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前編

縦読み推奨です

 港に立つ波は穏やかで、吹く風もまた大いなる抱擁のように柔らかい。港には屈強な男たちの姿があり、荷物の運搬や船の手入れをしている。どこからか競りのかけ声が響き、港周辺の活気はさらに高まった。男たちの怒号が轟き、活きの良い魚が水槽の中で跳ねる。

 市場のはずれ、人のまばらな場所にひとりの少年が羨ましげな視線を市場のほうへ向けている。少年はしばらくその様子を眺めて、諦めのため息をついた。


「サルだ」

「あのサルはなんて汚らわしいの」

 サル。

 サル。

 町の人たちが侮蔑の視線を向ける先には、ひとりの少年がいた。少年は緑色のマントを着て、フードを目深にかぶっている。その表情を確認することはできない。右手にバスケットを持っていて、そこから甘い香りが漏れ出ていた。

 その少年はフードの中でうつむいて、とぼとぼと通りを抜ける。通りを抜けた先には港があり、そこでこのバスケットの中のものを売るのだ。

 港の隅で着ていたマントを脱いで、その上に腰を下ろした。そこに座っているのは女の子だった。長い黒髪を赤いリボンでふたつにまとめている。まだ幼さの残るせの顔だちには、濃い疲れと沈鬱な雰囲気が漂っている。

 少女はバスケットを開けて、中から箱や袋を取り出してフタを閉じたバスケットの上に並べた。さして何を言うわけでもなく、ぼうっとした目で道行く人を眺めている。その道行く人は少女を視界の端にもとめることなく、少女の前を通りすぎていく。

「それはなにかな?」

 はっとして、少女は一番近くにいる人物に視線を移した。

「どれ?」

「その箱のやつさ」

 真ん中に置いた箱詰めのお菓子を指差したのは、この少女よりも少し年上に見える少年だった。

「……」

「どうかしたのかい? まさかぼくの顔に何かついてる?」

「なんでもない」自分の顔をぺたぺたと触る少年に、少女は素っ気なく返した。「それはクッキー。森の木の実を入れてる」

「木の実? へえ、なんていう木の実だい?」

「コモ」

「コモ? はじめて聞く名前だね」

「酸味のある赤い木の実」

「へぇ、そりゃあ美味しそうだ」

 少年は本心からそう言ったのだが、少女の表情は張りついたかのように動かない。機嫌取りと思ったのかもしれない。それによって少年が何を得するのかはわからないが。ともあれ、少女は「食べてみる?」と、真ん中の袋からクッキーを取り出した。

「いいのかい? 売り物だろう」

「かまわない。どうせ売れない」

「なんで?」

 少年には不思議に感じられた。確かにこの少女はお世辞にも対応が良いとは言えないが、それだけで売れなくなるなんてことはないからだ。ここの人は対応よりも商品を見る。商品が良ければ、多少対応が悪くても認められるのだ。

「わたしが魔女だから――魔女になる素質を持った人間だから」

 年の眉が、ぴくり、と一瞬動いたのを少女は見逃さなかった。また罵声を浴びせられるのだろうと、帰り支度を手早く開始した。相手が激昂した時、まず被害を受けるのは商品のクッキーだ。売れない商品であるのは承知の上だが、それでも手荒く扱われてしまうのは抵抗がある。

「もう店じまいかい?」

 しかし予想された汚い言葉は姿を見せず、かわりに場違いにも思える質問が少女に向けられた。まさか魔女がなんたるかを知らないのだろうか。

「ええ。魔女の商品なんて誰も買わない」

 魔女ほど忌み嫌われる存在など、この世界では数えるほどしかいない。詐欺師や殺人鬼でさえ、魔女ほど差別的な扱いは受けないはずだ。魔女は人としてさえ扱われない。たとえ、まだ魔女ではないとしても。

「あなたもきっと買わない」

 少女は言い切った。

 少年は苦々しい表情になって、先ほど少女が試食のために出したままになっていたクッキーを口に放り込んだ。

 あまりにも予想外な行動に、少女は目を丸くした。

「うん、おいしいな」

 口に広がるのはしっとりとした甘味と、ほのかな木の実の酸味だ。絶妙なバランスでふたつの味わいがひとつになり、それがたまらなくクセになる味で、少年が今まで食べたクッキーの中でも三本の指に入る味だった。

