そんなバカナ
この物語はフィクションです。登場する人物、国は架空のものです。
「バカナ王女、私と結婚を前提にお付き合いしてください」
私はたった今、ニホンの第五皇子、尊様から求婚されました。
なぜ、こんな時にニホン語でプロポーズするの?
いや、ニホン人だから仕方ないかもしれないけど、ニホン語でバカナと呼ぶなんてひどすぎる。こたえは決まっているけど、返事をしてあげる気になりません。
私は尊様に背を向けた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
私、バカナ・リリス・ファルサークは、十八年前にヨウロッパにある弱小国で産声を上げました。
実は、その国の第三王女と言う身分です。
私の国には、むかしから近隣の王族やそれに準ずる高貴な方たちが避暑に訪れています。そなため、小さな国土には不似合いな、豪華すぎる屋敷や教会が、湖の近くとか、小高い丘の上に建築されていきました。
現在は、修復をして手は加えてありますが、ほぼ当時のまま現存する歴史ある建造物と、その一部を宿泊ができるように整備したこともあって、弱小ながらも観光国家として名を馳せています。
ところで、皆さんは私の名前をどう思いますか? バカナですよバカナ!
ニホン語の漢字を当てはめろと言われたら十中八九『馬鹿な』と思うでしょ?
物心ついたころ、その不快感でニホン人であった前世の記憶を取り戻しました。
私の国では可憐なとか愛らしいとかの意味をもつのでけっして悪い名前ではないのですが、どうしても好きになれません。
ですから家族や身近な人たちにはカーナと愛称で呼んでもらっています。
記憶が戻ったことで私はニホン語がわかるようになりました。ですから、ニホンのドラマや映画なんかをインターネットで見て楽しんでいます。
国益を増やすためにニホンで流行っている『会いに行ける〇〇』の真似事もしてみましたよ。
だって私、美しい王族ランキングで十一位に選ばれるほどには美少女なんですもの。使わない手はないと思いませんか。
土日の十時と十四時、十六時の三回、この国唯一の大聖堂に顔を出して、集まった皆さんににっこり微笑んでいます。
もちろん観光客が近づけないようにしっかりと警備はされていますけどね。
まぁ、王族がお金を稼ぐために人前に出るなんて、品がないとか陰口も言われていますし、一番美しいとされている湖城を貸し切ってバカンスを楽しんでいた映画スターに気に入られてしまった時は、ストーカーされて散々な思いもしています。
その事件で入国禁止になった映画スターが逆切れをしたせいで大騒ぎになり、おかげではるか遠いニホンでも話題になりました。
ストーカー事件のあとから、パパラッチにあることないことゴシック雑誌に書かれるようになったので、名前のインパクトもありニホンではかなり有名になったのではないでしょうか。
悲しいかな、主に『馬鹿な王女』で検索されているようですけどね。
ある時、ニホンで人気のゲームキャラクターに私がそっくりだとネットでニュースになりました。
単純に私と同じ金髪翠眼の美少女キャラのドレスがたまたま被っただけだったんですが、それからは話題作りのために意図的に似たようなデザインのドレスを作って着たりもしています。
訪日する機会があった時は、つたないニホン語を使って自分が親日家であることをアピールしたりもしました。
最近はニホンからの観光客が爆発的に増えたので、頑張ったかいがあります。
そうそう、ニホン人の記憶があっても、自分の国ではニホン語で話す機会がないからか、発音はうまくできません。流暢な会話は難しいんです。読むことと言葉を聞き取ることは問題ないのですけど……。
だから、私がニホン語をすべて理解できているなんて、誰も気づくわけないですよね。
同行していた父には通訳がずっとついていましたが、たまに『なんじゃそりゃって』いうような翻訳をされてしまい、訂正するのに苦労しました。
