閑話・地獄ではない、しかして日の当たる場所でもない
外伝に先輩はいない。故にたまにはシリアスもある。
そこは決して地の獄と呼ぶほどに深い不幸の底ではなく、さりとて日の光が当たる場所でもなかった。
後の死王配下アルシャが生まれたのは、魔界の一角にある獣人型魔族が多く住む街であり、仲睦まじい獣人型魔族の若夫婦から生まれてきた。
だが、生まれたアルシャを見て夫婦は絶句した。獣人型魔族である己たちから生まれた子供が、猫の魔獣のような姿でありどう見ても獣人型魔族には見えなかったからだ。
これは珍しい事象ではあるのだが、獣人型魔族から魔獣型魔族が生まれることは稀にあり、変異系と呼ばれる特殊事例として存在していた。
これがある意味ではアルシャにとって始まりにして、最初の不幸であったと言えるかもしれない。ただ悲しいかな多様な種族が暮らす魔界において、この手の出産におけるトラブルはある程度ありふれたものではあった。
難しい問題でもあるが、多様な種族が結婚したり混血が当たり前のこの世界において、親と子の種族が違っているという事態はそれなりの頻度で起こりえる。
アルシャは特殊事例ではあったが、単純に例を上げるなら獣人型魔族とオーガ族が結婚して子供を作ったとしたら、子が獣人型魔族になるか、オーガ族になるか、はたまた双方の性質を併せ持ったハーフオーガのような状態で生まれてくるか、実際に生まれてみるまで分からない部分もある。
そして、親と子のあり方についても種族によって考え方がまるで違い。人間などと同じように子供に愛情を注いで育てる種族もいれば、最低限の知識だけ義務として与えたらあとは他人と認識する種族もいる。珍しい例では、子供が生まれたら即座に時空間魔法で成体まで成長させて、三日の訓練の後にひとり立ちさせるという少数種族もいるし、そもそも子供ができない種族の組み合わせや、生殖自体を行わない種族などもいて本当に多種多様である。
獣人型魔族は多様な種族がいるが、基本的に子供には深い愛情を注ぎ育てる。だが、多くの獣人型魔族は「獣人型でない子供に対して関心が薄い」という特徴があった。
他排的な思考……というわけではなく、どうにも本能的な問題のようで、獣人型でない子供に対して己の子供であると頭や理屈では理解していても、本能の面で奇妙な違和感を抱き続けてしまうらしい。
若い獣人型魔族の夫婦もそれに辺り、生まれたアルシャに関してどうしても己の子供であると感じることができず、愛情を向けることができなかったために、アルシャを正式な手続きの元で遠方の孤児院に預けて親子の縁を切った。
子を捨てたと言えば聞こえは悪いが、愛情を持てない己たちが育てて虐待などに発展してしまうよりはと、正規の手続きとしっかりした金銭を支払って孤児院に預けたのは理性的な行動ともいえるかもしれない。
少なくとも魔界においては子に関する問題はそれなりにありふれたものであり、アルシャは不幸ではあったが……それもまた、それなりに事例の多いありふれた不幸と表現していいものではあったし、道端に放り捨てられたりしているわけではないため最悪というような環境でも無かった。
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魔界において孤児院はそれなりの数が存在するが、基本的に「ひとりで生きていく手段を学ぶ場所」であり、預けられた子たちは数年のうちに最低限の知識や常識、魔法などの技術、お金の稼ぎ方などを教えられて孤児院を出ていくことになる。
魔族は人族に比べて成長速度は遅い。孤児院も慈善事業ではなく、成体と呼べるようになるまで数百年単位で面倒を見たりはしない。幼くともひとりで生きて行けるように指導したのちは独り立ちをさせるのが基本である。
アルシャもおよそ10年ほどをかけて一般常識や知識、基礎的な魔法や戦闘術などを学んで個人を出ることになった。それもまた特別な事例ではなく、他の小事態と変わらない処置……そこから先は学んだことを生かしてひとりで生きていかなければならない。
ただやはり、そこにも個々の適性というのは現れる。身の振り方や嗅覚……ひとりで生きていくことが上手いものも居れば、ひとりで生きていくことが下手なものも居る。
アルシャはどちらかと言えば後者であり……生きていくのが下手だった。日銭を稼ぐような短期間の仕事にありついて、最低限のお金を稼いで生きながらえて次の仕事を探し、街から街を転々とする日々で余裕など一切なかった。