 少年がふたつめに手を伸ばすのを少女は止めなかった。それは試食のために出したクッキーではなかったが、食べてもらえただけで嬉しかったのだ。

「この袋とそっちのを買おう。いくらだい?」

 少女には少年が裕福な家の子には見えなかった。服はくたびれているし、目は金持ち特有のあの嫌な雰囲気がない。

「十六銅と十三銅」

 とはいえ、客の懐を気にして商品を引っ込めるわけにはいかない。少女も金がなくては生きられないのだ。森での自足の生活にも限界がある。

 少年はズボンのボケットから銅貨の束をひとつ取り出して、少女に渡した。

「それが二十銅。で、残りの九銅ね」

 少年はためらいなく少女に金を払うと、再びクッキーを頬張り始めた。

「これが売れないなんて嘘だね。こんなにおいしいんだから」

「本当」

 その理由を少女は知っている。知りたくはないが、確信に近いレベルで理解してしまう。それが常だ。

「なら、ぼくはいつでも買えるわけだね? 売り切れの心配はないわけだ」

 冗談めかした言い方に、少女は口の中で毒づいた。こうやって持ち上げてから落とす――それが人の常套手段だ。人外の、魔女の――しかも半人前の心を折りにくる。魔女の半人前なんて、言ってしまえば人間と変わらない。違いがあるとすれば、人として生きるか、魔女として生きるかを選ぶことができるということだけだ。

「そうね」

 少女は答えた。

 少年は「明日も来るよ」と言い残し、クッキーをかじりながら歩いていった。それを見送った後、少女は手早く店じまいをした。


 森は静かだ。人が来ることはほとんどないし、来たとしても用事が済めばすぐに森を出る。獣は森の奥に潜み、たまにしかその姿を見せない。人外の民はこの森にはいない。

 いるのは半人前の魔女だけだ。人とも人外ともいえる中途半端な存在。人からは疎まれ、人外からは軽視される存在。

 少女の家は実にシンプルだ。木造の小屋のような家には窓が二ヵ所あり、屋根には煙突がつき出ている。目立った装飾はなく、むしろ傷みのほうが目立つくらいだ。内装もシンプルで、ふたり用のテーブルには椅子がひとつ。マントやカバンをかけるスタンドと、タンス、それから簡素な暖炉とキッチンがある。ボロ布が何枚かまとめて置かれている台は、大きさからしてベッドかもしれない。

 帰ってきた少女はスタンドにマントをかけて、バスケットをテーブルの上に置いた。それだけで、台にされたテーブルは、ぎしり、と音を立てた。

「そろそろ直さないとダメかしら」

 憂鬱そうに呟いて、あのボロ布がまとめられている台に向かう。

「疲れた」

 そして、ためらいなくそこに身を投げるのだった。どうやら本当にベッドだったらしい。しかし果たして、こんなベッドで寝て疲れが取れるのだろうか。

 もそもそと体を動かし、少女はうつ伏せのまま服を脱ぎにかかる。替えの服が手近なところに見当たらないから、この少女は下着で寝るらしい。現に少女は薄いシャツとパンツだけを身に付けているだけで、他には何も着ていない。だらしない格好ではあるが、それを咎める者はここにはいない。

 ほどなくして規則的な寝息が聞こえてきた。少女の寝相は良いのだが、やはり寒いのだろう、体がずるずると暖かさを求めて足のほうへと動く。何枚かの布は体に押されてベッドから落ちた。暖かさを求めて動いたことで、シャツは胸下までまくれ上がってしまっている。

「……寒い」

 少女は不機嫌そうに目をこすりながら、スタンドかマントを持ってきてそれをかぶってベッドに戻った。服を着ようとしないのは、そうしないと寝つけないからだ。少女自身も不思議に思っているのだが、人の癖とはなんとも妙なものである。


 翌日、少年は宣言通りに露店へとやって来た。少女がバスケットからクッキーの入った袋を取り出すや否や「今日のはどんなクッキーだい」と、本当に楽しそうな顔で笑う。対して少女の表情はさして変わらない。

