わたしの彼氏がヤンデレだったようです(死に戻り勇者)
ヤンデレ彼氏はよいぞ!
恋人の勇者が、わたしの首を絞めてきた。
「……ごめん。少しだけ、我慢して」
「いやいやいやいや! 我慢できるわけないでしょうが!」
首にかかったのは彼の両手ではなく、銀色の首輪だった。
かちん、と小さな音がする。
「これで、君は死なない」
「その前にわたしがあなたを殺しそうなんだけど」
勇者アルヴィンは、泣きそうな顔で微笑んだ。
「それならいいよ」
「よくないわよ!」
「君が生きていてくれるなら、僕は何度殺されても構わない」
わたしは悟った。
どうやら、わたしの彼氏は相当おかしくなっている。
いや、前から少しおかしかった。
でも、ここまでではなかったはずなのだ。
◇
わたしの名前はエマ。
王都の片隅で小さな花屋を営む、二十二歳の平民である。
そして恋人のアルヴィンは、魔王を討伐した救国の勇者様だ。
どうしてそんな立派な人が花屋の娘と付き合っているのかと聞かれたら、わたしにもよくわからない。
三年前、怪我をして店の裏で倒れていた彼を拾ったのが始まりだった。
顔色の悪い青年にスープを出して、傷の手当てをして、ついでに店の掃除を手伝わせた。
それ以来、彼はやたらと花屋に来るようになった。
勇者だと知ったのは半年後だ。
「なんで黙ってたの?」
「勇者だと知ったら、普通に話してくれなくなるかと思って」
「そんなわけないでしょ。あ、でも今度から荷物運びは遠慮するわ」
「それは困る」
「なんで?」
「君に頼られるのが好きだから」
そんな人だった。
少し寂しがり屋で、優しくて、強くて。
わたしが花束を作っていると、隣で嬉しそうに眺めているような人。
ただ、ひとつだけ変なところがあった。
彼はわたしの身に危険が迫ると、別人のようになる。
ある日、脚立から落ちかけたわたしを抱き留めた彼は、真っ青になって震え始めた。
「エマ。お願いだから、高いところに登らないで」
「大げさねえ。たった三段よ」
「三段でも死ぬ」
「死なないわよ」
「死ぬんだ」
その声があまりに切実だったので、わたしはそれ以上何も言えなかった。
以来、店の高いところにある棚は、すべて彼が片づけるようになった。
まあ、便利だからいいか。
そう思っていた。
そして昨日。
わたしは王都の市場へ買い物に出かけた。
そこで暴走した馬車に轢かれかけた。
アルヴィンが飛び込んできて、わたしを助けてくれた。
ここまではよかった。
問題はその夜である。
彼は突然、わたしを自分の屋敷に連れていき、寝室に閉じ込めた。
窓には魔法の結界。
扉には三重の鍵。
そして今朝、首輪までつけられた。
「アルヴィン」
「うん」
「これ、外して」
「嫌だ」
即答だった。
「嫌だ、じゃないの!」
「ごめん」
「謝るなら外して!」
「それはできない」
わたしは両手で頭を抱えた。
恋人が勇者だと、力ずくで解決できないのが困る。
世界最強の男を相手に、花屋の娘が勝てるわけがない。
「……ねえ。わたし、何か悪いことした?」
そう尋ねると、アルヴィンはひどく傷ついた顔をした。
「違う。君は何も悪くない」
「じゃあ、どうして?」
「君を失いたくないから」
「失わないわよ。わたし、ここにいるじゃない」
彼は答えなかった。
ただ、わたしの手を取って、その甲に額を押しつけた。
まるで祈るように。
「……今度こそ」
彼が呟いた。
「今度こそ、絶対に」
◇
その日の昼、わたしは脱走を試みた。
方法は簡単。
屋敷に出入りする侍女に頼んだのだ。
「お願い! あの人、ちょっとおかしくなってるの!」
「存じております」
「存じてるの!?」
「旦那様は三日前から一睡もなさっておりません」
「なんですって?」
「お嬢様をお守りするため、王都中に防御魔法を展開されております」
何をやっているんだ、あの男は。
「お嬢様。旦那様をお助けください」
侍女は深々と頭を下げた。
「わたくしたちでは、もうどうにもできないのです」
わたしは脱走を諦めた。
その代わり、アルヴィンを呼びつけた。
「座りなさい」
「うん」
「ご飯は?」
「食べてない」
「睡眠は?」
「必要ないよ」
「必要あるわよ!」
わたしは用意させたシチューを彼の前に置いた。