今はまだ母国語とニホン語を話せる人がほとんどいないので、私がちゃんと会話をできるように頑張ろうと思っています。
この姿になってからニホンに初めて訪れたのは十二歳の時です。その後、なぜかニホンの第五皇子の尊様と私の恋話がネットで話題になりました。
ニホンで開かれた晩餐会のときに席が隣だったので会話はしましたけど『むかしニュースで幼いころの殿下を見た記憶がある』と思っただけ。
もともとニホン人でしたから敬意はもっていますし、見た目も爽やかな感じで印象は良かったです。
ただ、その殿下は末っ子といえども二十三歳ですからお互い恋心が生まれるには少し年が離れすぎているのではないでしょうか。
普通に考えたら、年齢も文化も、たぶん好みもまったく違うので本来なら共通点がまったくありません。
ところが、前世はニホン人として七十一歳まで生きていたので、この姿になってからの十二年より、長年慣れ親しんだニホンに傾向している部分が多いんです。
年齢はともかくとして文化も承知していますし、わびさびから可愛いまでニホン人と好みが似ています。そんなわけで親しくなるまでの壁は通常よりもかなり低かったかんじゃないでしょうか。
私がニホンは素敵な物がたくさんあって好きだと言った言葉に、尊様が行きたい場所があれば連れて行ってくれるとか、そんな社交辞令ばかりの、あたりさわりない会話でしたが、久しぶりにニホン語で話せて楽しかったことを覚えています。
確かにその時は隣席だった尊様とばかり会話をしていて、他の方たちとはそれほど交流できないまま晩餐会はお開きになりました。
それでも、その時殿下との会話は、話題になるほどのものではなかったと思うのですが?
それがどこから漏れたのか
「もしかしたらうちの殿下、親日家の馬鹿な王女と結婚できるんじゃね? デートの約束したんだってよ」
と、ニホンのネット住民さんが騒ぎ始めたんです。
当時私は十二歳ですから「ロリコンかよ」とか「それって犯罪だよな」って言われてますが七十代の記憶がある私からしたら四十歳以上年下なのでこっちからしたら孫だよって思っちゃいましたけどね。
その後、尊様とはSNSなんかでやり取りを続けています。意外にも尊様もアニメや漫画がお好きなようで、好きなジャンルが似ていることがわかって、おすすめのアニメや最新の漫画情報を教えてもらったり、可愛いキャラクターのグッズなんかを贈ってもらいました。
とても親切な方です。
お礼にこちらからはチーズとワインを送っておきましたけど、お口に合うといいのですが。
十五歳になった時、二度目のニホン訪問が決まりました。
今回は私的な旅行です。ニホンに向かっている飛行機の中ではワクワク、ドキドキが止まりませんでした
『姫様は本当にニホンが好きだな』
『当たり前じゃない。食べ物は美味しいし。私の好みのものがたくさんあるのだもの』
『ふーん。それにしても、今回は姫様の希望に合わせたせいで、かなりの過密スケジュールだな』
『だって三年前に行った時は危ないからって外出をとめられたんだもの。行きたいところがたくさんあるんだから仕方ないじゃないの』
『ああ、ひとりで抜け出そうとして、捕まったってやつか。まあ、姫様はいつも国のために頑張ってるからな。今回はできるだけ希望を叶えてやるつもりではいるぞ。そのかわり単独行動を企んで手を煩わせることだけは絶対するなよ』
『わかっているわ。ちゃんと大人しくしてる』
隣の座席で、私に馴れ馴れしくしているのはSPのリシェーンです。私の専属護衛になってからちょうど二年ほどになりますね。
年齢は二十五歳で茶髪碧眼の超イケメンです。武術の達人だそうで人前に出ることが多い私を守ってくれています。
普段はきちんとしていますが、他に人がいない時はこうやってくだけていることが多いかな。
