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幻影  作者: 篠井 秋生
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アパートの部屋 その2 〜エリが残していったもの〜

エリが、勤め続けていた東京の美容室を突然辞め、押しかけるようにして此処に一緒に住み始めたのは去年の十二月のことになる。


約一年ほどの同居生活だったが、そのあいだに増えたものが結構あって、いざエリが居なくなってみると、その殆どのモノはオレにとって余り必要のないものになってしまった。


オレの部屋は乱雑かそうでないかと云われれば、無論、乱雑には違いないのだが、基本あんまり物があると落ち着かない性格だから、普段からあまり色々な物をたくさん買わないようにしている。

もちろん不便を感じるのは嫌だから、必要と思われる日用品のストックくらいはしているが、それだって同じものを幾つも持っている訳ではないので、それほどかさばるわけでもない。


一年前、海外旅行にでも使うような馬鹿デカイ鞄を携えたエリが、荷物の重さに耐えかね、息も絶え絶えに初めてオレの部屋に入った時、必要最低限の日用品や雑貨しかないスカスカな部屋を見て言った言葉は


『コレって…何かの修行?』


だった。




「いや、別に修行じゃねーし」


デカイ鞄を横に置き、ローテーブルのそばにちょこん、と正座したエリに視線も向けず、そのときオレはそう答えた。


何となく向かい合って座る気にもなれなくて、壁にもたれたまま腕を組んでいると、


「え〜〜!だって物が無さすぎでしょ!」


と、何故かハイテンションにエリは言った。


「別に…そうでもないだろ」


突然やって来て、はしゃいだように部屋を見回すエリの真意を測りかねて、逆にこっちのテンションが下がり、自然、口調がぶっきらぼうになる。


そもそも、エリとは此処に来る直前ーーそう、一年前に別れていた。


別れを切り出してきたのは……もちろんエリの方だ。


「そうかなぁ?」


「そうだよ」


さすがにオレの仏頂面が気になったのか、エリの口調が急に大人しくなった。


「……ねぇ、私が来たの、迷惑?」


「…………………分かんねぇ」


オレは相変わらず視線を下げたまま、答えた。


「……そっか。あのね、突然来たことは謝る。ごめんなさい。あと、変なテンションなのは勘弁して?久しぶりにリョウに会ったから、どんなふうに接していいかよく分からないんだ」


「……………そう」


気まずい沈黙が流れた。

エリも俯きかげんになって押し黙ってしまい、部屋の中が静まり返る。


かつてない重い空気に息が詰まりそうになった。


(ダメだ。この空気、オレには耐えられねぇ)


オレは手近なところに置いてあった煙草を取ると、一本咥えて火を付けた。

深く吸い込んで一服する間も、エリが何かを話しかけてくる様子は無い。


(何かいいたいことがあるから、わざわざこんな所まで押しかけてきたんじゃねーのかよ?)


そう言いたい気持ちをグッとこらえて、オレは気持ちをフラットにしようと努めて意識した。


エリがすっかり黙り込んでしまったので、仕方なくローテーブルの上の灰皿を取りながら口を開いた。


「……それで、オレに用って何?その鞄、旅行の途中か何かか?」


「えっ、と…これは…」


自分が入れる位デカイ鞄だという認識はあるんだろうに、何故かエリは慌てたように膝立ちになって、オレの視界から鞄を隠そうとした。


「そ、そうなの。まぁ、そんな、トコ」


奥歯に物が挟まったような物言いが、どうもしっくりと来なかった。



オレの知っていた以前のエリは、良くも悪くもいつもハッキリとした物の言い方をするヤツだった。

それが別れる原因の一因にもなったのだから、こんな様子のエリはオレにとって、違和感がハンパないことこの上ない。

それとも、会わなかった一年の間に、何かが変わったんだろうか。




二年前、思うところあってそれまでの仕事をスッパリと辞めたオレは、何のツテもコネも無いこの街に辿り着き、情報誌を頼りにアルバイト生活を始めた。

最初の一年は、数人の知り合いを除いて殆ど誰とも連絡を取らず、実家にすら一度も帰らずにいたために、知人のあいだでは半分行方不明のような状態になっていた。


一人きりになりたくて、実家の父親以外にはこちらの住所を教えなかったから、訪ねて来れる者も誰一人いない。

持っていた携帯を解約し、番号を新しくしたことで、周りは驚くほど静かになり、どうしても連絡しなければならない用事がある時は非通知で電話をかけた。


幸い、そうそうそんな事は無かったが、ある時、定期便のようにしていた実家への電話の中で、エリから連絡して欲しいと電話があったことを聞かされた。


エリーー津川エリはオレの恋人だった。


初めて会ったのは高校時代で、お互いに好意を持って付き合い始めたのは学校を卒業して間もなくの頃だ。

十代の終わりから二十代の半ば、オレが仕事を突然辞めるまで、付き合いは途切れる事なくずっと続いていた。


こう言っちゃなんだが、それまではそこそこ順調な、良い関係だったと思う。


エリは一言で云うなら『ひまわり』みたいに目立つタイプで、いつも明るくて、元気があって、周りに人が絶えないようなヤツだった。

高校を卒業して美容師の専門学校に進み優秀な成績で学校を卒業した彼女は、子供の頃からの憧れだった美容師になった。

就職先の店でも、持ち前の頑張りで早い段階で頭角を現し、接客も上手いから彼女を指名してくるお客さんも多かったらしい。

美容師という仕事についたのはまさに彼女にとって打ってつけだった。


常に未来志向で前向きな考え方をするエリは、オレが『ある事』をキッカケに突然仕事を辞めると言った時、それこそ猛烈に反対した。

それまで築いてきたキャリアを潰すのは勿体無い、と言って、一時の気まぐれで行動するな、と。


確かに、そのとき誰よりも側で見ていたエリからすると、オレの取った行動は理解出来なかったのかも知れない。

それまでのオレは向上心と負けん気の固まりのようなヤツで自尊心も高かったから、にわかに別人のように腑抜けになったオレが信じられなかったんだと思う。


一緒に居て、いつまでもうだうだと煮え切らない状態を続けているオレは、さぞかし彼女の目に歯痒く映っていたことだろう。


(『過ぎた事は過ぎたこと』じゃない!)


と、ある時エリは耐えかねたように言った。


けれどオレは、その時気持ちが限界で、エリの云うように感情を上手くコントロールすることも割り切ることも出来なかった。

今まで色々な事にこだわっていた自分が嘘のように、何もかもがどうでも良くなっていた。


打ちのめされていたんだと思う。

自分の弱さを事実として目の前に突きつけられ、思い知らされたのはーーそれが初めてだったから。



オレは引き止めるエリの忠告を聞かず、仕事を辞めて実家を出る準備をし始め、それから間もなくエリはオレとの別れを切り出してきた。

薄々そんな気はしていたし、オレの方も彼女に対する気持ちが切れてしまったこともあって、彼女の云うことにそのまま従った。


心の片隅には、もう少し考える時間が欲しいという気持ちも無い訳では無かったが、どのくらいと言えない以上、オレにはもう何も言う資格が無いとそのとき思い知らされた。



そのあとの約一年、当然の事だがエリからは何の音沙汰も無かった。



オレは新しい場所で良くも悪くも色々なアルバイトを転々とし、半年が過ぎる頃、今の職場にようやく腰を落ち着けた。

テツと知り合ったのもこの頃のことだ。


そうして新しい場所で迎える最初の師走のある日、何故かオレの居場所を知らない筈のエリの方から、デカイ鞄と共に、オレを訪ねて来たのだった。


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