「今日はラモ。甘みが強い」端的にそう答えるのみである。「ちなみに十銅」

 少年の「まだ買うなんて言ってないさ」という苦笑に、少女は「あっそ」と冷たく息を吐く。

「はい、これ十銅」

 ズボンのボケットから銅貨を漁って少女に持たせた。少女は目を瞬かせ、我に返ってその数を数えた。

「うん、どうも」

 少女は少年に気づかれないように、手早くかつさりげなく、自分のつまみとして出していたクッキーひとつを少年が買ったクッキーの袋に入れた。

 翌日も少年は少女の露店へやって来てクッキーを買っていった。更に翌日もまたやって来た。そんな日がしばらく続くが、喋ることはあまりなく、商品を買わずに挨拶だけで済ませる日もあった。が、少年は毎日欠かさず顔を見せた。

 そんな折、数日ぶりに少年が世間話を振った。

「明日は雨が降りそうだね」

「そうね」

「雨が降ったらさすがに店はできないだろう?」

「普段なら休まない。でも誰かさんに稼がせてもらったから、一日や二日休んでも問題ない」

「それは重畳。疲れてるんじゃないかと心配してたんだ」

「心配? あなたがわたしを?」

 信じられない、と少女は嘆息する。

「本気なんだけどねぇ」

 やれやれ、と少年は肩をすくめた。

 が、少女はすぐさま立ち上がり、マントから小ぶりのナイフを取り出して身構えた。それは一瞬の出来事であり、少年は少女がナイフを構えたことを一連の動作が終了してから気づいた。

「何を……」

 少年には少女の行動の意図が全く理解できなかった。毎日欠かさず店を開くことは、少年の常識ではありえないことだ。週に二、三日の休日があるのは当たり前のことで、その休みを持たないのは医者くらいのものだ。その医者でさえ、週に一度くらいは休みを取る。ひどくても二週間に一度は休みを取る。そんな中、この少女はもう三週間ほど休むことなく、この場所でお菓子を売っているのだ。心配しないほうが どうかしている。

 しかし、少女の常識はそうではなかった。

「何が目的?」

 少女は優しさに対し、警戒を向けた。

「え?」

「ずっと不思議だった。あなたはわたしを自分と同等に扱う。なぜ? わたしにはわからなかった。わからなかった。全然。だけど――」キッ、と鋭い目で少年を睨む。「――やっぱりおかしい。わたしにそんな言葉をかける人はいない。そんな目でわたしを見る人はいない。そんなこと――ありえない」

「そんな……それの何がおかしいっていうんだい? きみはぼくがきみを見下せば満足だったのかい? 侮蔑に満ちた目で見ていれば、きみにとってはそれが良かったって言うのかい?」

「ええ。それがあなたたち――でしょう? わたしが魔女になる素質を持っているから虐げる。人外の民になり得るから虐げる。それがあなたたちでしょう? たとえ本人がその道を選ばないとしても」

「――――っ」

 魔女の歴史とは、差別の歴史である。それは人々が魔女を差別するのに対し、魔女が魔女同士で何らかの関係を築かないことに起因する。魔女が何らかの関係を他の魔女と築いたならば、もっと建設的な歴史を積み重ねることができたはずだ。しかし、魔女はそれをしなかった。彼女たちは――あるいは彼らは――自分たちが持っている確固たる「個」を尊重したのだ。ある者は海へ。ある者は森へ。ある者は空へ。その活動場所を定めている。そして彼女たちは自分の領域から外に出ることを滅多にしない。

「わたしに近づく理由を簡潔かつ迅速に答えて」 

 少女はナイフを、くい、と動かした。まるで何かをえぐるような動き。

「理由なんて……」

 言いかけて、少年はどう答えたものかわからなくなった。理由と言える理由がないのだ。たまたま少女が露店を開いているのを見かけ、なんとなく声をかけた。そして成り行きで今に至る。少女に近づいてどうこうするといった目的は、少年の中には全く存在しない。