今回はむかし住んでいた町に、どうしても行きたくてわがままを言いました。
前回は時間があまりなく、泣く泣く諦めたので、ニホン旅行ができるように、そりゃあ頑張りましたとも。
私的の旅行と言いましたが、実は尊様とのお見合いも兼ねているのです。
私に好意を寄せているらしい尊様の気持ちと、ニホンの国力に魅力を感じて縁続きになりたい母国の思惑が一致した結果、私さえ承知すればとんとん拍子に話がまとまりそうなんですって。
無理強いはしないそうなので、嫌なら気にせずに断ってもいいと言われています。
尊様が私のことを好きだという話は、アプローチしてくださっているのがわかりますから、まあそうなのではないでしょうか。年上? だけど、一生懸命なのが可愛く微笑ましいです。
現在尊様は二十六歳です。リシェーンとひとつ違いですね。うーん、有りっちゃあ有りですかね。
『なんだよ姫様?』
じっと見すぎてしまいました。リシェーンは家族以外で気をつかわずに話せる唯一の人です。
王族の言葉には力があるので発言には気をつけなければいけないのですが、リシェーンの前ではなぜか素のままになってしまいます。
リシェーンがお兄さんみたいだからかもしれません。
『リシェーンって見た目はかっこいいわよね』
百九十センチ近くある長身で、普段は少し癖毛の髪を後ろでひとつにまとめているのですが、髪を下ろしている姿は色気がすごいんです。
それなのに、護衛につくと一分の隙もないほどビシッとしているから、そのギャップもあって王宮に勤めてるお姉さま方にもてまくっているんですって。
『当たり前だろうが』
自他とも認めているからしかたありませんが、この男、謙遜しません。
『中身はかっこよくないわ。俺様がなんでもてるのか不思議よ。その性格が許されるのは創作の世界だけなのに』
いつか刺されると思う。
『姫様はお子様だから俺の魅力がわからなくてもしかたないな』
『失礼ね。子供じゃないわよ』
『ああ、はいはい』
そう言いながら、私の頭をくしゃっとなでた。
リシェーンが子ども扱いするたびに腹がたつ。本当は私、前世合わせたら八十六歳なんだっつうの!
ニホンに到着してからは、まず今回のメインである社交(お見合い)のため、ご挨拶にお伺いしなければなりません。
非公式ですので、用意していただきました車で迎賓館までこっそり送ってもらい、尊様と久しぶりにお会いしました。
「あれから三年ですか。カーナ様はますますお綺麗になられましたね」
「ありがとうございます。尊様もお元気そうで何よりです」
最近はニホン語の発音もばっちりです。頑張りました。
「今回は街にも出られる予定だそうですね。カーナ様がどんなものに興味があるのか是非知たいです」
「実は私、ニホンの渋さも好きなので、今回はそちらをメインにしているのですが」
「へえ、カーナ様は本当にニホンが好きなんですね。とても光栄ですよ」
「尊様もお時間がある時にお付き合いくださると伺っておりますが、私が行きたい場所は観光地でもありませんし、申し訳ないです」
「いえいえ、私はカーナ様とご一緒できるだけで嬉しいですよ」
ここでは遠巻きですが侍従なんかがいるので、かしこまった話しかできません。それでも尊様は少し前のめりですので、本当に私のことを好ましく思ってくださっているのでしょう。
ニホンで外出する際には黒髪のウィッグに黒色のカラーコンタクトを装着し眼鏡をかけます。リシェーンはニホンではどうやっても目立ちそうなので髪を帽子に入れて隠すくらいですかね。
目立たない車で小さなお寺や神社を巡り、そして今回のメインスポットへと足を運びました。尊様もご一緒です。
「懐かしい……」
やって来たのは、古びた喫茶店。どちらかと言うと年配のお客様が多く、店主の趣味でジャズが流れています。
私たちは店の一番奥のボックス席へ座りコーヒーを頼みました。私の横には護衛でリシェーンが、向かい側に尊様が座っています。
