対面した憎悪
三番隊には城での負傷者の受け入れの準備を、二番隊には怪我人達を運ぶ前提の支度をしてから来るように手配した。
急遽声をかけた一番隊の者達は、最低限の戦いの準備を終えたら、即座に森の側の野営地まで来るように告げ、ルノは厩に向かった。
厩の外には、既に用意が整った騎士数名が待っていた。
「急ぎですまない。事態は急を要する。我々先行隊の目的は、調査隊や衛兵達が撤退するまで、あるいは後発の隊の者たちが到着するまでの時間稼ぎだ。ついてきてくれるか?」
尋ねれば、ルノが率いる一番隊の面々ははっきりと頷いた。誰も彼もが状況を重く受け止めているようで、真剣そのものだ。
ルノの言葉を聞くや否や、彼らはその先の指示を待つことはない。各自が動き出し、ルノを待たずに次々と城を出ていった。
それを確認して、遅れて来たウィリアムを振り返った。
「ウィリアム、ここまでありがとう。後は任せて、君は兵舎で待って――――」
「いえ、行かせてください!」
待っていなさいという指示は、ウィリアムの必死の声にかき消される。
「でも君も、君の馬も、さっきとてもいい仕事をしてくれて疲れてしまっているだろう?」
「厩番の方にお願いして、別の馬をお借りしました。僕はまだやれます。お願いします、足手まといにはなりません。僕にも……戻らせてください。力になりたいんです」
その表情には、あの時残したエリオやティミトリィの事が心配だと、ありありと書いてある。
ルノは申し訳なさそうな顔を作って首を振った。
「ダメだ。疲労してる君に、これ以上の無理はさせられない。ウィリアムがどんなにまだ大丈夫って思っていても、万全な状態ではない筈だよ。混乱してる場所では、少しの油断が大怪我に繋がる。危険が増す可能性がある者は、連れていけない」
「でも」
「ウィリアム。不安と焦る気持ちは解るよ。でもね、君は既に大役を勤めたんだ」
君が頑張って戻ってきてくれたから、私たちはこうして、とても早く向かうことが出来るんだよ。そう告げても、ウィリアムの表情は晴れない。
「……違います。僕は……先輩達に守られて、逃がされたんだ」
その事実が悔しくて、不安で、心配で堪らない。無事を祈るだけはもう嫌だ、と。絞り出すような声は、今にも泣きそうだった。
珍しく、騎士団長は溜め息を溢した。
「…………解った。いいだろう、ウィリアム。そこまで言うなら同行を許可する」
「いいんですか……?!」
「ただし、野営地までだ。野営地で四番部隊の撤退の支度を手伝い、重症者に付き添いなさい。エリオの判断は正しいよ。君にはまだ、戦地は早すぎる」
「っ…………はい。その、それでも、ありがとうございます」
「ああ。私は私で先に行く。君は後から来なさい」
「はい……!」
ルノは自身の白馬を連れてくると、颯爽と跨がった。
先日は優雅に歩いていたその馬も、主人の様子に逼迫した空気を感じ取っているのだろう。ヒンッと小さく鳴いたかと思うと、軽やかに駆け出した。
ウィリアムがついて来れていたのは、一体どこまでだっただろうか。
ルノの白馬はとても速く、力強い。先行していた者達さえも追い抜くと、誰よりも早くに野営地へとたどり着いていた。
野営地ははっきり言って混乱していた。
衛兵半数は研究者達を馬車に押し込み、一刻も早くこの場を撤退しようとしているが、資材を置いておけない研究者が、一つでも何か持って帰ろうとするせいで追い込みが仕切れていない。
半数は現場の大まかな片付けを行っている様だが、統率が取れていないせいか一刻も速い撤退が出来そうにもない。
騎士団の者をぐるりと見舞わし探すと、調査隊の最奥、森の際の方で何やら怪我人と戦いとで混乱しているのが見てとれた。
