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幻影  作者: 篠井 秋生
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オレとテツと『彼女』 その3

「オレ、暫くエリさんに会ってないなぁ。エリさん、変わりないっスか?また二人で飯食いに来てくださいよ」


「あーー、そうだな……うん、まぁ、そのうち気が向いたら、な」


オレが煮え切らない返事を返すと、何を思ったのかテツは急にくるり、と彼女の方に向き直り、まるで世間話でもするみたいに気安く話しかけた。


「……この人、エリさんていう出来た彼女さんが居るんですよ」


「……そう、なの?」


まさか話しかけられるとは思ってもみなかったのだろう。


突然向けられた会話に、彼女は少し驚いたように目を見開いてぎこちなく答えた。


(おいおい!そんな赤の他人の滅茶苦茶プライベートな話、振られたって相手は返事に困るだけだろうが)


「おい、テツ!」


「なんスか?リョウさん」


「お前、なに人のプライベート、そんな気軽に暴露してんの。第一、知らないヤツの話されても、そっちのお客さん、困るだけだろうが」


「え、そうっスか?」


テツはオレの言葉を聞くなり眉間にシワを寄せ、珍しく小難しい顔になった。


一瞬おし黙ったので、そのまま静かになるだろうと思ったら、何故か次の瞬間には『分かった!』とでもいうかのように拳で手の平を打って、


「それもそうっスね!スンマセン、自己紹介を忘れてました」


と、彼女に向き直り、礼儀正しく一礼したかと思うと、改まった口調でゆっくりと挨拶をした。


「オレは此処で深夜アルバイトやってる木嶋哲哉っていいます。二十一才っス。趣味は今はカラオケと釣り、あと、ここにいるリョウさんをからかうのも趣味の一つです。詳しく云うとカラオケでは十八番は結構あるんスけど、釣りではまだでっかいおたまじゃくししか釣ってません。地元出身、彼女はただ今絶賛募集中っス。どうぞよろしくお願いします。えーっと、それで……」


と、そこまで云って、今度はオレの方を振り返る。


「…この人はここで一番の常連さんの白井亮二さんです。歳は二十七才、東京出身で今はこの近くの道路工事現場の交通誘導…?のアルバイトをしてます。あと、趣味は……えっと、趣味はなんでしたっけ?リョウさん」


(はぁ⁉︎)


「いやいやいやいや、そうじゃないだろ!」


あさってな方向に話がすっ飛んでいるテツに、オレは慌ててツッコミを入れた。


「えーー、もう、何なんスか」


「何なんスか、はお前だろ!なんでいきなり自己紹介なんだよ。オレが云ってるのはそういう意味じゃねーよ」


「えーー」


不満げに頬を膨らませるテツを見て、オレは本当に頭が痛くなってきた。


コイツは油断していると、いつもオレの想像の遥かナナメ上を飛んでいくヤツだということを、最近は気を許していたせいで、すっかり忘れていたのだ。


「もー、面倒くさいっスね、男は細かいことを云ったらダメっスよ」


テツはオレに向かって人指し指を立てると、チッ、チッ、チッ、と左右に振った。


「いいじゃないっスか。『袖すり合うも他生の縁』っていうでしょ?こんな時間に此処で会ったのも、何かの縁だし、それにちゃんと自己紹介しといた方がむしろ胡散臭くないと思うんスよ。それで…リョウさん、ご趣味は?」


(コイツ!人の話全然聞いてねーし!くそっ!ムカつく!とりあえず一発殴りてーー!)


膝の上で反射的に固く握った拳がウズウズとした。


いますぐにでもそのお気楽でノーテンキな頭を叩けたなら…。


実行したくて思わず椅子から立ち上がりかけたが、すんでの所でそれも大人気ないと思い直した。


何せ、相手は『テツ』なのだ。


それに、今は彼女の手前もある。


「リョウさん?」


(少なくとも帰りまでには一発喰らわそう。それで心を落ち着けよう)


