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幻影  作者: 篠井 秋生
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分岐点

「ここ曲がって真っ直ぐ行けば駅だから。泊まってるホテル、駅前だったよね?」


信号を渡り、いざ分岐点というところで、確認のためオレは彼女に声をかけた。


そんなに大きな声で話しかけた訳では無かったのだが、突然だったのでびっくりしたらしい。

オレの声に彼女の身体がそれと分かるほどビクッ、と動いた。


「あっ!ごめん、びっくりさせた?えっ…と、泊まってるホテル、なんてところか分かる?」


「……ええ、と……ごめんなさい。実は、な、名前を忘れてしまって……」


彼女は落ち着かないように視線を彷徨わせると、自信のなさそうな声で答えた。


「あー、そうなんだ……。ま、いいや。駅前なら建物を見ればすぐ思い出すだろうし。行ってみてからで全然オッケーだからさ」


「……はい」


オレは歩きながら駅前にある、彼女が泊まりそうなホテルを頭の中に思い浮かべてみた。


(女性一人ということを考えると、多分、比較的新しめの綺麗なホテルって所か?だとすると、Nホテルか、Tホテル…、あとはKも新しかったよな…)


てくてくと歩きながら、出て来たホテルの外観を思い浮かべる。


恐らく確率的に一番高いのは、駅近で良く使われているNホテルだろう。

大きいし、有名だから分かりやすい。

そう思い、とりあえず確認を取ろうと彼女の方を向いた時だった。


(えっ、いない……⁉︎)


てっきり、付いて来ていると思っていたのに、彼女の姿がオレの横から忽然と消えていた。


「アレっ⁉︎渡井さん?」


慌てて立ち止まり周りを見回すと、二、三メートル後ろの歩道のど真ん中で、彼女はジッと立ち止まっていた。


「どうしたの?」


具合でも悪いのかと心配になって引き返す。

俯きがちになっている顔を少しだけ覗き込むようにして声を掛けると、先程に比べて明らかに表情が冴えなかった。


「どうしたの?大丈夫?顔色が悪いみたいだけど、具合悪いの?」


オレの問いかけに、彼女は無言で首を振った。


「…………なの」


「えっ?なに?」


囁くように言った言葉が、通り過ぎた車の騒音にかき消される。


訊き返したオレに、彼女は今度はハッキリとした声で言った。


「実は……嘘なの」


「何が?」


「駅前のホテルに宿泊してるって」


「え?」


考えてもいなかった事実を告げられて、オレの頭の中は一瞬真っ白になった。

だが、その次に彼女が言った言葉は、更にオレを混乱に陥れた。


「嘘…って…」


「ちょっと事情があって、その……それで、この辺にラブホテルってありますか?」


「は?…えっ?ラブホ……ち、ちょっと待ってくれ。一体何の話してんの?」


話の脈絡が全く掴めない。

誘われてるんじゃないかという不埒な考えが一瞬頭の中をよぎったものの、そのあとすぐに彼女が発した理由に、そうだよな、そんな訳ないよな、と、妙に納得した。


「だから、私、ラブホテルに泊まりたいんです。ラブホテルって顔を見られずに泊まれるんですよね?」


(顔を見られたくないって……)


「ちょっと待って。顔を見られたくないって、どういうこと?それに確かに最近のラブホテルの中にはそういう所が多いけど、全部が全部そういう訳じゃないよ」


「えっ!」


オレの説明に彼女はひどく驚いたような表情になった。

どうやらラブホはみんな顔が見られないものだと思い込んでいたらしい。


「……そう、なんですか?じゃ、顔を見られない所、知ってますか?」


「ええっ!」


今度はオレが驚く番だった。


「えーと、さ。その質問には答えづらいというか、何というか。知ってるって言っても、知らないって言っても、なんかビミョーだよね?オレの立場」


「あっ!」


けむに巻くような言い方だったが、聡い彼女にはオレの言いたい事が分かったらしかった。


「ご、ごめんなさい。変なこと言って」


「いや、まぁ別にいいんだけど。それよりさ、聞いていいかな?なんで顔バレ駄目なの?ヤバい奴に追われてるとか、そういうコト?」


「………」


「じゃあさ、百歩譲って顔のバレないラブホ紹介するとしてもさ、ラブホって危ない所もあるの知ってる?」


「危ない所?」


オレの言葉に彼女は首を傾げた。


「部屋に隠しカメラがセットされてるとか、部屋の様子をいつでも好きな時に受付で見れるとか、もしそうならラブホに泊まる意味無いよね?」


話した内容にショックを受けたのか、彼女が小さく息を呑んだのが分かった。


「もちろん、そんな所ばかりじゃ無いし、真面目に営業してる所がほとんどだろうけどさ。なんてったって恋人達の憩いの場所なワケだし。あとは根本的な問題が一つ」


「問題?」


「うん。そういう場所に女の人が一人で泊まったら、それだけで充分目立つと思うけどな」




それから少しの間、途切れた会話の間を縫うように、何台もの車が横を通り過ぎていった。


次に彼女が口を開いたのは、近くの信号を大きなトラックが轟音と共に走って行った時だった。


「そう…ですよね。すみません、何だか変な事を言ってしまって。あの、白井さん、ここまでありがとうございました。それと嘘ついてしまってごめんなさい。もう、大丈夫なので。これ」