尊様の護衛の方はたぶんお店の外にいるのでしょう。
この場所はお店が見渡せるのでお気に入りの席です。よくここで本を読みながらコーヒーを味わっていたのを思い出しました。
「雰囲気がいいお店ですね。カーナさんはよくご存じで」
「ええ、こういう古い……レトロなお店が好きなんです」
日本語で殿下と話をしていると言葉がわからないリシェーンが眉間にしわを寄せるので、いちいち説明が面倒です。
店主が「よければこちらをどうぞ」とコーヒーを運できた際に、この辺りのガイドブックを渡してくれました。英語で書かれているもので手作りでした。
全然変わっていないと思っていたけど、この町も外国人の旅行客がたくさん訪れるようになっているみたいですね。
私が通っていたころはまだそんなことはなかったので、過ぎてしまった時間を考えると少し胸が痛くなりました。
当たり前だけど、本当に『私』は「私」ではなくなってしまったんだなと。
『姫様? 大丈夫か』
『なんでもないわ』
私の機微に気づいてリシェーンが声をかけてきました。
「ここはホットケーキも美味しんですって」
「じゃあ、頼んでみようかな」
「それでは私たちの分もお願いします」
尊様は甘いものもお好きなようです。
「本当だ、美味しい」
『…………』
ふたりは口数の少なくなった私を気遣ってか、独り言のようなつぶやきはすれど、話しかけてくることはありませんでした。
音楽を聴きながらコーヒーを飲むこの雰囲気は昔のままです。ホットケーキの味も変わらない。
何人もお客さんが入れ替わっていくのを見ながら、感慨に耽っていて、二人には申し訳なかったのですが、気がつけば一時間近くたっていたんじゃないでしょうか。
『姫様?』
いつもなら護衛以外は適当なリシェーンが、態度のおかしい私を心配をして、声をかけてきました……。
私が顔を上げたその刹那、優しい眼差しと目が合ってしまう。
懐かしくて嬉しくて切なくて、私は本当にここで生きていたんだと思ったら、涙が一粒こぼれおちました。
何も考えずに、このままあなたにすがって泣きたい。
リシェーンに伸びた手を自制心で引っ込めた。気持ちを押し殺すために、爪の跡がつくほど手のひらを握りしめ全身に力をこめる。
二人の間には、どうしようもない壁があったとしても私は――。
「このお気に入りの場所に……好きな人と一緒にいられて幸せなんだ……」
「カーナさん?」
はっとして尊様の方に顔を向けると、とても切なそうな顔をして私を見つめていました。
「あ、ごめんなさい」
『どうした姫様』
この時私は、自分の気持ちに気づいてしまったんです。抑えきれない気持ちが口からあふれ出てしまいました。
でもそれを言ってしまえばみんなを戸惑わせることになります。絶対に聞かれてはいけなかったのに……。
私はすぐに涙を拭って取り繕うとしましたが、なんともいえない空気をを払拭するのはとても難しい。
口に手を当ててオロオロしだした私を二人が困惑しながら見つめています。
「大丈夫ですか」
「え、ええ、なんでもないんです。本当に、なんでもないんです。お時間取らせちゃってごめんなさい。か、帰りましょうか」
外の空気を吸えば落ち着くかもしれません。私は立ち上がりました。
『…………』
リシェーンが他の人から私が見えないように、身体でうまく隠しながら店の外へ移動。
この気持ちには、蓋をして忘れることが最善なのだと思います。私は後ろ髪をひかれながらも思い出の店を後にしました。
帰国してからニホンのネットニュースを見ると、「殿下が馬鹿な王女を泣かせたってさ。ダメじゃんもう」「違う違う、関係者の話だと感涙だってよ」「デートかと思ったらSPがっつりついてんだもん。殿下かわいそう」またも尊様との恋話が……。
関係者って誰だ。
本当に誰かがリークしているとしか思えないんだけど。それともニホンまでパパラッチがついて来ていたと言うの?