ウィリアムに聞いていた事もあり、第四部隊の統率の取れてない事に、嫌な予感が拭えない。エリオやまとめる能力のある者達に、何かがあったのは明確だ。
「団長」
「ああ、頼むよ」
僅かに遅れてついた第一部隊の部下に示すために、第四部隊の方に目を向ける。意を組んだ面々は、即座に最前線へと向かっていった。
ルノの役割は、この大多数の誘因の指示と騎士団との早急な合流だ。
真っ先に探したのは、普段であれば目の敵にされている衛兵隊長に他ならない。そして一際賑やかなところに見つけた。
「ノーマン殿」
「いいからそこのを荷物は後回しにーーーーっ……貴殿か」
ルノはなるべく落ち着いて聞こえるように話しかけた。それでもやはり、それまでひっきりなしに声を上げてあちこちに指示を出していた男は、驚いた様子で振り返った。
ルノを認識した途端に、気まずそうに目をそらす。
「ご足労頂きすまないな。状況は見ての通りだ。思わしくない」
気むずかしく、普段であれば決して弱音を吐くことのないノーマンにしては珍しかった。その原因が解っているだけに、ルノも思わず苦笑する。
「先生達ですね。それ以外なら五分以内の撤退は可能ですか」
「根回ししよう」
「先生達の馬車はどちらに」
「あれらすべてそうだ。輸送も兼ねていた」
ノーマンが顔を向けた先には十数台の幌馬車が並んでいた。その一帯では衛兵が世話しなく行き交い、あるいは研究者の者達があれだこれだと騒いでいる。
緊急事態に何をやっているんだと、思わずにはいられない。
「死傷者の状況は」
「死んだ者の確認は取れていない。身動き取れない者はすでに馬車に入れている」
「ではそれはもう行かせましょう。城の方の準備は指示してあります」
「かたじけない」
「それから二台を隊の資材輸送などに使ってください。一台を先生達の採取物用に好きに使わせ、残りは五分後に強制的に出してください。先生達がそれに自主的に乗ってくれるならそれでよし、ごねる様なら歩かせて、警護ではなく先導してあげてください」
ルノの提案に、ノーマンは出来れば是非とも乗りたいと言わんばかりに肩を落とした。
「先生達を歩かせると後がうるさいぞ」
「ああ……」
至極簡単に想像できたせいで、ルノも思わず肩を竦める。
「なら、後でごねた事を王に報告して研究費減らしてもらうって、私が言ってたとでも伝えてください。それで先生達に詰られても、痛くも痒くもありません」
「はは」
ノーマンはここに来て、初めて苦笑をこぼした。
「貴殿からの報告なんて虚偽だ、と、かえって騒がれないものか?」
「当初の予定と狂った事で私も来てますし、報告することに変わりはないので、虚偽ではありませんよ」
「……貴殿は頼もしいな。ああ、すぐに取りかからせて頂く。すまないが、後方の事は……」
「ええ。騎士団にお任せを。すぐに本隊も到着します」
「ああ、礼は後程。武運を」
「そちらも。尽力感謝します」
手短く打ち合わせを済ませると、ルノはずっと騒いでいる学者の元に立ち寄った。二、三丁寧に話す頃には、その学者が青ざめていたのは余談に過ぎない。
ルノはその足で四番隊の元に向かうと、人だかりの中で指示を出してる者を見つけた。
「ちょっといいかい? 通して」
声をかけて入っていくと、すぐに気がついた周りの者達が、驚きと共に人垣を割った。案の定、そこには横たわるティミトリィと、エリオが肩を貸されて座っていた。
「ああ……ルノ団長か」
「エリオ、勤めご苦労様」
ルノが声をかけて膝をつくと、エリオは目に見えてほっとして肩の力を抜いていた。
「こんな体制で、こんな所まで来て貰ってすまない」
「いいんだ、踏ん張ってくれてありがとう。君はまず城に戻って、暫く療養していてくれ」
