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二十席ほどあるVIP席は巡査団以外誰もおらず、前列はトキ、ティラナ、郡山、橋下、伊勢。後列にアイリーン、シルヴィオ、エレナ、レオナルド、黒沢、本宮と並んだ。一般席は、平日の昼であるにも関わらず、そこそこ客の姿があった。
シートベルトの着用を促すアナウンスのあと、上からカバーが降り、観客席はカプセルのように包まれた。郡山がティラナとトキのシートベルトをチェックした。「ティラ様、かなり揺れますからね」
観覧席は前進し、ドームと別離する。ティラナを乗せたこの一つの大きな卵は、ゆっくりとプールに潜っていった。
選手が現れたのは、水中からであった。選手達は人魚のように体を畝らせて自由に水中を泳ぎ回り、その後、軽快な音楽と共に観客席が再び空中に浮き上がると、同時に選手も一斉に水中を飛び出した。これがオープニングセレモニーであるようで、そのあとに始まった選手紹介では、観客が甲高い口笛を吹いてそれを煽った。
選手は一人ひとり、顔を覆うマスクの柄が違えば、衣装の色も違う。チーム内で共通しているのはライカモスの羽の色だけである。今回は、青い羽根と白い羽根の試合だ。
ティラナが空に並ぶ選手を指で数えていると、橋下が「八人対八人ですよ。狭い会場や短い試合の場合は五対五で行うときもあります」と郡山の横から顔を出して捕足した。筋肉隆々の大柄もいるが、小柄な体型の選手の方が多いのは、どちらのチームも五人が女性で、三人が男性という編成だからだ。
「モスどころか、まるでデーモンだな」
マスクは、鬼の如く厳しい。もちろんそれは相手への威嚇や、強さを誇示する為に。また逆に、つるりと顔の無い白いマスクの者もいた。それはそれで、狂気の中に立つシリアルキラーのように、はたまた人を陥れるマッドサイエンティストかのように、映画のなかの死を招く登場人物を思わせる、至極気味悪いものだった。
上空に『READY』と現れ、その文字が弾け消えるのと同時に、短いファンファーレが鳴った。試合の始まりである。
「うわっ」
バトンを持つ選手達が高く登り上がるうごきに合わせ、グンッと観覧席が浮動する。それからはもう、上がったかと思えば、しかしすぐに下がったり、前後や左右に激しく揺れ、あっという間に内臓が振り回されるような不快さに襲われた。
さっそくトキが「よ、酔いそうです」と弱音を吐き、ティラナを挟み郡山が「係に言えば脱出できるから、無理するな」と励ました。
この乗り物は一回慣れてしまえば、バトンを持った選手を自分が追っているような感覚を掴むことができる。
バトンを持った選手と、それを護る数人のディフェンダーが、行く手を阻むどころかバトンを奪おうとする相手のオフェンダーと正面衝突した。
ディフェンダーは突破され、相手のオフェンダーに襲われ掛けたバトン選手が、逆走してそれを逃れようとする。仲間のオフェンダー役が気付き、ディフェンダーに代わってバトン選手を援護する。
しかし、そのあいだオフェンダーが手薄になり、相手のバトン選手が駆け抜けていってしまった。
青のバトンを追ったり、白のバトンを追ったり、引きで両者の様子をみたりと、観客席は忙しなく動き続けた。
次のバトンパスを受けるために、オフェンダーの役割を抜けようとした青いライカモスの選手が、上空で殴られ、水中に沈み込んでおおきなどよめきが起こった。
その選手の名であろう「ジョシュア」コールが客席を一体にする。
ジョシュア選手は観客の期待通り見事復活し、水中から勢いよく飛び出すと、オフェンダーをくぐり抜けて無事バトンを受け取った。観客は、ワアッと拳を上げた。
「案外面白いな」
そう言ったティラナに、郡山は頷いた。「そうでしょう、女教王」
娯楽を知らなかったティラナは、その激しい攻防戦に思わず引き込まれた。ティラナも気分転換やときたま移動手段にライカモスを使用しているが、あれがこんなに俊敏に動けるとは思ってなかった。
選手はさぞ楽しいことだろう、本能を剥き出しに、敵に飛び掛かることができるのだから。