『姫様』
そんなことを考えながらボーっとしていて階段を踏み外しそうになりました。咄嗟にリシェーンが腕をつかんでくれたので大丈夫だったけど気をつけなければ……。
リシェーンはその手をすぐに離し、護衛としての距離をとりました。そう言えば、あの日からこんな時以外は私にふれなくなっています。前のように子ども扱いをして頭をくしゃっとすることも、人が密集している場所でも肩や背中に手を回すこともない。
トレードマークの長髪を短くしたので、後ろ姿も変わってしまったし、守ってくれてはいても、大きな背中を見上げると、なんだか私を拒んでいるよに思えて悲しいです。
リシェーンの態度がなぜ変わってしまったのかわかりませんが、急に女性扱いされても戸惑います。今まで通り妹扱いの方がよかったのに。
「リシェーンのばか」
自分の恋心を自覚してから、今まであまり気にしていなかったことが、気になるようになりました。
王宮で年ごろの女性とすれ違う時、人によってはあからさまに頬を染めることがあります。視線はすべてリシェーンに向かっているけど、リシェーンの方はそんなことはどうでもよさそう。
罪づくりなもて男は余裕がありますね。うわさしか知りませんがリシェーンの女性関係はけっこうえげつない話ばかりですし、その度にリシェーンに恋をすることは、不毛なことだと思わずにはいられませんでした。
護衛されている私は、侍女のお姉さま方にとても羨ましがられているようなので、修羅場は私を巻き込まずにお願いします。
はぁ。
最近はため息の数が多くなりました。
「人を好きになるって、切ないことが多いです」
ニホンを訪れてから三年が過ぎました。
私たちの間に物質的に距離ができたことで恋心も少しずつ薄れていくかと思っていましたがなかなか難しいです。
幸か不幸か、今でも胸の奥でくすぶり続けています。
そう言えば尊様が隣国の式典に出るついでに我が国にも足を運ばれることが決まったそうです。
お互い婚約者もいませんから日本ではその話題で大いに盛り上がっていますね。
「十八歳と二十九歳ならありだよな」だそうです。
申し訳ありませんが皆さんのご期待には沿えそうにありません。尊様がどうこうではなくて、気持ちの整理がつくまで恋愛は無理な気がします。
三年前のお見合い(?)のあとに母国の担当者には、いまは誰とも結婚は考えられないと伝えたので、尊様もすでにご存じかと。
あの後もメールでやり取りはしていましたが文面から尊様からの情熱は感じなくなりましたので、今は異文化交流するお友達という状態です。
「お久しぶりです。尊様」
「カーナ王女殿下もお健やかそうでなによりです」
そんな挨拶から始まりました。尊様が滞在する二日間、ニホン語が話せる私が通訳兼案内係です。
そして相変わらずリシェーンが護衛を務めています。
「ここにはニホン語がわかる者もおりませんし、あまり畏まらずお気軽にお話ししてくださいね」
尊様の警備の方もいらっしゃいますが、会話が聞こえない程度の距離はとってもらっています。リシェーンはかまわず私の真後ろについて来ていますが……それはしかたありません。
「ありがとうございます。では、そうさせてもらいますね」
「これから今日は大聖堂を見学してもらってから湖城に案内しますけど、食事は素朴なものしかご用意できないので期待しないでください」
「伝統料理なんですよね。こちらへ伺ったのは初めてですからすべてが楽しみですよ」
私たちは大聖堂へやってきました。
尊様がご一緒ということでニホン人の観光客が騒ぎになっても困ります。
それにたぶんまた、あることないことニュースになりますしね。ですので今回は立ち入り禁止区域からこっそり見学してもらうことになりました。
「素晴らしい。荘厳で圧倒されます」
