備え
調査隊及び騎士団の後発部隊は、間もなく城へと帰還した。
調査隊は早急に解体されて、怪我人達は待ち構えていた騎士団の第三部隊によって、手早く救護出来る場所へと運ばれた。
より深刻な者は救護室そのものに、それ以外は一時的に設けられた広場に集められた。
ルノはエリオたちが救護室に運ばれたのを確認すると、その足で王の執務室へと急いだ。
途中、わずかに足を止めて周りを伺った。気のせいだろうかと、首を振る。
普段であれば、部屋の前に立つ近衛兵達が良い顔をしないので、ルノも意識的に近づかない。しかし、今回ばかりはそうも言っていられず、多少揉めても説き伏せる覚悟で向かった。
だが、予想に反して近衛兵達は、少々不服そうではあったが、すんなりと通された。
どんなに急ぎの用でも通さないのが彼らなのに珍しい、と。不謹慎ながら思ってしまう。
「失礼致します。騎士団団長ルノ・アレスベルト、調査団の救助の報告に参りました」
「入りなさい」
執務室の扉を叩くと、すぐに返答はあった。入ると、書類から丁度顔を上げたギルフォビオが職務机の前の来客席を目線で伝えた。
ルノは着席を辞して、礼の姿勢をとった。
「お忙しいところ誠に申し訳ありません。急ぎお伝えしたい事があり参りました」
「ああ、聞こう」
区切りがついたのだろう。ギルフォビオは書類を脇に押しやると、机の上で指を組んだ。
「調査隊が襲われたと聞いたそうだな。こちらにまで救援の声は来なかったが、大事ないか」
「はい。しかし、我々が到着する前に死傷者が出ております。重軽傷者も少なくありません」
「襲ってきたのは森、か?」
「殿を勤めていた騎士団の者に確認したのですが、どうやら子供に襲われた、との事でした」
「子供、か」
「その子供は、森の王の住まいと見られる場所に捕らえられていたようでした。ですが助けたところ、木々を操り、調査隊に襲いかかったそうです。その後、私もこちらに敵意を向ける青年に、森の外れで出会いました」
「青年……そうか。やはり実在していたのか……」
聞いた途端、酷く悩ましい表情を浮かべたギルフォビオに、ルノは思わず訪ねていた。
「彼らが我々に襲いかかってくるとしたら、やはり森の王に関係するものたち、ということでしょうか」
「いいや……恐らく調査隊が見た子供も、お前の見た青年も、同一の存在だろう。恐ろしいまでの短時間で成長してしまうだけの者が、襲われたのだな……」
溜め息は、後悔のようにも聞こえた。そんな王の姿が、ずっと感じていた嫌な予感と合間って、不安に感じずにはいられない。
「……どういう事でしょうか」
先日の話は覚えているか、とギルフォビオは訪ねた。
「彼の王はカラム……厄災と名乗ったのだと言っていたな」
「ええ、そうですね」
「もしかしたらとは思っていたが、その厄災を名乗ることで、大本の存在を隠そうとしていたのかもしれないな、あの者は。いや、真性の森の王は」
「どういう事、ですか」
ルノは戸惑い、ギルフォビオは目を閉じた。こうなった以上、隠しておく必要もないかと呟いたのは、気のせいではない。
真剣な眼差しと、視線がぶつかる。
「アレスベルト。森には何故入ってはいけない?」
予想していなかった質問に、ルノは一瞬戸惑った。
「森の王の怒りを買うから。……あるいは、元々生き物を襲って森の栄養にされるから、って話では」
そのように一般的に言われているものの、ルノ自身が森を今日まで脅威と感じた事はなかった。それ故に、騎士団長として当たり前に先陣を切っていた。
今日の、あの、青年と邂逅するまで。
「ああ。そして、人が踏み入ると災い、あるいは厄災を呼び起こすから、不用意に入ることを禁じている」
「災い、ですか」
「ああ。……本来意思を持たない、自然現象みたいなものだ」
「災いがそれであると?」
訪ねると、首肯が返ってきた。
「森に入ると食われる。それは単純に、死肉が巡って草木の源になるからだ。だがそれだけじゃない。災いは、強い感情あるものを取り込む事によって、至極影響を受けやすいそうだ」
古い文献にある話を信じるならな、と。苦い表情を浮かべたギルフォビオも、今日まで信じていなかったのだと思い知る。
「森に感情を与えないため、巡って我々のような、森のほとりでその恩恵を受ける身が、自分達を守る為に広めていたというわけだ」
「感情……。ならあの敵意は、襲われた調査隊の面々が与えてしまったもの、という事でしょうか」
「恐らくな」
だが、と。悩ましい様子でギルフォビオは呟いた。