 敢えて答えるならばそう――やはり、

「たまたま?」

 と答えるしかない。

「ふざけないで」

「ふざけてないよ」

 少年は両手を挙げ、二度ジャンプした。

「ぼくは丸腰だからさ、とりあえずそのナイフをしまってくれない? 物騒で仕方ない」

 ジトッとした目でじっと睨まれたが、命の危機を脱するには代えられない。ぐっとこらえて少女の目を見続けた。

「……」

 しぶしぶといった風にナイフを収めた。

「ありがとう。……本当にたまたまさ。それにぼくはそんな差別主義者じゃない」

「ふぅん?」

「ま、信じないならそれでもいいさ。いや良くないけれど。ナイフを向けないでさえくれれば、ぼくはそれでいいよ」

 少年にとって、この少女が魔女かどうかは、あまり問題ではなかった。彼の関心はもっと他のところにあって、それはとても単純なことだった。

「ところで」と、少年は気持ちを切り替えた。「きみはふだん、どこに住んでいるんだい?」

 そう問われた少女の手は、すぐにナイフに向いた。しかしギリギリのところで思いとどまり、じっと少年を見つめる。

「どうして、そんなことを?」

 少女の目は、さきほどのような殺気を帯びている。

「え? ぼく悪いこと聞いちゃった? いやいや、あのさ、ぼくは世間話のつもりで聞いたんだけど……」

「わたしの家を知ってどうするの? 寝込みを襲うつもり?」

「寝込みって……いやいや、しないって」

 耳まで真っ赤にして首を少年に、少女は「違う」と冷たく言い放つ。

「そっちじゃない。馬鹿」

 そう言われ、少女が言っている意味を正しく理解した少年は、今度はぶんぶんと手を振った。

「とんでもない! そんなことをしたら、きみのお菓子が食べられなくなるじゃないか。いや、どっちの意味でも食べられなくなるけどさ!」

 しかし少女は警戒を全く緩めない。

 当然だ。

 彼女にとって、夜の居所を知られることは死活問題だからだ。とはいえ、誰もが知っている情報なら渡しても問題はないだろうと、彼女もすこし冷静になって思い至った。

「……夜は森にいる」

 ナイフに届くか届かないかのところで、彼女の細い指がうろついている。

「それは物騒だね」

 少年もそれに気づいているが、あえて無視をした。

「獣なんかが出てくるんじゃない?」

「それ以上の質問はわたしの住み家の特定につながる。教えられない」

 少年にその知識があるかはわからないが、獣の出没頻度で森のどの辺りかはわかってしまう。少女ほどではないにしても、この町の人間でその判断ができる者もいるだろう。

「そっか」

 少年は残念そうにうなずいた。少女は警戒を解いたわけではないが、それでも少年のこの質問に他意がなかったのではないかと思い始めた。だからといって教えるわけではないが。

「もういい?」

「え?」

「もう帰っていい?」

「う、うん」

 少女はうなずいて、商品をバスケットに詰めた。それは全く無駄のない動きで、少年が何も言えずに突っ立っている間に片付けが終わってしまっていた。そして「それじゃあ」と言って、少女は町の外に向かって歩いて行った。

 残された少年はため息をついて、ぽりぽりと頭をかいた。そしてさっきまで魔女と話していたことで向けられてしまう、町の人からの冷めた視線に鋭い睨みを返して、大通りの人混みの中に混じった。


 翌日、昨日ふたりが話していたように、外は大粒の雨が降り注いでいた。いつもなら店を出そうとするところだが、少女はそんな気分にはなれなかった。商品は当たり前のように売れないのだが、それだけでなく、昨日の少年とのことが気がかりだった。どうしてかは少女自身にもわからないが、なんとなく気まずい気分になっている。

「変なの」

 少女はいつものマントではなく、ぼろぼろになっているマントを羽織った。フードを目深に被って外に出る。

 雨は激しく、マントなどほとんど意味をなさなかった。少女はすぐにびしょ濡れになった。体に服が張り付いて気持ち悪いが、少女はそれすら意に介さずに森を歩いている。時折木の枝を見上げては、めぼしい木の実を摘み取っている。

 淡々と実を集めては、少女はため息をもらす。辺りには他の動物の姿はなく、当然人の姿もない。少女がそういう場所を探して、最も隠れるのに適した場所に居を構えている。だからこの状況は少女が望んだ結果とも言えるのだが、それでもあまりにあんまりな静寂だった。

 雨の音が耳にうるさい。雨が降る森は視界が悪く、森に慣れた少女も何度か木の根につまずいた。その度に木の実がいくつかこぼれ落ちていった。

「……?」

 少女は何かが聞こえたような気がして、立ち止まって耳を澄ませた。雨の音に混じって、別の音が聞こえた気がしたのだ。

「どこにいるんだろう?」

 確かに声が聞こえた。それは男の人の声だった。その人は一人で何かを言っているらしく、他の人の声は聞こえてこない。少女はこのあたりでは一番大きな木の影に隠れ、その人物が通り過ぎるのを待った。しかしその声はだんだんと近づいてきていて、今から動けばそれで気づかれてしまうほどにまで接近していた。