「建設当時は時短で造ったので、かなり簡易的な建物だったそうですが、その後、増築を繰り返して今に至っています。実はこの教会、うしろ側から見ると建物の統一感がないんですよ」
「それも魅力の一部ですよ。歴史を感じます」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
その後、湖畔にある湖城へと移動してきました。これから晩餐会です。
それまで時間があったので、第二王女のお姉さまから尊様をご案内するようにと言われ、湖畔を散歩することになりました。
ここの警備は万全ですので今回リシェーンはそばにいません。
ですので初めて尊様と二人きりになりました。
私が案内している最中、何故か尊様はそわそわして落ち着きがありませんでした。
いまは夏真っ盛り。日差しも強かったので、私は湖畔の庭園に設置されている東屋での休憩を提案。
水面がすぐそこでキラキラしている場所で尊様と向かい合って座っています。
「今日はいつもより暑いですけど、尊様は大丈夫ですか」
「ニホンより過ごしやすいですよ」
「そうですか」
「ええ」
尊様の反応がいまいちなので、今日は話が弾みません。
会話をしても返事が一言二言なので、間が持たず困ってしまいました。なんとか話を盛り上げようと湖に張り出すように作られた湖城の方に目を向けます。
「あれ、夜にライトアップするととても幻想的なんですよ」
「それなら夜にも散歩させてもらおうかな」
「是非。気にってもらえるといいんですが」
あ、でも、あそこで映画スターに大金積まれて、仕方なく食事をした時に抱き上げられたんだった。
う、嫌なこと思い出しました。
一瞬渋面になってしまったので、いかんいかんとすぐに笑顔に戻します。
百面相していた私に気がついたのか、いつもより低めトーンで尊様が声を掛けてきました。
「こんな機会、たぶんもうないと思うので、私の話を聞いてもらっていいでしょうか」
いつも朗らかな尊様が、今まで見せたことがないような何か決意した強い眼差しを向けてきました。
「はい」
私の返事を聞きながらも沈黙が続きます。言い出しにくい話なんでしょうかね。
「――私はカーナ王女に気持ちを伝えるためにこの国へ来ました」
真剣な眼差しの尊様と目が合います。
こたえは決まっている。何も聞かない方がいい。何も言わせない方がいいはず。
「私、愛しい方がいるんです。忘れたくても忘れられないの。だから何も言わないでください」
「貴女に好きな人がいることはわかっているし、苦しめたいわけではないんです。だけど区切りをつけなければ私も諦めることができそうにありません」
「なぜ、私なんか……」
「はじめは私が好きなキャラクターに似ていて可愛いなと思ったくらいですが、カーナ王女の国に対する姿勢を知ってから、人柄にも興味を持ち、憧れ、それが恋情に変わったんだと思います」
「尊様は私のことを上辺しか見ていないのよ。本当の私を知ったらきっと熱も冷めるはずですわ」
「そんなことないよ――振ってくれてかまわないから聞いてほしい」
人を思う気持ちで苦しんでいるのは私も同じで、膝まづき私の右手を取った尊様を振り払うことができなかった。
なのに……
「バカナ王女、私と結婚を前提にお付き合いしてください」
私はたった今、尊様から求婚されました。
なぜ、こんな時にニホン語でプロポーズするの? いや、ニホン人だから仕方ないかもしれないけど、ニホン語でバカナと呼ぶなんてひどすぎる。
もしや振られることを前提での嫌がらせか!?
こたえはNOに決まっているけど、最悪すぎて返事をしてあげる気になりません。
私は尊様の手を振り払い背を向けた。
「それが返事だと受け取ります。リシェーンとお幸せに」
はあ? リシェーン?
