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幻影  作者: 篠井 秋生
14/52

波紋 その1

「……これでほぼオッケーじゃないですかね?」


ロッカールームの片隅に設けられた、休憩コーナーのテーブルを拭き終えると、それまで無言で作業していた菅野すがのは、オレに向かって声を掛けてきた。


「そっちはどうです?もう終わりそうですか、白井さん?」


「ん?」


脚立の上に登り、埃だらけのロッカーの上を拭いていたオレは、その声に気づいて掛けていたマスクを少しだけずらした。


「ああ、コッチも、もうちょっとで終わる。ってーか、スゲェ埃!コレ、絶対誰も今まで掃除してなかったろ。埃が層になっとる!層に!オレ、こんなの初めて見たわ」


「それはスゴイっすね」


菅野は手にした布巾を畳みながら、脚立の下までやって来ると、足元に置いてあるバケツの水を見て驚いたように声を上げた。


「うわ、ホントだ。水、真っ黒じゃないですか。これ墨汁じゃないですよね?それぐらいのクオリティですよ…って、わわ、白井さん!ココ黒くなってますよ、ココ!」


菅野はオレの顔を見るなり、自分の顔を横に向けて、汚れたらしい場所の辺りを人差し指でし示した。


どうやら、マスクが鬱陶しくて掛け直した時に、触った場所が汚れたらしい。

教えてくれた所をゴシゴシと袖でこするとオレは横を向いた。


「落ちたか?」


「いえ。全然」


オレの確認に菅野は首を振った。


「あー、もういいわ。帰ったらすぐ風呂入るし。もう少しで終わるから、悪りぃんだけど、要らなくなった掃除用具、片してもらっていいか?」


「了解」


菅野が掃除用具を持って外に行ってしまうと、ロッカールームの中にはオレ一人きりになった。



年内最後の祭日の今日、現場は休みで、ここに来たのはアルバイトのオレと菅野のたった二人だけだった。


前々からこの日に、本来の仕事である交通整理ではなく、ロッカールーム兼休憩室の大掃除をやって欲しいと頼まれていて、何人かのうち、手空てすきだったオレと菅野が臨時バイトというカタチで参加したという訳だ。


いつもは感じた事も無かったが、いざ掃除をし始めると、ロッカールームは思った以上に広く、二人で手がけるには少々大物すぎた。

朝八時に集合して昼頃には終わるだろうと踏んでいた作業は、結局、午後二時にまで持ち越してしまったのだった。


(ようやく終わった……)


ロッカーの上を綺麗に拭き終え、脚立を降りると、長い時間同じ姿勢をしていたせいか足がガクガクする。


ずっと、動いていたせいだろう。

床の上に立った途端に、腹の虫が、ぐうっ、と鳴った。


(……ユキ、昼メシ、ちゃんと食ったかな)


真っ黒に汚れた雑巾を近くのゴミ箱に放り込み、頭に被っていたタオルを取って首に掛け替えると、オレは家に居るであろうユキの事を考えた。


結局、あれから何も行動を起こさないまま、二日がたってしまっている。



あの後、オレがチラシを元に戻したのと、ユキが脱衣所から出て来たのは、ほぼ同時だった。


「……リョウさん?」


(ヤバい!)