「食べる!」
「でも、君から目を離したくない」
「目の前にいるでしょ!」
「……うん」
彼は素直に匙を持った。
一口食べて、ぽろりと涙をこぼした。
「えっ、何!? 熱かった!?」
「……美味しい」
「そ、そう」
「君と食事ができる」
また涙が落ちた。
わたしは困ってしまった。
勇者様が泣くところなんて、誰も見たことがないだろう。
わたしだって初めてだ。
「アルヴィン。何があったの?」
彼は匙を置いた。
しばらく黙ってから、言った。
「エマ。僕は、時間を戻せるんだ」
「……え?」
「正確には、死ぬと過去に戻る」
冗談だと思った。
けれど、彼は笑わなかった。
「最初に戻ったのは、魔王との戦いで死んだときだった。目を覚ますと、十年前に戻っていた」
「十年?」
「そう。それから何度も死んだ。魔王に殺されて、仲間に裏切られて、病に倒れて」
彼は淡々と話した。
「やがて魔王を倒す方法を見つけた。でも、魔王を倒しても、僕の死に戻りは終わらなかった」
「……どうして?」
「わからない」
アルヴィンはわたしを見た。
「そして、君に会った」
その瞬間、彼の顔がくしゃりと歪んだ。
「君は僕にスープをくれた。勇者でも英雄でもない僕に、ただの怪我人として接してくれた。僕が何も言わなくても、寒いだろうって毛布を持ってきてくれた」
「……そんなこともあったわね」
「初めてだったんだ」
彼は笑おうとして、失敗した。
「何度人生をやり直しても、僕のことを覚えている人は誰もいない。仲間も、家族も、助けた人たちも。僕だけが全部覚えている」
彼の手が震えていた。
「でも、君といると、そんなことを忘れられた」
わたしは何も言えなかった。
「だから、君に結婚を申し込もうと思った」
「……えっ」
「指輪も買った。君の好きな青い石のついたものを」
彼は微笑んだ。
「その日に、君が死んだ」
◇
「最初は、事故だった」
アルヴィンは話し始めた。
「市場で馬車が暴走して、君が轢かれた。僕は間に合わなかった」
わたしは息を呑んだ。
「君が死んで、僕は自分の胸を剣で刺した」
「アルヴィン!」
「大丈夫。戻れたから」
大丈夫なわけがない。
「次は市場に行かせなかった。でも、君は店の階段から落ちた」
背筋が冷たくなった。
「次は階段を全部直した。すると君は、花の仕入れに行った先で盗賊に殺された」
「……嘘」
「次は盗賊を全員捕まえた。君は病気になった。治癒魔法でも治せなかった」
彼は指を折り始めた。
「火事。落雷。毒。魔物。崩落。暗殺。疫病。水難」
「もういい」
「百回を超えた頃から、数えるのをやめた」
「もういいってば!」
わたしは彼の手を掴んだ。
冷たかった。
「どうして……そんな」
「わからないんだ」
彼は子供のように首を振った。
「どうして君ばかり死ぬのか、わからない。僕が何か間違えたのかもしれない。神様を怒らせたのかもしれない。でも、何をしても君が死ぬ」
「……」
「君を遠くに逃がしたこともある。別の男と結婚させたこともある」
胸が痛んだ。
「幸せに暮らしてくれるなら、それでよかった。でも駄目だった。君は死んだ」
彼は俯いた。
「僕が近くにいても、遠くにいても、君は死ぬ」
沈黙が落ちた。
「……昨日の馬車も?」
「うん」
「前にもあったの?」
「四十三回」
わたしは唇を噛んだ。
「今回は間に合った。でも、次は何が起こるかわからない」
彼がわたしの首輪に触れた。
「これは、僕が十年かけて作った魔道具なんだ。致命傷を受けても、一度だけ身代わりになってくれる」
「……そうなの」
「屋敷には防御結界を張った。食べ物は全部毒見させている。君に危険なことは何ひとつさせない」
彼は笑った。
「これで、きっと大丈夫」
わたしは、その笑顔が恐ろしかった。
何百回も恋人を失った男が、ようやく見つけた答え。
それが、わたしを閉じ込めることだったのだ。
◇
「ねえ、アルヴィン」
「何?」
「あなた、何回殺した?」
彼が凍りついた。
「……何を」
「あなたが死に戻るために、自分で命を絶ったのは何回?」
長い沈黙。
「……覚えてない」
「そう」
「エマ」
「わたし、怒ってるからね」
彼の顔から血の気が引いた。
