終幕 それぞれの夜明け
「何であの国が、歴史ある国がこの森に踏み込めなかったか解るか」
煙を上げる巨木を見上げながら、カラムは初めて自ら問いかけた。
それがあまりにも意外で、ルノは思わず隣をまじまじと伺っていた。
「何故って……」
「歴代の森の王は、外から入ってくる命を主な資源にしていたからだ。森の内側で巡らせるよりも、果実で、水で、資源で、エサを誘き寄せる方が効率良かったんだ」
表情を変える事なく告げられた言葉に、ルノは思わず苦笑した。
「はは、まるで食虫植物みたいじゃないか」
「……そーだな」
笑うでもなく、カラムは見上げて肩を竦めた。
「この森は、一つの大きな生き物さ」
そしてその中に、自分もいずれは馴染んでいく。ぽつと呟いた声には、どこか寂しさも滲んでいるように思えた。
「食う、育つ、繁栄する。ただその仕組みのなかに“思考する事”をぶちこんだのは、他でもない俺だ」
「結果的に、国の脅威に成り得る存在を作り出したって? 嫌だね、君ってやつは極悪人じゃないか」
「お褒めに預り光栄だな。ちょっと好奇心が抑えられなかった」
「…………それで許されると思ってるあたり、君が羨ましいよ」
苦笑しながら告げた皮肉は、カラムに肩を竦められただけでかわされた。
その横顔を伺いながら、ルノは思わず訪ねていた。
「ねえ、エガリエル。今なら厄災もない。森の外で暮らそうとは思わないのかい?」
「はあ?」
素っ頓狂な声を上げた姿は、怪訝に眉を顰めていた。
「何言ってんだ? 思うわけないだろ」
「じゃあ、例えば。今の君には身を守ってくれるセランはいない訳だろう? また僕が君を捕らえて、国に連れ帰るとは思わない?」
「ハッ! 馬鹿馬鹿しい」
心底バカにして鼻で笑った姿は、挑発するようににやりと笑った。
「やれるもんならやってみろよ。てめえは今、巨大なバケモノの中にいるって、少しは自覚したらどうだ? 森の意思は俺の意思じゃねぇが、てめえを追い出せって働きかけることは出来るんだぜ?」
「やれやれ……途端に可愛げないね、君ってやつは」
肩を竦めたルノは、仕方が無さそうに溜め息を溢した。
「ねえ、たまに君に会いに来てもいいかな」
「はあ? 何でだよ」
「折角少しは親しくなれたのに、冷たいじゃない」
「てめえと会うような時間なんてねぇ」
やらないといけないことがあるからな。
きっぱりと告げたその手には、大事に握る託された核が握られている。
ルノはそれが解った上で、肩を竦めた。
「だったら尚更いいだろう? 騎士団が見回れば、略奪行為も減るさ」
「ハッ! どうだか」
そして。
騎士団長は国に戻ると、まだ森の襲撃の混乱が残る中、騎士団を率いて街の混乱の収束に奔走した。森の襲撃の功労者にも関わらず、その功績は、国王にすら告げなかったと言う。
休みを取る事なく忙しなくする騎士団長を、騎士団長付き従者がよく諌めていた。時折、彼女のもう一つの人格である小飼の戦士と移民の騎士は、二人がかりで騎士団長を抑え込み、無理矢理休みを取らせていたと言う。
国王は此度の森の王の捕縛は己の愚策とし、後身に王の座を譲ろうとした。しかし宰相を始めとする臣下の支えに踏み留まり、後日自ら騎士団長と共に森に向かい森の王と相対した。
少しばかり緑の増えた王国を、長く守ったと言う。
宰相は、騎士団長に協力しつつ、此度の森の王の捕縛が、国王の間違った判断と国民にされないように平定した。
その傍らには、宰相の気苦労を面白そうに笑う暗殺者と、不平を溢しながらも女中たちに噂を広げ、宰相の活動に手を貸した若い下女がいたと言う。
下女は自身の希望が一部思っていた形と違うことに不満を持っていたが、その都度暗殺者にからかわれて、宰相の摘発どころではなかった。
禁書庫牢に囚われていた男は、森の襲撃に合わせて脱獄した。その後、どこと行く宛てなく、ふらりと書物を求めて自身の生家に忍び込んだところを、実妹と再会。存命を共に喜び、やがて男はまだ見ぬ書物を求めて、ふらりと姿を消したと言う。
女隊長は負った火傷が治るまで、隊長代理の補助と若い騎士の訓練の師事に励んだ。火傷の為に訓練は口頭のみの師事であったが、彼女の的確な助力によって、頭角を示した若い騎士が沢山居た。
中でも新人と隊の者たちに可愛がられていた若い騎士は、誰よりも熱心に訓練に励んだと言う。
隊長代理となった彼の先輩は、後輩の成長振りに感心しつつ、自身は苦手な書類仕事に四苦八苦していたと言う。時折、行き詰まる余りに新人騎士が、彼の発散の為の訓練に付き合わされていたのは余談である。
そして。
深い、深い森の中。湿った土の臭いは青い香りを含み、柔らかな水の音は絶えずせせらいでいる。
木立はとても静かで、ぽっかりと空いた天井からは、暖かい日差しが差し込んでいる。遥か上空の風が遠い枝葉をそよぎ、穏やかなその場所が人食いの森だと、一体誰が思うだろうか。
天井が広く空いたその広場には、ゆっくりと熱に焼かれて真っ黒に燃えた巨木があった。
その広場に、一つ動く姿があった。その姿は、焼け焦げていない枝を見つけて丁寧に手折ると、自らの左手をわざと傷つけて枝に水代わりの血を与えていた。
巨木から少し離れた開けた場所に、丁寧に挿し木して、その姿は祈るように目を伏せた。
その様を、開いたばかりの新芽だけが、見上げていた。
Fin.
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誠にありがとうございました!
次話は読まなくてもいい、裏話や設定についてです。
ネタバレを含みますので必要ない方は飛ばしてください。