部屋を出る姿を見咎められ、焦ったオレは、咄嗟に腕に抱えたたくさんの洗濯物をわざとらしく持ち上げてみせた。


「靴下、引き出しのヤツが無くなっちまって。洗濯物、貰ってくな」


「はい」


間一髪のタイミングに、何気ない風を装ってその場を逃れたものの、部屋で自分がした事を考えると、胸の中で心臓が跳ね上がり、喉がヒクつく。


一瞬、気づかれたかと思い肝を冷やしたが、洗い物をしながら様子を見ていた限りでは、そのあとユキに変わった様子は無かった。



その夜、寝床に入って寝付かれないまま天井を見上げていると、オレは自分のした事の後味の悪さに、少なからず後悔する羽目になった。


幾ら気になったからといって、やっぱり人の物を黙って見たのは良くない。


もう絶対に、二度と同じ事はするまい、絶対に、と心の中で固く誓って眠りに就いたものの、それから二日の間、気がつくとその事ばかりを頭の中で思い返していた。



「白井さん、終わりました?」


「おう。今、終わった」


持ち場の拭き掃除も終わり、バケツの中の水を外の側溝に流しに出ると、掃除用具を片した菅野が、寒そうに背中を丸めて戻って来た。


身長185センチ、黒縁眼鏡が特徴の菅野は、ひょろりとした印象が強い背の高い男で、年はオレの二つ下の二十五歳。

過去に某有名大学を勢いで中退し、フリーターに転身したという実績を持つ、いわば『変わり種』だ。


「結構、ハードだったですね。オレ、昼メシあんなに食べたのに、もう、腹減っちゃいましたよ」


「オレも」


長身を屈めるようにして腹の辺りを押さえている菅野に、オレは相槌を打った。


「さっき、腹の虫が鳴った。結構すごい音だった」


「やっぱり…」


汚れたバケツを外にある水道ですすいで、連れ立って建物の中に戻って来ると、途端に菅野は大きく身震いした。


掃除の間、窓を開け放っていたせいで、ヒーターも点けていなかったロッカールームの中は、戸外と同じ寒さになっている。


オレより長身の菅野は、身長の割に細身のせいか、どうやら人一倍寒さが堪えるらしく、空腹も相まって限界らしかった。


「寒っ!あ〜ダメだ!オレ、ひとっ走りして角のコンビニで何か温かいものでも買って来ますよ」


上着を着込みながらオレの返事も待たず、すでに出かける用意をしている菅野は、見ると、もう一刻の猶予もならないといった様子で足踏みをしていた。


「マジで?サンキュー、菅野。じゃ、オレ無糖の缶コーヒー、あったかいヤツ。あと、中華まんも。そういうことなら奢っちゃる」


「やった!」


ポケットから出した千円札を二枚渡すと、菅野は成りのデカい子供みたいに嬉しそうに走っていった。



一人になると、オレは休憩コーナーに置いてあるヒーターのスイッチを入れて、椅子に腰掛け、ケータイを弄った。


着信が無いことを確認し、ネットに接続すると、何度か開いたサイトにアクセスする。


一瞬の後、小さな画面には青と白のイルミネーションに彩られた大きなツリーと共にD村のトップページが映し出された。


この二日の間、何度も見た画像だ。


調べるつもりじゃない、見るだけだ、と、自分に言い訳しながら閲覧してみると、D村のクリスマスイルミネーションは、もう随分昔からやっていて、今ではかなり有名だという事が分かった。


(うーん……)


あんなに古いチラシを大事そうに持っていたのだから、やっぱりユキはこのイルミネーションを観に行きたいんじゃないだろうか。


(でも、それらしい話題も素ぶりも無いんだよな。D村の名前さえ口に出した事もないし……何気に話題を振ってみる、とか?……いや、不自然か…」


今年もD村ではクリスマスイルミネーションのカウントダウンが予定されているらしく、トップページの冒頭に大々的に告知されていた。


観に行くとすれば、明日あす明後日あさってしか、もう時間は無いのだが。


(うーん……分からん)