後の事は任せて、と。周りも含めて安心させるように笑いかけたが、エリオの顔色は優れない。
「ルノ……お前まさかとは思うが、私にそのまま家に戻って、ガキでも産んでろっていうのか?」
驚くほど飛躍した考えに、ルノは思わず苦笑した。
「そこまで言ってないよエリオ。でも流石の君も、その火傷じゃ暫く弓は扱えないだろう?」
示した腕を隠そうとして、エリオは身動ぎした。しかし、びくりと身体を強張らせ痛みに呻いたのは、エリオにとっても屈辱的だったらしい。
「…………解ってる。けど……まだ左が使える」
それほどに、エリオの右手の火傷は深刻だった。だらりと力さえも入れられず、川の水で冷やすことしか出来てないそれは、一刻も早く医師に見てもらった方がいいのは明確だった。
ルノは緩く首を振った。
「解ってないよ。大切な部下が、命より大事な身体張って、沢山の人を守ったんだよ? だったら、だからこそ、無理をさせられない」
「けど!」
「エリオ」
静かな声は、周りの者達をも惹き付けた。
「城に戻って、まずは身体を休めて。皆、君を心配している。それにティミトリィの事もある。早く君も彼も診てもらった方がいい。後に響く。君達は十分に頑張ってくれたよ。右腕が治るまで、その左腕だけでも暫く君の力を奮える方法を、必ず後で一緒に考えよう。今は、それ以上怪我を負わない事を優先して。城に戻って」
「っ…………解った」
「大丈夫。君の優秀な部下達が、それまで君を支えてくれるから」
ルノの言葉に、周りを囲んでいた第四部隊の面々が口々に賛同していた。
「エリオ隊長! 任せてください!」
「隊長、水臭いですよ!」
ルノへの同意、あるいはエリオへの応援、あるいは感謝。日頃言われる機会のない言葉は、男所帯の中で切磋琢磨するエリオには思ってもみないものだった。
「お前達……」
言葉を失っていたエリオは動く左腕で顔を覆うと、微かにすまないと呟いていた。
ルノは遠くに目を向けて、今か今かと到着を待っていた姿に目を止めた。
「ウィリアム!」
「は、はい! 遅くなり……申し訳ありません……!」
きっと、彼なりにとても急いだのだろう。慣れない馬に乗って尚、大きく遅れを取るまいと、必死に馬を駆ったのだと、彼の様子から手に取るように見えた。
息を切らし、汗だくだった姿は、息をつく間もなくこちらに向かう。
「エリオ達に付き添って。必ず安全に連れ帰るんだ。そしてすぐに医師に声かけて。いいね」
ルノはウィリアムが落ち着くのを待つことなく、まっすぐに目を見て端的に告げた。有無を言わさない圧力は、ウィリアムが現れた事に驚いていた周りにも感じられる程だった。
だがウィリアムまでもが、ルノの強い圧力に飲まれる事はなかった。
「はい! 必ずや!」
もしくは疲労に圧力を感じる余裕もなかったのかもしれない。はっきりと頷いた様は、城を出る前に窘められた時とは顔つきが違った。
同じくルノに指示された四番隊の者数名が、エリオやティミトリィにつけられた。残りの者達は、衛兵達に声をかけて野営地の解体に手を貸したり、一番隊に加わって消火活動と、時折襲い来る蔓や枝葉を打ち落とした。
元々、疎らに立木があっただけだった森の際のは、いつの間にかその密度を増しているように見えた。
少しずつ膨らみ、木々の侵略を増やしていく様は、まるでそうして外へ外へと向かって、いつか緑の波に、一帯を飲み込もうとしているかのように思えた。
そんな途方もない事が、一瞬の内に起こるのだろうか。信じがたい気持ちもあるが、起こり得る可能性があるのだという予感に、ルノはぞっとした。
「いいか諸君!」
そんな嫌な予感を感じさせない為に、ルノは一際声を張った。
