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異世界料理人ナギサ、魔王領にて

作者: 神崎ナスナ
掲載日:2026/07/07

「疲れたー。お腹すいたー。」


 少女は自分の身の丈程の大きなリュックサックを背負い魔王都を彷徨っていた。

 彼女はブツブツと独り言を呟きながら街を歩く。 

 日は完全に沈み、レストランも閉まり始める時間帯。


 彼女の名は、カグラ・ルーヴェル。

 頭からちょこんと生えた耳が特徴的な狐の獣人だ。

 そして、彼女はこの街ではそこそこ有名な錬金術師である。


 背負ったリュックの中身は新月草。

 新月の夕暮れにだけ採取できる貴重な調合素材だ。


 カグラは日夜、錬金術に明け暮れている。

 彼女の生活には昼も夜も無い。好きな時に寝て好きな時に起きる。

 いわゆる世捨て人のような生活を送っている。


 彼女の収入源は新月草を使った魔力回復役。

 

 だからこそ、収集は彼女にとって月に一度の大仕事だった。

 しかし、よりにもよってカグラは大寝坊をかましたのである。

 日頃の自身の怠惰な生活によって狂った体内時計が恨めしい。


 飛び起きた頃には夕方に差し掛かろうという時間帯で、息つく暇も無く家を飛び出したのだ。

 それもあって、今日は起きてから何も食べていない。


「ああ、何かガッツリとしたものが食べたい……」


 彼女は街を彷徨う。

 世捨て人の自覚はあるが、レストランに一人で入る程の勇気は無い。それに、この時間だと酒場くらいしか開いていないだろう。

 かと言って、家に帰って飯を作る程の気力は当然無い。


 そんなカグラの鼻を良い匂いが掠める。

 匂いに従って視線を上げると、一つの店が目に入る。


「ん?こんなところにお店なんてあったっけ?」


 カグラは家に籠りっきりなので、久々に外出した時に街が様変わりしている事がよくある。

 目に留まったのは、木造2階建ての建物。

 その店からは何とも美味しそうな匂いが漏れ出ていた。


 店内はこの時間にも関わらず、中々に繁盛しているようだ。

 店先の看板には『異世界酒場(バル)ナギ』と書いてある。


「(異世界?異世界ってのは勇者とかが生まれた、あの異世界か?)」


 この世界に稀に現れる転生者。

 その転生者が元々居た世界は、この国では異世界と呼ばれている。

 聞くところによると、異世界は大層文明が進んだ世界らしい。


「(ふむ、気になる……。今日はここにしようか。)」


 錬金術師としての知識欲と、芳醇な匂いに彼女は抗う術も無く店に吸い込まれていった。


―――――――――――――――――――――――――――――


「いらっしゃいませー。

 お1人様っスか?であればそこのカウンターの端っこが開いてますよー。」


 夜というのに爛々とした店内に入ると、ウェイトレスと思しき竜人(ドラゴニュート)が話かけてきた。


「ふむ。異世界人というのは君かい?

 異世界にも亜人種が居るんだね。」


「いやいや、アタシはここで雇って貰っている料理人っス。

 異世界人なのは、カウンターの向こうで料理しているあの人っスよ。」


 彼女の指し示す先には黒髪の女性が黙々と作業をしていた。

 ここ魔王領では珍しい人間種(ヒューマン)だ。


「なるほど。それは失礼した。」


 カグラはそう言い残すと、いそいそとカウンターの席に座る。


 席に座って一息ついて、周囲を見回す。

 一見普通の店かと思ったが、後ろの酒瓶の知らない文字、カクカクと首を振る赤べこ(赤い牛?)、店主の持つ片刃の包丁(ナイフ)

 そして天井には大量の光を発する魔石。

 どれも見た事の無い物ばかりだ。


 店内の色々な所に目をやる内に、カウンターの向こう側に立つ店主と目が合う。


「こんばんは。初めてのお客さんですよね?」


「ああ!私はカグラ・ルーヴェルと言う。よろしくね。」


「私は店主をやっているナギサです。よろしくお願いします。

 こちら、今日のメニューです。」


 店主はニコりと、メニューの書かれた紙を手渡してくる。

 なるほど、店名の『ナギ』というのは店主の名前であったか。


 自分から名乗ってみたものの、店主の反応を見るに彼女はカグラの事を知らないらしい。

 我ながら、この街ではそこそこ有名だと思っていたので少しヘコむ。


「この店では異世界料理が食べられるのかい?