だがそれでも、壊滅的なほどに生き方が下手なわけでもなく、最低限生きて行けるだけの金銭を稼ぐことはできていた。
そして、いくつもの短期の仕事を行い、最終的に流れ着いたのは小さな街の裏組織だった。
そこはいちおう男爵級高位魔族が率いてこそいるものの、正直組織と呼ぶのもおこがましいような、総数にしても100人を切るであろう小さな集まりで……街のギャングもどき、あるいは小悪党の寄せ集めと言えるようなそんな組織……弱者を食い物にして金を稼ぐような、そんな場所だった。
アルシャには戦闘面に関してそれなりに才能があり、組織の下っ端……戦闘員としてこき使われる日々だった。とはいえ、街のギャングもどきレベルの組織であり、本格的な戦闘など滅多に無く主に恫喝、威圧……暴力を振りかざして脅すような役割がもっぱらだった。
そこでの日々は、アルシャにとって気持ちのいいものでは無かった。アルシャの根っこの部分は善良であり、他者を傷つけて、悪事を働いて金銭を得ているという状況に忌避感を覚えていた。
しかし、だからといって己が生きるのが下手だということも理解しており、いまさら組織を止めてどうすればいいかも分からなかった。
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人通りの少ない道を、三本の尾を微かに揺らしながら歩くアルシャの目は疲れ切ったように淀んでいた。日々少しずつ心が腐っていくような感覚を覚えつつ、アルシャはそっと己の頬を撫でる。
そこには小さな切り傷があり、少し前に久々にあった少し規模の大きい戦闘によるものだった。
己の手の中には少しの金銭……他者を傷つけて得た報酬。己の存在が酷く惨めで悪辣に感じられた。しかし、だからといってなにかができるわけではない。
このままでは駄目だというような気持ちはあるものの、なにも行動を起こせないままズルズルと先延ばしにし続けている状況。ゆっくりと地上で溺れているかのような息苦しさがあった。
(……私は、なんのために生きてるんだろう。なんの価値もないのに……)
アルシャは本質的に己に自信がない……というよりは、己は無価値であると考えているようなところがあった。それは生まれてすぐ両親に捨てられたからなのか、上手く生きられずに落ちぶれてきたからなのか……ただひとつ言えるのは、ずっと彼女の根底にある気持ちは「誰も己を助けてくれない」「自分ひとりで生きなければならない」という思いであることだった。
彼女は愛情を知らない、打算ではない優しさを向けられたことが無い。自分にそんなものを向けられる価値は無いと思っている。いや、そう思い込むことで自分を慰めているのかもしれない。
(現状を変えるために動く勇気も、死ぬ勇気もないから、ただ生きてるだけ……意味なんてあるのかな? でも、きっと世の中には私よりずっと辛くて不幸な人もいっぱいいる。私は自力で生きていけてるだけ恵まれてる方……恵まれてる……のかな? 分かんないや……考えるのは辛いし、息苦しいし……生きてるのが……苦しい)
そう、決して彼女のいる場所は地の獄ではない。彼女の不幸はそれなりにありふれたものであり、決してどうにもできないものでは無かった。
アルシャには教えを受けられる環境もあった。他者より優れている才能もあった。たぶん、きっと……上手く立ち回れば真っ当に生きれた。幸せになれた……選択肢はあったはずなのだ。
そしていまいる場所も決して沈み切った底ではない。その気になれば現状を変えることはできるはずであり、死に物狂いになれば人生を大逆転できる可能性だってある。
だが、おそらく……それができるのなら、彼女はいまこの場所には居ない。
「あっ……」
小さな声がこぼれる。思考の渦にはまっていたがゆえに足元の石を見落とし、情けなくも転倒する。痛みなどがあるわけではない。だが、それでも……すぐには起き上がれなかった。
酷く惨めだった……なにも出来ない、なんの価値もない己に……生きている意味があるのかと……。
(……苦しい……ずっと……ずっと……苦しい)
なにか致命的な失敗をしたわけではない。大きな過ちを犯したわけでもない。小さく、少しずつ何百年も間違え続けたから……いま、この場所にいる。
