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幻影  作者: 篠井 秋生
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きよしこの夜 その29 〜リョウの告白〜

辞職を告げたオレに店長は優しかった。


「…店長からは当初『退職はとりあえず保留にしておくから今はとにかくゆっくり休め』と、云われた。『今は気持ちが混乱しているだろうから、落ち着くまで何ヶ月でも待つから』って。その気持ちはすごく有り難かったし嬉しかったけど、それでももうダメだ、とオレは思った。ものすごく世話になった人の言葉だったから出来ることならそうしたいと思ったけど、自分の中を幾ら捜しても、もう店に戻って美容師を続ける気持ちは一欠片ひとかけらも残っていなかった。気持ちが切れた、って言えばいいのかな。

だからオレはどうしても戻れないって云って、店長にはオレに出来る最大限の謝罪をして、店を辞めさせてもらったんだ…」


オレは隣に座るユキを見た。

ユキはずっと黙ってオレを見ていたが、その視線は悲しそうというより、淋しそうに見えた。


言葉を紡ぎながら、オレは話す事がもうあまり残っていないことに気がついた。



「親父に店を辞めた事を告げると『これからどうするんだ?』と尋ねられたが、オレは答えられなかった。何も思い浮かばなかったから。

店を辞めたことを知って、思い留まらせようと駆けつけたエリの


『あなたが責任を感じて、今まで積み上げてきたものを放り出すのは、ただの『逃げ』だ』


という指摘にも答えられなかった」


本当に何もかもが空っぽだったから。


(…逃げ?)


かろうじて話せたのは問いかけだけ。


(そうよ。自責の念に駆られて、って言いたいの?あなたがショックを受けていることは私にも痛いほど分かる。だけど弟さんの事はあくまで『不幸な事故』で、この事であなたが責任を感じて今まで積み上げてきたものを放り出すのは、ただの『現実逃避』でしかないよ。弟さんの死は決してあなたのせいじゃない。ここで自棄やけを起こして今まで努力してきたものをフイにするなんて……どうかしてるとは思わないの?)


オレはそこで初めて顔を上げてエリを見た。


オレを見ているエリの目を見て口を開きかけて、だが結局何も言えずに口を噤んだ。



エリは知らない。


オレと律の事を何も知らない。


オレと律の間に何があったのか。


オレと律の間で今まで何をはぐくんできたのか。


良いものも悪いものも取り返しがつくこともつかないことも。


おとうとの死の責任の本当の所在も。



「…実際のところ、休みに入ってから暫くして、オレをさいなみ続けていた嵐みたいな恐慌状態は少しずつ収まりを見せて、ひと月も経てば表面上は普段とそれほど変わらないように見えるところにまで回復した。いたたまれない程の後悔や絶望、畏れや憐憫は、オレ自身がそれと気づかぬほど僅かずつ形を変えて、半月以上が経つ頃には乾いた砂地に水が染み込むように、オレの中へと確実に染み込んで目につかなくなった。

外からは大きな悲嘆が目に見えなくなった分、表面上は落ち着きを取り戻したように見えたかも知れないが、頭上には相変わらず暗い影が差していることに変わりはなかったし、自分の中に染み込んだものが鉛の重さを保ったまま深いところに沈んでいることは嫌になるくらい分かっていた。時が経つにつれ、オレも親父も無意識に平気な振りをするようになっていったが、それは現実の中で生活をしていくにはそうするしかなかったからだ」


ーーだからといって決して元に戻った訳じゃない。


「…それでも続けていくうちには慣れていく筈なのだと、慣れる努力をするべきなんだと、どこか自分に言いきかせながら一日一日を過ごした。エリの云った事もその時のオレには受け入れられなかったが、それはエリのせいじゃない。彼女が間違っているという訳でもない。でも結局はその時の事が原因になってオレはエリと別れて、それから一週間くらいした頃、たまたま新聞に挟まっていたチラシに今の仕事が載ってるのを見た。それを目にした瞬間、とにかく家から離れたいっていう衝動的な気持ちが抑えられなくなって、連絡したらすぐに採用されたこともあって、荷物という荷物もほとんど持たずに此処へ来た。親父は止めなかったし、何も聞かなかった。ただ落ち着いたら居所だけは教えるようにと言われた」


オレは大きなため息を一つ吐いた。

もう話すことは残ってない。


「…それで縁もゆかりも全く無い、知り合いも誰一人居ない此処にやってきた、って訳」


オレは話し終えるとベンチから立ち上がって、長らく座っていたせいで固まってしまった身体を伸ばした。


それからまだベンチに座ってオレを見ているユキの方に向き直ると、頭を下げて謝った。


「長々と変なハナシしてゴメンな。でも聴いてくれてありがとう。あれからずっと死ぬまで一人で持ちこたえようと思ってたのに、何でかな……やっぱりダメだな。自分が冷たい最低の人間だと知られてもいいから、持っているものを誰かに話したかったんだ。これはただ自分が楽になりたいっていうエゴで、あと、やっぱりオレは決してアンタが思っているような『いい人』じゃないんだ、って言いたかったんだよ」


最後の言葉にユキは小さく首を振ると、やはりベンチから立ち上がった。


側にあったゴミ箱に持っていた自分の紙コップを捨てると、オレを振り返って笑顔で何かを指差した。


「リョウさん、良かったらアレに乗りませんか?」


「?」


ユキが指差す方向につられて視線を向ける。


そこにはゆっくりと輝きながら廻る大きな観覧車があった。


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