表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森の王と滅亡の国  作者: りと
森の王と滅亡の国
16/20

過去の夜道

 

 街の中は比較的軽やかに駆けていたその白馬も、森の外れに来た途端に、何かを思い出したように身震いした。ルノは宥めるように首筋を撫でた。


「尻と腰と背中が痛い」


 随分と大人しくしていると思いきや、カラムの到着した第一声はそれだった。


「それは悪かったね。生憎、君のために馬車を用意してる暇はなかったんだ」


 ルノは思わず苦笑した。一足先に白馬から下りると、ぎこちなく座るカラムに手を貸し下ろす。


 いつもの鎧甲冑はなく、胸当てや脛当て、手甲などの軽装しか身につけていないルノは、剣とカンテラを取ると火を灯した。手綱を外して白馬の胴に巻いたポーチに入れると、鼻筋を撫でながらまっすぐ伝えた。


「ありがとう。ここで待っていてくれるかい? ただ、危なくなったらすぐお逃げ」


 まるで了承するかのように、微かに頭を下げた白馬に見送られて、ルノは灯りも持たずに先導するカラムを追った。



 明るい月明かりも、生い茂る枝葉の向こうに遮られてしまい、途端に暗くなったように感じた。まるで雨でも降ったかのように、湿った土の匂いは濃い。


 しん、と静まり返るそこは、耳鳴りか自分の鼓動の方が聞こえてきそうだ。二人分の足音が、妙にがさがさ響いて感じる。

 踏み締める地面の感触は、石畳に慣れた足には随分とふわふわとしているように思えた。その点は、カラムの方が余程しっかりとした足取りだった。

 細い枝葉を踏み締める度に、足の下でぽきぽきと折れている感覚に、ルノは頼りなさを感じた。


「何だか不気味だね。暗いからかもしれないけれど。こんな時間に乗り込んでしまって大丈夫かな」


 ぽつりと溢した声でさえも、なんだか大きすぎたような気がした。じじじと手元のカンテラから、絶えず軸が燃える音がある事にほっとする。


「夜は森も寝つく。……厳密には、光がないから活動が低下する。その方があんたには都合いいだろ」


 隣に並んだ姿にカラムは呆れる訳でもなく、ただ淡々と答えた。


「別にそんなに不安なら、後からでもあんたの隊の人間連れてきたら良かっただろ」

「でも、それはかえって危険だろう? 大勢で押し掛けて、君の大切な子に先に気がつかれて、一方的に襲われても困るし」


 そうだな、と。カラムにしては丁寧に返事が返ってきた。

 慣れない場所に居ることに、少しは気を使われているのだろうと思うと、なんだか可笑しかった。


「あいつは昼夜関係ないと言えばそうだが、森そのものは違う。恐らく、日の出に向けてあいつも準備している頃だろう」

「それまでに片をつけるさ」

「そりゃ頼もしいな」


 見たところ、昼間の爪痕は見当たらなかった。

 ルノが報告で聞いていた話では、確か森に火を放ったと聞いていた。だが、おおよそ同じ所から森に分け入っているにも関わらず、火の(くすぶ)りどころか、焼けた匂いも感じない。