「ごめん。首輪は痛かった? もっと柔らかい素材にする。部屋も好きなように変えていい。花屋の仕事だって、ここでできるようにするから」
「そうじゃない!」
わたしは彼の頬を両手で挟んだ。
「なんであなた、自分の命をそんなに粗末にするの!」
「……だって」
「だってじゃない!」
「君が死ぬから」
彼の声は小さかった。
「君が死んだ世界で、生きていたくない」
わたしは泣きそうになった。
でも、泣かなかった。
ここで泣いたら、この人はきっとまた自分を責める。
「ねえ。あなたが何百回もわたしを助けてくれたこと、わかったわ」
「……うん」
「でも、わたしは一度も覚えてないのよ」
「知ってる」
「ずるいわ」
彼が目を見開いた。
「あなたばっかり、わたしと何百回も恋愛して。わたしはまだ三年しか付き合ってないのに」
「……エマ?」
「あなたのこと、もっと知りたいの。喧嘩もしたいし、一緒に旅行にも行きたい。おじいちゃんになったあなたが、どんな顔をして笑うのかだって見たい」
彼の目から涙がこぼれた。
「それなのに、あなたはわたしを閉じ込めて、自分は死ぬことばっかり考えてる」
「……ごめん」
「謝るなら、生きなさい」
わたしは彼の額に、自分の額をくっつけた。
「わたしが死なない方法、一緒に探しましょう」
「……無理だよ」
「やってみなきゃわからないでしょ」
「何百回も試したんだ」
「でも、わたしと一緒に考えたことは?」
彼が黙った。
「ないでしょう?」
「……ない」
「じゃあ、まだ試してない方法があるじゃない」
アルヴィンは顔を覆った。
肩が震えていた。
「……怖い」
「うん」
「君を失うのが、怖い」
「うん」
「もう、嫌なんだ」
わたしは彼を抱きしめた。
「わたしだって、あなたを失うのは嫌よ」
その日、救国の勇者は、わたしの膝の上で子供みたいに泣いた。
◇
翌日から、わたしたちは死の原因を調べ始めた。
もっとも、アルヴィンは最初、わたしを部屋から出そうとしなかった。
「調査は僕がする」
「二人でって言ったでしょ」
「でも、危険だ」
「じゃあ手を繋いで」
「……え?」
「絶対に離さなければいいじゃない」
彼はしばらく固まっていた。
それから、わたしの手を握った。
痛いくらい強く。
「痛い!」
「ごめん!」
先が思いやられる。
調査は難航した。
魔王の呪いかもしれない。
死に戻りの代償かもしれない。
わたしの家系に何か秘密があるのかもしれない。
けれど、何ひとつ確かなことはわからなかった。
そして七日目。
王宮の大図書館で、わたしは一冊の古い本を見つけた。
『時の加護を受けし者、その願いが叶うまで時は巡る』
アルヴィンが顔を上げた。
「……それは」
「死に戻りのことじゃない?」
ページをめくる。
『ただし、加護は願いの形を問わず。願いを誤れば、時は永久に閉ざされる』
「願い……」
彼が呟いた。
「アルヴィン。あなたが最初に死んだとき、何を願ったの?」
「魔王を倒したかった」
「その後は?」
「……みんなを救いたかった」
「魔王を倒した後は?」
彼は黙った。
やがて、震える声で答えた。
「……エマを」
わたしを見つめる。
「エマを、絶対に死なせたくないと」
わたしは本を閉じた。
「ねえ。それじゃない?」
「……何が?」
「あなたの願いよ」
彼は眉を寄せた。
「わたしを絶対に死なせたくないって、願ったんでしょう?」
「そうだよ」
「でも、人間はいつか死ぬわ」
アルヴィンの顔が歪んだ。
「そんなこと、言わないで」
「聞いて」
わたしは彼の手を握った。
「わたしが百歳まで生きたとしても、あなたは満足できる?」
「……できない」
「でしょうね」
「百年でも千年でも、一緒にいたい」
「欲張りねえ」
わたしは笑った。
「あなたの願いは、叶えようがないのよ」
アルヴィンは呆然とした。
「わたしを死なせないことばかり考えて、わたしと生きることを忘れてない?」
長い沈黙があった。
彼はようやく、わたしの手を握り返した。
「……僕は、どうすればいい?」
「まず、首輪を外して」
彼は少し迷った。
けれど、やがて小さく呪文を唱えた。
銀の首輪が外れる。
「それから?」
「花屋に帰りたい」
「……うん」