「……どうしよう」

 ここにいるところを見られ、それを町の人に言いふらされてしまうのは良くない。彼らは町の中でこそ何もしてこないが、町の外では何をしてくるかわからない。これまで平穏に森で住んでいられたのは、森の広大さに人がどうすることもできないでいたからだ。ここで目撃され、アタリをつけられてしまうと、行動に移そうとする人だって出てくるはずだ。

 しかし、なぜこの雨の中、しかもひとりでこの森の中に入ってくるのか。気配を隠すために雨の日を選んだにしても、たったひとりでこの森を歩くのは愚か者のすることだ。それこそ人外の民でなければそんなことはしない。

「もうすこし奥なのかもしれないね」

 そのつぶやきが聞こえた時、少女はようやくその人物の姿を捉えた。

「なんで……」

 それはいつも店に顔を見せに来る少年だった。もう一度辺りの気配を探り、少女は少年の前に歩み出た。

「あっ! やっと見つけた」

 少年は雨に濡れながら、嬉しそうに笑った。

「どうしてここにいるの?」

 少女は極めて冷静に少年に問いかける。

「なんていうか……」

 少年は困ったようにはにかんだ。

「えっと、町、追い出されちゃった」

「追い出された?」

 こくん、と、少年はうなずく。

「なぜ?」

「……愚問、かもしれないけど、きみは魔女憑きって言葉、知ってるかい?」

 魔女憑き。

 知らないはずがない。

「知ってる」

「ぼくはどうやら、それらしい」

 少女は一瞬だけ不愉快そうに顔を歪ませ、すぐにいつもの表情に戻った。

「それは災難ね。で、その猫は?」

 少年は両腕で一匹の黒猫を抱いていた。その猫はまるで野生のような鋭い目つきをしていて、さっきから少女をにらみつけている。

「ああ、この子はぼくの家族さ」

「そう。それで、魔女憑き呼ばわりされたのは、事実?」

「うん」

 少年はうなずいた。魔女憑きといえば、人の世界の中では忌み嫌われる肩書きであり、たとえ演技であっても名乗りたくはないだろう。少女はそう判断して、少年の言葉を信じることにした。

「これからどうするの?」

「困ってる」

 少年はやはり笑って答えた。

「大変ね。とりあえずついてきなさい」

 少女はそう言ってくるりと反転し、歩き出した。少年はしばらくその姿を見送っていたが、「ちょっと待って!」と呼びかけながら、少女の後を追った。

 足場の悪い道をしばらく歩き、たどり着いたのは少女の家だった。家に入ると、少女は木の実をテーブルの上に置き、ダンスからボロ布を一枚出して、少年に向けて放り投げた。

「早く拭いて。風邪をひくわ」

 そう言うと、少女はびしょ濡れのまま暖炉に火をおこした。そしてマントを脱ぎ、そのまま何のためらいもなくシャツとスカートも脱ぎ、暖炉の火で服を乾かし始めた。掛けるものも何もないため、ただ床に広げているだけだが。

「タオル、ありがとう」

 体を拭き終えた少年は、そう言ってタオルを返そうとしたが、下着一枚で暖炉の前にしゃがみ込む少女に気づいて、慌てて視線を逸らした。

「構わないわ。タオルくらい。服を脱いでこっちに来たら? 体も冷えているでしょう?」

 少女は平然とそう言うが、少年は気が気ではなかった。自分よりも年下とはいえ、女の子の下着姿など精神衛生上良くない。年が離れすぎていたり、この少女が幼児だったりというのなら別問題だが、せいぜい二、三歳しか年の変わらない少女ではどうしても意識が向いてしまう。

「なんで目を逸らしているの?」

「そ、その、肌を隠してくれないかな?」

「……わかったわ」

 少女は立ち上がって、いつも露店をする時に使っているマントを羽織った。少年はほっと一息ついて、少女と同じように服を乾かしながら、少女の隣に座った。そしてその隣に黒猫が身を下ろす。動物には珍しく、あまり火を恐れていないようだ。

