞はあった様だ。しかし格子のように木の根が行く手を阻んでいた。もしくは、だからこそそこは崩れずに済んだのかもしれない。
中に座り込む小さな姿は、蔦にからめとられて身動きが取れなくされていた。
「あのバケモノ、子供をこんなところに閉じ込めるなんて」
枯れ草のような色合いの髪はくたびれていて、その子供が、長らくそこに閉じ込められていた事を示すかのようだ。あどけない表情は涙に濡れていて、酷く憔悴しているのが解る。
「安心しな、ボウズ。すぐにこんなの外してやるからな。おーい、誰か、ナイフを持っていないか? 手を貸してくれ!」
「………………う……して……」
ただ、衛兵の呼び掛けに答える事はなく、気を漫ろのまま、何かをぼそりと呟いていた。余りの恐怖に、正気ではいられなかったのかもしれない。
「怖かったな、ボウズ。すぐだから待ってな」
衛兵たちの連携は手慣れたものだった。手早く根を断ち切って、出入りに不自由な礫を取り除いていた。
やがて、その小さな姿を捕らえていた蔓を断ち切ると、衛兵の男は手を差し伸べた。
「よおし、もう大丈夫だ。ボウズ、立てるか?」
「……どうして、ボクにやらせてくれなかったの」
だが、その手が掴まれることはついぞなかった。
「ん? がっ……」
「お、おい……?」
心配そうに覗きこんだ男は刹那、酷い衝撃を腹に受けて、苦しげに呻いた。否、衝撃だけでは済まされない。男の腹を、何かがつき破っていた。
後ろで待っていた別の衛兵が、状況を理解できなかったのも仕方無い。
それが、一瞬の内に鋭く伸びた根だと、一体誰が気がついただろうか。
「そしたら……こんなやつらになんか……!」
ゆらりと立ち上がったその姿は、小さな子供のようだ。
それが、解き放ってはいけない者だったと、一体誰が解っただろうか。
「返して」
キッとその子供は辺りを、大人達を睨み付ける。まるで呼応するように、周囲の木々がざわめいた。
その小さな姿からは考えられない程の、存在感と圧力を放っていた。
「ボクたちの王様を返せ」
その圧力に、誰もが一瞬動けずにいた。その“一瞬”が、命取りだった。
「返せよ!!!」
叫びと共に、一帯の低木が牙を剥く。襲い来る驚異に、唯一エリオがハッとして動いた。
「全員退避せよ! 衛兵共、剣を抜け!」
叫ぶと共に、得意の速射で衛兵達に襲いかかっていた初手の枝を撃ち落として、前に出た。転んだ誰かの首根っこを捕まえて、力任せに広い方へと投げる。
「第四隊は火弓を構えろ! 枝を撃て! ぼさっとするな!」
それが引き金となった。
「ねえ、ボク達のお家を荒らしたのは誰?」
小さな姿は、一番近くで腰を抜かして動けなくなっていた姿に目を向けた。その手に握っていた木製の器を見据えた途端、辺りの空気がより一層冷えた気がした。
「ねえ、それ。誰が触っていいって言ったの」
周りが動く余裕も、息をつく暇も、与えられなかった。次の瞬間には太い蔓が殺到していて、そこに動けなくなっていた研究者の姿は無くなっていた。
からん、と。落ちた木の器の乾いた音と、卵か何かを握り潰したような鈍い音が、やけに響いて聞こえた。
「……あ、どうしよう。汚しちゃった」
そこにあった筈の姿が、いとも簡単に失われた。その光景は、一帯を恐慌に陥れるには十分だった。
争いに免疫のない学者も、戦った経験がある筈の衛兵も。兎に角その場を離れようと、駆け出した。
「なんなの、ほんと。煩いな……」
だがかえってそれが目についたのかもしれない。一際悲鳴を上げながら先陣を切っていた誰かが、細い蔓に絡め取られてしまっていた。
近かった衛兵が切りかかるよりも早く、煩わしいと首を折られて静まった。
「こんなに散らかして怒られるかな……でも、ドロボウやっつけたら誉めてくれるかな……」
余りにも一方的で、余りにも物理的な距離が効果を成していない。唯一の救いは、小さな姿が意識を向けなければ今のところは襲われない、ということだ。
やむを得ないか。
エリオがそうぼやいたのを、ウィリアムとティミトリィが聞いていた。
「焼きますか?」
