きよしこの夜 その10 〜テツ〜
「どうしたんスか?リョウさん?」
「…………」
リョウさんはオレの問い掛けには答えず、少しの間黙ってオレを見つめると、やがて小さく溜め息を吐いた。
「テツ………いや…何でもない。お前の云う通り、これからちょっと出掛けてくるんで……その、悪いな、ケーキ一緒に食べてやれなくて」
なんだかそう云ったリョウさんの声は少し沈んでいるように思えて、オレは努めて明るく答えた。
「気にしないで下さいよ!それよりなんか気を使わせちゃったみたいでスンマセン」
「いや、約束だったしな……」
「リョウさん?」
何故だろう。
時折ーーそう、ほんの時折だが、今までにもリョウさんはこんな顔でオレを見ていることがあった。
ちょっと悲しそうな、何かを後悔しているような表情だ。
そういう時、リョウさんの目はオレを見ているけど、本当はオレを通り過ぎて何か他のものを見ているような気がする。
オレは少しだけ気後れを感じながら訊ねた。
「どうしたんスか?リョウさん?なんだか今日はいつもとちょっと違うっスね。…えっ、と…なんか、有ったんスか?」
「何でもねーよ」
リョウさんはオレの頭をポンポンと軽く叩くと、少しだけ笑った。
「それより、今日くらいは仕事、ちゃっちゃと切り上げて、早く帰れよ。いつも遅いんだから、クリスマスくらい、じいちゃん、ばあちゃんと過ごしてやれ」
「そうっスね!そうだ!リョウさん…あの…」
「ん?」
「来年は賑やかにクリスマス会やりましょうね。オレ、頑張って用意するんで」
「おぅ」
オレの提案に、リョウさんが笑って頷く。
「じゃあな、テツ」
「あ、そうだ!ちょっと待ってて下さい」
踵を返しかけたリョウさんに声を掛けると、オレは急いで店の入り口まで走って戻った。
椅子に腰かけたジェームズに『ゴメン!』と声を掛け、首に巻いてあった赤いマフラーを外す。
「リョウさん、メリークリスマス!」
駆け戻って素早くその首にマフラーを巻くと、リョウさんはビックリしたような顔をして固まった。
「は?」
「ケーキのお礼。あ、コレ、備品じゃないっスよ。オレの私物。しかも新品ですから。これから出掛けるんなら、あったかくしていかないと、風邪引いちゃいますからね」
オレの言葉に、リョウさんは戸惑ったように答えた。
「…テツ、気持ちは嬉しいんだが、コレ、派手じゃね?というか、オマエはオレの母親かよ…」
「派手じゃ無いっス!良いカンジですよ。よく似合ってるっス!」
嘘じゃなかった。
いつもオレが見ているリョウさんは、落ち着いた色合いのオシャレな服装が多く、あまり原色のものを身につけることが無い。
だけど以前から赤だけは絶対似合うと、オレは思っていた。
「そうか?でもオレがコレして行っちまったら、お前が帰る時に困らないのか?」
「ダイジョーブ!」
オレは拳で自分の胸を叩いた。
「オレ、今日タートル着てきたんで。ウチに帰れば、もう一本マフラーありますし」
ちなみに『色は黄色だが、そっちのが良いですか』と訊ねると、リョウさんは首を大きく振った。
「…そっか。ありがとな、テツ」
「いえ。それよかリョウさん、引き止めておいて何なんですけど、そろそろ行った方がいいっスよ。エリさん、待ってるでしょうから」
「そうだな………なぁ、テツ」
急いでいる筈なのに、リョウさんは何故か去りがたいような素振りでオレの名を呼ぶと、今までとはうって変わった改まった口調でこう云った。
「オレ…お前に話したかったことがあるんだ。ずっと前から話したかった事が、さ」
「オレに、ですか?」
「ああ」
一瞬、リョウさんが、こんな風に真面目にいってくる話とは一体何だろう、という考えがアタマの隅を掠めたが、リョウさんはそれ以上のことを云うつもりは無いようだった。
「今度、訊いてくれるか?」
「……エッと……それはモチロン!オレで良ければ、いつでもオッケーっスよ!」
「そっか。……ありがとな、テツ」
リョウさんはオレの頭をポンポンと軽く叩くと、微かに微笑んだ。
「それじゃ、またな、テツ」
「ハイ」
すっかり暗くなった周囲の中で、リョウさんの停めた車のウインカーがチカチカとオレンジ色の光を瞬かせている。
急ぎ足で道路を渡り運転席に乗り込んだリョウさんは、運転席側の窓を全開にすると、見送る為にその場に突っ立っていたオレに向かって、小さく手を上げた。
「リョウさん、またすぐ来て下さいね!オレ、待ってるっスから!」
夕闇の中、赤いテールランプの光が少し先の角を曲がって見えなくなるまで見送ってから、オレは貰ったケーキの袋を片手に、誰もいない店の方へと歩き出した。
(……どうしたのかな、リョウさん。なんか元気が無いように見えたけど。たぶん、気のせいだよな?なんたって、今日はクリスマスなんだし、楽しい日なんだし、これからエリさんと出掛けるって云ってたし…)
入り口まで来ると、マフラーを剥ぎ取ったジェームズが目に入り、そのままスルーするのも気が咎めたので、オレは空いた方の腕をジェームズの肩(?)に回して話しかけた。
「お前のマフラー、奪っちゃって済まなかったな。あの人が前に話したリョウさんだよ。背が高くて男前でカッコイイだろ?ちょっと口は悪いけど、スゲー良い人なんだ。いつも世話になってんの。だけど、今日はちょっと……」
(ホント、良い人だよな。オレには兄弟居ないから分からないけど、『兄貴』ってこんな感じなのかな…)
「……ねぇ、聞いてる?オレの話?」
リョウさんに感じた微かな違和感を、つぶらな瞳で真っ直ぐ前を見つめたまま黙って聞いているジェームズの反応が淋しくて、オレは酔っ払いよろしく、更に絡んだ。
「リョウさんてホント、良い人なんだ。いつも明るいし、面倒見いいし。なのに、今日は何だかちょっと……ちょっと違う感じがして……元気が無いような気がしたんだ。気のせいかも知れないけど、何だかまるでーー」
そこまで云って、オレはハッ、とした。
(まるでーー何だ?)
ーーオレは本当に単細胞のバカだから。
リョウさんの様子がいつもと少しだけ違うのを無意識に感じていたのに、それを今まで言葉に出来なかった。
(そうだよ、今日のリョウさんはまるでーー)
まるで酷く傷付いたまま、取り返しのつかない深い後悔に苛まれているように見えたんだ。