「私達が防衛線だ。調査隊が引くまで、彼らの盾となれ! だけど無茶はするな。最低二人一組で対処しろ。前線を少しずつ下げるんだ。怪我を負ったら、すぐに周りに知らせて引け。時間を稼ぐことこそが目的だ! 第四部隊と共に協力し、この窮地を乗り越えるぞ!」
ぐるりと見回し、一人一人の表情を捉えていく。見返してくる表情はどれも力強く、彼らの気概が伝わってくる。
「五分後、調査隊全体が引き始めたら我々も撤退する。引き始めたら、皆も随時引いてくれ。粘る必要はない。心してくれ。いいな!」
勝鬨の声が上がる。士気は高い。仲間達の様子に安堵しつつ、その事を悟らせないように頷いた。
「私ははぐれた者が居ないか見てくる。時間までに戻らなくても、皆は撤退してく――――」
「その必要はない」
安心してこの場を任せられる。そう思って森に踏み入ろうとした時、ぴしゃりと冷たい声が告げた。
同時に森が、風もないのにざわついた。
誰もが本能的に感じたのは、動けば只では済まないと解る恐怖。誰もが身動ぎすら出来ないでいる中で、その者は小立の間からやってきた。
その者が通ると、まるで木々の方が同じように恐怖して避けていると、錯覚してしまうほどの緊張感がそこにはあった。
そこにあった姿は、青年だった。
枯れ草色の頭髪は、いつぞやの誰かを彷彿させるように伸ばしっぱなしであるが、その影からこちらを睨み付ける視線には、明確な敵意が込もっている。
「ゴミは持って帰れよ。浅ましい事しか考えられない人間風情が、この森に残ろうだなんて烏滸がましい」
その者が、つと指を指したかと思うと、何か鈍く空を切る音がした。
「っ……?!」
一体誰が息を飲んだか。あるいは誰もが目の前で起きた事態を理解できていなかったのかもしれない。
ぼとぼとと、投げられたのは何かの肉片の数々と、その中でうめく幾人かだった。血肉に身なりはすっかり汚れているものの、その装いは研究者と衛兵二人に相違ない。
「お前らが足掻いたところで、もう遅い。精々怯えて、審判の時でも待て。我らの王がそちらにあるなら、全てを呑み込み取り返す。それだけだ」
鼻でせせら笑ったかと思うと、ぎりと歯を食い縛っていた。
「精々、我が王の寛大な酌量に感謝して、残りの余生にでも浸ってろよ」
「君は一体……」
ルノは口を開きかけて、思わず息を飲んだ。ぎろりと睨まれ、凶器を喉元に突きつけられた訳でもないのに、まるでそうされているかのような気がした。
「それとも今死ぬか? それはそれで目障りが減っていい気味だ」
一歩、その姿が踏み出したような気がした。だが次の時には、ルノの目の前にその姿はあった。まるで一瞬の時間が止まったかのように錯覚した。
覗き込んで来たその表情にあるのは、燃えるような怒りと憎しみ。それ以外の感情は、読み取れそうになかった。
「だが残念だ。我が王は、指示があるまで兎に角待てと仰った。貴様らの薄汚い肉片で、この神聖な森を汚すことは望みでない」
はっと鼻で笑った姿は、既に目の前から失せていた。もう話す事もないと言うのだろう。小立の合間に去ろうとする背中が、そこにはあった。
だが、と語る声は、果たしてその姿が発しているものなのだろうか。
「どれ程王が時を待てと言えど、我らは必ず取り戻す。我らが王が生きてる限り、我らが止まることはない。貴様等を根絶やしにするまでな」
覚悟していろ人間共。
低く告げた声の主は、森に溶けるように姿を消していた。
誰もが動けずにいた中で、ルノはあれは一体何者なのかと思わずにはいられなかった。だが、今はそれどころではない。
「…………全員、帰還準備をするんだ。戻ってきた怪我人たちを馬車へ。我々も撤退するよ」