プロローグ
プロローグ
ここは登校、通勤時間帯の駅である。そこらじゅうに人が歩いており自分の居場所を確保するのも難しい状況である。
そうはいうものの、基本的に自分の立つ場所などは自然に決まってくるものだ。廿里はいつもの場所にいて電車がやってくるのを待った。その、いつもの場所とは電車にのる人達を見渡せる場所だ。後ろが喫煙室になっているガラスの壁に背をあずけていた。
今は夏。夏服を着た学生たちやクールビズの男達が駅をうろついている。
「あの子……今日はいつもと違うメガネをかけているな……あのメガネもキュート……」
小さな声で手を強く握りながらガッツポーズをする廿里。そして、さらに廿里は周囲を見回した。
『いつものあの子はいるかな?』
廿里の目当ての子はいつも時間に正確だ。遅れることなんてありえない。
階段の方を見てみるといつもの姿で女の子が階段で降りてきていた。
「メガネに三つ編み……これは典型的な内気少女だ……」
メガネの魅力は、かける人間によって何倍にも膨れ上がるのだ。
今の彼女は度が強いメガネをかけているのが分かる。眼鏡越しに見えるはずの、彼女の瞳は見えないのだ。
いつも教科書を読みながら、人の多い駅を歩く。彼女は本を読みながら歩くのになれているようで。、スイスイと人ごみを掻き分けながら歩いてくる。そして、いつもの場所に立った。そこは電車が止まったらドアの前になる場所だ。最前列に立ち、彼女は一番に電車に乗り込んで席をゲットする。
そして、膝の上にカバンを置いて本を読み始めるのだ。廿里はその姿を見るのがたまらなく好きだった。
廿里は、彼女の真後ろにつく。
彼女は、まったくそれに気づいていなかった。毎日のように、真後ろにつかれれば普通は気持ち悪がったりするものであろう。だが、いつも本を読みながらその場所についている。彼女はいつも真後ろに付く者の事なんかには気づいていないのだ。
その廿里は、彼女の髪を後ろから見た。基本的にやぼったく見える彼女だが、髪は手入れをされているのか? つややかに輝いている。何気なくしている緩く編んだ三つ編みという髪型も、髪のボリュームがないとできな髪型だ。
『ちょっと匂いを嗅いでみようかな……』
廿里はつい魔が差してそんな事を考え出してしまう。廿里はひとつ前にいるその子の髪に顔を近づけた。
その瞬間廿里は後ろから首を掴まれる。
「うぐっ……」
そう小さく唸った廿里は、引きづられるようにしてその場から離れていった。
「アホか……下手すりゃ駅員を呼ばれるぞ……」
黒縁のメガネをかけた音院は廿里に向けてそう言った。
音院は風紀委員で副委員長をしているため、目つきなんかも悪い。『風紀委員の仕事で目つきが悪くなってしまった』などと本人は言っているが、廿里が知る限り昔から音院の目つきは悪かった。
彼女は完璧美人といった感じで成績がよく運動神経もよく人望もあり空手部で副部長までやっている。
「そして、メガネで胸も大きい。完璧人間だ」
ついそこが口に出た廿里。音院はそれを聞いて廿里の頭を思いっきり掴んだ。
「おいこら……今何を考えた? 考えていたことが口に出ていたぞ。メガネだと? 胸だと? 正直に言ってみろ。でないと蹴るぞ」
言ったら蹴られるのは確実だ。だったら言わないほうがいい。廿里はそれで黙り首を横に振った。
「ふん……」といった感じで上げていた足を下ろすと、廿里の頭を掴んで上げさせた。
「さっき、なにをしようとしたんだ?」
音院はそう聞いてくる。廿里はそれに正直に答えた。
「ちょっと髪の匂いを嗅ごうと……」
廿里がそこまで言うと音院は廿里の頭を掴む手にさらに力を込めた。暴力的な行動だが、こんな事をできるのは、幼なじみという気安さからだ。音院は廿里には情け容赦がない。
「それが気持ち悪いって言うんだ……髪の匂いを嗅ぐな!」
廿里の頭を落とし、それに膝をグリグリと押し付ける。
「何がいけないんだ……胸を触ったり、おしりを触ったりしたわけじゃ……」
「髪の匂いを嗅ぐのもアウトなんだよ……髪の匂いを嗅ぐのも……」
音院はそう言ってさらに力を込めて廿里の顔を膝にグリグリと押し付けた。
「よくそんな姿勢で……」
