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夏区の向こうの宇宙空間で弾ける閃光をみて、ティラナは全身の血が引き、凍えるような身体の震えを感じた。「あ、あいつらが来た……!」
「そんな」エレナも怯えた様子で「星が散っただけじゃないかしら」と言った。
「いや、一年前と同じ光だった。先に行く!」
呆然と遠くを眺めるエレナを置き去りに、ティラナはバサバサと墜ちるように羽ばたき、屋上へと戻ると荒々しく降り立った。
主の帰還を待ちわびていたトキに向かって、その主は「警報を鳴らせ!」と強く言葉を放つ。
乱暴に脱ぎ捨てられたライカモスを拾い上げながら、トキはただ驚き「ティラ様、いかがされたのですか」と尋ねた。
それとほぼ同時に警報が鳴り響く。夏区の駐在軍人の指示の方が早かったようだ。
あっという間に上空のフィールドの色が暗黒に変わり、ワーニングの赤文字が浮かび上がる。隣の警備軍局がドッと騒がしくなった。「まさか」トキの顔も、主人と同じものへと変わる。
ティラナは混乱する頭をぐちゃぐちゃに掻き、必死に自分の任務を脳内に呼び起こす。「出動するぞ……! 隊員は……隊員は揃っているのか?」
「はい、全員」
「機体の整備は終わっているのか?」
屋上入り口の扉が開き「ティラ様」と、険しい顔つきの郡山がティラナを呼んだ。
その後ろからシルヴィオがなだれ込み、ティラナの顔を認めると周りをキョロキョロと見渡した。「あれ、レナは?」
そのとき、ティラナはエレナがまだ上空にいることに気がついた。空を見上げたティラナの視線を追う。
「おいおい……、レナはなにしてんだ。ティラを呼び行ったのに」
エレナは闇浮かぶ天使のようにそこに君臨したまま、微動だにしない。
「ほっとけ。行くぞ」
血の気の引いた顔のシルヴィオは「えっ……危ないよ! 俺が迎えに……!」とエレナをみつめたまま言った。ティラナが罵声をあげる。「馬鹿野郎、一刻を争うんだぞ、シルヴィオ!」
怒るティラナを無視して、シルヴィオはトキが持っているライカモスに手を伸ばした。その手を、シルヴィオよりも骨張った大きな手が制す。シルヴィオがハッとして見上げると、その大きな手の持ち主、レオナルドがにこりと微笑んだ。
「レオ……」
「心配してくれてありがとう。おれが行くから、シルはティラと先に行け。後をからレナと一緒に追いかけるから」
郡山が持ってきた隊員服に着替えながらティラナが再三、彼の弟を呼ぶ。「シルヴィオ!」
「分かった。レオ、早く来いよ!」
「ああ、必ず」
シルヴィオが横髪を伸ばしているように、レオナルドも二本伸びた後ろ髪がある。それをふわりと浮かせるのを横目に、ティラナとシルヴィオは、彼らのサーバントを連れ駆け出した。
地下へ、戦艦の裏側、腹の底へ。大型エレベーターは、彼らをほんの一部の人間しか入れない場所へ、秘密裏に運ぶ。
エレベーターを降りた先は、天井も壁も床も機械や管が露わで、まるでみっちりと積まれたつみきの中からスッと一つだけ抜き取ったような、戦艦に空けられた不自然な穴。
戦闘機と母艦を繋ぐ通信機台、幾つか無雑作に投げ出された椅子、そして、並ぶ五機の戦闘機。それだけの、きっと誰かは浅はかで無用心も過ぎると批判するだろう、まるで無防備な砂場、しかしクルクスの命を一身に背負う甲鉄の穴、それがこの巡査局司令室なのだ。
郡山が怒号のように叫ぶ。「総員、集合! 状況を伝える」
既に到着していた隊員が瞬時に集まった。女性隊員は岩瀬、橋下、男性は黒沢、本宮。いずれも落ち着きはらっている。
ティラナはその様子をみて、自身の心を落ち着けた。焦りをみせるのは実に子どもらしく、みっともない。司令官は郡山だが、実際に宙に出て指揮を取るのはティラナだ。精神が揺らいではならない。
「一年前と同じヤツらだろう」
本宮が言った。「ではまた」
「そうだ。姿のみえない現段階は威嚇閃光だけだ。しかし姿を現した途端、一斉に攻撃に集中する。……敵は前回、威嚇閃光のあとそれと同じ方角から現れた。だが、いいか? 敵の行動は毎回と同じとは限らない。全方位に注意しろ」
「はい!」と隊員が声を揃えた。
「ティラ様、シル。まずは我々が出陣します。もし敵の姿が現れたら……お越しいただけますか?」
ティラナが凛と胸を張る。「ああ」
シルヴィオは「任せろよ、隊長!」と胸を叩いて言った。
「総員出陣準備!」
勢い良く機体へと散る隊員たちと同じように、ティラナたちも自分たちの機体へと向かった。
二機しかない攻撃機のうちの一つ、DDD−4t、通称ギデオン。シャチのように先端が丸く尖るこの機体には、恐ろしく多くの爆発物が積まれている。これに、彼らは乗るのだ。
クルクスの持つ拳銃は、たった二丁。
他三機は元来観測機であって、戦闘能力皆無だったものを改良してなんとか攻撃機モドキにしたのだ。
七百年前は、宇宙での戦争はなぞまだなかった。宇宙上に散らばる数多の船団は人道から外れることはなく、故に戦争を予期せず闘う力を持たぬまま地球を立った。(戦闘機にしろ、なんにしろ、このクルクスは初めからあまり物を持たなかった。そう、それは清貧と禁欲のために)
機体を起動させているティラナに、シルヴィオが声を掛けた。
「俺が前に乗る」
「ふざけるな、これは訓練じゃない」
本日二度目の姉弟喧嘩に、流石にふたりのサーバントのトキとアイリーンも顔を見合わせた。
攻撃機も観測機も、どちらも二人乗りが原則であるのは、クルクスの特有だろう。前に座るは操縦士、後ろに座るが賛美係である。
このアレルヤは、操縦士や機体に神の御加護があるように祈りと賛美を捧げるのだが、真の役目は、事故が起きた際に機体回収係として置かれている。
クルクスは戦闘機を生み出す原料も惜しく、損傷なら直せるが、機体の消失は可能な限り避けたいのだ。機体が帰還する可能性を少しでも上げるために、このような形となった。
だが勿論、王家たる人間が犠牲を払ってまで守るべきものでもない。女教王や准王の尊さに比べたら、たかが機体など。
ところが、運命の悪戯か、もしくは七百年の平和が織り成した呪いか、王家四人が最前線に立つことに至った。
あれは一年前の事件よりもさらに昔、まだ彼らが幼いころ、戦闘機を見学し初めて宙を飛んだ日。現王家には特別な力があると判明したあの日。
彼らの祈りは、戦闘機(または操縦士)に何かトクベツな働きをするのだ。
四人それぞれ、たとえば、機体をフィールドを張るように加護するときや、機体内で傷を負ったときに痛みを和らげたり。
はたまた反対に、攻撃的になり不可能の域までスピードが上がったり、砲火の威力を強めたり、と様々な力を彼らは聖書の朗読でみせた。
彼らは敢えて二人乗りしたほうが、格段に戦闘能力が上がる。
自衛力の無いクルクスは、危機に晒された今、それに頼らざるを得ない。反対する者も勿論いたがなにより、まぎれもなく彼ら自身が危機に立ち向かうと決めたのだ。