「あと、デートしたい。あなたと市場に行って、焼き菓子を買って、川沿いを散歩したい」
「危険だよ」
「そうね。でも、楽しいわ」
アルヴィンは困った顔をした。
「僕は、また君を失うかもしれない」
「そうね」
「それでも?」
「それでもよ」
彼は目を閉じた。
それから、ひどく頼りない声で言った。
「……僕も、君と生きたい」
その瞬間だった。
彼の胸元から、金色の光が溢れた。
小さな時計の形をした紋章が、砕けて消える。
アルヴィンは息を呑んだ。
「……加護が」
「え?」
「消えた」
彼は自分の胸を押さえた。
「死に戻りの加護が、消えたんだ」
わたしはしばらく考えた。
「……それって、つまり」
「もう、戻れない」
「じゃあ、死んだら終わり?」
「……うん」
わたしは彼の胸ぐらを掴んだ。
「絶対に死なないでよ!」
「えっ」
「自分から死ぬなんて、二度としないで!」
「……うん」
「約束!」
彼は泣きながら笑った。
「約束する」
◇
それから一年。
わたしはまだ生きている。
市場にも行くし、脚立にも登る。
もっとも、脚立に登ろうとすると、必ずアルヴィンが飛んでくる。
「エマ! 僕が取る!」
「三段くらい平気だってば!」
「お願いだから!」
相変わらず心配性だ。
けれど、少しずつ変わってきた。
わたしが買い物に行くとき、以前は必ずついてきた。
今では、たまに一人で行かせてくれる。
たまに、だけど。
そして今日。
アルヴィンは花屋の店先で、突然膝をついた。
「エマ」
「何?」
「結婚してください」
差し出されたのは、青い石のついた指輪だった。
わたしは目を丸くした。
「……これ」
「ずっと、渡せなかったんだ」
彼は照れくさそうに笑った。
「何度買っても、渡す前に君が死んでしまって」
「……そう」
「だから、今度こそ」
わたしは指輪を受け取った。
「はい。喜んで」
アルヴィンが、ぽろぽろ泣き始めた。
「ちょっと! また泣くの!?」
「……だって」
「だって?」
「初めてなんだ」
彼は泣き笑いの顔で言った。
「君に、結婚してもらえるのが」
わたしまで泣きそうになった。
だから、思い切り抱きついた。
「これから、よろしくね!」
「……うん」
「でも、ひとつだけ条件があるわ」
「何?」
「もう二度と、わたしを監禁しないこと」
アルヴィンは固まった。
「……一日だけでも?」
「駄目」
「結婚記念日だけ」
「駄目!」
「じゃあ、僕が君に監禁されるのは?」
「なんでそうなるの!?」
「それなら毎日でもいいよ」
わたしは頭を抱えた。
この人、根本的には何も治っていない。
ただ、最近わかったことがある。
アルヴィンはわたしを閉じ込めたがるけれど、わたしが本気で嫌がることは、もうしない。
その代わり、わたしの行く先々についてくる。
花の仕入れにも、友達とのお茶会にも、実家への帰省にも。
最近では、花屋の常連さんから「勇者様って、奥さんの後ろに生えてるの?」と聞かれる始末だ。
まだ奥さんじゃないんだけど。
「ねえ、アルヴィン」
「何?」
「あなた、わたしのこと好きすぎない?」
彼は不思議そうに首を傾げた。
「今さら?」
そして、ひどく幸せそうに笑った。
「僕は何百回も君に恋をしたんだよ。今さら一回分の人生で、好きが足りるわけないじゃない」
……なるほど。
どうやら、わたしの彼氏はヤンデレだったようです。
しかも、かなり重症の。
でもまあ。
わたしだって、この人を幸せにしてやりたいと思っている。
何百回分も、とはいかないけれど。
せめて、これからの一生くらいは。
「アルヴィン」
「うん?」
「わたし、おばあちゃんになっても、あなたと手を繋いで歩きたいわ」
彼は目を見開いた。
そして、また泣いた。
「……約束だよ」
「ええ、約束」
彼の手を握る。
何百回もわたしを失った、その手を。
今度こそ、二人で年を取ろう。
死に戻りなんかできない、たった一度きりの人生を。
できれば、百歳くらいまで。
……もっとも、彼は百歳になったわたしにも、脚立を使わせてくれない気がするけれど。
それはそれで、悪くない。
(おしまい)
ヤンデレ彼氏はよいぞ!
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