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幻影  作者: 篠井 秋生
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きよしこの夜 その5 〜リョウ〜

「ホント、別人みたいだ」


掛けていたケープを外しながら改めてユキを見つめると、彼女は背後にいたオレの方を振り返って確かめるように言った。


「おかしいですか?」


「いや、全然」


ユキの問いかけに、オレは首を振った。


「正直なところ、切ってみるまではどうかな〜、って思ってたんだ。綺麗な髪だったからあんまり短いのも勿体ないかな、って思ってたし。……でも、こうしてみると、むしろ前のロングより今のショートの方が、髪の動きもあって元気そうな感じがしていいと思う。個人的にもオレは好…」


(…って!オイッ!!)


好きだな、と言いかけてハッと我に返る。


咄嗟に口から出かかっていた言葉を飲み込んで、あたかも何かが喉に詰まったテイで何度か咳払いをしてから、オレは口を開いた。


「?」


「…す、ステキだな〜、とか思うよ!うん!まぁ、切った人間の腕の良さもあると思うケド…なんてな?ハハ……」


視線を外し、手に持っていたケープを大げさにバサバサと振ると、鏡に向き直ったユキは、オレの言葉に素直に頷いた。


「そうですね。リョウさんの腕によるところが大きいと思います」


「気に入った?」


「はい」


「そりゃ、良かった。髪型が変わると少し気分も変わるだろ?」


「そう…ですね。何だか頭の中が前よりスッキリしたような気がします。軽く感じるっていうか……」


「あ〜、ソレ、な」


オレは足元に広げていたビニールシートを片付けながら、急に跳ね上がった心拍数を気取られないよう、努めて普通に会話を続けた。


(何、滑らかに『好き』とか言っちゃおうとしてんの、オレ)


どうやら自分が思っている以上に、ナーバスな状態になっているらしい。


意識しないで感情を表すような表現が出るのは、無意識でも甘えたいという気持ちが強くなっている表われだろう。


たたみ終わったシートを片付けるついでに時計を見ると、時刻は午前十時半を少し回っていた。


「あ〜、なんか中途半端な時間だな。そういえば腹、減らないか?簡単なメシ作るから、早目に食べて少し休んでから出かけることにしよう。どっちみち出発は夕方になるし、オレは食い終わったら、車を借りに行ってくるから。……日が落ちたら出かけよう。な?」


「リョウさん……」


「そんな不安そうな顔すんな」


鏡の中からオレを見ているユキの表情はひどく頼りなげで、オレは思わず小さな子にでもするみたいに整えた頭を軽くポンポン、と叩いた。


「大丈夫。アンタは何も心配しなくていいよ。……あ、そうだ!メシ軽めにして、昨日のケーキ食おうぜ。取っておいた飾りのクマと雪だるま、今日食べないと食べ損ねちまうし」


「そうですね。私もお手伝いします」


「おう」


台所に向かい、冷蔵庫から適当な食材を出すと、横に並んだユキが尋ねた。


「リョウさん、何を作るんですか?」


「ん?オムライス。あと、ベーコンあるからキャベツとそれ使って簡単なスープも作ろう」


「美味しそうですね」


「コレは結構自信がある。というか、コレだったんだ。オレが初めて律に作ってやったメシ」


「オムライスが?」


「ああ」


オレはまな板の上で先にベーコンとキャベツをざく切りして、ユキにスープ作りを任せると、オムライスの為の材料を切り始めた。


「……母親が亡くなって暫くの間は、メシが一番の悩みのタネでさ。親父は料理出来ないし、仕事してるから時間も無いし、仕方ないからスーパーの惣菜とかコンビニとか店屋物とかを駆使してたんだけど、ある時、いつもは大人しい律が珍しくメシを食いたくない、って駄々をこねたんだ。その頃には、いい加減オレもそういう食事に飽きてたから、律がそう言う気持ちも分からないワケじゃなかったんだけど、オレも学校以外に他の事もしなきゃならなくて一杯いっぱいでさ。余裕がなかったんだよな。『文句言わずに食え!』って怒って、そのとき律は泣き出しちまって……。なんか散々な気持ちだったよ。でも、その夜、布団に入って眠る直前になって、ハッと気がついたんだ。律があんな風に駄々をこねたのは、食事の事だけが理由じゃないんだって。アイツはアイツなりに我慢してたんだんだよな、いろいろと」