片足立ちをしながら膝を廿里の顔に入れる音院。
「空手部なら誰でもできる……」
音院はそして廿里の頭から手を離した。
「しまった! なんて事だ!」
いきなりそう叫んだ廿里。
「どうしたんだ?」
音院が冷たい視線を向けて言う。『どうせしょうもないことだろう』そう考えながら廿里の言葉の続きを待つ。
「あの子の後ろに男が並んだ!」
音院は、ついに廿里の頭から手を離した。並ぶくらい当然のことだ。ただの順番待ちである。
「何がいけないんだ?」
どうせアホな事を言うに決まっているが、一応聞いてみる音院。
「ああいう不良ぶった奴は、ああいう内気な子を狙うんだ。夏休みとかでいきなり垢抜けたりするのは、ああいう奴に処女を奪われるからなんだよ!」
「力説するな!」
やっぱりしょうもない事だった。音院はそう思いながら廿里の顔におもいっきり膝を叩き込んだ。
「壊れた頭は直ったか?」
音院はそう言う。だが廿里はそんなものは全く聞かずに動いていた。
いつの間にか廿里はあの三つ編みの子の後ろに立った男の後ろに立ち、男の事を列から押し出すようにして押して行った。肩をグリグリと押し付けていっていてその男は迷惑そうだ。
「あいつ……人に迷惑を……」
音院は、アホな事を始めた廿里の事をまた引っ張り込むために歩いて行った。
「とど……」
音院はそこまで言った。そこに電車が走ってくる音が聞こえてきて、それからの音院の声は遮られた。電車がやってくる音が聞こえる。
その時、男はふと動いた。
三つ編みの子の両肩を掴み線路にまで押し込んでいったのだ。その子は線路に真っ逆さまに落ちていきそうになった。
「危ない!」
廿里は三つ編みの子の手を掴んだ。そして、線路から引っ張り上げたのだ。
その直後に電車は高速で通ってきた。間一髪であった。少しでも廿里が彼女を引っ張り上げるのが遅かったら、彼女の頭はスイカ割りで割られたスイカのように粉々になっていただろう。
「大丈夫だった?」
廿里はその子の事を抱きとめながら言う。その子は廿里の腕を掴んでいた。
「手……手……」
そう言うその子。廿里はそれを聞いて続きを聞いた。
「手?」
廿里がそう言うと後ろから羽交い締めにされた。
「胸……触っているんだよ……」
廿里の事を羽交い締めにした音院。音院は廿里をその子から引き剥がした。
「ごめん……全然気づかなかった。なんにも柔らかいものの感触がしなかったからさぁ……」
弁論のつもりで言った廿里。だが、その子はさらに顔を怒りで染めた。
「バカ!」
そう言い、その子は廿里の頬を引っ叩き廿里から逃げていってしまった。
「あ……そんな……メガネの子!?」
その子に向けて手を伸ばす廿里。まだ何も話していないし声をかけた事もないうちから、彼女の印象は最悪になってしまった。
「そんな……あんなにメガネの似合う子……他にいないのに……」
廿里は本気で残念そうにする。その廿里を尻目に、音院は近くにいた駅員に声をかけた。
「ちょっと待て! 今のは不可抗力で……」
「そうじゃない」
廿里は、あの子の胸を触ったことで駅員に突き出されるのだと思ったが、音院は涼しい顔をして言う。
「あの子は男に突き飛ばされて、電車に轢かれそうになったんだぞ……これは殺人未遂だ……」
そう言った後、音院は駅員に事情を説明した。
そうは言っても被害者本人はいなくなっているし、犯人だって当然逃走をしている。
「明日、また詳しく話を聞くけど……多分犯人は捕まんないよ……」
駅員もそう言う。
「よろしくお願いします」
そう言い頭を下げた音院。
今日は校門で持ち物検査をやる日だったはずだ。風紀委員が遅刻をしてしまうなんて、面目が立たない。
「どうせ、犯人は捕まらないというのなら、こんな事したって無駄じゃないか」
廿里が言うと、音院は廿里の首根っこを掴んだ。
「親友が殺されかけたんだぞ……面目は潰れても直せばいい。だが、親友が死んだら、それこそ取り返しがつかないからな……」
「親友?」
廿里は、そう音院に聞いた。
「しまった……」
『この事は秘密だった』
そう考えた音院は首を振って答えた。
「なんでもない……行くぞ……」
音院はそう言い、先に歩いて行った。