 ただじっとりと、夜露に濡れた清涼感のある土の香りがするだけだ。


「ねえ、カラム。聞いてもいいかな」

「……なんだよ」

「君と、君の大切な子について」

「聞いてどうする」

「ただの僕の興味さ。君は国がどうなろうと知ったことかって言っていたけど、僕は君たちに興味あるんだ。僕は知りたい」


 どんなことに興味を持つかは自由だろ? ルノはそう笑いかけると、呆れた様子で溜め息を溢された。


「答えてやる義理があるか」

「あれ、全部答えてやるって怒鳴ってたのは、誰だった?」


 チッと。露骨な舌打ちがされたが、それ以上の反論はなかった。質問があるなら答えるが、自主的に話すことはないと言わんばかりだ。


「そうだな、君とその子の森での生活とか。どんなことをしていたの? ああ、その子に名前はあるのかい?」


 聞いておいて、厄災に名前と言うのもルノには不思議だった。だが、カラムは億劫だと言わんばかりに息を吐いただけだった。


「別に。あいつ――――セランとは、当たり前の日常しか過ごしていない」

「そう、彼はセランって言うんだ」


 彼で合っているのかな。そんな他愛もない質問には、「知らね」 と突慳貪(つっけんどん)に返される。


「森の中を見回ったり、動物と戯れたり、魚を採ったり、道具を作ったり、雲を読んだり。あいつが興味を持つように、色んなものを見せて、色んな話をしていた。それだけだ」

「親子みたいって言うのかな。それとも教師と生徒かな」

「さあ。俺とあいつの関係に、名前なんてつかねぇよ」


 カラムはただ鼻で笑った。


「…………あえて言うなら、主従だ」


 ルノにはその言葉が意外だった。


「主従? 君が森の王だから?」

「……そうだな。俺は、あいつの手綱を取らないといけない」


 (あるじ)として。目を閉じたカラムのそれが、本心の言葉かはルノには伺えない。

 また前を見据えた姿は、迷いなんてないときっぱりと言い放った。


「だからこそ、あいつを憎悪で成長させる訳にはいかなかったんだよ。森に来る奴らは欲深い奴らが多い。森の貴重な資源を()るために。実際、国の使いとは名ばかりで、俺のところを目指すどころか、目につくもの全て漁る奴らしか居なかったしな」


 ひょいと肩を竦めたカラムに、ルノはあれと片眉をつり上げた。


「え、本当に今まで、誰も君の元に行かなかったのかい?」

「だから……そうだと言っているだろ。そちらにどんな報告されてたのか知らねぇし、知ったことじゃねえけどよ」


 呆れたと、カラムが大きく肩を落としたのは言うまでもない。さらに頭が痛いと言わんばかりに、眉間を揉んでいた。


「城の使者の任を負った奴の服装は、元より知っていたからな。道を隠しもしなかったし、森にも手を出さずに通すように指示は出していた。来たなら来たで、俺が対応するつもりだった。流血沙汰は、セランの為にならないからな」

「あー…………うん、そうだよね。うん、必ず報告しとくよ……」


 どちらに非があったかなんて、言うまでもなかった。いつぞや、呼び掛けに応じなかったという問いが、如何に無意味な問いかけだったかと知る。

 カラムの目的を知れば、それは当然だろう。だからこそルノには、謝罪ではなく報告を約束するのが精一杯だった。


 追い討ちをかけるように、カラムは鼻で笑った。


「騎士団の精鋭様方が踏み込んで来たときは、正直お前らのとこの使者が仕事してねぇとしか思わなかったな」

「それは……そうなるね」

「だが、分が悪いのはこちらだ」


 何度目か解らない溜め息を、カラムは溢した。


「下手に返り討ちにすれば、かえってお前らは躍起になるだろうし。何よりも使命に燃えてる“騎士様”たちに立ち向かえる程、こちらに戦力がある訳でもない」


 手段がない訳ではないが、血肉の争いを俺がする訳にはいかなかった。そう告げたカラムは、ルノをちらりと伺った。


「だから俺はあの日、お前に捕まった。無用な戦いを避けるために、森にお前と主力隊を分断させて、セランを隠して」

「ああ、やっぱり。僕がはぐれたのは君の思惑だったんだね」


 問いかけには、首肯だけが返ってくる。


「不思議には思っていたんだ、ずっと。解りやすく獣道があって、でも、何故か皆と距離が開いて。木立を抜けたら隊の皆はいないのに、君だけがいたんだもの」

「ああ。()()()()()あんたの部下達は優秀で、方向を騙くらかすのに苦労した。余りにも露骨に森を動かして攻撃をされても、意味がないしな」

「それは……。折角だから、部下達がお褒めに預り光栄だな」

「まあそれも、とても優秀な調査隊様たちのお陰で、やっぱり全部台無しになったけどな」


 恐らく本人は嫌味のつもりはないのだろう。淡々とした言葉が余りにも事実で、返答もできない。ルノを気まずい思いで苦笑した。


「それは、なんというか。すまなかったね」

「別に。森の周りに外敵しか居ないのは、元より解りきっていた事だ。予測をして対処しているつもりだったが、つもりでしかなく、俺の準備が足りていなかった。それたけだ」

「それだけの覚悟を持って行動出来ていたなんて、君はよく、一人で成し遂げようとしていたね」


 つい出た感心の言葉に、カラムは飄々と肩を竦めた。


「自分以外の他に、誰が頼れるって? 親父も兄貴達もいないなら、生きているのかも解らない幼い妹にでもか?」


 情けないにも程がある、と。吐いて捨てると首を緩く振った。


「自分以外に、頼れる訳がないだろ。誰も助けちゃくれねぇし。人間を信じようなんて考えることすら面倒だ。それにこの森を、セランを守ると遠い過去の自分に誓っているんだ。そもそも他人に頼るだなんて、俺の矜持(きょうじ)が許さねぇ」