フライパンに落としたバターが溶けるのを見計らって、オレは切った材料を次々に入れていった。


炒める手を止めず、フライパンを揺すっていると、隣のユキが呟いた。


「……たぶん、淋しかったんですね、律さん」


「うん。オレもそう思ったんだ。アイツさ、母親の葬儀の時、泣かなかったんだよ。親父やオレの横に並んで、焼香に来てくれた人達に、同じように神妙な顔でお辞儀しててさ。きっと、泣くに泣けなかったんだと思う。落ち込んでる親父やどうしていいのかよく分からないオレの姿見て、我慢しなきゃ、ってずっと思ってそうしてて。そうこうしているうちに、限界が来たんだよな」


程よく炒まった具材にケチャップで味付けして、オレは温めた前の日のご飯を入れた。


甘酸っぱいケチャップの匂いが辺り一面に漂い、中身のチキンライスが出来上がったのを機に、別のフライパンで溶いておいた玉子を焼く。


綺麗に玉子が広がったのを見てチキンライスを載せ、柄を持っている手をもう一方の手でトントンと軽く叩きながらフライパンを揺すると、少しずつ玉子がずれて、くるり、と丸まった。


「上手ですね」


「今まで数え切れないくらい作ったからな。でも一番最初のヤツはホント悲惨だった」


その時に作ったオムライスを思い出し、オレは苦笑にがわらいした。



律が泣いた次の日、オレは学校の帰り道に本屋に寄って、オムライスの作り方を調べた。

それからスーパーに寄って必要な材料を買い、家に帰ると、律が野球の練習から帰って来る前に早目に台所に立った。


オムライスにしたのは、母親がまだ元気だった頃、律がよく作ってくれとせがんでいたのを思い出したからだ。


その時は、まさか自分が律の為に作ることになるとは思いもしなかったから、作り方なんて気にもしなかった。


包丁を握るのはいいが、材料の切り方や炒め具合をいちいち確認しながらの作業は時間がかかり、息切れしながら出来上がった初めてのオムライスは、玉子でライスをくるんだと言うよりは玉子がライスに包まれた、と言った方が正しかった。


タイミング良くというか、悪くというか、帰ってきた律にメシだと声をかけると、昨日のことがあったせいか、律は黙って手を洗ってきて椅子に座った。


「ん、メシ」


皿に盛り付けたオムライスを目の前の食卓に差し出すと、律は驚いたように顔を上げてオレを見、


あんちゃん、これ、兄ちゃんが作ったの?」


と、訊いてきた。


「……おぅ」


湯で溶いたコーンスープのカップを置きながら答えると、律は崩れたオムライスの皿をジッと見ている。


あまりの駄作に食いたくないのかと思い、ムリに食わなくてもいいんだぞ、と声をかけようとした時、律は添えてあったスプーンを持ってオムライスを食べ始めた。


一口、二口、三口……。


見てくれは酷いが、一応味見したからそれほど壊滅的にマズイ筈はないとは思いつつも、無言というのが非常に気になる。


心配になって、口に合わなきゃムリしなくてもいいんだぞ、と言いかけた時、黙って俯きがちに食べ進める律の目から、ポタポタと涙が落ち始めた。


(!!)


「………美味しいよ、オムライス」


びっくりして固まったオレに、律は一言だけ呟いてスプーンを置き、次の瞬間、こらえ切れないように肩を震わせてしゃくり上げた。


付けっ放しで見てもいなかったテレビの音に紛れるように、つかの間、律の小さな嗚咽が響いていく。


俯いたままひとしきり泣いて、そのあと律は落ち着いたのか手の甲でゴシゴシと目を擦ると、スプーンを持ってまたオムライスを食べ始めた。


オレはそのまま律が食べ終えるまで隣の台所で洗い物をしていたが、程なく律は食べ終えた皿とカップを持ってきて、


「ご馳走さま」


と、言った。


「おぅ」


皿を受け取ったオレに、律は赤い目のままでおずおずと云った。


「……あんちゃん」


「ん?」


「また…オムライス、作ってくれる?」


「おぅ。今度はもっと上手く作るし、これからはもっと色々お前の好きなもん作ってやるよ」


「ホント?」


「その代わり、最初から上手くは出来ないかんな?」


「いいよ!全然いいよ!本当に美味しかったから」


ーー本当に美味しかったから。



「結局、その一言で次の日から料理本と格闘するハメになったんだよな」


目の前に置かれた湯気の立ち上るスープと、玉子が破れず綺麗に出来上がったオムライスを見て、オレは小さく溜め息をいた。


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