オレは胸の内でそう何度も念仏のように唱えながら固く心に決め、大きく一息つくと渋々質問に答えた。


「趣味はねーよ。つーか、思い浮かばねぇ」


「了解っス」


テツはコクリと頷き、何故か警官のようにオレに敬礼すると、もう一度彼女の方に振り返りニコニコしながら話しかけた。


「と、いうワケで、この、『リョウさん』の彼女さんていうのが、『エリさん』ていう良く出来た人なんスよ。駅前の美容室で働いてて……」


(何だ、この胡散臭い話の成り行き。ワケが分からん)


「…何回か一緒にここに来て、食事してくれたりしたんスけど、スゴイ良い人なんスよ。リョウさんにはもったいない人っス。実はオレのこの髪も、エリさんが染めてカットしてくれたんスよ」


そう云って小さな帽子の下から覗いているツンツンの、ほぼ金髪にしか見えない茶髪を指差した。


本来なら飲食店の店員にあるまじき色の髪なのだが、確かに明るくて今時のイケメンなテツには良く似合っている。


「そうなの?」


「はい!エリさん、美人だし、優しいし。つくづくリョウさんにはもったいないと思うっス」


テツが余りにもハキハキと云ったのが可笑しかったらしかった。


「ふふふ…」


今までは微笑むだけだった彼女の口から、小さいけれど楽しそうな声が漏れた。


(あ…初めて声出して笑った。…なんか…楽しそう?)


「どうっスかね。オレに似合ってます?」


「うん、似合ってる。テツ…さん?のキャラクターにすごく合ってると思う」


彼女の口からお褒めの言葉が出た途端、テツは満面の笑みで聞き返した。


「ホントっスか⁈」


「うん」


「へへ…。リョウさん、聞きました?やっぱ、この髪、似合ってるって。リョウさんもスゲー良いって言ってくれましたもんね」


「そうだっけか?」


オレはその時のことをハッキリと覚えていたが、やっぱりさっきのことを根に持っていたので、わざとすっとぼけた返事をしてハッキリとは答えなかった。


テツが焦ったように、


「そうっスよ!エリさんがリョウさんに『似合ってるわよね』って言ったら、リョウさん、『そうだな』っていってくれたじゃないっスか」


と言い募るのを、


「えーー、そうだっけ?」


と間伸びした返事で受けると、


「そうっスよ!」


と、テツは少しムキになったように答えた。


確かにすっとぼけはしたものの、話の内容的には、テツの言う通りだった。



先月の半ば過ぎ、二人でこの店に飯を食いに来た時、たまたま会話の流れでエリがカットモデルを捜しているという話が出た。


それを聞いたテツがやってみたいと言い出し、本当はカットだけの筈だったのをノリの良い二人の間で髪の色も変えちゃえ、ということになり、エリは茶髪を超えて『これはもはや金色だよね?』という色にテツの髪を染め上げたのだ。


(「おいおい、仮にも飲食店のバイトなんだから、ヘアスタイルはともかく、この髪の色はマズイんじゃないの?」)


と、オレが心配すると、


(「だって、テツ君に似合ってるでしょー」)


と、エリは出来栄えに至極ご満悦で、テツもまた、


(「オレ、スゲー気に入ったっスよ!」)


と、これまた至極ご満悦だった。


こういうところ、テツってつくづく単純なヤツなんだよな、と思いながらも、さすがにツンツン頭で茶髪に見えない金髪って店をクビになるんじゃないのか?と心配したのだが、店長兼オーナーは度量がデカイのかこっちの店に多くを期待していないのか、それともテツを存外気に入っているのか、


(「食べ物屋だから清潔感だけはキープしてね」)


とのお言葉をテツにのたまわっただけで、特に何のお咎めもなかったらしかった。



(エリと来い、か……)


オレはその時のことを思い出して二本目の煙草に火を付けながら、その一方で、帰ってももう誰も出迎えることのない自分の部屋を思い浮かべた。



一週間ほど前、オレはエリと口論になり、翌日、エリは部屋を出て行った。


そのことに気付いたのは、その晩、明かりの点いていないアパートの部屋に戻った時だった。


多分、実家のある東京に帰ったんだろうと思う。


手紙もメモ書きも、行く先を知らせるものは何一つ無く、殆どの私物も置きっ放しで、ほんの少しの貴重品と身の回りの物だけが消えていた。


こっちで買ったらしい物は全て置いていったところを見ると、オレを含めた全てがもうエリの中では不要になったんだろう。


明かりも灯らない真っ暗な部屋に帰るようになって、一人になってしまった状況には慣れ始めたものの、冷え切った部屋の寒々しさにはいまだ慣れなかったし、エリの事は誰にもーーテツにさえもーーまだ云っていなかった。


