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幻影  作者: 篠井 秋生
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波紋 その5

宴もたけなわになって、ビールの他にも日本酒やら焼酎やらワインやらが登場しはじめると、店の中は一層騒がしくなり、いつの間にやら砕けた雰囲気が辺りを包んでいた。


久我さんとひとしきり話をし終えた後、オレは適当に近くの人と雑談を交わしながら、少し離れた所で相変わらず突っ伏したままの菅野の様子を伺っていた。


大声が飛び交って、周りが滅茶苦茶騒がしいというのにピクリとも動かないところを見ると、どうやら驚くべきことにこんなうるさい所でも熟睡しているらしい。

気分が悪そうとか、そういう様子もなさそうなので安心したが、やはり帰りは久我さんの家の車に乗せて行ってもらうことになりそうだな、などと考えていた。



「そんでな、谷崎のハル坊がよ…」


少し前から久我さんの隣には、山崎さんという古株の作業員の親父さんが座って、何やら世間話が始まっているようだった。

酒のせいで大きくなっている二人の声が、少し離れたオレの席にまで聞こえてくる。


聞くともなしに聞いていると、最初は仕事絡みの話をしていた二人だったが、今はどうやら共通の友人の話になっているらしい。


ヤレ、誰それが腰を痛めて入院中だの、ドコそこの息子がどこどこ大学を狙っているだの、他愛のない会話が続いていた。


「ん…あ、アレ?リョウさん?」


手酌で久我さんオススメの日本酒を飲んでいると、突っ伏したまま、全く動かなかった菅野が顔を上げた。


「目、覚めたか?気分悪くないか?」


「あ〜、はい。スイマセン。でも、喉乾いてメチャメチャ眠いっス…」


「まだ顔、赤いもんな。水、貰ってきてやるよ」


「スイマセン」


オレは立ち上がると、座卓に座っている人の後ろを抜けて、靴をつっかけ、カウンターの中の主人に声を掛けた。


「あいよ、水ね。ちょっと待っててね」


「はい」


ちょうど何かを調理中で手が離せないのだろう。


忙しそうに一人で動き回っている主人から、背後の菅野に目をやると、待っている間にまた眠ってしまったらしかった。


「あ、全然急がなくていいので、ゆっくりで大丈夫です。本人、寝ちゃったみたいなんで」


「そうかい?悪いね」


「いえ」


オレはカウンターの空いている椅子に腰掛けて、主人の慣れた手捌きを眺めた。


「煙草、吸っていいですか?」


「おぅ、どうぞどうぞ。はい、灰皿」


ポケットから出した煙草に火をつけて、出してくれた灰皿に灰を落とす。


軽い酩酊感を感じながら、ボンヤリと厨房の中を見ていると、背後で話している会話が何となく耳に入ってきた。


「…そういやぁよお、一昨日おととい女房に『クリスマスのプレゼントくらい買ってよ!』って詰めよられてよ。駅前のデパートに連れていかれたわ」


話していたのは、『まつやん』こと松田さんと『ハジメちゃん』こと、西宮さんだった。


二人とも、言葉は荒いが根は気の良いおやっさん達で、現場では頼りにされているベテラン作業員だ。


どうやら声の大きさから判断するに、今の段階で、すでに二人ともだいぶ酒が入っているようで、チラリと様子を伺うとかなりご機嫌なペースで互いに酒を注ぎあっている。


話しているのは主に松田さんの方だったが、西宮さんは適当に日本酒と相槌を入れながら聞き役に回っていた。


「…そん時に、タクシー乗り場で偶然運転手やってる昔の知り合いに行き会ってよ。本当に久しぶりだったんで、女房には好きなもん見て来いって言って、その知り合いと少しはなしをしたんさ」


「うん、うん」


「……そいつも元々は同業だったんだが、途中、身体壊してな。もう無理だってんで、タクシーの運転手になったんだけど」


「へえ」


「ひとくさり世間話して、お互い女房には頭が上がらないな、なんて言ってたところで、そいつが『そういえば二、三日前に変わった事があった』って言い出してよ」


「変わったこと?」


「…なんかいつものように駅前でお客さん待ちしてた時、男が二人近づいてきて、声を掛けてきたらしいんだな。最初は客かと思って頭下げたら、片方の男が胸のポケットから目立たないよう黒い手帳出して『お仕事中すみません、警察の者です。ちょっとお聞きしたいことがあるんですが』って云われたらしい」


「なんだ、刑事ドラマみてぇだな」


「だろ?知り合いもそんなの初めてだったから、慌てたらしくてよ。どんなこと聞かれるのかと思ってドキドキしてたら、なんか女の写真見せられて、『この人、見ませんでしたか?』って尋ねてきたって」


「へぇ」


「なんだ、ドラマみてえじゃねえか、なんて、今、宮さんが云ったみたいにその知り合いに言ったんだが、気の小さい男だもんで、実際にそんな風に質問されると、てんにあがっちまったらしくてな。えらく緊張したってよ」


「そうなんか」


(警察?珍しいな…何かの捜査か…)


「んで、肝心のその尋ねごとっていうのは、一体何の事件についてだったんだ?」


日本酒をあおって一息ついている松田さんに、西宮さんが尋ねた。


「何の事件かはハッキリ云わんかったらしいよ。ただ、女の写真を見せられて『この人、見た事ありませんか?乗せた事ありませんか?』って訊かれたって。年の頃は二十代半ばくらいの、若い綺麗な女だったらしいが、俺たち親父から見たら、若くて綺麗ってだけで、みんなおんなじに見えちまうだろ?」


「違えねぇ」


そこで二人は顔を見合わせて大声で笑った。


(若い……綺麗な、女……)



「…はい、待たせたね、お水」


「え?あ!スイマセン」


声を掛けられて、ハッ、と我に帰る。


いつのまにか二人の話に聞き入っていたオレは、ひと段落ついた主人に声を掛けられて初めて、自分の目の前に水の入ったコップが置かれているのに気がついた。


ーーありがとうございます。


そう云って、すぐにでも椅子から立ち上がらなければと思っているのに、何故だかそこから立ち去り難く足が動こうとしない。


背後の菅野を振り返ると、まだ眠り続けているようだったので、すまないと思いながらも、オレは椅子に座ったまま、二人の会話に耳を澄ませた。


何かは分からないが……何かが引っかかる。


「…そんで、写真見ても、若くて綺麗な女としか思わんワケよ。それまでに何人もおんなじような若い女を乗せてても、いざ『どうですか?』って訊かれたら、ハッキリは言えん訳さ」


「まあ、そうだろうなぁ。お客さんとして乗せてるんだし、ジロジロ見るワケにもいかんだろうし。第一、顔なんていちいち覚えとりゃせんだろ」


西宮さんが相槌を打った。


「で、二人いたうちの若い方に、『何か分かりやすい特徴みたいなものは無いんですか?』って訊いてみたんだと」


「あー、よくテレビの公開捜査なんかでやってる、ホクロとか傷とかそんなのかい?」


「そうそう。そしたら、その若いのが云ったんだそうだ。『ありますよ、特徴なら』って。」


「どんな?」


『ーー痣があるんですよ』って」


(……痣?)


「『この人の右手首のこの辺に、小さな痣があるんです』。そう云ったんだそうだ」


(痣?…痣って、まさか……)


(ユキ⁉︎ )


オレは弾かれたように後ろを振り返り、変わらず愉しげに話している二人を見た。


( ‼︎ )


心臓が、胸の中で激しく鼓動を打つ。


松田さんが指差していたのはーー



オレがユキの痣を見たのと同じ場所だった。

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