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幻影  作者: 篠井 秋生
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冬の夜

そのひとに出会ったのは六年前、深夜の牛丼屋での事だった。


冬の寒い夜だった。


あと二週間もすれば新しい年を迎えるような頃だ。

滅多に雪など降らない土地なのに、その朝の予報では珍しく雪のマークが付いていて、昼を過ぎる頃には、うすら明るい曇り空から小さく白い欠片がひらひらと落ち始めていた。


空気は前日よりも一層研ぎ澄まされていて、いつの間にか肌を刺すような冷たさが空気の中に混ざり込んでいたようだった。


仕事の間中、ずっと降られたら堪らないなと思っていたが、雪は夜九時を回る頃には静かに止んだ。


大雪にならなくて良かったが、それでも歩道を歩きにくくするくらいには積もっていて、一日中屋外仕事で酷使した足をなお一層重くした。


疲れた日だった。


雪のせいで、いつもの倍以上に疲れていた。出勤の時に乗ってきたスクーターは凍った道を乗って帰れないから現場に置いて行かねばならず、時刻も既に十時を回っていて、腹も死ぬほど減っていた。


おまけに昨日とは比べものにならないほど滅茶苦茶に寒く、空腹のせいか、体温が一層下がっている気がする。


立っているだけで身体がガタガタ震えだすなんて、その冬初めての経験で、歯の根が合わない様子を同僚に気づかれて、思い切りゲラゲラと笑われた。


(とにかく、何か腹に入れないと。)


そう思い、オレは人気の無くなった夜道を出来るだけ早足で歩いた。


部屋に帰っても食材は無いし、もとより作る気など微塵もない。


となれば、取る行動はただ一つだった。


アパートに帰る道すがらにぽつん、とある牛丼屋に寄って飯を食い、サッサと部屋に帰って眠ることだ。


「うぉーー!寒みーー!」


自動ドアが開くと同時に、暖かな空気と 嗅ぎ慣れた醤油の匂いが全身を包み込み、知らぬ間に強張っていた肩からフッ、と力が抜けた。


仕事を終えて、疲労でフラフラになりながらオレが牛丼屋に足を踏み入れた時、その見慣れた狭い店の中には、いつものようにこれまた見慣れた店員が一人ヒマそうに立っていた。


寒さから開放された安堵感。


そのせいで、つい威勢良く 「よぉ!」と声を掛けようとして、視界の隅に感じた微かな気配にハッ、と口を噤む。


いつもこの時間には殆ど客が居ないから、今日もてっきりそうだと思っていたのに、 入り口から死角になっているカウンターの一番端の隅っこの席に、見たことのない若い女が一人座っていた。


(女……?こんな時間に?)


「いらっしゃい!」


オレの姿を認めた店員のテツは、顔を綻ばせて声を掛けてきた。


「よぉ、テツ」


オレは入り口に敷かれたマットの上で雑に雪を落とすと、一瞬だけスツールに腰掛けている女に視線を向けて、その横を通り過ぎた。


テツの前のスツールに腰掛けると、馴れた気安さでテツが話しかけてくる。


「……っと、リョウさん、やっぱ、今日も来ましたね。オレ、天気こんなんだけど、リョウさんは絶対来るって思ってたんスよ」


「何だよ、それ」


オレは寒さに冷え切ったオーバーを脱いで、隣の空いているスツールの上に置いた。


「……っていうか、いつもヒマそうな店だけど今夜も格別ヒマそうだな、テツ」


ニコニコと無邪気な様子のテツに、 こっちも馴れた気安さで軽口を叩くと、テツは苦笑しながらお茶を出してくれる。


「あ〜、ひどい言い草っスね。でも残念でした。こんな天気だからものすげぇヒマだとか思ってたでしょ?ところが昼間はびっくりするほど忙しかったんスよ。持ち帰りの方が」


「へぇ」


オレは湯呑みと一緒に置かれた既製の手拭きの袋を破き、無造作に手を拭いながら続けた。


「そりゃまたどういう風の吹きまわしだよ。この店が忙しいなんて絵面、オレが通い始めてから未だかつて見たことも無いし、想像もつかないんだが」


「うわ、そこまで言いますか」


テツはオレの言葉にショックを受けたような振りをして、大袈裟な仕草で仰け反ると、だが次の瞬間にはすぐにケロリとした表情に戻って言った。


「いや、確かに想像つかないかも知んないですけど、来たんですよっ!今日は!期待以上のビッグウェーブが‼︎」


「ビッグウェーブって……」


( もうちょっと、他に言い方があるだろうが……)


オレは褒められたい子供みたいに、目をキラキラさせているテツを見て溜め息を吐いた。

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