椅子の背凭れにるように身体を預け、両腕を組みながら、天井を睨む。


思考の迷路に迷い込み、同じ所をぐるぐるしている間に、菅野は素早く買い物をして帰ってきた。


「うわー、暖かい!生き返る〜」


余程寒かったのか、買った物を抱えるようにして帰って来た菅野は、テーブルの上に袋を置くと、中から缶コーヒーを二本と中華まんを幾つか取り出した。


「白いのばっか、いろいろな味の買ってきました。どれが当たるかはお楽しみって事で」


「そりゃ、いいな」


オレは一番手前の一つを取ると、底の紙を見ないようにして二つに割った。


「あ、肉まん」


中身を確認すると、缶コーヒーに口を付けた菅野がとぼけた口調でオレに告げた。


「白井さん。ソレ、『当たり』です。そのうち何か良い事があります」


「マジかよ」


ヤケドしないよう、熱々を頬張りながら尋ねると、菅野は神妙な顔で頷いた。


「……たぶん」


「『たぶん』……って何だよ」


思わず苦笑いが浮かぶ。


同じように苦笑いしながら中華まんに手を伸ばした菅野が、ふと、何かに気が付いたようにその動きを止めた。


「アレ?白井さん、その画像…」


「んあ?」


どうやら近くに置いてあったケータイの画面が目に入ったらしい。


「『ソレ』って確かあそこですよね?隣の市にある『D村』。彼女さんとでも一緒に行くんですか?」


「いや、そういうワケじゃ無いんだけど……っていうか、菅野、此処知ってんの?」


オレの言葉に、菅野は中華まんの袋を取りながら頷いた。


「ーー知ってますよ。オレ、何年か前に、当時の彼女と行ったことありますから。まだクルマの免許持って無かったから、駅から出てるバスに乗って観に行きました。最終日の……カウントダウン?とかいうのに参加したい、って彼女が云うから行ったんですけど、なんか人気あるみたいで、その日のバスぎゅうぎゅうで。『D村』って、山の中腹辺りにあるんですよ。オレ、子供並みに三半規管が弱いから、乗り物に弱い上に途中の道が曲がりくねってて、結構辛かったな。……あ、白井さん、これ『ピザまん』です。やった!『当たり』」


「バス、か」


ユキがもし一人で行こうとするなら、必ずD村行きのバスを使うだろう。


そんなことを考えて無意識に呟いたオレに、菅野が思い出したように続けた。


「『D村』自体は結構広い所ですよ。園内のイルミネーションも凝ってるから、デートにはオススメします。但し、最終日のカウントダウンについては、多分かなりの『激混み』でしょうね。それもこれも元はと言えば、何年か前から流行りだした根拠の無いジンクスのせいらしいですけど」


「ジンクス?」


「はい」


こんなに喋っている間にどうやって平らげたのか、菅野は半分になったピザまんを更に半分に割りながら続けた。


「……誰が言い出したのかは不明ですけど、確か内容はこんな感じだったんじゃないかな。『D村のイルミネーションカウントダウンに参加した恋人とは、ずっと一緒に居られる』とか、『幸せになれる』とかナントカ。…アレ?『結婚出来る』… だったかな?とにかく、よくあるソレ系のジンクスですよ」


そこまで話すと、菅野は残りのピザまんを瞬く間に平らげた。


「そうなのか?」


「女の子って、ホントそういうの好きですよね」


二つ目の中華まんに手を伸ばしながら、そういえば、と菅野はオレに向かって尋ねた。


「…そういえば、前から聞こうと思ってたんですけど、白井さんて髪どこでカットしてるんですか?」


「何だよ、藪から棒に」


考えに耽っていた所に全く違う話題を振られて、オレは真向かいに座っている菅野を見た。


「いや、ずっと聞こう、聞こうと思ってたんですけど、なかなか機会が無くて。やっぱり美容室ですか?」


「いや……テキトーに自分で切ってるけど…」


「え!マジで⁈」


オレの返事に、菅野は驚いたように目を見開いた。


「いつもキマッてるから、オレ、てっきり駅前かなんかのオシャレな美容室に行ってるものだとばかり思ってました」


「何だよ、『オシャレな美容室』って」


レトロな言い方が可笑しくて思わず笑うと、菅野は何故か真面目な表情で二つ目の中華まんを割りながら云った。


「えー、だから店の中が外から見えるようなガラス張りで、コーナーに洒落た北欧風のソファーが置いてあって、凝った形の間接照明とか、観葉植物とかちょっとしたオブジェみたいのがあって、美容師さんがオシャレな人ばっかり、みたいな?……あ、角煮まん!『当たり』!」


「角煮まん、良いな」


ぼそり、と呟くと、菅野が半分を差し出してきた。


「半分こ、します?」


「うん」


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