王と王
がらがらとやかましく音を立て、重々しい鉄格子が上げられる。跳ね上げ式の城門は、厳かに開けられた。
帰還を知らせる音色を、再びファンファーレが告げる。そして演奏部隊は解散した。
門をくぐった騎士団の本隊は、従騎士や騎士見習いたちに迎えられて、駐屯所の脇を抜けて厩舎へと向かっていった。既に馬を預けた各隊長数名は、一足先に駐屯所へと足を運ぶ。
そんな彼らに深くお辞儀をして見送ったフィリアは、檻と共にやってきた姿を迎えた。
「ルノ団長、お疲れ様です!」
思わず彼女の表情は綻んだ。それにつられたのか、パレードの間貼り付けていたような笑顔だったルノ・アレスベルトは、初めて微笑んだ。
「ただいま、フィリア。早速で悪いんだけど、急ぎ謁見に行かないとなんだ。付き添い頼めるかい?」
「はい! 迎えが来るので、広間に向かうようにとお伺いしてます。こちらへ」
フィリアはルノから手綱を受け取ると、近くの従騎士達を呼んだ。彼の馬と檻を引いていた馬たちを連れていくよう指示した後に、すぐにルノの後を追う。
檻を積んだ荷車が、馬から人へと運び手を変えて後をついてくるのを確認しつつ、武装を解いたルノから大事に剣を受け取った。
いつもならば、謁見の間に向かうしばしの間に、遠征中にどんな出来事があったか教えてくれる。だがしかし、脇からこっそりと伺ったルノの表情は、柔らかく微笑んでいながらも、どこか困ったように見えた。
「ごめん、フィリア。詳細はまた後でね」
恐らくフィリアの様子を察知したのだろう。こちらに視線もくれることなく、ルノは小さく告げた。
今日は後続もいるからと言われては、フィリアも大人しく頷くしかない。
「はい。では、こちら戻しておきますか?」
「いや、念のため側に」
「承知しました」
珍しい、と。思っても口にはしなかった。
報告と謁見だけを行うのに、それほど危険が伴うかもしれない相手という事なのか。勘ぐらずにはいられない。
普段であれば、兵舎の裏から最短で謁見の間に行っていた。しかし、今回ばかりは檻を連れている事もあって、城内でも広い道を選ばざるを得ない。
警護に準ずる衛兵たちも、人目につかないように雑務をこなす下女中たちも、なんでもないフリをしていながら通りすぎる団長、あるいは異形の王に興味津々のようだった。
誰もがこちらを伺っていることに、それほど大きな事を成し遂げたのだとフィリアは肌で感じ取った。自身がそれを成していないというのに、きっと誰も自分の事を気に留めている訳でもないのに、自然と誇らしくなって背筋が伸びた。足取りが、いつもよりも軽い気がする。
そんな彼女の心の変化が解ったのだろう。ルノは表情を柔らかく見せる笑みを浮かべたまま、そっと目を伏せ先を見据えた。
フィリアの案内で、いくつかある広間の区画へと入る。途中、一行は近衛兵を連れた宰相シグムントに迎えられた。
ルノが足を止め礼を取ると、自然と後続も止まる。
「騎士団団長ルノ・アレスベルト。森の王の捕縛成功につき、ただ今帰還いたしました。報告の為、ゼスガルグ王との謁見を望みます」
はっきりと告げると、頭髪こそは白髪が多く混じっているものの、辣腕を奮い幾人もの貴人を泣かせてきたという鋭い眼差しが重々しく頷いた。
「大役ご苦労。青伊吹の間にて、王は御待ちだ」
「承知しました」
「ああ。来なさい」
多忙を極めるシグムントまでもが顔を揃えた事に、いよいよ浮わついていいだけの事ではないのだと、ルノを除く誰もが知る。一行は、城の中でも一番飾り気の薄い青伊吹の間へと招き入れられた。
その部屋は、殺風景という言葉がよく似合う。絨毯すら敷かれていない石造りの部屋は、壁が白く塗られていなければ間違いなく要塞の中と錯覚してもおかしくない。
城の外郭に近い青伊吹の間に、警護の都合上、王が来ることはまずない。そもそも、使われる事すら希だ。外部から大きな物を売りに来た商人が、その荷馬車ごと入城し待つ為の間とされていた。何か事が起きたとしても、駐屯所が近い為に外部の者を招くのに最適というくらいだ。