「いつもとは話し方が違うね」

 気まずい気持ちを振り払うために、少年は自ら話題を振った。なにか喋っていないとどうにかなってしまいそうだった。

「そうね。外ではあのほうが早く会話が終わるから」

「でもそれじゃあ、お菓子を売りにくいんじゃない?」

「買う人は買うし、買わない人は買わないわ。それに下手に話し続けると……」そこで少女は一度言葉を切った。「……今回のようになる」

 その今回が、自分のことだと少年はすぐに理解した。

 魔女と関わりを持つこと――それは、町の人間にとっては大きな問題だった。簡単な商品の売買なら問題はないのだが、それ以上に踏み込んでしまうのは問題視されてしまう。そして行き着く先は――

「まあ……あれだけ話していたらしかたないよ」

 少年は相変わらず笑っているが、その笑みには諦めがにじんでいた。

「しかたなくないわ。わたしは魔女ではないのよ?」

 少女は魔女未満、人間未満の半端者だ。だから人間扱いはされないし、魔女扱いもされない――そのはずだ。

「町の人にとっては同じだよ」

「だからってあなたが魔女憑き呼ばわりされて、挙句町から追放されるなんて、それはおかしい話じゃない?」

 少女は何時ぶりか、あるいは生まれて初めて、怒りにも似た感情を抱き始めていた。あまりに理不尽で身勝手な理屈に、今まで何も感じてこなかった少女は怒りを覚えた。

「そうだね。ぼくは何も悪いことをしていない。当然、きみも悪いことはしていない」

「当たり前よ」

「でもね、良し悪しだけで判断されないこともあるのさ」

「よくわからないわ」

「いずれわかるよ」

「わかりたくもないわね」

 少女はそう言って立ち上がり、マントを脱いで、まだ生乾きであろうシャツに袖を通した。

「どうしたんだい?」

「下を履き替えるのよ」

「そ、そう」

 少年はまた顔を真赤にしてうつむいた。少女があまりに無警戒すぎて、少年は気が気でない。どうしていつもの警戒心がここで発揮されないのだろうか。

 少女はタンスからボロ布をまた何枚か出して床に重ねながら広げ、それから一枚だけ、新品……とまでは言えないが、かなり綺麗な状態を保っている大きな毛布を引っ張り出した。

「悪いけど、あなたはこれで寝て。客人用のベッドなんてうちにはないの」

「いやいや、ぼくは……」

「何を言っているの? あなた、行くあてなんてないでしょう? それにもう日も暮れるわ。この雨の中夜の森で過ごすなんて、あなた、死にたいの?」

 少年は渋々といった様子で、少女からその布を受け取った。そしてふと少女が座っているベッドを見やると、そこには少年が持っているような毛布なく、ただただボロ布が重ねられているだけだった。

「きみ、そこで寝るの?」

「ええ」

「ええって……この毛布、さっきタンスから出してたよね?」

「そうよ。前に使っていたものは、いまあなたの足元に広がっているわ」

 ハッとして、少年は足元のボロを見た。そこには毛布の名残はなく、毛は全てなくなっていた。どれだけ使い込めばこんな風になってしまうのか。

「きみがこの毛布を使いなよ。今夜は冷え込むよ」

「いらないわ。わたしはこっちに慣れてしまったから」

 少年にはそのボロ布のベッドは、どう見ても疲れを癒すものには見えなかった。自分のも大差ないのだが、自分は場所を借りている身なので文句はない。むしろ感謝しているくらいだ。

「わかった。ありがたく使わせてもらうよ」

「そうして頂戴。あとお腹が空いたらキッチンにあるものを適当に食べていいわよ」

 そう言って少女はベッドに身を横たえた。例によってシャツとパンツだけという格好だ。少年は目のやりどころに困りながら、「きみは食べないのかい」と聞いた。

「今日は食べないわ。夜は数日に一度しか食べないの」

「……そっか」

 少年はうなずいて、ひとまずボロ布のベッドに体を沈めた。床の硬さが体に伝わってきて、お世辞にも寝心地が良いとは言えない。けれど少女が貸してくれた毛布はやわらかく、いくらかそれも軽減された。それを下に敷くようなマネはできなかったが。