「……既に我々への敵意が育ってしまっているのに、何故襲ってこない? 何か意図を組むほどに思考回路も熟達していると言うのか?」
「あ」
もしやという思いに、つい声をあげていた。
「もしかしたらなのですが、それこそカラムが関係しているのかもしれません」
「何故だ?」
「その青年が言っていたのです。我らの王の温情に感謝しろ、と」
我らの王がこちらに有る限り、必ず取り戻す。そんな言葉とともに思い出し、避けられない争いの予感にルノは眉をしかめた。
「そうか」
「如何様に致しますか。カラムを問い詰め、国を襲わせるのを止めさせますか」
「いや、恐らく彼では厄災を止める事は無理だ」
ギルフォビオは深く溜め息をついていた。
「彼の言葉がずっと気になっていたのだ。彼の意思は森の意思ではないと、最初に言っていたあの言葉が」
「カラムが森の王であり、人でもあるからですか?」
「そうかもしれない。カラム……いや、エガリエルが森の王となった経緯は解りかねるが、森から独立した存在であることは確かだ。それでいて彼の責務とは、……文献の言葉を借りるならば、厄災と化した森人を守ることなのではなかろうか」
だとしたら説明がついてしまう。そう一人ごちる国王に、ルノは訪ねた。
「森人、ですか?」
「厄災の本来の姿と言えばいいか。悪感情に影響を受けなければ、本来は森の中にただ生きる、動物のような存在に過ぎない」
「…………なるほど。では、森と戦いますか。心があるというならば、向こうが諦めるまで」
「相手が動物なら、それが出来たやもしれないな。……いや、躊躇っている時間もないな」
ギルフォビオは姿勢を正すときっぱりと告げた。
「アレスベルト騎士団長。戦に備えてくれ。下手をすると国が戦地になる可能性がある」
その表情に迷いはなく、幾度となく戦に出向いたかつての武将としての面影を見せていた。
「私の方でも手配はしておく。だが恐らく他の隊は市民や城の防衛に手一杯になるだろう」
「承知しました。救護室一帯の警護は如何しますか」
「案ずるな。近衛が手透きなのは承知だ。お前は前線の配置を整えてくれ。各々、領分を最優先にしてもらう必要もあるからな。騎士団が必要なものは、追って知らせてくれ」
「御意」
ルノは改めて頭を垂れて礼を取った。行ってくれと、正面から聞こえた溜め息をこぼすような声に、やるせなさを感じずにはいられなかった。
「やはり、手を出すべきではなかったのか」
ぽつりと呟いていた声は苦悶に満ちていて、それでいてルノに慰めの言葉を口にする事をよしとしていなかった。
「……御前、失礼致します」
そっと部屋を後にしたのは、せめてもの気遣いだった。衛兵達に黙礼をしてその場は離れた。
ギルフォビオの杞憂を晴らす。そのためにまずすべき事を考えながら、ルノは廊下を急いだ。
どれほど城の中を歩いた頃だろうか。辺りに人の姿はなく、衛兵達が警護をするような場所でもない。
不意にルノは足を止めると振り返った。
「いつまでそうしているつもりだい?」
訪ねるが、返答はない。そもそも人の姿はないのだ。答える者がいるほうがおかしい。
「それとも、実力行使しないと出てこられないかい?」
腰に帯びた剣に手を添え一点を睨むと、けたけたと笑い声が聞こえた。
「待て待て。別にあんたと争いに来た訳じゃねーよ」
暗闇から姿を表し、ひらりと手を振ったのは、黒衣を纏った男だった。姿を表したのに存在感が一層薄くなったように感じる姿に、警戒せざるを得ない。
「私に何の用かな。あまり時間がないのだけど」
「勘弁してくれって。旦那の使い……あー、宰相の旦那があんたに少し話があるから来て欲しいって伝えろって、頼まれてな。来てくれるか? 今来てくれれば、あんたが知っておくべき情報を、一通り手に入れる事が出来るぜ」
「この非常事態に信じられると?」
「あーもーめんどくせー。“快楽の暗殺者”っつたらあんたも解る? 俺は大概面白さを重視するけど、頼まれた仕事に嘘はつかないさ」
へらりと笑っているのに、印象が薄い。なるほどと、ルノは彼に向き直った。
「つまり君が、食事に毒を仕込んだ張本人だね?」
「おっと、そういう話も後にしよーぜ。別に特に否定はしないけどよ」
「……いいだろう。その辺もどういう事か、詳しく聞かせて貰えるならばついていこう」
「安請け合いはしねーけど、一応旦那に話は振ってやるさ」
ついて来な、と。軽やかな足取りのその男に、ルノも従い何処かへと向かうのだった。