自分の中でも整理が全くついていない状態で話すのは、思ってもいないことを勢いで不用意に口走ってしまうような気がして、どうにも躊躇われたせいもある。



思わずフッと吐きそうになった溜め息を慌ててタバコの煙と共に誤魔化すと、オレは吸いさしを揉み消して席を立った。


「……テツ、オレ、ちょっとトイレ行ってくるわ」


「了解っス」


ここ数日、わざと考えないようにしていた記憶を、偶然とはいえいともあっさりと呼び起こされ、自分では納めていたつもりだったエリとの口論の細部が、微かな痛みを伴って胸に蘇ってくる。


思い出す度に傷を増やすのが分かっているのに、どうしてもふとした折に考えてしまうのを辞められないのがもどかしかった。


ーーこんなの、自虐の極みだろ。


店の隅にあるトイレのドアに向かいながら、背後で楽しそうに笑っているテツの様子を感じて、オレの気分はいっそう重くなった。

テツはああ見えて意外と鋭いところがある。


きっと、いつまでも隠しては置けないだろう。


(あ〜、もうどうすっかな…。テツには言いにくいんだよな。アイツ、エリの事慕ってたし懐いてたから、話せば絶対オレが悪いとか言うだろうし。まぁ、多分オレが悪いんだろうけど……考えるとマジ、頭痛ぇ)


テツに打ち明けた時の反応を想像するだけで、今からもうグッタリとした気分になる。


ぐるぐると考えを捏ねくり回しながら、トイレから戻ると、オレに気付いたテツが「リョウさん」と声を掛けて近付いてきた。


「ん?」


「リョウさん、あちら『ユキ』さん」


「『ユキ』…?さん?……へっ?」


「そっ!ユキさん。渡井わたらい雪さん。リョウさんがトイレ行ってるうちに名前教えて貰っちゃいました〜」


(おいおい、何だ、そのハイテンション。コッチの気も知らないで、いい気なもんだよな)


はしゃいで浮かれているテツをよそに彼女を見ると、彼女もこっちを見ていて小さく頭を下げた。


「渡井 雪です。どうぞ宜しく」


「あっ、いえいえ、こちらこそ白井といいます。どうぞ宜しく」


「そしてオレがテツこと、木嶋哲哉です。よろしくです。よしっ!これでもうみんな知り合いっスよね」


(知り合いって……)


突然の状況の変化に、脳の理解力が追いつかない。


オレが訳も分からず目をパチクリしていると、テツはオレの首に腕を回して、有無を云わさず店の隅に引っ張って行った。


「コッチ来てください」


「お、おい、テツ」


ぐいぐいと結構な力でひっぱられ、仕方なくテツに従う。


目的の場所まで来ると、何故かテツはくるりと反転して彼女に背を向け、声をひそめて云った。


「リョウさん、ちょっといいっスか?折り入ってお話が……」


「なんだよ」


「実はお疲れのところ、大変恐縮なんですが……」


「だからなんだよ」


「タイムリミットでして……」


「へっ…?タイムリミット?」


「はい。……と言うワケで、すみませんが、リョウさん、ユキさんを駅前まで送って行ってあげて下さいね」


「はぁ⁉︎」


「はぁ?じゃありませんよ。店、閉店の時間なんス。ほら」


テツに促され壁の時計を見ると、確かに閉店時間である11時半を過ぎている。


「さっき話聞いたら、ユキさん、ここの人じゃ無いらしいんスよ。旅行の途中で、駅前のホテルに部屋とってるようなんですけど、こんな足元の悪い、しかも真っ暗な中、歩いて帰るっていうから。こんな夜中に女性一人でこの辺歩かせられるワケないっしょ?タクシーも雪のせいでこの時間じゃ捕まりにくいだろうし、さっき電話したら案の定メチャ混みなんスよ。オレはあいにく閉店作業があるし、それ終わってからっていうのもかなり遅くなっちゃうし…。あ、なんならオレの代わりに閉店作業やってくれます?」