「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 そう言った途端、部屋を満たしていた明かりが消えた。

「え? あれ?」

 少女はベッドにいる。それなのにどうして室内全体を照らすような明かりを消すことができる? 気づけば暖炉の火さえも消えているではないか。

「わたしは魔女未満だけど、魔法を扱えないわけではないのよ?」

「え? あ、そうか……」

「ああ、でもこれではあなたが身動き取れないわね。暖炉に小さく火をつけておくわ」

 そう言うと、本当に暖炉から小さな明かりがもれた。その明かりの前では、黒猫が丸くなっている。

「ありがとう」

「どういたしまして。それでは、良い夢を」

「きみもね」

 言葉もなくなり、パチパチという弾ける音と、雨の音だけが聞こえてくる。少女はボロ布の中から窓の外を見上げ、何も見えない夜闇を睨んでいた。


 しばらくすると、少女の息遣いが寝息のそれに変わった。なかなか寝付けない少年は、その寝息を聞きながら静かに立ち上がり、暖炉の明かりを頼りにキッチンに向かった。夕食をとっていないため、彼の胃が暴れていた。

「それでも、なあ……」

 さすがにこのキッチンのものに手をつけるのははばかられた。というのも、このキッチンには食べるものがほとんどなかったのだ。あるのはいくつかの果物だけで、肉や穀物といったものは見つからない。別の所に保管しているのかもしれないが、保管するようなものも見つからない。

「食べるべきじゃない、か」

 諦めて、少年は自分の場所へ戻った。雨はまだ降り続いていて、あの毛布がなければ寒くてしかたがない。服は乾いているはずだが、黒猫がその上で寝ているために着ようにも着られない。

 少年はそれで改めて少女のことを思い出し、毛布を持って彼女の脇に立った。少女はボロ布の上で身を丸め、どう見ても寒さに身を震わせていた。

「何が『こっちに慣れてしまった』さ。寒いものは寒いじゃないか」

 少年は持っていた毛布を少女に掛け、自分は黒猫をどかせて服を着、それから黒猫を抱いてボロの上に寝た。黒猫は目を覚まして「にゃあ」と寝ぼけた声で鳴き、またすぐに目を閉じた。

 

 少女は目を開け、たった今自分にかけられた毛布の端を掴んだ。

「いらないって言ったでしょう? 馬鹿」

 誰にも聞こえないくらいの声でつぶやいて、少女はしばらくじっとしていた。そして今度は少年が寝息を立て始めた頃、音もなく立ち上がり、毛布を持って彼の隣にしゃがんだ。

「あなたは本当にわけがわからない人ね」

 少女は少年に毛布をかけ、その隣に彼女自身も横になった。そして毛布の三分の一程度を自分のほうに引き、ゆっくりとまぶたを落とした。

 翌朝、少女は少年が目覚める前にキッチンに向かい、適当な木の実選んでそれをクッキーにした。これらを朝食にするつもりだから、このぶんでは今日の露店は開けそうになかった。

「……もう開かなくてもいいかもしれないわね」

 というよりも、開きたくない――のほうがより本音に近いかもしれない。昨日の少年の話を聞いた時から、あの町の人に自分の作ったものを食べてほしくないという思いが、少女の中でふつふつと湧いてきていた。

「魔女になれば、もっと魔法を扱えるようになるのかしら」

 そのあたりのことは、少女自身もよくわからなかった。今はせいぜい暖炉に火をおこすことくらいしかできない彼女だが、もしもっと多く、強い魔法を扱えるようになるのなら、その代償として人の社会から隔絶されることも良しと思えた。

 魔女として生きることも、きっと悪いことじゃない。

 少女はクッキーを頬張りながら、窓の外を見る。雨はすっかり止んで、木々についた水滴が陽の光を反射してきらめいている。

「あら」

 いつの間にか彼女の傍らには黒猫がいた。

「あなたの主人はお寝坊さんね」

 そう話しかけると、

「にゃあ」

 と答えた。少年はまだ静かに寝息を立てている。

「あなた、お腹が空いていない? 空いているなら食事をしに行きましょう」

 黒猫はもう一度鳴いて、家の入口のほうへ走った。早く行こうと少女を急かしているように見える。少女は小さく笑って黒猫の後に続いた。

 少女と黒猫は近くの小川に向かい、黒猫はそこで魚を一匹仕留めた。少女も驚くほどの見事な手際だった。美味しそうに魚を頬張る黒猫を見て、少女は何かを思いついて自分も川の中に入っていった。

 魚を食べ終えた黒猫が不思議そうに少女を見ていると、少女も魚を一匹捕らえていた。

「お寝坊さんの朝食にしましょう」

 そう言って少女は笑った。


後編に続きます。

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