154話 春は出会いと別れの季節
遅れてしまった申し訳ありません。
「……なんで、いる?」
「あら、いちゃ悪い?」
ポツリと呟いただけの僕の声を、その地獄耳で拾った母は、腰に手を当て、僕を睨め付けるように見てくる。
「…………ソンナコトナイデス」
悪いに決まってるだろ、とは言えず、カタコトで思っている事とは真逆の返事をする。
僕の返答に、フンと一つ鼻で笑うと、宝来へと視線を移した。
「そんなことより彼方君!」
そんなことより?、実の息子より他所の子の方が可愛いですか。
まあいつもの事だが…。
「私も一緒にアメリカ行くの。よろしくね」
宝来の手を取り、語尾にハートでもつきそうなくらいに笑顔で、同行する旨を伝える僕の母。
黙って成り行きを見守る、僕達。
「えっ!おばさんもアメリカ行くの⁈やったー!俺嬉しいな‼︎」
「やだぁ、そんな嬉しい事言ってくれちゃって!海外出張なのよ。それが丁度アメリカだったから、風ちゃんとシェアハウスする事にしたの。だから、彼方君もよろしくね!」
聞いてない。
「そうなんだ!じゃあ、佐藤も一緒だったりする⁈」
それはない。
母よ、笑顔のまま固まるな。宝来に見えないよう、僕を睨むな。嫌そうな顔を向けるな。
仮にも僕は、貴女の息子です。
宝来への対応と同じくしろとはいいません。
せめて少し、ほんとに少しで構いませんので、優しく対応して頂けましたら幸いです。
「…残念なんだけど、息子は大学があるからお留守番なの。ごめんね」
「そっかぁ……、あっちでも佐藤のメシ食えると思ったんだけどな」
ふざけるな。僕はお前のメシスタントじゃない。
「私か風ちゃんが腕を振るうわよ。期待してて!」
「えっ?」
それに思わず声を上げてしまったのは僕だった。
自然と僕に視線が集まる。
僕を冷めた目で、睨みつける母もいる。
「あ、えっと……」
母の様子を伺いつつ、言葉を探す。
ここで選択する言葉を間違えたら、来月以降の僕の生活が苦しくなるのだ。
その時、母の口が動く。
"余計なこと言ったら、振り込みなくすから"
明確な脅しである。
読唇術はできないが、恐らく、というか99%の確率でそう言っている。
僕は言おうと思った、「料理できるんだ」という言葉を飲み込み、違うことを口にする。
「…い、忙しくてあんまり作れないから、母さんの料理は貴重だぞ」
「マジで‼︎レアじゃん!楽しみだな‼︎」
チラっと母を見ると、満足気に一つ頷いた。
これで、僕の生活は一安心だ。
自分の母なのに、言葉一つ気をつけないといけないのは、何故だろうな?
「あらあら、そろそろ搭乗時間ねぇ」
宝来の母が時計を見ながらそう言った。
「そうね。じゃあ行きましょうか」
横に置いてあったキャリーバッグを手に、搭乗口へと行こうと踵を返す母達。
「じゃあ、行ってくるな‼︎」
そう言い拳を突き出す宝来。
それに仕方ないな、と言いたげに一人一人が拳を合わせながら一言ずつ。
「頑張って」
水城は簡潔に。
「バスケじゃなく野球でテレビに出るの、楽しみにしてる」
金見はニヤニヤと、少し揶揄いながら。
「頑張ってこいよ‼︎だけど、俺はまたバスケ一緒にやりたいから、戻って来い‼︎」
岬は正直に。
「……お前にはバスケが合ってる」
新井山は少し遠回しに。
「……なんだ?」
僕に拳を向ける宝来。
「ん!」
「……はぁ。失敗したら笑ってやる」
そう言い拳を合わせる。
こんなセリフでも、宝来は満足そうだ。
「じゃあ、またな‼︎」
宝来は母達の後を追い、搭乗ゲートへと走って行った。
「行っちゃったね」
「清々する」
「本当は寂しんじゃないの?」
「誰がだ?」
「母親取られて、なんか思うことがあったり、」
「するわけないだろ」
「静かに、なる」
「願ったりかなったりだ」
4人は飛び立った飛行機の後ろ姿を目で追いながら、僕にそんな戯言ばかり言ってくるが、僕は即座に切り返す。そして、
「もう用はないんだから、さっさと帰るぞ」