「……なんでそうなる」


げんなりした気分で答えると、何を勘違いしたのか、テツは大きくうなづいた。


「でしょー?だからお願いしますっ!途中の通りでタクシー捕まえられたら、それに乗せてくれればいいから。彼女にももう『送ってもらって』って云っちゃったし。それに、その……」


今まで立て板に水の如くまくし立てていたくせに、そこまで話すとテツは急にいい淀んだ。


「『その、』なんだよ?」


「えっ…と、オレ上手く言えないんスけど、あの人、なんか危ない感じがするんスよ。あ、いや、危ないっていってもリョウさんに危害を加えるとかそういう意味での危ないじゃなくて。何つーか……『脆い』?」


最後の語尾を上げて首を傾げ、テツは自信なさそうに云った。


「小首を傾げてオレに聞くんじゃねーよ。オレが聞いてんだろ?」


「あ、そうっスね。すみません」


オレの指摘にテツはペコリ、と頭を下げる。


「…気になんの?」


「はい」


「それってお前のカン?」


「…そうっス。疲れてるところほんとスンマセン!」


(そういえばコイツって……)


目の前でオレのことを拝み倒すテツを見ながら、オレは今度こそ、盛大な溜め息を吐いた。


大部分は確かにテツの云う通りだが、なぜ今日初めて会ったばかりの、しかも名前しか知らない人間をコイツはこんなに気にするのだろう。


それに第一、オレが関係する何かを決める時には、まずオレに相談をするのが物事の筋道ってものではないのだろうか?


おおかた、オレがさっきトイレに行った隙にちゃっちゃと段取っていたに違いない。


(おのれ、テツ。なんと浅はかな…)


だがしかし。

そこでオレはハッと思い直した。


「……分かったよ。確かにこの辺暗いし、この時間じゃ人通りもないからな。駅前の泊まってるホテルまで送っていく。途中タクシー捕まえられたら、乗っていって貰うから」


渋々答えると、テツの顔がパァッ、と輝いた。


「スンマセン!ありがとうございます!今度かならず埋め合わせするんで」


「忘れんなよ」


オレの念押しに


「ウッス!」


テツは大きくうなずくと、ニカッ、と笑った。






「そんじゃ、リョウさん。ユキさんよろしくお願いします」


「おう」


帰り支度を済ませて店の外に出ると、途端に身を切るような寒さが身体を押し包んだ。


「さみ〜。雪、凍ってんじゃん。明日ヤバイな」


寒さに地団駄ふんでいると、テツが制服姿のまま見送りに出て来た。


「そんな薄着だと風邪ひくぞ」


「大丈夫っスよ、若いんだから。それより、ユキさん、コレ」


テツは手に提げていた白いビニールの手提げ袋を持ち直すと、彼女に向かって差し出した。


「……コレ、食べてなかったさっきの牛丼。持ち帰れるから、良かったらホテルの部屋で食べて下さい」


「えっ?…わざわざ用意してくれたの?」


彼女は少し驚いたように、テツと袋を交互に見た。


「わざわざってほどでもないです。ユキさん、今日ウチでビールしか飲まなかったでしょ?食うもん食わないと身体に悪いっスよ。それに、オレが云うのも何なんスけど、ウチの牛丼評判いいんです。せっかくだから食ってみて下さい」


「おっ!オマエにしては気がきくじゃん」


軽く肩を小突くと、テツは照れたように「へへ」と笑った。


「……どうもありがとう。何だか気を遣わせちゃってごめんなさいね。それじゃ、せっかくだから遠慮なく」


差し出された手提げ袋をそっと受け取ると、彼女はテツに向かってふわり、と笑いかけた。


「テツさん、仕事頑張ってね」


そう云って、小さく手を振る。


「はい。良かったら、また来て下さい。ユキさんならいつでも歓迎するっスよ。…それじゃ、リョウさんお願いします」


「おう。ほんじゃ、テツ、またな」


見送るテツに向かって軽く手を挙げると、オレはうっすらと雪の積もった夜道を彼女と並んで歩き出した。


店から駅前までの道程は、普段ならそれほど遠いものではない。

けれどこの夜は雪のせいで歩道が歩きにくく、少し時間がかかりそうだった。

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