自分が間違っているのは分かっている。だけど、だからと言ってどうすればいいか分からない。いまもずっと己は間違え続けて……いつしか手遅れになると頭では理解しているが、今を変える勇気もなくてズルズルと沈み続けている。
彼女がいる場所は決して地の獄ではない……さりとて、日の当たる場所でもない。太陽の光は彼女を照らさない……だが……。
「……大丈夫?」
「……え? ――ッ!?」
倒れている彼女の前にそっと差し出された手……ゆっくりと顔を上げたアルシャは、心の底から驚愕した。心配そうに己に手を差し伸べている白く長い髪と赤い瞳が特徴的な美しい女性。決して知識が豊富とは言えないアルシャであっても一目見ただけで分かるほどの有名人。
魔界の頂点の一角、六王の一角……死王アイシス・レムナント……本来であれば言葉を交わすどころか視界に入ることすらありえないほどの存在。
「……し、死王様?」
「……うん……立てるかな?」
「は、はい。し、失礼しました」
まさかこんなところでとてつもない大物と出会うとは思わなくて、アルシャは慌てた様子で立ち上がって謝罪をする。己のような存在がアイシスの進む道を邪魔してしまったのではと、恐縮しながら頭を下げる。
「……怪我……してる」
「あっ、これは……」
「……動かないで……治すから」
「え? ぁっ……」
アルシャの頬の傷に気付いたアイシスが、フッと優し気な微笑みを浮かべて手を伸ばしアルシャに治癒魔法をかけてくれた。頬の痛みが消えると共に、胸の奥にジンと響くような温もり……目の奥が痺れるような、アルシャにとって経験したことが無い感覚だった。
それは初めて触れる打算の無い優しさだった。
なんの思惑も打算も、ましてや金銭による契約もなく、ただ怪我をしているアルシャを心配して施された治癒魔法は……驚くほどに温かく……心の奥でなにかが揺れた気がした。
アルシャは死王について詳しく知るわけではない。恐ろしい存在だとも、慈悲深い存在だとも聞いたことがあるし、そもそも彼女にとっては雲の上の存在であり噂の真偽を確かめる術すらなかった。
だが、こうして偶然出会って初対面の己に微笑んでくれるアイシスからは、深い慈悲と温もりを感じ、涙がこぼれ落ちそうになった。
制御できない感情が心の奥から湧き上がり、それが喉を通ってひとつの言葉として口から零れ落ちた。
「……助け……て」
「……え?」
「あっ、い、いえ!? 助けてくれてありがとうございました!」
零れた言葉はアルシャにとっても予想外であり、すぐに慌てて誤魔化すようなことを告げた。初対面の存在……それも魔界の頂点の一角と言える六王に対して、なにを失礼なことを口走っているのだろうと己を恥じて、深く頭を下げる。
「……ううん……気にしないで……大丈夫?」
「はい! おかげさまで! 本当にありがとうございました! ご迷惑をおかけして申し訳ありません。私はこれで失礼しますね」
「……うん……気を付けてね」
「はい!」
短く話を切り上げて、深くアイシスに頭を下げてその場から去る。これでいいんだと、己のような存在が関わっていい相手ではないと、そんなことを考えながら少し速足で歩きつつ、アルシャはそっと己の頬に手を当てた。
(……温かった……)
頬に残る温もりが、ほんの少しだけ息苦しさを楽にしてくれた気がして……。
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アルシャが去っていった方向を静かに見つめていたアイシスは、ボソリと小さく独り言のように呟く。
「……シャルティアに……情報を売ってもらうのが……一番早いかな?」
呟きの後にアイシスは氷に包まれ、その場から転移して姿を消した。
理由は分らない、これといった根拠もなければアルシャの事情を知っているわけでもない。ただ、なんとなく、先ほど見たアルシャの目が……孤独に震えていた頃の己に重なった気がした。
~ちょっと解説~
【魔界の孤児院】
結構あちこちに存在する。人族と比べても種族があまりにも多種多様なので、出産や子育てに関するトラブルは多く、どうしてもこういった施設は必要となってくる。
アルシャは立ち回りが下手だったが、戦闘面に才能があった彼女は人界に出て冒険者となったり、六王などの配下を目指したりという道もあったのだが、その辺りも含めて立ち回りが下手だった。