そう踵を返した僕を見て、4人は全員で口を揃えてため息を吐き、
「取りつく島もない、ってこの事だね」
と呟いた金見の言葉に頷いた。
宝来達がアメリカに行ってから、一週間経った。
必然的に一人暮らしになった僕は、開放感を感じていた。
リビングにいても、部屋にいても、母も宝来も誰も来ない。
「静かだ……」
とても読書が捗る。勉強も捗る。
準備が面倒な為、食事が疎かになりがちではあるが、とても充実していた。
宝来がいない為、水城達との連絡も疎遠になるだろうと予想している。
つまり一人だ。
小さい頃から念願だった、一人だ。
宝来がいないというだけで、こんなにも静かかと、母がいないだけでこんなにも自由か、と。
たった7日間だけでもそう感じてしまっている。
この安寧は一年だけだと分かってはいるが、できれば長く続いてほしいと願ってしまう程に、この一人暮らしは快適だった。
明日からは大学が始まる。
準備は既に終え、明日の入学式を待つばかりである。
テーブルに積んだ本を本棚に片付け、僕は机に座り、ペンを走らせた。
入学式も無事に終わり、授業の履修登録も終えたある日。
僕はある教授の講習を受けたくて、その教科を選択した。その初授業の日。
「…………」
いつも通り、窓際の後ろの方の席に着いた僕は、一人本を読んでいた。
他の授業では、隣に座ろうなんて物好きな奴はいなかったが、この日は違った。
カタン、と隣の席の椅子が引かれ、誰かが座った。僕は本から視線を外す事なく、"誰か座ったな"くらいで、誰が座ったかなんて興味もなく、ただただ本を読み進めていた。
「………………」
が、何故か視線を感じる。
隣の席から……。
僕は仕方なく、本に栞を挟み、机の上に置き、ため息と共に隣に向き直った。
「はぁ、なんの用、、だ……」
思わず言い淀んだ僕は、ポカンと口を開けたまま、固まってしまった。
「ふふっ」
そんな僕を見て、笑いが堪えきれなかったのか、口元に手を当てながら、笑いをこぼした。
「なんで、お前が…………」
「あれ?言ってなかったっけ。僕も、学部は違うけどこの大学なんだよ。それで、この教授の講習が受けたくて、ここにいるんだよ」
「……………………」
聞いてないとか、知らなかったとか、言いたい事はいくつかあったが、言葉にならなかった。
そんな僕を見た水城橙里は、
「大学でもよろしくね。佐藤君」
そう言って、いつも通りの笑みの浮かべた。
春は出会いと別れの季節、だなんて誰が言ったんだろうな……。
僕の平穏は一月ともたなかった。
2年後。
宝来彼方は、彼の手にあるのは違和感しか感じないハードカバーの分厚い本を手に、腹を抱えて爆笑していた。
"抱腹絶倒"と、正しくこの言葉がぴったりな程に、笑い転げていた。
「アハハハハハッ、さ、佐藤、お前っっ、アハハハハ」
そんな宝来に苛立ちを覚え、手に持っているコップを割れんばかりに握っていると、水城が、
「そ、そんなに笑っちゃ、失礼だよ。…ふふっ」
「お前もな」
こいつも笑いながら宝来を注意する。
説得力はカケラもない。
「いやだって、こんなの笑うしかないじゃん!」
「人をなんだと思ってる」
とても失礼な事を真顔で言った金見を睨みつけながら、僕は勢いよくコップをテーブルに置いた。
「そこの二人なんて、頑張って笑い堪えてくれてるじゃん。褒めてあげなよ。ふはっ」
金見は、二人して俯き、肩をプルプル震わせている、岬と新井山を指差しながら、自分も笑いをこぼす。
「肩震わせる程堪えるくらいなら、いっそ笑えよ。全員纏めてブン殴ってやるから」
そう言っても、宝来達の笑いは一向に治らないらしい。
五人共、宝来の持つ物と同じ本を見て笑い、僕を見て笑う。
そんな失礼極まりない行為が数十分程続き、やっと笑いが治ったのか、皆飲み物を口にし、一息ついた。
「久しぶりに皆で集まったのに、こんなに笑わせられると思わなかったな」
「僕も、こんなに笑われると思わなかったよ」
