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幻影  作者: 篠井 秋生
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帰途

エリじゃない女性と二人並んで夜の道を歩くというのは本当に久々で、オレは店を出たあと、表面上は平生を装いながらもことのほか緊張していた。


テツに、ああまで頼まれたから引き受けたものの、正直、オレはテツと同じ位の親しさでそれまでに彼女と打ち解けていた訳じゃない。


実際、いざ二人きりになると何を話せばいいのか見当もつかなかったし、名前しか知らない人間を相手に世間話出来るほど器用でも捌けてもいなかったので、店を出て暫くの間は互いのあいだに気まずい沈黙が続いた。


(マズイよな…この状況。なんか話さねぇと)


暗い夜道で隣には知らない男。


考えようによっては、彼女には非常に怖いんじゃないだろうか。


(あーー、どうすっかな。こういう時、昔はどうしてたっけ?)


以前していた接客業の時の感覚を自分の中で捜してみたものの、それも随分昔の話であてにはならなかった。


あの頃は思ってもいないことを相手に合わせてスラスラ話せたものなのに、今は何一つ話題が思い浮かばない。


それどころか、何か話そうと思えば思うほど頭の中が真っ白になっていくばかりで、焦ってふと横の彼女を見ると、そう思って見るせいか、幾分さっきよりも表情が強張っているように見えた。


ーーこれは非常にマズイ。


「あ、あのさ、」


とりあえず何か話さねば、という切羽詰まった気持ちに耐えきれず、オレは口を開いた。

凍てついた外気に、吐く息が白くなっている。


「…しかし、よりにもよって良くあんな胡散臭い店員のいる店に入ったね、渡井わたらいさん」


一瞬、何と呼ぼうか迷ったが、テツのように『ユキさん』とはとても呼べず、やむなく苗字を呼んだ。


「え?」


「テツのことだよ。アイツのこと、見た瞬間『うわ、胡散臭い』って思わなかったの?」


苦笑しながら続けると、彼女は少し楽しそうな表情になった。


「実は、最初ちょっとだけびっくりして…。でもいざ話してみたら明るかったし、親切だったし」


「あ〜、そうだな。見た目あんなだし、単細胞だし、マイペースで、考えなしで、ただ単にバカなんだけど、人だけはいいヤツだよ、ホント」


本人が居ないのをいいことに、言いたい放題いってやる。


実は店を出てしまってからすぐに、テツに対して今日の分の鉄拳制裁をし忘れたことを思い出し、ムカムカしていたのだった。


「白井さんは…」


「ん?」


彼女が何かを言いかけたので、オレは隣を歩く彼女の方に視線を向けた。


夜の凍てつく外気は肌を刺すように冷たく、さっきまで白かった彼女の頬には、今は微かな赤みが差している。


「…テツさんと仲が良いんですね。付き合い長いんですか?」


「オレ?いや、まだ知り合って一年半くらい…じゃねーかな。そんなに長い付き合いじゃないよ。どうして?」


尋ね返すと、彼女は冷たくなってしまったらしい両手に息を吹きかけながら続けた。


「二人ともすごく仲が良いから。羨ましいなぁ、って思って。」


「そうか?仲が良いっつーか、お互い言いたいことを言い合ってるってだけじゃねーかな?」


オレは思いっきり首を傾げた。


「アイツ、男にはキビシイんだよ。オレなんていっつも泣かされてんだから。今日だってそうだけど、初対面の時からあんな感じだったんだ」


「初対面から?」


なかなか指先が暖まらないらしく、彼女はオレに笑顔で答えながらも、相変わらず手に息を吹きかけ続けていた。


口元近くにあてられた、小さな拳の先の細い指。


白くて華奢なそれはとても綺麗な形をしていて、こんな寒さに晒されているのが何だかひどく可哀想に思える。


(冷たそうだな、指先。赤くなってんじゃん)


「……そっ!初めてあの店行ったのは一昨年の夏だったんだけどさ、アイツ、店の前でキャッチセールスしてたんだぜ?」


「キャッチ…セールス…?」


(オレの手はあったかいけど、まさかこの状況で手を繋ぐわけにはいかねーし…。手袋してくりゃ良かった。…ん?手袋…⁈)


「あっ!」


「ど、どうしたんですか?」


会話の途中で叫んだものだから、びっくりしたのだろう。


彼女は立ち止まってこちらに向き直ると、驚いた表情でオレを見上げた。


「ご、ごめん、ごめん。いや、実はさっきからさ、手が冷たそうで可哀想だなぁ、って気になってて。今、思い出したんだけど、良かったらコレ使う?」


そう言って、オレは着ていたオーバーのポケットから仕事で使う軍手を取り出した。


「ちゃんとした手袋だったら良かったんだけどさ。コレ、まだ新品だし何にもしてないよりかはいいんじゃねーかな。あ、でも恥ずかしいか」


その時の彼女は品の良い落ち着いたキャメル色のコートを着ていて、周りには他に歩いている人間も居なかったけれど、見られないとはいえ、どうみても軍手は組み合わせとしてあり得なかった。