そんな場所に、国の重鎮が顔を揃えるというのも珍しい。フィリアを始めとする駆け出しの者たちにとって、息の詰まる緊張感に包まれた瞬間だった。
シグムントが青伊吹の間の前に立つと、立つタイミングまで知っていたかのように中から扉が開けられる。
「失礼します」
当たり前のように踏み入るシグムントに続き、ルノと後続は控えるように並ぶ。本来対話と交渉の場としてある筈のテーブルやソファは片付けられ、一人の男が一行を迎えた。
その男こそ、この国の頂きに立つ男に相違ない。国王ギルフォビオ・ゼスガルグは、待ちわびたと言わんばかりに組んだ腕をほどいた。
初老に差し掛かるその表情は、決して穏やかなものではない。宰相と共に他国との国境と、魔境の森からの驚異から民を守るために、常々気を配っていては無理もない。
真っ先に入室した姿に向けた睨むような視線は、歴戦の風格すら感じさせるほどだ。事実、ギルフォビオは王として長く国境の戦線に自ら立っていた。その実力は現役の騎士より衰えても、なお健在だ。
「アレスベルト」
低く呼ばれ、ルノは佇まいを正して跪く。
「はい」
「此度は大義であった」
「勿体なきお言葉、恐縮にございます」
流れるような動作で、ルノは騎士として礼をとった。
深く頭を垂れたルノに習って、ハッとしたフィリアも慌てて跪き、頭を下げた。慣れない場にぴりぴりとした空気感に息を詰まらせていたのも、彼女くらいではないだろうか。
檻を任されていた目下の者たちは、緊張のあまりか、当に目を開けたまま意識を無くしているようだ。そんな些細なことを指摘するほど、ギルフォビオは器の小さい男ではなかった。
「そこの者を前に」
ギルフォビオが告げると、入り口に控えていた近衛騎士が動く。それに合わせてルノはちらりとフィリアたちを伺ってから、自ら檻の鍵を開けに立った。
抵抗どころか、身動き一つ取ろうとしない姿を、ルノはまくり上げたレース越しに見やる。拘束と封印を重ねていれば動けないのも当然ではあるが、彼の森の王は些か静か過ぎた。
ルノは訝しく思って凝視して耳を澄ますと、微かに何かを囁いているのが聞き取れた。一体何をと思うよりも先に、強く腕を引かれ身体を起こす。
驚いて振り返ると、近衛騎士達が痺れを切らしたらしい。せっかちな、と。内心で溜め息をこぼしながらも、それを口にする事なく身を引く。乱雑に扉が開けられ、彼らが押し詰める様を他人事のように見ていた。
同時に、こんなものなのか? と、疑問を感じていた。
だが、周りの近衛兵たちにとっては、そんなルノの戸惑いも知った事ではない。主君の望むものを引きずり出そうとするだけだ。
身動きが取れないように拘束された腕を両側から掴まれても、彼の王は動こうとしなかった。まるで心はここにないかのようだ。
「チッ、さっさと出ろ。王の御前だぞ」
近衛の一人が乱雑に連れ出すと、即座に両脇を固めて頭が低くなるように拘束する。それさえも気にした様子もないままだった。
余りにも自身の状況を省みない姿に、苛立ちを感じずにはいられなかったのだろう。
「こいつ……!」
「待て」
こちらに気を戻してやろうと殴りかかった姿を、ギルフォビオは止めた。
「魔境の森に君臨する者よ、何故我らが使いの者を送って呼び掛けている内に、応えなかった。さすればこのような手荒な事はしなかった」
「…………るせえな」
囁やかれた言葉に、近衛だけが反応した。すなわち、ギルフォビオが止める間もなく、即座に地に叩きつけるように組み平伏させていた。
やれやれとシグムントがぼやくのを、ギルフォビオが耳聡く聞いていた。目線一つ近衛騎士たちにくれて、止めさせる。
押さえつけられた姿にも、動きがあった。
腕を取られて押さえつけられている為、身動きそのものは取れない。しかし、微かに顔を上げて辺りを伺ってる様子から、初めて自分が何処にいるのか理解したようだった。
手入れのされていない髪の向こうから、唇だけが詰まらなそうに歪んだ。
「誰だ、お前ら」
低くも、高くもない。少年にも聞こえなくない声が素っ気なく呟く。決して大きな声でないと言うのに、緊張感も相まって、妙に響いて聞こえた。