静かに尋ねたティミトリィは、すでに隊がまとめて置いていた荷の燃料の元に、ゆっくりと移動している。許可さえ貰えれば、即座に行動すると言わんばかりだ。
「やむを得まい。退路の確保にぶちまけろ!」
「ああ」
「ウィル、そこのランプを落とせ」
「え、でも……!」
そんな事をすればどうなるか。その迷いに、固まった。
「従えウィリアム!」
エリオの強い言葉に、ウィリアムはびくりとした。
彼女がここまで言うのは珍しい。だからこそ、躊躇ったのは一瞬で、慌てて言われ通りに置かれていたランプを投げ落とした。かちゃんと、小さな音ともにランプの燃料もこぼれだし、灯していた火が広がった。
それと同時の事だろうか。
「まあでも、ぜーんぶやっつければきっと、とっても褒めてくれるよね!」
嬉しそうな声に呼応した森が、動いた。
燃料を得た炎が、青い筋となって広がった。
逃げ惑う人と、上がる火の手、双方が異常を認めるにはあまりにも情報が多すぎた。
混乱が、逃げ惑う者達を増やしていた。
だが、火の手がない場所に逃げたものは、真っ先に串刺しにされ事切れていた。
「お前ら走れ! あっちだ!」
その中で、エリオだけが渦中へと飛び込んだ。明後日の方へ逃げようとする姿を、ウィリアム達の方へと蹴りやった。
時折ブィンという鈍い音と、矢が空を切る音が、退路を確保しているティミトリィの元から聞こえて来た。
「隊長! 天井が!」
ティミトリィの側でうろたえ、エリオから目が離せずにいたウィリアムは、ハッとして声を上げた。それに直ぐ様反応し、険しい表情で身を翻していた。
元々崩れていた天井だ。木々が動いたせいで、不安定になっていても可笑しくはない。
ギリギリというところで、エリオは落石を免れた。彼らの方に滑り込んでくると同時に、即座にウィリアムの肩に手を置いた。
「いいかウィル! 今から言うことよく聞け!」
「……っ、は、はい」
ただならぬエリオの様子に、ウィリアムは必死に頷いた。それがかえってエリオの毒気を抜いたのだろう。いつもの口元の笑みを取り戻すと、真剣に告げた。
「灼鉄鋼の鉄粉は持ってるな? それを目印に撒いて森を突っ切れ。野営地に戻ったら誰でもいい、隊の者にコード三十で人手を頼め。そしたらその足で城に行け」
「城、ですか?」
「団長に知らせろ。四番隊だけでは恐らくこの先手に負えない。助けを求めろ。いいな?」
「っ……でも、隊長達は……!」
「安心しろ。ティムもいる。足手まといがかなり多いが、どうにかするさ。衛兵共は戦えるだろうが、この場で統率して戦えるほど役に立たない。お前だけが頼りだ」
「わ……解りました。必ず、すぐに呼んで参ります」
灼鉄鋼の鉄粉を詰めた袋の底を、ナイフでわずかに破り取る。ウィリアムはもう、躊躇わなかった。
「どうか御武運を」
「お前もな。頼んだ」
後ろ髪引かれながらも、走り出す。珍しく微かに笑ったエリオの表情が、堪らなく不安な気持ちにさせた。
* * *
状況は、最悪だった。
水場だと言うのに、燃料のお陰で随分と火の手が上がっていた。下手に他所に逃げれば、あるいは森に襲われ火の手に襲われ、命は間違いなくないだろう。
失った命は、決して少なくない。
「隊長、今のが最後です!」
しかし、背中からかかった隊の者の声にエリオはホッと胸を撫で下ろした。どうやら仲間達は、上手くやったらしい。
増援は、ウィリアムが去ってから程無くして到着した。彼が如何に必死に向かってくれたのかが、伺えるようだった。これならどうにか本隊が来るより前に、森から皆が出ることくらいは叶うかもしれない。
お陰で多くの学者、あるいは衛兵を逃がすことに成功した。
案の定、役に立たない衛兵だったな、と。ちらりと考えたのはやむを得ない。王の采配に口を出すほどエリオも愚かではないが、もう少し楽がしたかったものだと苦笑する。
「よくやった! だが森を出るまで気を抜くなよ! すぐ追う!」
「はい、お気を付けて!」
幸い、敵意はティミトリィに向いている。エリオを背に庇うように立つ彼の剛弓は折られてしまい、長剣を奮っていたのなら、仕方のない立ち位置だった。