「それ…」


差し出した軍手を、案の定彼女はとまどったように見つめている。


(やっぱ、無いよな…)


「あー、やっぱ軍手は無いよな。悪りぃ。使い捨てカイロとかあれば良かったんだけど」


取り繕うように云って、様子を伺う。


彼女は差し出した軍手をまじまじと眺め、それからオレの顔を見た。


恐らく呆れられたんだろう。


向けられた視線に気恥ずかしさを覚え、思わず手を引っ込めかける。


確かに、いくらこの寒い状況で手がかじかんでいるとはいえ、この場合軍手は『無い』アイテムだ。


良かれと思ってした行為だったのだが、むしろデリカシーの無い行為だったかも、と思った途端、両頬が羞恥心からカッ、と熱くなった。


(あー、オレ、今スゲエ格好悪いわ)


「……っていいんですか?」


「え?」


ぐるぐる混乱する頭の中を落ち着けるのに精一杯で、そのすぐ後に彼女が話しかけた時、オレは内容まで聞き取る事が出来なかった。


「それ、私が使っていいんですか?白井さんのお仕事用ですよね」


以外な言葉に、思わず返事に詰まる。


「えっ?ああ!構わねーよ。っていうか、勧めといて何だけど、これ、軍手だよ。嫌じゃない?」


「全然」


彼女は首を横に振った。


「全然、嫌じゃありません。助かります。でもお仕事で使うモノみたいだし、寒いから白井さんが使った方がいいんじゃないかなって思って」


一瞬の会話の空白が、呆れたというよりは遠慮から来たものだと分かって、ホッとする。


「オレは手ぇ、あったかいから、大丈夫」


そう云って再度差し出すと、軍手を嵌めた彼女は、少し驚いたように云った。


「これ、本当に軍手ですか?裏が起毛になってるんですね。こんなの、初めて」


そしてふんわり、と笑った。


「あったかい」


「そりゃ、良かった」


嬉しそうな笑顔を見て、つられてコッチも笑顔になる。


再び歩き出しながら、そういえば、と気になっていた事を思い出し、オレは彼女に何気なく尋ねた。


「そういえばさ、渡井さんていくつなの?」


「……」


オレの問いに、彼女は何故か少し沈黙すると、逆に尋ね返してきた。


「…幾つに見えます?」


「うーん、二十二、三くらい?」


「近いですよ。……二十五です」


「え、二つ違いか。んじゃ、仕事は何してんの?」


「…………」


今度は明らかに沈黙が流れた。

他意は無かったのだが、警戒されたかもしれない。


オレは慌てて続けた。


「あ、ごめん!別に詮索してる訳じゃないんだけどさ、あんまりよく知らない人間にプライベート聞かれるの、嫌だったよな?ごめん」


「……いいえ」


気まずい空気が再び流れ、会話が途切れる。


明らかに地雷を踏んだと分かる状況に、オレは無意識のクセで、ガシガシと頭を掻いた。


何だかさっきから口を開くと墓穴を掘っている。


こうなるとむしろ、あまり話さない方がいいのかも知れない。


気になって、ちらり、と彼女に視線を走らせると、その表情からは先程までの柔らかさがすっかり消えていた。


それから少しの間、互いに黙ったままで、白っぽい街灯が照らす凍った歩道を歩いた。


時折すぐ横の道路を、いつもより大分スピードを落とした車が、ヘッドライトを煌めかせながらそろそろと走っていく。

明らかに凍った雪を警戒している走り方だった。


基本、雪国ではない地域だから、僅かな雪でもちょっとした事故が増えるし、交通にはいつも結構な混乱を引き起こして、必ずと云っていいほどローカルニュースになる。


(こうなると、明日の朝は少し早めに部屋を出ないとダメかもな)


隣を歩く彼女を気にしつつ、そんなことを考えながら、ふと先を眺めると、駅前に通じる、比較的交通量の多い広い通りが見えてきた。


ここまで来れば後はもう僅かだ。



テツのいる牛丼屋を出て、店の前の通りを直進し、広い通りにぶつかったら左に行けば駅前方面で、右に行けばオレのアパートがある住宅街だった。


さすがに駅前に続く広い通りだけあって、ここまで来るともう大分遅い時間にもかかわらず、交通量もそこそこあるし、店もまだ開いてるし、何より街灯の明るさが暗さに慣れた目に眩しかった。


通行人はまばらだが、周囲が格段に明るくなった事で自分の胡散臭さが薄まったような気がして、思わずホッと胸を撫で下ろす。


隣を歩く彼女を見ると、彼女の表情にも先程までの強張った感じがなくなっており、もしかしたら、やはりすごく緊張していたのかも知れないと思った。

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