第1話『力よ、再び』
目を覚まし、ふと自分が、腕を天に向けている事に気がつく。
何を掴もうとしたのか、その手は開き、何かを求めている。
それが何だったのかは、もう夢の後。覚えてすらもいない。
ただ虚無感と、今の己と、天井が見えるだけ。
ああ今一度。今一度手にしたい。
あの強い力を。あの満足感を。あの快感を。
最近どうもこの街は治安が悪い気がする。
任意京介は、ふと見かけた、何人かの輩が気の弱そうな学生服の少年を、壁越しに囲んでいる光景を見て思う。
こんな場面フィクションではよくお目にかかるが、現実ではそう出くわす事はない。
京介はため息をつくと、その光景に向かって進んでいた。
京介はコンクリートの壁に叩きつけられると、背中に軽い痛みが走った。
「格好つけて出て来た割には、たいした事ないなヒーロー?」
輩の一人が壁に手をついて、京介の顔の間近で言った。
ヒーロー。任意京介はヒーローだった。
一年前までは。いや一年少し前の限られた期間だけではあるが、紛れもなくヒーローであった。
(情けないな…こんな奴らに)
助けに入ったのはいいものの、多勢に無勢。絡まれていた学生は逃がせたが、自分が囲まれての今である。
京介は運動神経もいいし、一年前のあの後から進んで鍛えもしている。
だが普通の人間では、多勢には勝てない。
(インフィニティなら、こんな奴ら)
そう思うのも無理もない。大きな力を持ち、自覚して、ある時それがなくなってしまったのだから。
「サンドバックにしてやるからよ」
壁に手をついた男の手が振り上げられた。
「そのコブシ、待った」
渋みのある声がして、その場の全員が声がしたであろう方向に気をとられる。
そこには一人の男が立っていた。
30台後半くらいだろうか。細身ではあるが長身で、がっしりとした筋肉に、服装はTシャツにジーンズという簡素な格好だ。
そしてこの場の誰もが感じ取れるほどの、鋭い雰囲気があった。
「なんだよ、てめぇは」
「その青年を殴るのならば、俺を殴れ」
男の発した予想外の言葉に輩たちは顔を見合わせる。
「ははは、なんだって? 今度は無抵抗主義のヒーローさんか?」
「適当に俺を殴って、気がすんだら去るがいい」
「なんだと?このオッサンは…」
輩の一人が持っていた鉄の棒を振りかぶり、その男の肩口に振り下ろした。
鉄の棒はパンという音を立てて肩に当たった。
「…今のは本気じゃないな。どうした思い切りやれ」
眼光鋭く、男は殴った相手を見据えて言う。
「う、うう…」
ゆっくりと鉄の棒を引くと、輩の一人は後ずさる。
男はその手を掴むと、そのまま自分の頭部に棒の切っ先を合わせる。
「ここを思い切り叩くんだ」
「そんな事したら…」
「ああ、人は死ぬ。こんなもので殴れば痛い。頭を殴れば人は死ぬ」
「うう…」
「お前たちのような奴でも、人を殺す機会はそうはあるまい」
男はにっと口元に笑みを浮かべる。
「さあ、やれ」
輩たちはその雰囲気に気圧され、鉄の棒を投げ捨てると気味悪げに去っていった。
「…ありがとうございます」
「なに」
京介は男に近づくと、男の肩がはれている事に気がつく。
「それ…大丈夫ですか?」
「ああ」
男は肩に手を当てて数度撫でると。
「すごく痛かったよ」
と苦笑した。
京介は思わず噴き出してしまった。
男は堅 辰葉と名乗った。
「すまんな」
薬局で買った湿布と、自販機で買ったコーヒーを受け取り、店の前のベンチに座っている辰葉は礼を言った。
「いや、こちらこそ。堅さんが助けに入ってくれなかったら、今頃ボコボコにされてましたよ」
「君は勇気があるな」
「堅さんがそれを言いますか?」
苦笑しながら京介は自分用のコーヒーを開けた。
「俺はまあ、自殺志願者みたいなものだからな」
「…もしかして本気だったんですか、あれって」
先ほどの輩達とのやりとりが脳内で再生される。
「どうかな」
それだけ言い、しばらく沈黙があたりを支配した。
「…一年前、この街で死にぞこなってな」
気まずい雰囲気になるのを回避するように、辰葉は口を開いた。
「一年前…」
「罪を犯し、死にぞこなって、この街から逃げた」
「……」
辰葉はコーヒーを飲み干すと、腰を上げた。
「今は己を律するために生きているのだと悟った」
「難しい話ですか?」
「いいや。力を振るわないと決めた。先ほどの連中くらいなら叩き伏せる自信はあったよ」
京介は辰葉の体つきと感じ取れる雰囲気で、それが慢心から来る言葉ではない事がわかった。
京介のように学業の合間に鍛えているとかのレベルではなく、本格的に何か専門的にをやっている肉体と精神。それが感じ取れた。
「いざとなれば叩き伏せられる相手だからこそ出て行けた。死んでもいいと思っていたから出て行けた。君とは覚悟が違う」
聞きようによっては誤解しかねないが、辰葉は京介を褒めているのだ。
「…そんないいものじゃありませんよ」
京介は苦い口調でつぶやくように言った。
ふと、視界の隅に蒼いものが映った。
見た事がある。記憶にある。
「蒼い雪!?」
空を見上げると蒼い雪が降り注いでいた。
いや京介にだけ向けてピンポイントで落ちてきているような感覚だ。
京介の体に降り注ぎ、吸収されていく。
(まさか…)
ハッとして辰葉のを見ると、蒼い雪は辰葉の体にも降り注いでいた。
「堅さん、あんた…!?」
「ぐおおおおおっっ!!」
京介の呼びかけに答える事無く、辰葉は苦しげに咆哮すると、その体が膨れ上がった。
「ああっ…!」
驚く京介の目の前でただでさえ長身の辰葉の体はみるみるうちに2倍ほどの大きさになった。
灰色の筋肉の塊に、野太い欠陥が脈打つ。
京介はこいつを知っていた。
「バディビル!?」
ヒーローをやっていた頃には幾度も戦った事のある相手だ。
まさか辰葉がその能力者だったとは。
口からうなり声を上げながら、バディビルは京介を見下ろす。
そしてその丸太のような筋肉の塊の腕を躊躇なく振り下ろした。
しかし京介はそのバディビルの腕を片手で受け止めていた。
「…やっぱり…能力が戻ってる」
右手の手袋の下に仕込んでいた強化手甲を増幅して何倍もの力を引き出す。
京介の能力はそれであった。
『聞こえるかな京介? 私だ』
耳のピアス型の通信機から声が響く。
サイコ・ブレイン。人格を持つコンピューターであり、京介の相方である。
「ああ…用件は蒼い雪だろ?」
さらに重圧をかけるバディビルの腕を受け止めながら応える。
『やはりか…今しがた街で一斉に能力者反応が現れた』
「そうだな、とりあえずスーツを転送してくれるか? いきなり大変なんだ」
『準備は出来ている』
「そうかい!」
京介はバディビルの腕を振り払うと、間合いを取って、両腕を大きく開いた。
「インフィニティ!」
光の粒子が京介を包み、マスクヒーロー、インフィニティが姿を現した。
「イン…フィニティ…!」
過去に何度も叩き伏せられた、その因縁の相手の名前を叫び、バディビルはコンクリートを踏み潰し前進してきた。
『堅さんよ…あんた自分を律するんじゃなかったのかよ!』
インフィニティの叫びが響いた。