「なんなの? 私は真剣に申し訳ないなって思っていますのに。――あれ、まさかこれもリークされて馬鹿な王女が騙されたってニュースになるんじゃないでしょうね」
リークしていたのが尊様だったら本当に最悪。
自分の顔が鬼の形相になっていくのがわかるほど、久しぶりに憤慨しています。
「ちょ、ちょっと待って。貴女が何を怒っているのか、まったくわからないんだけど」
振り向くと、その言葉通り本当に戸惑いを隠しきれない様子の尊様。
どうやら嫌がらせではなかったようです。ちゃんと話し合わないとお互い勘違いだらけなのかもしれません。
「尊様は何故私の好きな人がリシェーンだなんて思ったのですか。護衛としては信頼していますけど、あの人は男性としてはありえませんよ」
「SPとその護衛対象にしては仲が良すぎるし。それに三年前、あの喫茶店で貴女が彼を好きだとつぶやいたのが聞こえたんだ」
「そんなこと、言った覚えがないわ」
リシェーンを好きだなんて言うわけがなかった。前世の兄に性格や雰囲気がそっくりだったので、身内みたいな親愛の情はあっても、周りに勘違いされるような発言はとても気をつけているから、言葉になんてするわけがない。
「いいや、確かに『このお気に入りの場所に好きな人と一緒にいられて幸せなんだ』とニホン語で言いましたよ」
私は首を傾げる。
「やだ、それリシェーンのことじゃないです」
「だって、あの時あの場所には彼と私しかいなかったし、間違っても私のことではない以上、リシェーンに向けられた言葉だとしか思えない」
この想いは胸の中にひっそりと隠しておくつもりでした。だけど、真摯な態度の尊様にたいして、私も誠実に答えるべきですね。
「あの時……尊様とリシェーンだけではなかったんです。私の視線の先には八十五歳になる旦那様がいたんだもの」
「は? 旦那様? 八十五歳?」
「あの日、通路側に座っていたリシェーンを押しのけて飛びつきそうになるのを我慢するのが大変でした」
「――ごめん、私の読解力がないのか、貴女の日本語が間違っているのかわからないのだけど。まったく意味が分かりません」
「だから、私の伴侶ですよ。あれから三年たっていますから現在は八十八歳ですね。三年前、約十六年前にお別れしてから久しぶりに会えたんですけど、やっぱり大好きだなって思いました」
「はい?」
「私、前世の記憶があるんです。ニホンで生まれてニホンで亡くなりました。きっとお墓もあります。ニホン語は七十年も使っていたので話せるのはあたりまえなんですよね」
尊様は頭を抱えて悩み始めました。それはそうでしょう。私も自分のことでなければ信じられません。
「うーん。なんて言えばいいのか……。でもそれではカーナさんはずっとその人のことを一途に想い続けるということでしょうか」
「そうですね。ただ、私の恋心が叶うことは百パーセントありませんが」
「それは……そうでしょうけど」
「今世で過ごす時間が長くなっていけば、いずれ前世の想いを引きずらなくなるかもしれません。その時にまた誰かに好意をいただくかもしれませんけど、正直いまはわかりません」
あの日、旦那様に会うことがなければ、あの頃の記憶と想いを鮮明に思い出すことはなかったかもしれません。
実際、それまでは素敵なお相手なら政略結婚でもかまわないと思っていたくらいですから。
旦那様が座っていた席の向かい側には私が読みかけていた本が置いてありました。
旦那様が今でも「私」とあの喫茶店で過ごしているのがわかったから。
大切に思われているのを知ってしまったから。
この気持ちを忘れる時がくるのかまったく想像もつきません。
「そうですか……」
「そうなんです」
(ライバルは八十八歳か。リシェーンがライバルだった場合とどちらが見込みがあるんだろうか。うーん)
尊様の心の声がもれて、聞こえてきました。前世の話をしたら引かれるだろうなと思っていましたけど、まったくそんなこともなく、ここまで想ってくださることは嬉しく思います。
「前世の話は他にどなたかにされていますか」
「いいえ、尊様が初めてですよ」
「リシェーンにも?」
「はい」
尊様は少し考えた後、背筋を伸ばしました。
「申し訳ないのですが先ほどの求婚はなかったことにしてください。カーナ様もなんか納得されていなかったようですし。諦めるのやめます」
「えーっと、私の態度も酷かったのでそれはかまいませんけど。いくら待たれても尊様の手を取る日が来るかわかりませんよ」
「いいんです。いつか振り向かせてみせます。それこそ七十年、八十年かけてでも」
いやー、人間そこまで一途に想い続けることは無理でしょう。って私が言っても説得力がないので開きかけた口を閉じました。
それからも尊様との交流は長きに渡り続きます。
月日が流れるのは早いものです。あれから何年たったのでしょう。
皆さんは私と尊様のどちらが、より一途だったと思いますか?
