災いの予感
餞別ですわ、と玄関を開けようとしたメイニーは振り返り言った。
「ずっと気になっていましたが、此度捕らえたと方は、本当に森の王なのでしょうか」
「どういう事ですか」
シグムントは怪訝に眉を顰めるばかりだ。
「森の王を捕らえたと、国を上げて喜んでいるところに水を注すようですが、私はもう一つの可能性も視野に入れるべきではないかと存じます」
「もう一つの可能性? 彼が王ではないということですか?」
「ええ。我が家では常識的な話だったので、どこまで普及してる話なのかは私には解りませんが、森には厄災が“ある”という話はご存知ですか」
怪訝な表情が変わらない事に、メイニーは自分の常識を改めざるを得ないと感じた。
「森の王とは――――森の王の役割とは、森に命を与える、もしくは森の成長を促す存在ではないかと、我が家では考えられておりました」
「森を思うがまま支配しているのではなく?」
「ええ。支配と言えば支配でしょうが、意味合いが変わってきますでしょう?」
「そうかもしれない。しかし森は踏み込んだ者の命を食らうでしょう。動物的な本能があるのは、森の王が外部からの侵入を拒んでいるからなのでは」
「ええ。だからそれが違うという話です」
メイニーは視線を反らし、どこから伝えたものか推敲した。
「ひとまず森の王と厄災は、別物とお考え下さい。厄災の存在が、事象を示しているというより、実在する生き物か何かだとしたら。ええと、例えるなら……王とそれを守る騎士、とでも言いましょうか」
「騎士に当たる生き物が、人を食らっているとでも言うのですか?」
「ええ。森に踏み込んではいけないのは、森の王の怒りを買うから。災いを呼び起こすから。森に、喰われてしまうから。そう言われているでしょう? 人を食らい、森の災いがヒトの知識を得てしまう。だからこそ、無闇に踏み込んではならない」
子供でも森に入ってはいけない事を知っているのに、詳細は世間に広まっていないのか。そんな違和感にメイニーは首を傾げつつ続けた。
「知識を蓄えすぎた厄災が、動物的な本能のような考え方から、人間のような計算的な考え方を持ったとしたら、どうでしょうか」
「自然が、意思をもつ? そんな事がありえるのですか?」
「例えば、です。あり得るかもしれないのです。そうなれば……私達に立ち向かう術はない。……あるいは、全てを焼き尽くせば、焦土化して制してしまえば生き残る事は出来るかもしれません」
その後に残された土地で、私達人が生きていけるとは思えませんが。
目を伏せていたメイニーは、肩を竦めて改めて国の二番手を見上げた。
「ただ、この考えは混乱を振り撒くでしょうから、私の例え話を吹聴しまわるのはお控え下さい。私は責任取りかねますから」
いいですね、と念を押すと、まだ解りかねると言わんばかりのシグムントは腕を組んでいた。
「それはつまり、森に手を出した時点で我々には利益はないと言うことか……」
「いえ、利益はあるでしょう。潤沢な資源であることには違いありません。ただ、それらを手にする前に、恐ろしいものが目を醒ましている可能性もある、ということを考慮してくださいという話です」
「そうか」
納得したような、している訳ではないような。シグムントは唸ると、深く溜め息を溢していた。彼にはしっかり考えて貰わねばならないと、メイニーはそれ以上何かを言うことはしなかった。
ただ、それでは終われなかった。それで、と。メイニーは深く溜め息を溢した。ぐるりと横に立っていた姿を睨め付ける。
「貴方はさっきから、人の髪で何をしていらっしゃるのかしら」
「何って? 編んでる」
「それは見たら解りますわ……」
キーグはメイニーが話している間にせっせと一筋を編むと、ぱちりと環状の髪止めをはめていた。
「お仕事。俺にあるなら城の噴水にでも、これ投げ入れといてくれよ」
見つけたらあんたのとこに、旦那の仕事の合間にでも行ってやるよ、と。如何にも嫌そうな顔をするメイニーが、可笑しくて仕方ないと言わんばかりにくすくすと笑っていた。
「……外せるんでしょうね、これ」
「あ、無理。ここ切ってそのまま入れとけ」
「貴方は全く……乙女の髪をなんだと思っているのよ」
苦言も、苦言として届いているか怪しい。
だが、それ以上何かを言う気も起きなかった。
「では、ごきげんよう。また会うとしたら、城のどこかでお会いしましょう」
* * *
緩やかに動き出した箱馬車の中で、シグムントは眉間を強く揉んでいた。
「当てがハズレて残念だったなー、旦那? どーすんだ?」
「お前がそれを言うのか」
勘弁しろと言わんばかりの態度に、キーグはからからと笑った。
「まんまと小鳥ちゃんに手玉にとられて良い気味だったなぁ! ホント、これだからあんたの側は面白いや」
「少し黙れ」
解っているからこそ聞きたくない、と。また深く溜め息を溢した姿に、キーグはひょいと肩を竦めた。
「んで、どっから手をつけるんだ? 当初の口封じ? 小鳥ちゃんの兄を逃がすか? それともいっそ、小鳥ちゃんの隠し持ってるって証拠でも奪いにいこうか?」
ついでにあれ、面白いからもらってもいい? と、キーグはまるで玩具の貸し借りの調子で言ってのけた。流石のシグムントも、やめなさいと何度か解らない溜め息を溢す。
「余計な騒ぎを起こすな。メイニー嬢はまだ若いが、賢い婦女だ。今は放っておいていい」
「えー」
明らかに不服そうなのは、見つけた玩具を構えないからだろうか。シグムントはそれを聞かなかった事にして、予定表を開いた。
「戻ったら私は少々調べものに籠る。お前は使いを頼まれてくれ」
「えー。何のさ」
「騎士団長を呼び出してくれ。私の書斎でいい」
「団長は確かさっき、調査隊がしくじって駆り出されてたぜ? そこ呼び出せばいいのか?」
「…………戻ってきてからでいい。あまり大掛かりに動かないでくれ」
「んじゃ、団長さんが王様に報告した後とかに声かけてくるわ。時間はわかんねぇけど、それで構わねーか?」
「ああ」
「はいはいっと。それにしても、あんたほんと苦労人だよなー、旦那? ごくろーさん」
物好きだよなぁ、と。鼻で笑いつつキーグの姿は既に箱馬車の中になかった。
いつの間にか開けられた窓からは、未だに祭り騒ぎの余韻の残る街並みが、過ぎて流れていくばかりだった。