「ティム、下がれ! もう十分だ」
「そうしたいのは山々なんすけどねぇ、悔しいことに隙がないんですよ」
まだ笑う余裕はあるようだが、じりと踏み締めていた足元は、ほんの微かに震えていた。
ティミトリィ程の男が臆するほど、か。一身に受けるその敵意が、どれ程大きいものなのか計り知れない。
目の前のこの小さな存在が、如何に巨大なものなのか、否応なしに理解してしまう。
「あーもう、お前邪魔だってば!」
鞭のような枝がティミトリィを襲う。それらは難なくいなして、断ち切っているものの、集中力の消費と周りの熱に、玉のような汗を流していた。
「っ……!」
恐らく汗が目に入ったのだろう。一瞬出来た隙が、命取りだった。
それまで硬く、貫く事を目的にしていた枝葉とは違い、襲ってきたのはしなやかなものだった。だからだろうか。硬さに刃を滑らせ断ち切ろうとしたティミトリィの剣は、柔らかく受け止められた事で、かけた力が空ぶった。
「なっ……」
「死んじゃえよ!」
瞬間、鋼が撃ち鳴らされた鋭い音がした。その衝撃に、ティミトリィの腕は弾かれて、剣をついに手放してしまった。遥か火の手の向こうで落ちた音が虚しく響く。
「しまっ…………!」
「ティム!」
殺到する。
すがる思いでエリオは矢をつがえ速射を繰り返した。
穿った矢は、致命傷になりかねないとどめをどうにか軌道をずらしていた。
だが、ずらすことだけが精一杯だ。
「ぁぐっ……!」
目の前で、その逞しい背中が強張った。刹那には、弾かれたように後ろに倒れこんだ。
「ティム!」
エリオは咄嗟に、辺りに燃え盛る火の中に矢をぶちまけた。燃やした矢を、小さな脅威に向かって放つ。
火と灼鉄鋼が反応したせいか、通常よりも触れる矢はかなり熱い。軸から上がる煙は、木であるはずなのに煙が出る程高温だった。
だが火の熱さなんぞ、エリオには構っていられなかった。一瞬の火力にしかならなくても、時間をかけてしまえば矢が燃え尽きてしまうとしても、少しでも敵の勢いを削ぎたかった。
「ああもう!」
流石のそれも、灼鉄鋼の熱ではなく、火の手そのものは苦手らしい。
僅かに出来た隙を、エリオは逃がす訳にはいかなかった。
手にしていた弓を放り捨て、エリオは即座にティミトリィに駆け寄った。下手に動かして大丈夫なのか、怪我の様子を確認している余裕もない。
「ぅ……あ、たいちょ……にげ……」
「黙れ。死ぬなよ、ティミトリィ!」
片足を上げさせ、膝を立てた自分の足の上に置いた。即座に転がり、遠心力を借りて肩に一息に担ぎ上げた。
少しでも、遠くへ。燃え盛る炎も構わず、エリオは急いだ。ずしりとかかる重みと、僅かに息をしているらしい事だけが、今のエリオには頼みの綱だった。
「逃がさないんだからぁ!」
追ってくる。その脅威は先回りするように、辺りの森に呼び掛けた。無数の鞭が迫るような、空を切る音に流石のエリオも覚悟した。
それでも最後の一歩まで、少しでも遠くへ逃げようとした。
だが、その時だ。小さな脅威に異変が起こった。
「ぇ……あ……どこ? どこにいるの?!」
森の追従は、指示を失ったせいか襲ってはこなかった。何が起こったのか確認したいという気持ちもある反面、今こそ逃げなくてはならないと、決して振り返りはしなかった。
「ねぇ……どこにいるの! 怖いよ、ひとりにしないでよ!」
追ってくるのは迷子のような、不安な声。懸命に何かを探しているかのようだった。
「隊長! ご無事ですか?!」
そしてまるで救いのように、戻ってきた仲間達の声が聞こえた。
こちらから気の反れた、今しかないとエリオは声を張った。
「問題ない、退避する! 走れ! 戻れ! 蹴り飛ばされたいか?!」
最早形振りなんぞ関係なかった。ただがむしゃらに、エリオはウィリアムを担いだまま、懸命に走って、戻ってきた仲間達を追いたてた。
「ここ……? ここなの? すぐにそっちに……やだ、やだ!! ねえ!」
その遥か後方では。何かを探し続ける声が、今にも泣きそうな声が、誰かにずっと呼び掛けていた。
「置いてかないでよ、エガ!」