彼女はそこまで云うと、貸していた軍手を外してオレに渡し、駅とは反対の方角にくるり、と踵を返した。


「ちょ、ちょっと待って!どこ行くの ⁉︎」


思わず追いかけて、手を掴む。


「行く場所、あるの?」


彼女は立ち止まったが、顔を伏せたままオレと視線を合わせようともしなかった。

ただ黙って俯いたまま、抵抗する訳でも無く、その場に立っている。


「アンタ……手が……」


オレは彼女の細い手を掴んだまま、云った。


「手が、震えてる」


ふと気が付くと、カサカサと鳴るビニールの音がすぐ近くで聞こえた。足下の方からだ。

視線をわずかに下げると、彼女が持っているビニール袋ーーテツが食べてみてくれと店を出る時に持たせた、あの牛丼の入った白いビニール袋ーーが目に入った。


それを持つ彼女の手はきつく握られ、そしていま確かに小刻みに震えている。


(さっきからずっと震えてたのか?)


(寒いから?いや、違う。震えているのはきっと寒さのせいじゃない)


それは直感だった。




(テツ、お前のカン、当たったぞ)


星の輝きも分からない真っ黒な夜空を見上げて、オレは彼女の手を掴んだまま、大きく溜息を吐いた。


(……危ないっていってもリョウさんに危害を加えるとかそういう意味での危ないじゃなくて。何つーか……『脆い』?)



(オレは『この人』を知っている。いや、厳密にはこの女じゃなく、この女と同じだった『ヤツ』を、だけど)


強い既視感がオレの身体を押し包んだ。


強く握られて、小刻みに震えていた手。


決して合わそうとはしなかった、下がった視線。


追い詰められた人のーー『それ』。



「……なぁ、聞きたいことがあるんだけど」


聞かれる内容を警戒したのか、オレの言葉を聞くなり、掴んでいた手が一瞬大きく震えた。


「アンタ、ぶっちゃけオレのこと、恐い?」


ほんの僅かの沈黙の後、彼女は俯いたまま、首をふるふると横に振った。


「良かった……。恐いって云われたら、マジ、ヘコんだわ。じゃあさ……これからオレん家に来る?」


「えっ!」


云われたことが意外過ぎたのか、びっくりして振り返った彼女の瞳は今までで一番大きく見開かれていた。


「あー、これ、云ってる事だけ聞いたら、完全にナンパだわ…。あっ、でも違うから!」


オレは彼女の手を放すと、自らの潔白を証明するように慌てて両手を振った。


「そうじゃなくて、もし今夜行くトコが無くて困ってんなら、オレん家で良ければ泊めるけどって思って。なんか事情あるみたいだし、ここまで関わっておいて、中途半端に放り出すようなマネだけはしたくねーし、ここで別れたら、多分気になって今夜眠れねーと思うし…」


彼女はオレの真意を図りかねているのか、ジッと伺うようにこちらを見つめてきた。

下心は誓って無いのだが、そうジッと見られると、落ち着かないというか何というか、なんだか自分でも気づいていない何かを見透かされているんじゃないかという気になって、理由もなくソワソワとした気持ちになってくる。


内心の動揺を見透かすように向けられた彼女の視線が、目にはみえない矢となってビシビシ身体に突き刺さっている気がして、今度は彼女ではなくオレが視線を下げる番だった。


「……でも、『エリさん』は?エリさんは大丈夫なんですか?」


「え?」


「私なんかが急にお邪魔したら、気分が良くないでしょう」


「あー、その事なんだけどさ……」


オレは無造作に頭を掻きながら、彼女に実状を告げた。


「……実は一週間前に別れたんだ。っつーか、出ていかれた。だから今はオレ一人。テツにもまだ云って無いんだけど……」


「一人…なんですか?」


彼女の声のトーンがわずかに下がる。

それが意味するものが何かピーン、と来て、オレは慌てて否定した。


「あっ!だからってワケじゃねーから!オレ一人だから都合いいとか、そういう理由じゃねーから!ホント、下心とかシメシメとか思って無いし!オレはただ純粋に困ってるなら、って思ってただけで。だからってそれを証明するっつってもなーー、証明のしようがねーし…」


「……ふふ」


「え?」


笑い声が聞こえた気がして彼女を見ると、何故か複雑そうな笑顔で彼女はこっちを見ていた。

おおかた慌てふためく姿を見て、落ち着きのない、底の浅い男だ、くらいに思われたんだろう。

けれど、オレにはその笑顔が何だか少し物哀しいように思えて、どうしても目を離す事が出来なかった。


すっかり冷たくなってしまった彼女の手にもう一度軍手を嵌めてやり、オレは駅とは反対の方向に歩き出しながらその先を指差した。


「オレん家こっちだから、もう少しだけ歩くのガマンな。テツにもよろしく頼まれてるし、アンタがオレを信用してくれるなら、オレは誓ってアンタを傷つけたりしないよ」


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