「矜持、か。本当に逞しいな。志に見合っているというか」

「天下の騎士団長様にそれを言われてもな。俺には他人を率いて立つ存在であろうとする、あんたの方が余程逞しいと思うよ」


 俺には真似しようなんて気持ちも湧かない。()せ笑うカラムに、ルノは肩を竦めた。


「さあ、僕には他に選択肢がなかったからね。騎士になること以外に。そういう意味では、本当に君と同じさ」


 ふうん、と。素っ気ない返事が返ってきただけだった。ルノと一緒にされたくないと、感じている部分もあるせいだろう。

 ルノは逡巡(しゅんじゅん)すると、思いきって訪ねた。


「カラムは、悔やんだりした日はないのかい?」

「悔やむ? 森の王になった事を?」


 意味が解らないと言わんばかりの表情に、ルノは首を傾げた。


「森の王になった事を悔やんだ事はあるんだ?」

「……別に。どこぞのクソに押し付けられただけだ」

「そう。……まあ、それもあるけど、それよりその、植物と混ぜる実験を受けた事だよ」

「ハッ!」


 告げれば、即座にバカにして笑われた。

 ほんと遠慮なく聞いてくるなという呆れた声に、ルノは申し訳なさそうにする事しか出来ない。


 ルノが申し訳なく思っても、引く気がないのは解っていたのだろう。ふんと鼻を鳴らすと、カラムは吐き捨てた。


「ねぇよ。それは他でもない、俺自身が望んだ事だからな。無理を言ってお願いしたのは俺の方なのに、非道って断罪されるのが兄貴の方だなんて、一体あの時誰が思った?」


 そんなの考えてもみなかった。呟きにはどこか後悔が滲んでいた。

 カラムはそれを振り払うようにゆるく首を振ると、自嘲して口元を歪めた。


「天下の騎士団長様には解らないだろうな。長く動けば息が上がり、運動すれば咳き込んで、熱を出す。そんな身体の不自由さなんて、感じたことないだろ」

「それは……」

「いいんだよ。解ってもらおうなんて思ってない。ただの下らない、俺の無い物ねだりだ。――――俺はあの時から魅せられていた。手折っても踏みつけても伸びる、植物の力強さに。生命力に。願わくば、自分の命が、そんな力強い植物の一部になれたらいいのにってな」


 自分の手元に目を落としていたのは無意識だろう。そんなカラムに、ルノはかける言葉を見つけられなかった。


「だから、他でもない兄貴に願った」

「あれ、お父上には頼らなかったのかい?」

「……親父は知識人だが、常識人だ。学務卿として、城からも何だかんだ重用されていたみたいだしな。俺の逸脱(いつだつ)した願いを聞いたら卒倒(そっとう)していただろうよ」

「…………何となく、理解したよ」


 王が気にかけていたのも、父親と親しい仲だったからではなかろうか。ルノはそんな予測を立てるに易かった。


「兄貴は確かに人一倍好奇心の強い人だったよ。常識も知った上で、あえて知ったこっちゃなかったし」


 だが、と。カラムはきっぱりと告げた。


「別に面白がって人体刻んでた訳じゃねぇよ。領民達に行っていたのだってそうだ。いつだって命を救うために、あの人は何も知らねぇ奴らに非道だ外道だと揶揄(やゆ)されても、己の理論と確かな技術を持って実行していた」


 だから、と。疲れたように肩を竦める。


「バニエルも言っていただろ。自分にも手伝わせてくれなかった事が悔しい、と。親父もそうだが、兄貴は人格者だ。周りがなんと言おうが、ウチに狂人なんかいねぇよ」


 静かな声には、諦めと長い間表に出ることのなかった怒りが滲んでいるように聞こえた。


「…………そうだね」


 ルノの言葉は同意であって、同意ではなかった。ただ彼の知るまま吐き出された事実を、受け止めるのに必要だった。


「家の権威を取り戻そうとか、思った事はないのかい?」

「思わないね。第一、権威なんてちんけなもん取り戻してどうする? それで兄貴も親父も生き返るわけじゃねぇのに」


 くだらない、と。カラムは落ち着いた様子で(かぶり)を振った。


「生き物が死して植物は芽吹くと、兄貴は言った。だから俺はこの森で改めて芽吹いた」


 死んで尚恥を晒すなんて見苦しいよな、と。自嘲した呟きにはルノも応えなかった。


「ま、全て(せん)無い話さ」


 ひょいとまた肩を竦めたのは、この話はこれで終わりという事だろう。ルノもそれに頷いて同意を示すと、暗い森の向こうへと目を向けた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