彼の問いに、宰相が答えた。
「魔境の者よ、こちらはゼスガルグ王だ。此度、貴殿は我らが王の捕虜となった」
「王?」
不思議そうにしていたのは一瞬の事。
「ハッ。笑わせんな。てめえら人間の価値観を、俺に押し付けるな。目の前にいるのがどこの誰かなんて興味ねぇ」
首を傾げ、心底どうでもよさそうに吐き捨てる姿に、彼を押さえつけるもの達だけが険を増した。
恐らくそれは、彼自身も感じ取っているのだろう。それにも関わらず、隠した表情で挑戦的に笑う。
「使者、と言ったか? 知らねぇよ。俺のところに誰かが来たことなんざ、ただの一度も今までねぇ。森に来るのはいつだって、浅ましい略奪者と密猟者しか記憶にないが?」
嫌味っぽく口角を上げた様子に、シグムントは眉をひそめた。
ギルフォビオは暫し黙した後、小さく溜め息を溢した。
「……そうか、それは国のものが失礼を。しかし、我らも国益の為だ。全てを略奪者とされるのは、些か早計過ぎやしないか」
「なら、あんたらは余所者に民草を『飼料にしよう』って連れ去られても、隣の国益の為なら仕方ないって事だよな」
「貴様!」
言い捨てた姿は、近衛騎士によって地に叩きつけられた。余りにも鈍い音が響くから、「ひっ」 と小さく息を飲む姿があった。フィリアは自身の声が漏れるのも構わず、身を震わせた。
今度こそ、ギルフォビオはシグムントに目をやった。話にならないと言わんばかりだ。シグムントも溜め息をこぼす。
「お前たち、控えてなさい」
「しかし」
「騎士団長がいれば十分だ」
静かに言い含められて、それでも納得した様子は見られない。仕方がないと態度がありありと語っていた。その証拠に押さえつけていた腕を折る勢いで、手を離す直前に締め上げていた。
近衛騎士たちの不満の捌け口にされて尚、彼の王は痛みも感じてないかのように反応もない。ただ、周りから伺えない表情で、じっくりと周りを観察しているみたいだ。
「…………失礼いたします」
近衛騎士の二人は渋々礼を取ると、部屋を出た。その間に億劫そうに身体を起こす姿以外に、身動きを取るものはいなかった。
やがて、静寂が訪れる。最初に溜め息を溢したのは、やはりギルフォビオだ。
「手荒な真似をしてすまないな」
「あんたらの本性に、今さらとやかく言うつもりはねぇな」
淡々と返される言葉に、感情は伺えない。先程の痛みも、あるいは感じていないのかもしれない。
彼の挑戦的な物言いを、逐一相手にする者は最早居ない。改まった様子で、シグムントは口を開く。
「君の処遇についてだが、捕虜であることに代わりはない。だが、森の脅威から我が国を守る為の要だ。捕虜とはいえ、悪いようにはしない。国賓としてもてなそう」
「ハッ。捕虜を国賓? 笑わせんな」
寝言は寝て言えと、吐き捨てる。
「外交か何かと勘違いでもしてるのか? 俺がヒトの成りしてるからか? だからと言って小手先でどうにかなるの思っているなら、おめでたいとしか言いようがねぇな」
「何が違うという? 事実貴殿は、森に君臨してるだろう?」
「天に願えば雨が降るか? 地に願えば実は生るか? そういやそれは神官様の役割だったか?」
結局自然任せだろうにと、嗤う姿にシグムントは閉口した。
やがて、シグムントはひょいと肩を竦める。
「ならば貴殿の命を盾に取れば、何かが変わるとでも?」
我々は森の恵みを安全に得たいだけだと続けると、また鼻先で笑われた。
「他国を出し抜いて、自分らだけ安全にってか? 生憎だったな。俺の意思は森の意思じゃねえ。俺を盾にしたところで、森が大人しくなると思ってるなら大間違いだ」
「ならば君の首を取って、森の王の証を我らが納めたとしてもか」
「さあ? どうしようが知ったことじゃねぇが、俺を殺すなら相応に覚悟しとけ。命は全て、大地と水の上にある。ちんけな国一つ、どんな風に消えるだろうな?」
隠すことない脅しのような言葉に、シグムントは何度目かの溜め息をこぼしていた。
宰相シグムントがちらりと隣を伺うと、ギルフォビオが頷いたのが見えた。そのまま、シグムントは仕方なさそうに続く。
「やれやれ。それは君に手を出すなという命乞いか?」