「まあまあ。彼方も一年遅れでアメリカから帰って来たし、楽しくていいんじゃない?高校に戻ったみたいで」
「楽しくない。なんで僕の家に集まる?」
「…集まりやすい、から?」
顎に手を当て、コテンと首を傾げながらそう言った水城。
僕は何を言い返す事もなく、ため息を一つこぼす。そして、宝来に向き直り、頬杖をつきながら、無表情で問う。
「……笑いは治ったかよ」
「ま、待って、も、もう、もう少しっ…!ハハッ、はらいたいっ」
「死ね」
多少落ち着いてきて笑い声を抑えていた宝来は、僕が声をかけるとまた笑いがぶり返してきたらしい。そんな宝来を睨みつけ、僕は立ち上がる。
「どこ行くんだ?」
岬がお菓子を摘みながら聞いてくる。他の奴も僕に目を向ける。
「…ファミレス。昼飯を食べに行く。作ろうかとも思ったが、今はイラついてまともに作れそうにないんでな」
うっかり包丁を他のものに向けそうだ、と宝来を横目な見ながら呟いたら、宝来は笑いを止め、ビシッと正座した。
が、次の瞬間には俯きながらプルプル震え始めた。
そんな宝来をひと睨みし、水城達に質問を投げる。
「……お前らはどうする?キッチンなら貸してやる。だが、材料は自分達で買ってこい」
「答え分かってて聞いてるでしょ」
水城は微笑みながらそう言うと、腰を上げた。それに続く金見。
「一緒に行くに決まってるじゃんね」
岬、新井山も立ち上がる。
「腹へったし、俺らも行くっての!」
「焼き魚定食」
「俺はステーキ‼︎」
立ち上がり、玄関へと向かおうとする僕達は、一度宝来を見る。
「………」
未だに腹を抱えながら、プルプルと震えている。
笑い声を漏らさないのは褒めてやる。
「宝来は一人留守番するらしい。置いていくぞ」
踵を返した僕。それに続く水城達。
「まっ、待て待て‼︎俺も行くって‼︎」
ハッと顔を上げた宝来は、未だに持っていた本をテーブルに叩きつけながら、勢いよく立ち上がった。
そしていつも通り騒がしく、6人でファミレスまでの道を歩く。
テーブルの上に残された本のタイトルには、こう書かれていた。
『平凡少年佐藤君の人生傍観的記録』
あとがき
ここまで読んでくれた事、とても嬉しく思う。
面白かった、面白くなかった、まあ、簡単な感想はそのどちらかだろう。
だが、一つだけ言わせてくれ。
この話は、僕の高校生活をただ綴っただけの物だ。
面白かろうと、面白くなかろうと、文句を言われる筋合いはない。
僕は面白いと思って書いた訳ではないからな。
例えるなら、自分の日記を世間に晒しただけだ。
面白いか?
答えは否だろう。
普通の一般人の高校生活なんて、そんなに大したものじゃないはずだからな。
平凡、ただその一言に尽きる。
タイトルにも書いてあるだろう?
この物語は、僕の"平凡な"、ただの傍観記録である。
個性的な知り合いが多かったが、ノンフィクションで送らせて頂いた。
さて、こう言った後でもう一度聞こうか。
「この話は、面白かったか?」
答えは聞かん。
十人十色、思う事、考えは人それぞれだ。
書ききれなかったことも多かったが、"思い出す"という苦痛に耐えながら書いたものだ。多少の達成感は感じている。
さて、長々と語っても仕方がないな。
このあとがきまで読んだ君には驚きしかないが、まあ感謝する。
これは、僕こと、平凡少年佐藤和の傍観的記録である。
それでは、またどこかで。
佐藤 和
とりあえず、これにて佐藤君の話は終わりになります。
書きたい話も、書けてない話も一杯ありますが、遅れつつもなんとか書き終える事ができました。
それも、ここまで読んだ下さった皆様のおかげです。
"とりあえず書く"という事だけを目標に始めたこの話ですが、楽しく、好き勝手に書かせて頂きました。
次の作品は、多少は構想を練って、多少は考えて、多少のストックを作ってからあげていこうと思います。
更新状況などは、ツイッターにてお知らせします。
3年間、佐藤君達を本当にありがとうございました。