ティラナは自分が選手になった想像をして、しかし、すぐに打ち消した。女教王は、何かにはなれない。世代交代さえすれば多少の自由を得ることができるが、それでも、王家顧問という道が決められている。
結局、政府や修道星庁という管理者の元からは逃れられない。
ティラナは俯きそうになった顔を上げて、試合に集中しようと努めた。嗚呼、このスポーツはみていて実に清々しい。無論、派手に飛び散り、頭から被っているポップコーン以外は、だが。
試合のあと、選手たちが巡査団一行の元へ挨拶に訪れた。ティラナが気に入った旨を伝えると、選手たちは大いに喜んだ。
先の試合で他の選手よりも多くの歓声を受けていたジョシュア選手が「お久しぶりです。我らが准王」と前に進み出て、シルヴィオ、アイリーンと握手を交わし「宜しかったら皆さんを楽屋をご案内致しますが。たくさんのマスクが飾ってありますよ」と一行を誘った。
おどろおどろしいマスク外した素顔のジョシュアは、赤髪の好青年だった。
郡山は躊躇った。「しかし大勢で押し掛けたらご迷惑でしょう。ティラ様、王家の四人で行ってきたらどうです?」
シルヴィオは選手の顔を見渡して、伺うように言った。「俺は何回も入ったことあるけど、また行ってもいいですか?」
シルヴィオが発言すると選手団から拍手が起こり、口々に「勿論です。准王さま」と言ってみな微笑んだ。シルヴィオが夏区民である彼らから、いかに弟のように可愛がられ愛されているのかがよく分かる。
「ごめんなさい」エレナは首を横に振り、近くの席に座り込んだ。「わたしは少し酔ってしまったみたい。ここで休みたいわ」
溜め息を吐きながら「お前も外の空気吸って来い、トキ」とティラナが言うと、フラフラと真っ青な顔で口元を押さえていたトキは、それでもサーバントとしての務めを果たそうとした。
「いいえ、そんな……!」
そのとき、レオナルドがティラナの横に割り入り「ティラ、おれがきみのお供をするよ」と言って、その肩をそっと抱いた。
ティラナはレオナルドを横目でみると、頷き、トキに外に出るよう顎で出入り口を指した。
「申し訳ございません。そうさせて頂きます……」
「あ、じゃあ、アイリーンも休んでなよ」
シルヴィオが隣に立つアイリーンに声を掛けると、アイリーンは焦ったように「いいえ!!」と声を張った。それは思いのほか響き渡り、みな驚きアイリーンの方へと向く。
視線を浴びたアイリーンは俯き、声のトーンを落として言った。「わたくしはご同行いたしますわ」
ジョシュアが「……では、こちらに」と四人を招いた。
ティラナとレオナルド、シルヴィオとアイリーンは関係者通路からプール下にある楽屋へと至ると、歴代の人気選手のマスクが壁を覆い尽くすように陳列している別室へと案内された。
マスクの構造の説明や、人気の選手の活躍ぶりを聞きながら、そこまで広くはないその部屋を一周すると、ジョシュアがシルヴィオに言った。「准王。久しぶりに泳いでみませんか」
ティラナは驚いて、シルヴィオをみる。「シル、お前、そんなことができるのか」
「いや、一、二回ちょこっとだけ泳いだことがあるだけで、選手のように早くなんかできないよ。まあ俺の区だし、色々知っておかないとだろ」
離れて暮らすようになって早一年、随分立派になって、と嫌味を言い掛けたがやめた。ティラナはそこで口を噤んでしまったせいで、シルヴィオが着替え始めても「私も泳ぎたい」という言葉を言えず、とうとう口を開くことができないまま、青いライカモスを意気揚々と背負うシルヴィオを見送ることとなった。
シルヴィオは試合用の派手なマスクではなく、練習用の口元だけを覆うマスクを付ける。マスクから延びるチューブは、ライカモスに括り付けられた酸素缶と繋がっている。
「じゃ、ちょっとだけ行ってくる」と言ったシルヴィオに、ティラナはいつもよりさらに不愛想に「ああ」と返し、レオナルドは「気を付けるんだよ」と手を振った。
アイリーンは、シルヴィオがプールへと潜る寸前まで付き添い、笑みの無い顔で「お気をつけていってらっしゃいまし」と言った。