「命乞い? ジョーダン、なんなら今すぐ死んでやるよ」
淡々と告げる様子からは、脅しでもないのだろう。誰かが肯定してしまえば、本気で捕虜は命を絶とうとするだろう。
誰もが緊張を感じずにはいられない中、だがと静かに告げられる。
「そこのあんたが王だというならば、己の責務くらい理解してるだろ。それと大差ない。それだけだ」
わずかにそっぽを向いていた。死しても構いはしないようだが、安易にそうできない理由があるのが明らかだ。
同時に、この場でこれ以上の話の進展も見込めないのは明白だった。
「アレスベルト騎士団長」
「はい」
呼び掛けられて、ルノはそちらに顔を向ける。今まで無意識に捕虜を見ていたのだと、呼ばれてから気がついた。
「この者を赤木の塔へ。お前の判断の元、身辺の対応と見張りをつけよ」
「承知致しました」
一度腰を折って礼を取ると、ルノは未だに座り込む姿の側に屈んだ。
「ついてきなさい」
端的に告げると、わずかに首を動かした相手は鼻で笑う。
「わざわざ従ってやる理由があるとでも?」
「君も手荒な事はもうされたくないだろう」
「ハッ。どの口が言うんだか」
「それとも、無理矢理つれ回される方が好きかい? 檻の移動が良ければそうするけど、なんなら担いでいってもいいよ」
「…………チッ」
ルノの様子に実力行使を厭わないと感じたのだろう。心底仕方なさそうに、ゆっくりとした動作で立ち上がる。
草の塊にも見えた姿は、誰もが思っていたよりも背が低い。まだ成長途中のフィリアよりも頭一つ高いくらいか。もしかしたら、この国で言う成人にも満たないのではとルノを除く誰もが感じた。
「それでは失礼いたします」
「ああ、頼んだ」
ルノは改めて頭を垂れてから、立ちすくんでいたフィリアに目をくれた。ハッとしたフィリアが、慌てて頭を下げて後方で遠くに気をやっている者たちを小突いて起こす。
檻はそのままでとシグムントが告げたのは、もう必要ないからだろう。恐る恐る後続が出ていったのは、意識を飛ばしていた自分達を恥じているのだろうが、あの場は致し方なしとも誰もが思う。
型にはまった礼をしっかりとしていった姿の後を、ばたばたと、まだ経験も浅いもの達が慌ただしく去っていく。
一行が立ち去るまで、ギルフォビオもシグムントもただ見送った。
「シグムント」
「はい」
扉も閉められ、この場には国王と宰相しかいないのだと解るまで十分に間を持って、ギルフォビオは口火を切った。
「彼のものの事で、一つ気になる話を見つけてな」
「如何様に」
静かに言われた言葉は、妙に緊張感があった。宰相シグムントは、背筋が伸びる思いで頷き先を促す。
「魔境の森の王の話は、以前からあったな」
「ええ。ですが、ヒトの姿をしているなんて、つい最近まで聞いた事ありません」
いつ頃だっただろうかと考える宰相に、国王は構わず続けた。
「ああ。気がついたらそんな話になっていたな。それともう一つ。バスティーユ家当主らを捕らえ、一族が離散したのはいつだった?」
「バスティーユ……懐かしい名前ですね。確か七年ほど前でしたか」
そんなこともあったと思うと同時に、嫌な考えが脳裏に浮かぶ。
「…………まさかとは思いますが」
「可能性に過ぎんが、あの魔境の王はあの時の件が発覚した際に、バスティーユ家に抹消された者の内の一人ではないだろうか」
あっけらかんと告げられたものが、ものの見事に嫌な考えと相違ない。シグムントは肝が冷えた気がした。
「……多くの賢人を排出する一方で、狂気的な実験も身内に行っていたくらいですからね。森の危険を抑制する実験を行っていても、確かに可笑しくありません」
「少し調べておけ」
「ただちに」
もし、それが真実だとしたら。
「彼のものの待遇は?」
「経緯は如何にしても、どの道あの者が要であることは変わらん。アレスベルトに任せておくのが、一番偏見もないだろう」
もし、真実だとしたら。あの何も信じていないような言動も致し方ない。
もし、真実だとしたら。それは過去の産物とはいえ、国の大きな落ち度だ。放っておく訳にもいかなかった。