 なんだか、見た事の無い料理ばかりだね。」


 ショックを受けつつも、店主(ナギサ)が新参者なのかもしれないと気を取り直したカグラは、メニュー表を見ながら問いかける。


「ええ、全て異世界の料理ですよ。料理は日替わりです。

 たまにしかお目にかかれない品もあるので、是非通ってくださいね。

 食べたい食材があれば、こちらから提案もさせて頂きますよ?」


 そう言って、おどけた様にナギサは微笑む。


「正直、メニュー表だけだとサッパリ分からないから助かるよ。

 そうだな、今は肉が食べたい。

 調理法は……うん。異世界らしい物が良いな!」


「でしたら、牛肉なんてどうでしょう?

 ここに書いてあるローストビーフと言うのがオススメです。」


「ならそれをお願いするよ。」


 その言葉を聞いたナギサは、かしこまりました。と一礼して、調理台に向き直った。


――――――――――――――――――――――――――――――


 ナギサはカグラの視線を背中に感じていた。


「(うーん、めっちゃ見られてるね……)」


 異世界では珍しかろうとオープンキッチンスタイルを採用していることもあり、日頃から興味深そうに厨房を覗く客は多いが、この人からは特に熱い視線を感じる。


 ナギサは鍋から、ポリ袋に入った肉を取り出す。

 丁度良く火が入り、表面は白みがかったピンク色になっている。


 店内に向き直ると、ナギサをじっと見つめていたカグラと肉塊越しにまたも目が合う。


「それは茹でた肉かい?

 肉だけを茹でるなんて、変わった調理法だね。

 それに、その透明の袋といい、見た事ない珍しい物ばかりだ。」


「調理の工程にそこまで興味津々なお客さんも中々に珍しいですよ。」


 ナギサが苦笑する。


「ボクは錬金術師でね。

 どうも素材の調合なんかは気になって仕方が無いんだ。

 気を散らせてしまったなら謝罪しよう。」


 それを聞いてナギサは焦って手を振り、否定する。


「いえいえ、調理工程を知るのも大事なスパイスですから。

 良ければ、何をやっているか詳しくご説明しましょうか?」


「なに!?いいのかい?

 じゃあ、お言葉に甘えようかな。」


 そう言ってカグラは、キラキラと目を輝かせたのだった。



 早速、要望に応えてナギサはローストビーフの説明を始める。


「これは真空調理といって、簡単に言うと温度調節を凄く細かく行える調理法なんです。

 とはいえ、やる事は簡単です。

 真空とは空気を抜くという意味でして、この袋の中に食材を入れてから空気を抜いてやる訳です。

 そうして鍋で煮ていく。それだけです。」


「なるほど、確かに空気は熱を遮るからね!

 空気を抜くことで鍋の湯が食材に直接当たる訳だ。

 だから、湯温によって温度が細かく調節できると。

 うん、面白い。面白いよ!!」


 カグラは感心したように頷く。

 一方でナギサは驚きを隠せずにいた。

 こんな説明だけで、ここまで理解して貰えるとは。


 錬金術師というのは、現代で言う科学者みたいなものなのだろうか?

 だとしたら、この理解力も納得だ。


「ええ、その通りです。

 その上、全方向から熱が入るのも強みですね。」


「なるほど、真空調理というものは理解できた。

 だがしかし、温度というのはそこまで大切なのかい?