その答えは―――。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
とうとう、姫様を手放す時がやって来た。
護衛についてから、いずれその日がくることはわかっていたのだが、実際にそうなると、思った以上に寂しさが込み上げてくる。
我が国とニホン国はお互いの思惑もあって姫様とニホンの皇子を結婚させるため、まずは世論を味方につけることにした。
ニホンの皇子との仲睦まじい情報を流していたのは両国の王族だ。
俺はそのためにいつもレコーダーを持たされていたので、姫様の会話は王宮の主だった者たちには筒抜けだった。
ある年、皇子との見合いのため、ニホンを訪れた姫様だったが、何故か情緒不安定になり王宮の侍従どもから、お前が泣かしたのだろうと責めたてられた。
レコーダーに録音されていた姫様の言葉のせいだったが、あれは明らかに俺に向けたものではなかった。
ましてや皇子でもない。
一番近くで姫様を見ていた俺にはわかる。ただ、今でもその理由はわかっていない。なぜ、あの老人を見た瞬間に姫様がおかしくなってしまったのだろう。
その後、護衛を続けたければ姫様からそれなりの距離を取れと言われた。身なりもだ。
姫様はなぜかニホン語で独り言を言うことが多かった。たぶん誰にも分らないと思っていたのだろうが、それは姫様の思い込みだ。
ニホン語の通訳は、両国の言葉を話せる人間があまりいないので、いつも同じ侍従がついていたのだが、姫様はたぶん、そいつはニホン語があまりできないと思っていた。本当はペラペラなんだそうだ。
だから姫様のニホン語はすべて翻訳されている。
それは年ごろの少女にとって、とても屈辱的なことだったのだろう。
それらの話を初めて知った時、姫様はその場に膝をついた。
俺は手を差し伸べたが、それを無視して自分でさっさと立ち上がる。
スカートの汚れをぱんぱんと払ったかと思うと、
『あきれてモノも言えないわ』
そう言って王宮の誰とも、それこそ姉王女とすら口を利かなくなってしまった。
それが何ヶ月も続くとは……。
姫様は思いのほか頑固だった。
その時は、機嫌を治してもらうために、総出であの手この手をつかったが、一番効果的だったのがニホン旅行だったことは言うまでもないだろう。
何が幸いするかわからない。
この時、姫様が唯一心を許していたのがニホンの皇子だったのだ。
それに俺にさえ話してくれない二人だけの秘密を持っていたようだ。
ふたりの距離が近づいたことは両国にとって喜ぶべきこと。
そうは言っても一向に友達以上に発展しないふたりに周りはとても焦れていた。王宮に係わるものはもちろん、ネット住民も声を揃えて大合唱。
「いい加減くっつけ」と。
『あの小さかった姫様が、嫁がれる日が来るなんて感慨深いな。もうと言うべきか、やっとと言うべきか』
護衛仲間がつぶやく。
『リシェーンが掻っ攫うんじゃないかって噂もあったよな。あの頃が懐かしいよ』
『…………』
大人になって姫様に気軽に接することができなくなって、距離ができてからも、兄弟のいない俺はずっと妹のように思っていた。
姫様からも兄のようだと、何かの折には言われていたので情がわかないわけがなかった。
日本でのあの言葉がもし俺に向けられた言葉であったとしたら、俺はどうしていただろう。
姫様を掻っ攫う?
俺は自分の考えを否定するために首を振った。
まさかな。そんなことを考えてしまうほど感傷的になっているのか俺は。
姫様は自分でちゃんと一番幸せになれる伴侶を選んだと言うのに。
『用意ができたそうだ。いくぞ』
教会の重厚なドアが開く。
中から現れたのは純白のウエディングドレスを身に着けた姫様だ。
その姿は今までで一番美しかった。
祝いの言葉も別れの挨拶もすでに済ませている。
『リシェーン』
姫様がこちらを見て微笑んだ。それに返すように俺も左の口角を上げる。
絶対に幸せになれよ、俺の最愛……。