 こう言っちゃなんだが、肉を焼くのに技術の差が出やすいとはいえ、そんな少しの温度差で何かが劇的に変わるとは思えないよ。」


 カグラは不思議そうに首を傾げる。


「そう思うのも無理はありません。

 フライパンで焼くと、温度が急激すぎて変化に気付きにくいですから。

 ですが、その少しの差が肉の味を大きく変えているんですよ」


 そう言って、ナギサは不適に笑った。


――――――――――――――――――――



「そもそも、旨い肉とはどのような物でしょうか?

 例えば、今私が調理しているランプ(モモ肉)であれば。」


 ナギサは唐突にカグラに問うた。


「うーん、そういう赤身が多い部位であれば、そうだな...…。

 肉の味がしっかりする事、そして柔らかい事。

 だからこそ、レアに焼き上げるのが美味しいと感じるよ。

 勿論、血生臭いのはダメだけど。」


「そうですね。私もその通りだと思います。

 そして、その理想的な状態に仕上げられるのが低温調理なのです。」


 続けて、ナギサは間髪入れずに問いかける。


「肉は変熱性……火を入れると状態が変わっていくのはご存じですか?」


「ああ、私も錬金術師だからね。

 肉を素材に扱う事もあるよ。家で料理もするしね。」


 カグラは事も無げに答える。


「実は、その状態の変わり方には段階があるのです。」


「そうなのかい?それは全く知らなかったね。」


 カグラは興味津々という顔で、身を乗り出して肉をじっと見つめた。


「肉というのは実は、様々な物質から成るんです。

 私達の世界ではタンパク質というのですが、様々な種類のそれが集まって出来ているのです。」


「今まで、肉は1つの物質としてしか捉えた事は無かったね。

 だが、よく考えれば生物なのだから、塩や水のように単純な物質では無いというのは腑に落ちる。」


 ナギサはカグラの反応を慎重に確認しつつ、言葉を続ける。


「では、肉を焼くと何が起こるかについてです。

 まず、55℃くらいから1つ目のタンパク質に火が入り、血生臭さが抜けていきます。

 そして、60℃を超えると、2つ目のタンパク質が変質し始めて、肉が硬くなっていくのです。」


 幸運な事に、この世界では摂氏が温度の中心である。

 専門的な説明になってしまっているが、カグラは考え込むように顎に手を当てて静かに聞いている。


「なるほど。構成している物質によって火が入る温度が違う。

 そして、細かく温度を調節出来れば、狙ったものにだけ火を入れられる。

 だからこそ、真空調理なら最高の肉の状態を作れるのか。」


「ええ、その通りです。

 60℃手前ギリギリの温度にする事がミソなんです。」


 カグラの理解の速さに感嘆しながら、ナギサは答えた。


 実際には、調理に於いてこのタンパク質の変熱性には様々な説がある。

 上の説明は筋形質タンパク質を中心に据えたものであるが、筋原繊維タンパク質と呼ばれるミオシンとアクチンに着目したり、コラーゲンに着目する説もある。


 様々な文献と試行錯誤の上、ナギサが辿りついた結論は、『ローストビーフは60℃手前の温度で調理する』であった。


「なるほど、加熱にも段階があるのか……。

 勉強になるよ。」


 その瞬間、カグラのお腹がグーっと鳴った。

 カグラは顔を赤らめる。


「長々と話し過ぎましたね。

 丁度、さっき取り出した肉の温度も落ち着いたので、表面を少し焼いたらすぐお出ししますね。」


 そう言って、ナギサはフライパンに向かう。

 ローストビーフと言えば低温調理の前に焼く方法がメジャーであるが、ナギサは仕上げで最後に焼く方法を採用している。

 かつては表面を焼くとこで肉汁を閉じ込めるのがセオリーであったが、最近では先に焼いても肉汁は変わらず流出するという事が明らかになったからである。

 であれば、最後に焼くことで新鮮な香りを付ける方が良いという判断だ。


 そうしてカウンターの中に、肉を焼く心地の良い音とメイラード反応による香ばしい匂いが充満するのだった。


―――――――――――――――――――――――――――――


 カグラは思う。

 これは本当に食べられるのだろうかと。


 カグラの前に出された料理。

 外側は軽く炙られ、だが中は火が通っていないように見える。


 店主(ナギサ)の話を事前に聞いていなければ、生肉かと思った所だ。

 だがしかし、店主の話を聞いたからこそ……


「(うん、待ちきれないね。どんな味がするのか楽しみで仕方がない。)」


 店主が言っていた、「調理工程を見る事が料理のスパイスになる」という言葉は、確かに正しいようだと思う。


 カグラは直ぐに齧り付きたい気持ちを抑えて、料理に顔を近づける。

 見た目は生肉だが、漂ってくるのは表面の香ばしい香りのみ。

 生の牛肉によくある、強い血の匂いは全くしない。


 フォークに肉を刺して少し持ち上げる。

 肉は重力に負けてへにゃりと折れ曲がった。

 本当に火を入れたのかと思うほどの柔らかさだ。

 

 カグラはたまらずローストビーフを口に放り込む。


「んっ!!美味しい!!」


 柔らかい肉に歯が沈み込む感覚は何とも官能的だ。

 そしてカグラが最初に感じたのは、純粋な肉の味。


 極上の柔らかさに、噛めば噛むほど肉の旨味が溢れ出してくる。

 西洋わさび(ホースラディッシュ)の鼻に抜ける刺激が何とも心地いい。


 その肉は、表面こそ火を入れた肉の様でありつつも、中身は最高のレア。

 ステーキの中心部の最高のレア部分だけで構成された夢の様な肉であった。


 カグラは人生で初めて食べるような肉料理に舌鼓を打つ。

 何とも大変な一日であったが、この料理に出会えたのだから儲けものだ。


 そうやって、カグラは大切に大切に一皿を楽しむのであった。


――――――――――――――――――――――――――――


「いやはや、最高の時間だったよ。

 異世界の知識というのは私には新鮮で、最高で。夢の様な時間だったよ。

 そして何より、料理の味もね。」


 カグラはフォークを置いてナギサにそう言った。


「そう言っていただけると嬉しいです。

 私の世界には料理は科学(錬金術)だ。なんて言う人も居るくらいですから。

 錬金術と料理で通じ合えて私も楽しかったですよ。」


 ナギサも仕事の手を止めて、カグラに笑いかけた。


「ん?料理は錬金術?」


 ナギサの言葉に、カグラは考え込む。


 腹が満たされたことで、思考がいつもよりも回る。


 この真空調理という技法は錬金術にも応用できるのではないか?

 もしかすると、今リュックサックに入っている新月草にも……。

 植物も生き物だ。であれば、様々な物質で構成されていてもおかしくない。

 もしこの肉のように徹底した温度管理があれば、何か新しい発見があるのかもしれない。


「真空調理、徹底した温度管理……。

 そうか。それだよ!!

 こうしちゃいられない、家に帰って試さなきゃならない事が出来たよ。」


 そう言って、カグラは席を立ちあがる。


「お代はここに置いておくよ。

 それじゃ、また絶対来るからね!!」


 そう言って、ドタドタとカグラは店を後にした。


「ふふ、不思議な人だったな。」


 ナギサはそう言って、カグラの背中を見送るのであった。


―――――――――――――――――――――――――――――――


 数日後、魔王都で新しい魔力回復薬が販売される。

 従来の魔法薬では考えられない程の効能と価格で、その薬は飛ぶように売れたそうだ。


 その薬を作ったのはカグラ・ルーヴェル。


 巷では、誰も知らない素材を使っただとか、黒魔術を使っただとか色々な噂が流れた。

 しかし、その製法を様々な人に聞かれても、彼女は「とある料理がヒントになった」と返すだけであったらしい。


 そしてカグラ自身にも変化がもう一つ。


 昔は行動時間がバラバラで滅多に人前に現れなかった彼女だが、魔力回復役を発売した同時期から街を出歩く姿がよく目撃されるようになったそうだ。

 彼女は決まって夕方頃に街に現れる。


 或る人が彼女の変わり様の理由を問うたことがあるらしい。


「夕方で無いと、お店が空いていないからね。」


 カグラはただ、そう答えて酒場に消えていったという。 

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